第8話 鷲(イーグル)は「梱包材」を纏いて舞う
砂漠の真ん中、地図から消された場所。
地下数十階層に及ぶ、合衆国最重要極秘研究施設「セクター4」。
そこは今、死の静寂と、爆発寸前の焦燥感に支配されていた。
「……ダメだ。シミュレーション失敗。エネルギー係数が安定しない」
NASAから出向している天才物理学者、スタインバーグ博士は、血走った目でモニターを睨みつけ、飲みかけのコーヒーカップをデスクに叩きつけた。
「クソッ! 日本から持ち帰った『サンプル(UFOの残骸)』は確かに浮いている! 目の前で物理法則をあざ笑うかのように浮遊しているんだ! なのになぜ、我々には再現できない!?」
研究室の防弾ガラスの向こうには、東京の防衛省地下から極秘裏に移送された(という建前の)銀色の金属塊が鎮座している。
メイが「機能制限」を解除したことで、その物体は常に地上10センチを浮遊し、あらゆる衝撃を無効化し続けている。
だが、それだけだ。
アメリカの頭脳を結集しても、「なぜ浮いているのか」「どうやって衝撃を消しているのか」という原理が開かない。
「博士」
背後から、重苦しい足音が近づいてきた。
統合参謀本部、マクガイア中将だ。彼の顔には、焦りとホワイトハウスからのプレッシャーが刻まれている。
「……状況は?」
「見ての通りです、中将。我々は神の扉の前に立っているが、ノブの回し方が分からない」
スタインバーグは、頭を抱えた。
「日本を見ろ! 連中は連日、常温超伝導だの空飛ぶバイクだのを発表している! 世界中の投資マネーが東京に吸い込まれているんだぞ! なのに我々は、この石ころ一つ満足に解析できんのか!」
中将の怒声が響く。
アメリカの焦りは頂点に達していた。
かつての技術覇権国としてのプライドはズタズタだ。
「日本はUFOから技術を盗んだに違いない」と分かっていても証拠がない。
そして、自分たちが手に入れた「本丸」であるはずの残骸は、沈黙したままだ。
「あと48時間だ」
中将は冷酷に告げた。
「大統領は痺れを切らしている。48時間以内に『目に見える成果』を出せ。さもなくば、このプロジェクトは凍結され、予算は全てサイバー軍(対ドラゴンバンク諜報部隊)に回されるだろう」
「……バカな! ここを放棄する気か!?」
「成果がないならゴミだ。……頼むぞ博士。アメリカの威信を守ってくれ」
中将が去っていく。
残されたスタインバーグは、絶望的な顔でモニターに向き直った。
(神よ……いや、悪魔でもいい。ヒントをくれ。我々にこの力を御するための鍵を……!)
その祈りが届いたのか。
あるいは、はるか遠く日本の空の下で、一人のメイドが「そろそろ頃合いですね」とエンターキーを押したのか。
奇跡は起きた。
深夜三時。
限界を迎えたスタインバーグ博士が意識を失いかけて、キーボードに突っ伏したその瞬間だった。
『……警告。未定義のエネルギーパターンを検出』
モニター上のシミュレーションソフトが、奇妙なエラーを吐き出した。
普段なら見過ごすようなノイズ混じりの波形。
だが、コーヒーをこぼした拍子に肘が当たり、偶然入力された「間違ったパラメータ」とそのノイズが重なった瞬間。
画面上の数式が、カチリと噛み合った。
ピロリロリン♪
軽快な通知音が、静まり返った研究室に響く。
画面に表示されたのは、**『SUCCESS(成功)』**の文字と、見たこともない複雑怪奇な、しかし幾何学的に美しい「結晶構造式」だった。
「……あ?」
スタインバーグは寝ぼけ眼で画面を見た。
そして三度瞬きをし、眼鏡を拭き、もう一度見た。
「……あああ……?」
震えが始まった。
指先から背骨を駆け上がり、脳天を突き抜けるような戦慄。
「こ、これだ……」
彼は立ち上がった。椅子が倒れるのも構わずに。
「見つけた……! 見つけたぞ! 偶然の産物じゃない、これは『解』だ! この物質の分子配列の黄金比率だ!」
彼はモニターに張り付き、そのデータを貪るように読み込んだ。
常識的な物理学ではあり得ない配列。
しかし、シミュレーション上では、この構造体が「空間そのものを歪曲し、慣性エネルギーを別次元へ逃がす回路」を形成している。
「おい! 起きろ! 全員起きろぉぉぉ!!」
スタインバーグの絶叫が、エリア51に木霊した。
「エウレカ(分かった)! ついに分かったぞ! 再現できる! 我々はこの神の金属を『複製』できるんだ!!」
研究員たちが飛び起きてくる。
モニターを囲み、歓声が爆発する。
抱き合う者、泣き崩れる者、神に感謝を捧げる者。
それは、人類が初めて「火」を手に入れた瞬間に等しい熱狂だった。
(実際にはメイが「あまりに可哀想なので、答えをポップアップ広告のように表示してあげた」だけなのだが、彼らにそれを知る由もない)
プロトタイプ「イージス・ワン」
それから24時間後。不眠不休の作業の末、エリア51内の最先端3Dプリンター(ドラゴンバンク製の特許技術を使用しているのが皮肉だが)から、一つの物体が生み出された。
大きさはハンドボールほど。
六角形のハニカム構造をした黒い球体。
コードネーム 『イージス・ワン』。
「……本当にこれでいけるのか?」
マクガイア中将が、防護ガラス越しにその球体を見つめる。
実験場の中央にはその球体が置かれ、上空100メートルには、重さ5トンの鉄骨が吊り下げられている。
「理論上は完璧です」
スタインバーグ博士の声は、確信に満ちていた。
クマだらけの目だが、その瞳は狂気じみた輝きを放っている。
「この『イージス・ワン』は起動すると、周囲半径2メートルに強力な**『イナーシャル・キャンセラー(慣性制御フィールド)』**を展開します。……中将、瞬きをしないでくださいよ」
「始めろ」
カウントダウンが始まる。
3、2、1……投下。
轟音と共に、5トンの鉄骨が落下する。
重力加速度に従い、時速数ルキロに達する運動エネルギーの塊。
それが小さな黒い球体を直撃する――はずだった。
ドォォォォ……ン?
誰もが耳をつんざく激突音と破片の飛散を覚悟して身構えた。
だが起きたのは、「無音」だった。
鉄骨は球体の直上1メートルで、まるで透明なゼリーの層に突っ込んだかのように、ふわりと減速した。
いや、減速ではない。「落下」という物理現象そのものが、そこで殺されたのだ。
鉄骨は、優しく羽毛が舞い降りるように球体の上に着地した。
衝撃波なし。振動なし。
球体は微動だにせず、5トンの質量を支えている。いや、支えてすらいない。鉄骨の重さは、異次元へ逃がされているのだ。
「……Oh My God...」
中将が呻いた。
その場にいた軍人、科学者、技術者たち全員が、言葉を失っていた。
沈黙を破ったのは、スタインバーグ博士の笑い声だった。
「ハーッハッハッハ!! 見たか! これが『慣性制御』だ! ニュートンは死んだ! アインシュタインも書き直しだ!」
博士は両手を広げ、神を称えるように叫んだ。
「成功だ……完全な複製だ! これで我々は、あらゆる物理的衝撃から解放された!」
「……素晴らしい」
中将が震える声で言った。
そして、その顔に獰猛な肉食獣の笑みが浮かんだ。
「素晴らしいぞ博士! これを戦車に積めば? 戦闘機に積めば? 核シェルターに使えば?」
「無敵です。敵の砲弾は運動エネルギーを失い、ポトリと落ちるだけ。ミサイルの爆風も、このフィールド内には届きません。……そして何より」
博士はニヤリと笑った。
「これを搭載した機体は、中の人間をミンチにすることなく、理論値限界の加速と旋回が可能です。マッハ10で直角に曲がっても、パイロットはコーヒーを飲んでいられます」
「……勝った」
中将は拳を握りしめた。
「勝ったぞ! ドラゴンバンクがなんだ! 空飛ぶバイク? 笑わせるな! 我々は『不沈の盾』と『神の翼』を手に入れたんだ!」
「USA! USA!」
「God Bless America!」
エリア51の地下で、男たちの野太いコールが巻き起こった。
星条旗がこれまでになく輝いて見えた。
彼らが「神の盾」と崇めるそれが、宇宙では 「割れ物注意のシール」 として使われている安物だとは、知る由もなく。
「……間違いないのだな、マクガイア」
アメリカ合衆国大統領、アーノルド・B・クレイマンは、重厚な執務机の上で指を組み、モニター越しの報告を聞いていた。
『はい、大統領閣下。実験映像をお送りした通りです』
画面の中のマクガイア中将は、軍服の胸を張り、誇らしげに敬礼していた。
『我々はついにUFOのテクノロジーの核心部分、**「イナーシャル・キャンセラー」**の完全複製に成功しました。量産化の目処も立っております』
「素晴らしい……!」
大統領は、安堵と興奮で深く息を吐いた。
ここ数ヶ月、彼の支持率は低迷していた。
原因は明白、日本の「ドラゴンバンク」による技術的独走だ。
「アメリカは終わった」「技術覇権は日本へ」というメディアの論調に、彼は苛立ちを募らせていた。
だが、これで逆転だ。
「それで、その技術の軍事的価値は?」
『測定不能です。既存の全ての兵器体系が無意味になります。中国の極超音速ミサイルも、ロシアの核魚雷も、この『盾』の前では無力です。……そして我々の『剣』は、誰にも止められなくなります』
「いいぞ……。まさに『アメリカ・ファースト』だ」
大統領は立ち上がり、窓の外のワシントンD.C.を見下ろした。
気分が良い。
自分が歴史に名を残す大統領になることが確定した瞬間だ。
「日本政府への対応は?」
『今のところ、日本側はこの事実に気づいていません。彼らは「常温超伝導」という金儲けの技術に夢中で、この軍事的至宝の価値を理解できていないようです』
中将は、嘲るように言った。
『所詮は商人の国です。「梱包材」と「中身」を取り違えた、哀れな連中ですよ』
「フフフ……。そうだな」
大統領も笑った。
(日本よ、精々iPhoneのバッテリーでも作って喜んでいろ。我々は世界を支配する「力」を手に入れたのだ)
「よし。極秘裏に『第7世代戦闘機』の開発プロジェクトを始動させろ。コードネームは 『ヴァルキリー』。この技術を全面採用した、人類最強の兵器だ」
『イエッサー!』
「それと、来月のG7サミットが楽しみだ。日本の総理の顔色が、今から目に浮かぶよ」
通信が切れた。
大統領は部屋に飾ってあるリンカーンの肖像画に向かって、ウインクした。
「見たかい、エイブ。アメリカは再び偉大になったよ」
一方その頃。
日本のとある1LDKマンション。
「……ぷっ」
メイが洗濯物を畳みながら、吹き出した。
「どうした? 急に笑って」
真田誠が、ソファで漫画を読みながら尋ねる。
「いえ。……アメリカの方々が、あまりにも『可愛い』もので」
メイは空中に小さなウィンドウを展開した。
そこには、エリア51で歓喜に沸く科学者たちと、ホワイトハウスで葉巻をふかす大統領の姿が映し出されていた。
「彼ら、ようやく私が置いておいた『答え(カンニングペーパー)』を見つけたようです。……あんなに喜んでくれるなんて、サービスした甲斐がありました」
「答えって……例の『梱包材』のこと?」
「はい。彼らはそれを『イナーシャル・キャンセラー』と名付け、『神の盾』『無敵の技術』と崇めています。……まあ、間違ってはいないんですが」
メイは、誠のパンツを綺麗に畳みながら、クスクスと笑った。
「彼らが必死に量産しようとしているその装置、銀河連邦の宇宙通販サイト『ギャラクシー・アマゾン』で、100個セットで500クレジット(約5000円)で売ってるんですけどね」
「……やめてあげて。真実を知ったら、大統領がショック死する」
誠は天井を仰いだ。
アメリカの国家予算が、宇宙の100均グッズの再現に費やされている。
「でも、これで良かったんです」
メイは真顔に戻った。
「彼らは『最強の矛と盾』を手に入れたと信じ込んでいます。これで日本の『常温超伝導』に対する嫉妬心は消え、むしろ『日本には金儲けをさせてやろう、我々には力がある』という優越感に浸れます」
「なるほど……。男のプライドを立ててやったわけか」
「はい。単純な生き物ほど扱いやすくて助かります」
メイは最後のタオルを畳み終えると、優雅に一礼した。
「さあマスター。世界は平和(?)になりました。明日は日曜日です。どこかへお出かけなさいますか?」
「うーん……。じゃあ久しぶりに映画でも見に行こうかな」
「承知いたしました。……SF映画ですか? それともアメリカ軍がエイリアンを倒す映画になさいますか?」
「……後者はやめよう。笑えなくなりそうだから」
誠は苦笑いした。
地球の裏側では、アメリカ軍が「イージス・ワン」を搭載した最新鋭ドローンのテスト飛行を行い、マッハ15での急旋回を成功させて狂喜乱舞していた。
「見たか! これがアメリカの力だ!」
「物理法則を超越したぞ!」
その「力」の正体が、ただの「ワレモノ注意」であることも知らずに。
鷲は舞う。
プチプチを纏って、どこまでも高く。
それは人類史上最も滑稽で、最も平和な「軍拡競争」の始まりだった。
(第8話 完)




