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プロローグ
血に濡れたエリナは、他人の家のピアノの前に座っていた。
鍵盤に落ちる赤が、白を汚していく。
誰かに操られているかのように、指は止まらない。
音だけが、夜に流れていた。
異変に気づき、隣家から駆けつけてきたのはマザー・グレースだった。
扉の向こうで、彼女は言葉を失う。
血まみれの少女と、止まらない旋律。
エリナはグレースの存在に気づくと、ふいに演奏をやめた。
そして、腹部に手を当て、小さく呟く。
「……お腹、空いた」
その一言で、グレースは悟った。
彼女は何も問わず、エリナを自宅へと招き入れる。
この時代、動物由来の食物はすべて禁じられている。
だがグレースは、隠していた牛肉を取り出し、静かに火を入れた。
食卓に置かれた皿を前に、
エリナはグレースをじっと見つめる。
「いただきます」
そう言って、手を合わせた。
――翌朝。
駆けつけた警察官の証言によれば、
エリナ容疑者は一人、台所で牛肉を頬張っていたという。
そしてもう一つ、不可解な点があった。
家の中のどこにも、
マザー・グレースの遺体が発見されなかった。




