第十話
院長室を出た仁禮を待っていたのは、
同僚の、クロエ・ナシリだった。
短く整えた黒髪に、冷静な眼差し。
無駄のない白衣の着こなしが、彼女の性格を物語っている。
「久しぶりね、仁禮」
「クロエ。相変わらずだな」
軽く言葉を交わすと、彼女はすぐ本題に入った。
「ちょうどいいタイミング。
院長とまとめていた資料があるの」
院長室へ再び呼ばれる。
サミュエルは、いつもの穏やかな笑みのまま、
一枚のデータパネルを机に投影した。
そこには、年齢別・種族別に整理された数値が並んでいる。
「混血者の不妊症例ですぅ」
サミュエルの声は柔らかいが、内容は重い。
「ここ三年で急増しています。
特に、動物との混血比率が高い家系で顕著に」
クロエが補足する。
「身体的異常はほぼなし。
ホルモン値も正常域。
それでも受精率が極端に低い」
仁禮は、指先でデータを拡大した。
狼族の比率を示す項目が、確かに落ち込んでいる。
「……遺伝子的拒絶反応の可能性は?」
「否定できないわ。でも決定打がない」
サミュエルが静かに続ける。
「まるで、種そのものが自己保存を拒んでいるかのようですぅ」
その言葉に、仁禮の胸がわずかにざわつく。
「院長」
二人の視線が向く。
「特定の集団を、追加で検査したい。
個別の村落単位で、血液と免疫反応を」
クロエの目が細くなる。
「心当たりがあるの?」
一瞬、ライカとエリアスの顔がよぎる。
だが、口には出さない。
「症例として興味がある」
短く答えると、サミュエルはふわりと笑った。
「いいでしょう。
あなたが必要だと判断したなら」
クロエも、頷く。
「データは共有する。
検査機材も手配しておく」
あまりにもあっさりと承諾されたことに、
仁禮はわずかに拍子抜けする。
だが同時に、理解する。
――この問題は、すでに“個人の好奇心”の域を超えている。
院長は、静かに言った。
「仁禮くん。
これは社会の根幹に触れる可能性があります」
その優しい声の奥に、
鷹の鋭さが宿る。
「慎重に進めましょうねぇ」
仁禮は、ゆっくりと頷いた。




