冥婚
死者は成長し、生者を待ち続ける。
1925年四月、桜の散る夜更けに、樋口家に一人の女の子が産声を上げた。名を登志子といった。
その笑顔は、まるで春のサクラのように愛らしかった。しかし三年後、流行病の熱に浮かされ、登志子はあっけなくこの世を去った。
白い小さな棺は、まるで人形の箱のようだった。両親は娘が荒ぶる魂となって彷徨うことを恐れ、丁寧に人形を祀った。
白木の神棚に据えられたその人形は、登志子の面影を宿したように微笑んでいた。毎年、必要なものを供え続けた――
手毬、髪飾り。六歳の頃には小さなランドセルを。やがて大人への入口では、紅と白粉の化粧道具、磨かれた鏡、そして鮮やかな振袖を。
最後には、娘にふさわしい「結婚相手」を探した。
時が流れ、1945年。中島礼治の母は、役場の黒い影が家の前に立った瞬間、すべてを悟った。
封筒の中には、たった一行。「ルソン方面ニ於テ戦死」と記されていたのみ。礼治、二十五歳。
息子を、せめて花嫁と共に送り出したい――そう願った母は、冥婚を決意した。相手はすぐに見つかった。
生きていればちょうど二十歳になる、樋口登志子。儀式は静かに、しかし厳かに執り行われた。
薄暗い部屋に並べられた二つの位牌。登志子の白い人形は、振袖をまとい、薄化粧を施され、礼治の位牌の傍らに座らされた。
線香の煙が二人の間をゆらゆらと繋ぎ、蝋燭の炎が揺れるたび、人形の瞳がわずかに光ったように見えた。
それから一年後。礼治は、まるで幽鬼のように家に帰ってきた。頰はこけ、目は深い闇を湛えていた。ルソンで銃弾を浴び、長い昏睡状態にあったという。
治療を受け、奇跡的に息を吹き返したのだ。
「夢の中で…俺は、登志子という女と結婚した」
礼治は、母にそう告げた。声はかすれ、遠くから響くようだった。
「彼女は毎日、俺の傷を拭い、薬を塗り、静かに傍らにいてくれた。
手毬で遊ぶ幼い姿も、振袖を着て微笑む姿も、すべてが夢とは思えぬほどに…つくしてくれた」
母は震える声で、真実を語った。冥婚のこと。登志子の人形のこと。位牌と供え物のすべてを。礼治の顔から、血の気が引いた。
次の瞬間、彼はよろよろと立ち上がり、夜の闇へと飛び出していった。樋口家の門をくぐったとき、礼治は異様な静けさに包まれた。
庭の木々が、月明かりの下で銀色に揺れていた。奥の座敷から、かすかな線香の香りが漂ってくる。障子を開けると、そこに人形がいた。
振袖姿のまま、鏡の前に正座し、ゆっくりと櫛で髪を梳いている。
礼治の足音に気づいた人形は、首だけを不自然に回した。陶器のような白い顔に、薄い笑みが浮かぶ。
「…おかえりなさい、礼治さん」
声は、幼い少女のものと、大人の女性のものが重なり合っていた。部屋の空気が冷え、蝋燭の炎が青く染まる。礼治は動けなかった。
夢の中で幾度も触れたその手が、今、現世でゆっくりと彼の方へ伸びてくる。人形の指は、冷たく、しかし柔らかく、彼の頰に触れた。
「ずっと、待っていましたわ。…これからは、ずっと一緒に」
背後で、障子の閉まる音がした。まるで、永遠の蓋が下りるように。その夜以来、中島礼治は二度と姿を見せなかった。
ただ、樋口家の奥座敷では、時折、若い男女の笑い声が聞こえるという。
手毬の転がる音。櫛の音。そして、誰かが静かに囁く声――
「もう、離さない」
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