第7話 星条旗は「プチプチ」の夢を見るか
「……すごいことになってるな、ドラゴンバンク」
真田誠は、夕食後のリラックスタイムに、テレビのニュースを見ていた。
画面には、連日、理 正義会長の顔が大写しになっている。
『ドラゴンバンク空飛ぶバイクのプロトタイプを公開』
『株価は連日のストップ高、時価総額でアップルを抜き去る』
『ホワイトハウス報道官「イノベーションへの賛辞」を送るも、表情は硬く』
「完全に世界の覇者だよ。……これ、本当に大丈夫なのか? アメリカ、キレてない?」
誠が心配そうに尋ねると、メイがカップに紅茶を注ぎながら答えた。
「今のところは、ギリギリの均衡を保っています。ですが、アメリカ軍産複合体のフラストレーションは、限界に近いですね。『金儲けの技術』は日本に独占され、自分たちが手に入れた『UFOの残骸』からは、何も得られていないのですから」
メイは、香りのよい紅茶を誠の前に置いた。
「子供がおもちゃを欲しがって、泣き叫ぶ直前の状態です。……そろそろアメ玉(餌)を与えるべきタイミングですね」
「餌って……」
「UFOの残骸から、適当なテクノロジーを『発見』させてあげるのです。それも、彼らが喉から手が出るほど欲しがる、軍事転用可能なものを」
「へー、なんで?」
誠は首をかしげた。
今まで「隠蔽工作」に必死だったのに、わざわざ技術を渡す理由が分からない。
「UFOの魅力(ブランド価値)を高めて、目眩ましをするためです」
メイは淡々と説明した。
「今、世界中の注目がドラゴンバンク(=日本)の『常温超伝導』に集まりすぎています。このままでは『やはり、あの技術はUFO由来ではないか?』という疑惑が再燃しかねません」
「あー、なるほど」
「そこで、アメリカが確保している残骸の方から『これぞ宇宙人のテクノロジーだ!』という、分かりやすい成果が出ればどうなるでしょう? 彼らのプライドは満たされ、『日本は民生用の小銭稼ぎ、我々アメリカこそが軍事用の本命技術を手に入れた』という、精神的勝利を与えられます」
「なるほど? ……つまり、棲み分けさせるわけか」
「その通りです。彼らを満足させ、意識をドラゴンバンクから逸らす。……いわばガス抜きですね」
誠は感心した。
このメイド、家事だけでなく、地政学的なコントロールまで完璧だ。
「アメリカ人が好きそうなものといえば、『速い』『強い』『硬い』です。……では、『慣性制御』の機能を、少しだけ開放してあげましょうか」
「慣性制御?」
「はい。読んで字のごとく、物体にかかる慣性の法則を無効化する技術です。……まあ、彼らにとっては『神の翼』に見えるでしょうね」
東京市ヶ谷。防衛省地下特別保管庫。
ここ数日、現場の空気は澱んでいた。
「……クソッ! 何も分からん!」
NASAの首席研究員、スタインバーグ博士が、手にしたタブレットをデスクに投げ出した。
「どうなっているんだ、このガラクタは! 構造解析スキャンは通らない、レーザーカッターも弾かれる、電子顕微鏡で見ても、のっぺらぼうだ! ただの硬い鉄塊じゃないか!」
アメリカから派遣された精鋭チームは、壁にぶつかっていた。
メイが用意した「偽の残骸」は、確かに未知の物質でできていたが、それ以上の反応を示さなかったのだ。
最初は「トースターのセンサー(と彼らが誤認した部品)」で盛り上がったものの、それ以上の「目玉」が見つからない。
「……博士。本国からは矢の催促だぞ」
マクガイア中将が、苛立ちを隠さずに歩み寄ってきた。
「日本の民間企業は、連日のように新技術を発表している。なのに、我々アメリカ軍が確保したこの『本丸』からは成果なしか? 大統領はご立腹だぞ」
「分かっていますよ!」
スタインバーグは、髪をかきむしった。
「だが、どうにもならんのです! まるで死んでいるみたいだ。エネルギーの残滓(残りカス)はあるのに、起動スイッチが見つからない!」
「……やはり、日本側が何か隠しているんじゃないのか?」
中将の目が、疑念に細められた。
部屋の隅で待機している、日本の時田室長をチラリと見る。
「奴ら、重要なコア部品だけ抜き取って、我々には抜け殻を渡したんじゃないか? そうでなければ、あんなに涼しい顔でいられるはずがない」
現場には、険悪な空気が漂い始めていた。
日米同盟の亀裂。
それはまさに、メイが懸念していた事態だった。
その時。
彼らの頭上はるか彼方、地上にいるメイが遠隔操作で「スイッチ」を入れた。
『信号送信。……対象:廃棄ユニットNo.404。機能制限解除。出力:0.001%。……起動』
ブォン……。
地下室の空気が震えた。
音ではない。気圧の変化のような、奇妙な波動。
「……おい、なんだ今の音は?」
中将が周囲を見回す。
計器類が、一斉に警告音を鳴らし始めた。
「は、博士! 重力波検出器が反応しています! 残骸の中心部からです!」
若手の研究員が叫んだ。
全員の視線が、ガラスケースの中のスクラップに注がれる。
「……おい、見ろ」
スタインバーグが、震える指で指差した。
「浮いて……いる?」
それは静かな奇跡だった。
重さ数トンはあるはずの銀色の塊が、音もなく、ふわりと数センチだけ空中に浮上していたのだ。
ジェット噴射もない。磁気浮上装置もない。
ただそこにある重力が、「無視」されたかのように。
「こ、これは……反重力か!?」
スタインバーグ博士が叫びながら、ガラスケースに駆け寄った。
防護服も着ずに、操作パネルを叩く。
「中将! 許可を! ガラスを開けます!」
「許可する! やれ!」
プシューッという音と共に、強化ガラスが開放される。
博士は恐る恐る手を伸ばし、空中に浮いている巨大な金属塊に触れた。
「……信じられん」
彼は指一本でそれを押した。
数トンの質量があるはずの物体が、風船のように軽く動き、押された方向へ滑らかに移動する。
そして手を離すと、ピタリと止まった。
「慣性がない……?」
博士は目を見開いた。
「おい、誰かハンマーを持ってこい!」
部下が慌てて、大きなスレッジハンマーを持ってきた。
「博士、何を……?」
「いいから貸せ!」
博士はハンマーを振りかぶり、渾身の力で浮遊する銀色の装甲を殴りつけた。
ガィィィン!!
凄まじい音が響くはずだった。
だが実際には、「ボスッ」という、濡れた布団を叩いたような情けない音がしただけだった。
ハンマーは弾き返されなかった。
かといって、装甲が凹んだわけでもない。
振り下ろした運動エネルギーが、接触した瞬間に「消滅」したのだ。
「……ハハハハハ!」
スタインバーグ博士は、ハンマーを取り落とし、狂ったように笑い出した。
「これだ! これだよ中将! 我々が探していたのは!」
「説明してくれ博士! 何が起きた?」
マクガイア中将が身を乗り出す。
「『慣性制御』だ!」
博士は涎を飛ばしながら、熱弁を振るった。
「このフィールド内では、ニュートン力学が書き換えられている! 外部からの衝撃、運動エネルギー、重力加速度(G)……それら全てが『無効化』されているんだ!」
「……つまり?」
「つまりだ! これを戦闘機に搭載すれば、どうなると思う!?」
博士は虚空に、理想の戦闘機の絵を描いた。
「マッハ20で飛行し、直角にターンしても、中のパイロットはGを感じない! 敵のミサイルが当たっても、その衝撃はゼロになる! 墜落しても、地面に激突する瞬間に慣性を殺せば、羽毛のように着陸できる!」
「……なっ!?」
中将の顔色が紅潮した。
軍人である彼には、その意味が痛いほど理解できた。
「無敵……ということか?」
「イエス! まさに無敵の盾であり、最強の翼だ! ドラゴンバンクの超伝導? あんなものはバッテリーの節約にしかならん! だがこれは、物理法則の支配だ! 軍事的な価値は、比較にならんぞ!」
「おお……おおお……!」
マクガイア中将は、震える手で浮遊する鉄塊を撫でた。
冷たい感触。
だが彼には、それがアメリカの覇権を約束する、王冠のように思えた。
「God bless America...(神よアメリカを祝福したまえ)」
中将は天を仰いだ。
「見たか日本政府! これが『本物』だ! 貴様らが持っているのは、ただの金儲けの道具だが、我々が手に入れたのは『力』だ!」
部屋の隅で、時田室長と金子大臣が顔を見合わせた。
「……おい時田、どういうことだ?」
金子大臣が小声で囁く。
「あんな機能、聞いてないぞ。……本当に我々が持っているデータより、凄いんじゃないか?」
「……いえ、おそらく」
時田は冷や汗を拭きながらも、直感していた。
(メイさんがやったんだ。……たぶん、ろくでもない理由で)
だが、結果としてアメリカ側の態度は一変した。
先ほどまでの険悪なムードは消え失せ、彼らは勝利の美酒に酔いしれていた。
「時田さん!」
マクガイア中将が、満面の笑みで歩み寄ってきた。
先ほどまでとは別人のような上機嫌さだ。
「いやあ、すまなかった! 日本が隠し立てしているなどと疑って! こんな素晴らしい機能が休眠していたとは!」
中将は、時田の手を痛いほど強く握りしめた。
「約束通り、この残骸の解析データは日米で共有……いや、軍事機密レベルが高いので、我が国が責任を持って管理・運用させてもらう。その代わり、日本には『解析協力費』として、そうだな、予算をたっぷりつけよう!」
「ははあ……ありがとうございます」
時田は愛想笑いを浮かべた。
(やった……。これで『超伝導の件』から目を逸らしてくれた。厄介払いができた!)
「すぐにペンタゴンにホットラインを繋げ! 大統領に報告だ! 『エリア51』を超える新施設の建設予算を承認させろ!」
アメリカ人たちの歓声が、地下室に響き渡った。
彼らは知らなかった。
自分たちが神と崇めているその機能が、宇宙の彼方では「割れ物を運ぶためのクッション」として使われていることを。
「……というわけで、アメリカ側は大満足して帰って行きました」
翌日。誠の自宅。
メイは時田からの報告メールを読み上げながら、クッキーを焼いていた。
「『彼らはこの慣性制御システムこそが、UFOの動力源であり、飛行原理の核心だと信じて疑いません。これでドラゴンバンクへの干渉も弱まるでしょう』とのことです」
「……なんか罪悪感があるな」
誠はテレビのニュースを見た。
CNNの速報で、アメリカ大統領が『我々は宇宙への扉を開いた』と演説している。
「なぁメイ。……その『慣性制御』って、実際どういう技術なんだ?」
誠は素朴な疑問を口にした。
アメリカがあそこまで喜ぶのだから、やはり凄い技術なのだろうか。
メイはオーブンから焼き上がったクッキーを取り出しながら、事も無げに言った。
「ああ、あれですか。……地球の言葉で言えば『緩衝材』ですね」
「……は?」
「星間輸送用のコンテナに使われる、ごく一般的な保護フィールドです。卵とか、ガラス細工とか、壊れやすい荷物を運ぶ時に、振動で割れないように包むやつです」
「……えっ」
誠の時が止まった。
「じゃあ、あの浮いてる機能は?」
「荷積み・荷下ろし用の『台車』機能です。重いと運ぶのが大変ですから、ちょっと重力をキャンセルして、指一本で動かせるようにするんです。引越屋さんがよく使ってますよ、銀河連邦の」
「…………」
誠は頭を抱えた。
アメリカ軍の最高機密。
マッハ20で飛ぶ夢の戦闘機。
人類の至宝。
それらの正体が、「引越屋の台車」と「プチプチ」。
「じゃあアメリカ軍は……卵のパックに、何兆円もかけて軍事研究するってこと?」
「そうなりますね」
メイはクッキーを、誠の口に放り込んだ。
「でも、あながち間違いではありませんよ。戦闘機に応用すれば、確かにパイロットは死ななくなります。……まあ本来の用途ではありませんが、彼らがそれで幸せなら、良いのではありませんか?」
「……良いのかなぁ、これ」
誠は複雑な心境だった。
世界最強の軍隊が、宇宙の梱包材に熱狂し、それを最強の盾だと信じている。
「ある意味、平和利用ですね」
メイは微笑んだ。
「彼らがその『プチプチ』の研究に没頭している間は、核ミサイルなんて野蛮なものに関心がいかなくなりますから。人類の安全保障にとっては、プラスです」
「……お前、どこまで計算してるんだ?」
「すべてです。……さあ、紅茶のおかわりはいかがですか?」
新たなる火種(あるいは日常)
その夜。
アメリカではスタインバーグ博士が、「イナーシャル・キャンセラー」の論文を執筆し、ノーベル賞を確信していた。
日本では、理 正義が「空飛ぶ車」の予約販売を開始し、サーバーがダウンしていた。
そして真田誠の家では。
「マスター。朗報です」
メイがスマホを見ながら言った。
「アメリカ軍が『慣性制御の研究に専念するため』、日本国内でのUFO関連の調査要員を大幅に縮小しました。これでマスターの身辺警護に張り付いていたCIAのエージェントが、3名から0名になりました」
「やった! ついに自由か!」
誠はガッツポーズをした。
これで外出時に、誰かに見られているような視線を感じなくて済む。
「ただし」
メイが付け加えた。
「代わりに、中国とロシアの工作員が、2名ずつ増えました」
「増えてんじゃねーか!!」
誠の叫びが、夜のマンションに響いた。
「ドラゴンバンクの技術力と、アメリカの動きを見て、彼らも黙っていられなくなったようですね。……まあご安心を。彼らが半径50メートル以内に近づいたら、自動的に『腹痛』を起こすナノマシンを散布しておきますので」
「地味にえげつない! やめてあげて!」
「では『強烈な眠気』にしておきますか? それとも『急に実家の母の声が聞きたくなって、帰国したくなる電波』にしますか?」
「……後者で。平和的にお願いします」
誠は深いため息をついた。
世界のパワーバランスは、この小さな1LDKを中心に回っている。
梱包材を巡って大国が争い、天才たちが踊らされている。
「……明日も会社かぁ」
誠はカレンダーを見た。
明日は水曜日。週の真ん中だ。
宇宙人がいようが、全能のメイドがいようが、彼には月次報告書の締め切りがある。
「早く寝よう。……おやすみメイ」
「おやすみなさいませマスター。良い夢を」
メイは部屋の照明を落とした。
暗闇の中で、彼女の青い瞳だけが優しく光っている。
その光は、アメリカ軍が血眼になって解析しているエネルギーと同じものだ。
だが誠にとっては、ただのルームランプ代わりでしかなかった。
(第7話 完)




