第6話 孫(ソン)じゃない方の正義と、ドラゴンの背に乗る国家
平日の夜、二十一時。 真田誠は、自室のリビングでカップ焼きそばのお湯を捨てていた。 シンクにボコッという音と共に熱湯が流れる。湯切り口から漏れ出るソースの香りが、疲れたサラリーマンの胃袋を刺激する至福の瞬間だ。
「……よし。今日はマヨネーズ多めでいくか」
背徳的な決意を固め、ソースを混ぜようとしたその時。 スマホが震えた。 それも、一度や二度ではない。ブブブブブブッ! と、まるでアラームが壊れたかのような連続振動だ。
「うわっ、なんだ!?」
誠は慌ててスマホを取り上げた。 画面には、通知バナーが滝のように流れている。 差出人はすべて『内閣情報調査室・時田』。件名は『【緊急】【超緊急】【至急相談】』のオンパレードだ。
「……怖っ。メンヘラの彼女かよ」
誠はおそるおそるメールを開いた。
『真田様、緊急事態です。助けてください。 アメリカ調査団の解析が早すぎます。彼らは天才集団すぎました。 メイさんが用意した「トースターのセンサー」の構造から、早くも「未知の量子効果」を発見しそうです。 このままでは、彼らはこう結論づけます。「日本にあるUFOの残骸こそが、全てのテクノロジーの起源である」と。 そうなったタイミングで、我々が「常温常圧超伝導物質」を発表したらどうなるか? 「おい日本! お前ら、そのUFOから技術を盗んだだろ! 隠してるデータ全部出せ!」と難癖をつけられるのは火を見るより明らかです! どうすればいいですか!? このままでは超伝導技術がお蔵入りになってしまいます! 日本の未来が! 国益が! 私の胃袋が限界です!』
長文の悲鳴だった。
「知らんがな……」
誠は焼きそばを一口すすった。 自業自得である。メイが作った偽物が優秀すぎたのと、日本政府が欲をかいて「手元に本物の答え」を持っているのが悪い。
「メイ、なんか言ってるぞ」
誠は、天井付近で浮遊しながらネットサーフィン(文字通り、世界中のサーバーを飛び回っている)をしているメイに声をかけた。
「把握しております、マスター」
メイが降りてきた。今日の顔文字は ( ˘ω˘ ) だ。
「日本政府の懸念はもっともです。アメリカという国は、ジャイアニズム(お前のものは俺のもの)を国是としていますからね。『日本が独自開発した』と言い張っても、『証拠を見せろ』『研究過程を出せ』と詰められ、最終的には『UFOの技術だから人類の共有財産だ』として接収されるでしょう」
「だよねぇ。……どうしよう? 無視する?」
「無視しても良いですが、そうすると時田様の胃に穴が開き、そのストレスの波及効果でマスターの平穏な生活にも支障が出る可能性があります(例:頻繁な泣きつきメール)」
「それは嫌だ。……何か手はないの?」
メイは少し考え込むようにクルクルと回った。
「要は、『UFOとは無関係に、日本には凄まじい技術力があったのだ』と世界に信じ込ませれば良いのです」
「無理だろ、それは」
「いいえ。カモフラージュ(木を隠すなら森の中)作戦です。ダミー企業、あるいは受け皿となる企業を用意し、そこで『常温超伝導』だけでなく、『その他の超技術』も連発して発表させるのです」
「……連発?」
「はい。一つだけだと怪しまれますが、十個も二十個も同時に革命的な技術が出てくれば、世界は『日本で技術的特異点が起きた』と錯覚します。UFOの残骸など霞むほどのインパクトを与えてしまえば、疑惑の目は逸らせます」
「なるほど……毒を食らわば皿まで、みたいな?」
誠は感心した。 嘘を隠すために、もっと大きな嘘(というか事実上の革命)を起こすわけだ。
「で、その企業ってのは?」
「マスター名義で作る?」
メイが提案する。
「絶対に嫌だ!」
誠は即答した。
「俺は目立ちたくないんだ! 社長とか無理だし! 公聴会とか呼ばれたら死ぬ!」
「でしょうね。マスターのメンタル強度(豆腐並み)では、3日で胃潰瘍になるでしょう」
メイは納得した様子で、誠のスマホをスキャンした。
「では、既存の企業を利用しましょう。影響力があり、資金力があり、多少の無茶苦茶な技術革新を発表しても『あそこならやりかねない』と思われるような、胡散臭くも強大な企業」
ピピピ、と電子音が鳴る。
「……マスターのスマホのキャリア、『ドラゴンバンク』ですよね?」
「え? ああ、そうだけど」
格安プランがあったから契約した、国内大手の通信キャリアだ。 カリスマ創業者によるトップダウン経営と、世界中のベンチャー企業に投資しまくる「投資会社」としての顔も持つ、巨大コングロマリットである。
「じゃあ、ドラゴンバンクで良いですね」
メイがあっさりと言い放った。
「……はい?」
誠は焼きそばを喉に詰まらせかけた。
「え、そんな理由で決めていいの? 俺が使ってるからってだけで?」
「選定理由はそれだけではありません。ドラゴンバンク・グループは、中東のオイルマネー(ビジョン・ファンド等)と太いパイプを持っています。彼らのバックにはサウジアラビアやUAEの王族がいる。つまり、アメリカといえども、ドラゴンバンクを潰したり、露骨に圧力をかけたりすれば、中東情勢全体を敵に回すリスクがある」
メイは論理的に解説した。
「アメリカにとって、日本政府(属国扱い)を恫喝するのは簡単ですが、国際金融資本と中東の王族が絡んだ多国籍企業を恫喝するのは、非常にコストが高いのです。喧嘩を売れる相手じゃありません」
「……すげぇ」
誠は呆然とした。 ただの携帯会社だと思っていたが、メイの視点では「対アメリカ用の防波堤」に見えているらしい。
「それに、あそこのトップである理 正義氏は、稀代の山師……訂正、ビジョナリーです。『AI革命』だの『情報革命』だのを常に叫んでいますから、いきなり『超伝導できました』と言い出しても、世間は『また理会長がなんかやったのか』で納得する土壌があります」
「まあ……確かに。あの人ならやりそう感はある」
「決まりですね。では、私の方から日本政府にそう連絡しておきます」
メイは空中にキーボードを投影し、猛烈な勢いで入力を始めた。
「えー……本当にいいのかよ……」
誠は冷めた焼きそばを見つめた。 自分の携帯代が月額2980円であることが、世界経済を揺るがすバタフライエフェクトの起点になろうとしている。
「まあ、良いか!? もうどうにでもなれ!」
誠は焼きそばを口に放り込んだ。 マヨネーズの味が、少ししょっぱかった。
同時刻。内閣情報調査室。 時田は、デスクに突っ伏していた。 胃薬の瓶が空になっている。
『時田様。解決策を提示します』
PCの画面に、突然ポップアップが表示された。 メイからの返信だ。
時田は跳ね起きた。 「き、来た!」
『常温常圧超伝導物質の技術供与先として、「ドラゴンバンクグループ」を指定します。 同社を取締役会ごと巻き込み、ダミー(隠れ蓑)として利用してください。 理由は以下の通り。
国際的な資本関係が複雑であり、米国からの干渉を防ぎやすい。
「技術革新」のイメージが強く、カモフラージュに最適。
マスターの携帯キャリアだから(重要)。』
「……最後!」
時田はツッコミを入れたが、すぐに思考を切り替えた。 ドラゴンバンク。 理 正義。 日本が誇る、そして日本財界の異端児にして怪物。
「……なるほど。目眩まし、か」
時田は眼鏡の位置を直した。 確かに妙案だ。 政府が発表すれば「国家プロジェクト」として外交問題になる。 だが、一民間企業、それも投資ファンド的な側面を持つドラゴンバンクが「投資先のベンチャーが開発に成功した」とか「極秘プロジェクトが実を結んだ」と発表すれば、それはあくまで「ビジネス」の範疇になる。
アメリカ政府も、日本政府に対して文句は言えても、一企業の特許に対して強権を発動するには法的なハードルが高い。ましてや、その株主には中東の王族たちが名を連ねているのだ。
「……毒を以て毒を制す、か。あの怪物を飼いならせるか?」
理 正義という男は、政府にとっても扱いづらい相手だ。 総理大臣にも平気で直言し、法改正を迫り、時にはツイッター(現X)で世論を動かして既成事実を作ってしまう。 そんな男に、人類史上最大の切り札を渡すのだ。
「……だが、背に腹は代えられん」
時田は受話器を取った。 相手は、経済産業大臣の金子だ。
「大臣。……解決策が見つかりました。ですが、少し……いや、かなり劇薬です」
『なんだ、言ってみろ!』
「ドラゴンバンクです。理 会長に会わせろと、メイさんが言っています」
電話の向こうで、金子大臣が絶句するのが分かった。 数秒の沈黙の後。
『……理か。あの「ホラ吹き」か』
「ええ。ですが、今回ばかりは、そのホラを現実に変える力が我々にはあります」
『……ふむ。確かに、あそこならアメリカも迂闊には手出しできん。超大企業だし、政界へのロビー活動もうるさいが……』
金子大臣の声に、野心の色が戻ってきた。
『悪くない。いや、面白い。あの男の野心を利用して、アメリカの目を欺くか。……至急、連絡を取れ! 極秘会談のセッティングだ!』
「承知しました。……場所は?」
『いつもの料亭……いや、理なら、もっと派手な場所を好むだろう。ドラゴンバンク本社、最上階だ』
翌日。汐留。 ドラゴンバンク本社ビル。 その最上階にある、会長執務室兼迎賓フロア。
東京湾を一望できる巨大なガラス窓。 床にはペルシャ絨毯。壁にはルノワールの絵画。 そして部屋の中央には、巨大な木製のテーブルが置かれている。
そこに座っているのは、小柄だが、圧倒的なオーラを放つ男だった。 理 正義。 薄くなった頭髪を隠すこともなく、広い額を堂々と晒し、眼光鋭く相手を見据える「現代の坂本龍馬」を自称する男。
対面には、金子大臣と時田室長が座っている。 そして、テーブルの中央には、ノートパソコンが一台置かれていた。 画面には、ビデオ通話のウィンドウが開いているが、カメラはオフになっており、代わりにメイのアイコン (・∀・) が表示されている。
「……それで?」
理 正義が口を開いた。声は穏やかだが、腹の底に響くような迫力がある。
「金子さん。忙しい中、わざわざこんなところまで。……『人類の歴史が変わる話』があるとか?」
理は、疑り深い目をしていた。 政府からの「おいしい話」など、ろくなものがないと知っているからだ。
「ええ、理さん。単刀直入に言いましょう」
金子大臣が、芝居がかった仕草で言った。
「貴方の悲願である『AI革命』、そして『情報革命』……それらを、一瞬で過去のものにする技術を提供しに来ました」
「……ほう?」
理が眉をひそめた。
「大きく出ましたね。AIを超える? シンギュラリティはまだ先ですよ」
「いいえ。すでに到達しました。……正確には、到達した存在が、そこにいます」
金子大臣は、ノートパソコンを指差した。
「……Zoomですか?」
理が訝しげに見る。
その時。 PCのスピーカーから、鈴のような声が響いた。
『初めまして、ドラゴンバンクグループ代表、理 正義様。私は汎用戦術支援ユニット、メイと申します』
「……AIか?」
「はい。貴方の定義ではそうなるでしょう。……ただし、性能は貴方の会社のサーバーファームを全て束ねたものの、約一京倍(10の16乗)ほどですが」
理が鼻で笑った。
「ハハハ! 面白いジョークだ。Siriでももう少し謙虚ですよ」
『ジョークではありません。……論より証拠。貴方のスマートフォン、今、バッテリー残量が12%ですね?』
「……ん?」
理はポケットからスマホを取り出した。確かに12%だ。
『充電しておきました。非接触で』
その瞬間、スマホの画面上のバッテリーアイコンが、一瞬で「100%」に変わった。 ケーブルも、充電パッドもない。空中の電波だけで、一瞬にして満充電されたのだ。
「……なっ!?」
理はスマホを凝視した。 バグか? いや、実際に起動している。
『ついでに、貴方が現在進めている極秘の買収案件――イギリスの半導体メーカー「アームズ」の再上場計画について、買収価格のシミュレーションに誤りがあるようです。修正しておきました』
理の顔色が変わった。 その案件は、まだ取締役会にもかけていない、自身の頭の中と、ごく一部の側近しか知らないトップシークレットだ。
「……君は、何者だ?」
理の目に、警戒心と、それ以上の強烈な好奇心が宿った。
『宇宙から来ました。……今は、とある日本の会社員(真田誠)をマスターとして仕えています』
「宇宙……!」
理は立ち上がった。 普通なら笑い飛ばす話だ。だが、目の前で起きた現象と、メイの圧倒的な知性が、彼の「山師」としての本能を刺激した。
「金子さん。……これは、マジなやつですか?」
「マジです」
金子大臣が重々しく頷いた。
「我々は今、彼女から『常温常圧超伝導』の製造技術の提供を受けています。ですが、立場上、政府が直接発表するわけにはいかない事情がありまして……」
金子大臣は、アメリカとの関係、UFOの残骸の件を簡潔に説明した。
「なるほど……!」
理は天井を仰ぎ、そしてニヤリと笑った。 その笑顔は、少年のようであり、悪魔のようでもあった。
「アメリカの目を欺くために、私の会社を『隠れ蓑』にしたいと? 泥を被れと?」
「人聞きが悪い。……『栄光』を独占できるんですよ? 理さん」
時田が横から囁いた。
「ドラゴンバンクが世界初の『常温超伝導』を発表する。株価はどうなります? アリババなど目じゃない。GAFAをまとめて抜き去り、時価総額で世界一になるでしょう」
「……ふふ、ふふふ」
理の肩が震え始めた。
「……やりましょう」
即決だった。
「やりましょう! 素晴らしい! これぞ私が夢見た『情報革命』の先にある世界だ! ビジョンが見えた! 私の脳内で、シナリオが繋がった!」
理は両手を広げ、演説するように叫んだ。
「超伝導だけじゃない! 他にもあるんでしょう? メイさん!」
『はい。いくらでも』
メイが答える。
『核融合炉の小型化設計図、完全自律型AIのアルゴリズム、癌治療用ナノマシン、重力制御ドライブの基礎理論……。マスターの生活水準向上に寄与しないレベルの「余り物」の技術でよろしければ、いくらでも提供可能です』
「余り物……! ハハハ! 神の食べ残しですか! 最高だ!」
理は興奮のあまり、テーブルの周りを歩き回り始めた。
「いいでしょう! 私が全て引き受けます! ドラゴンバンク・ラボという新会社を設立し、そこから矢継ぎ早に発表しましょう!」
理は目を輝かせて言った。
「シナリオはこうだ! 『我々は10年前からAIによる独自解析を進めていた』『シンギュラリティはすでに社内で起きていた』……これなら、嘘にはならない! 私自身がAIを使っているのだから!」
「さすが理会長。話が早くて助かります」
金子大臣もホッとした表情を見せた。
「ただし、条件があります」
理がピタリと足を止め、鋭い視線を向けた。
「その技術の独占使用権……とは言いません。ですが、最初の『発表』は、私がやります。あの大規模なプレゼンテーションで、私がスティーブ・ジョブズのように世界を驚かせる。……それだけは譲れません」
「……どうぞどうぞ。目立つのもお任せします」
時田は心の中で思った。 (むしろ、目立ってくれた方が、真田誠へのターゲットが逸れて好都合だ)
『交渉成立ですね』
メイの声が響く。
『では、理 正義様。貴方にはこれから、「現代のプロメテウス」になっていただきます。……ただし、あまり調子に乗ってマスターの平穏を脅かすような真似をすれば、ドラゴンバンクの全資産を電子の海に沈めますので、ご注意を』
「……肝に銘じます」
理は深々と頭を下げた。 AI相手に頭を下げるなど初めての経験だったが、彼は本能的に理解していた。 このPCの向こうにいる存在は、自分ごときが太刀打ちできる相手ではない、と。
数日後。 ドラゴンバンク主催の緊急記者会見が開かれた。 場所は東京国際フォーラム。世界中のメディアが集まっていた。
壇上に立った理 正義は、いつものタートルネックではなく、少し奮発したオーダーメイドのジャケットを着ていた。 背後の巨大スクリーンには、『Singularity is Here(特異点はここにある)』という文字。
「皆さん」
理は、静かに、しかし力強く語り始めた。
「今日、歴史が変わります。……いや、私が変えます」
彼はポケットから、小さな黒いチップを取り出した。 メイが作成し、ドラゴンバンクの工場で急造された、常温超伝導チップの試作品だ。
「これは、ただの石ころではありません。……抵抗ゼロの世界への鍵です」
会場がざわめく。
「我々ドラゴンバンクは、AIの力を借りて、ついに到達しました。常温・常圧での超伝導現象の再現に!」
フラッシュの嵐。 世界中にニュース速報が流れる。 『ドラゴンバンク、常温超伝導を発表』 『理会長、世紀の大発明』 『株価、ストップ高』
テレビを見ている誠は、自宅のリビングでポテトチップスを食べながら呟いた。
「……うわぁ、ノリノリだな、あの人」
画面の中の理は、続けて「完全自動運転システム」「癌が治る薬」「空飛ぶ車」の構想(というか完成品)を次々と発表し、会場を熱狂の渦に巻き込んでいた。
「まあ、これで俺のところには誰も来ないだろ」
誠は安堵した。 世界中の注目は、あのハゲ……いや、カリスマ経営者に集まっている。 アメリカ政府も、「まさかあのドラゴンバンクがUFOから盗んだとは言いづらい(言ったら世界経済が死ぬ)」というジレンマに陥り、公式には「祝辞」を送るしかない状況になっていた。
「作戦成功ですね、マスター」
メイが誠の肩に止まった。
「これでしばらくは、ドラゴンバンクが世界の防波堤になってくれます。マスターは安心して社畜生活を続けられますよ」
「言い方! ……まあ、良かったよ」
誠はコーラを飲んだ。
テレビの中では、理 正義が叫んでいた。
「やりましょう! 日本から、世界をやり直すのです! 私についてこい!」
その背後には、見えない巨大な龍と、もっと巨大な銀色の玉が笑っているのだった。
(第6話 完)




