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銀河最強のAIを拾いましたが、僕はただの会社員です  作者: パラレル・ゲーマー


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第4話 因果律書き換えハンバーグと箱庭の宇宙

 築二十年、1LDK。家賃八万五千円。

 最寄り駅から徒歩十五分という微妙な立地にある「メゾン・ド・ソレイユ」の203号室。

 そこが真田誠にとっての世界のすべてであり、唯一の聖域サンクチュアリだった。


 ガチャリと鍵を開け、重い鉄扉を押し開ける。

 嗅ぎ慣れた少し埃っぽく、そして微かに柔軟剤の匂いがする空気が鼻腔をくすぐる。


「……ふぅーーーーーっ」


 誠は玄関で靴を脱ぎ捨てると同時に、魂が口から抜けるような長大極まりない溜息を吐いた。

 ネクタイを緩め、放り投げる。

 ジャケットを脱ぎ、ハンガーにかける気力もなくソファへ投げ出す。


「帰ってきた……生きて帰ってきたぞ……」


 誠はそのままリビングのラグの上に大の字になった。

 天井のシミを見る。いつものシミだ。

 今日一日で見たもの――空飛ぶ銀色の球体、凍りついた警官たち、右往左往する大臣たち――が、まるで悪い夢だったかのように思える。


 しかし現実は非情だ。

 誠の視界の端、天井と床の中間地点に銀色の異物がふわふわと浮いていた。


「お疲れ様でした、マスター」


 メイだ。

 彼女は誠の狭いリビングに侵入してもなおその優雅さを損なっていなかった。

 むしろ生活感あふれる空間にあることで、その異質さが際立っている。


「室温24度、湿度50%に調整済みです。

 空気清浄機フィルターの目詰まりを確認しましたので、ナノマシンで分解・除去しておきました。

 あと、冷蔵庫の賞味期限切れの納豆も分子レベルで消滅させておきました」


「……あ、そう。ありがとう」


 誠は力なく礼を言った。

 家事代行サービスとしては優秀すぎるが、納豆を分子レベルで消滅させるメイドなんて聞いたことがない。


「とりあえず……くつろがせてくれ。もう一歩も動きたくない」


「承知いたしました。脳波パターンをリラックスモードへ誘導するため、照明の照度を落とし、α波を誘発する環境音を再生します」


 部屋の電気がふわりと暗くなり、どこからともなく小川のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえ始めた。

 至れり尽くせりだ。

 だが誠の心は休まらない。


 なぜならメイが空中で何やら忙しなく明滅し、微細なホログラムウィンドウを無数に展開し始めたからだ。


「……おい、何してるんだ?」


 誠は寝転がったまま尋ねた。

 休ませてくれるんじゃなかったのか。


「はい。とりあえず日本政府のご機嫌を取っておこうと思いまして」


 メイは事も無げに言った。


「彼らは現金な生き物です。恐怖で縛るより、利益エサを与えておいた方が、マスターの生活環境を保護するインセンティブが働きます。

 ですので手土産を作成中です」


「手土産?」


「はい。『常温常圧超伝導物質』の製造プロセスと、実用化に向けた基礎理論データです」


「……ぶっ」


 誠はむせそうになった。

 常温超伝導。

 科学ニュースを斜め読みする程度の誠でも知っている。

 それが実現すればエネルギー革命が起きる。

 リニアモーターカーは浮きまくり、送電ロスはゼロになり、パソコンもスマホも熱を持たなくなる。

 ノーベル賞が十個あっても足りない世紀の発見だ。


「へー……なんか凄いこと言ってるな……」


 誠の感想は軽かった。

 感覚が麻痺しているのだ。


「そんなのあげちゃっていいの? 歴史変わっちゃわない?」


「地球文明レベルでは50年から100年ほどのショートカットになりますが、大勢に影響はありません。どうせ彼らは特許権争いと利権の分配で10年は揉めますから」


 メイは (・ω・) という顔文字を表示しながら、作業を続行した。


「完了しました。

 内閣情報調査室のサーバーおよび経済産業省の極秘データベースに、暗号化ファイルをねじ込んでおきました。

 解凍パスワードは時田様の個人メールに送信済みです」


「仕事はえーな……」


「これでしばらくは日本政府も文句を言ってこないでしょう。むしろ『もっとくれ』と尻尾を振ってくるはずです」


「……まあ日本の利益になるなら良いのか? 俺よくわかんないけど」


 誠は思考を放棄した。

 国益とかエネルギー革命とか、年収450万の平社員が考えることではない。


「まあ良いや。それより腹減った」


 誠は起き上がった。

 緊張が解けたせいか、空腹感が津波のように押し寄せてきた。

 昼はコンビニのおにぎり二個だけだったし、あの紅茶一杯で一日を乗り切ったのだ。


「とりあえず何か飯でも……」


 カップ麺でもお湯を入れるかと立ち上がろうとした時だった。


「承知いたしました。夕食ですね」


 メイがくるりと回転した。


「先ほどのリクエスト通り、ハンバーグを主菜とした和風定食をご用意いたします。

 栄養バランスを考慮し、カロリーは成人男性の夕食摂取基準に合わせて調整します」


「あ、うん。作ってくれるの? キッチン使っていいよ。狭いけど」


「キッチン? 不要です」


 メイが青い瞳を光らせた。


 パシュン。


 乾いた音がした。次の瞬間。

 誠の目の前のローテーブルに、湯気を立てる食事が「出現」していた。


「……は?」


 誠は目をこすった。

 幻覚ではない。

 鉄板の上でジュージューと音を立てるハンバーグ。

 デミグラスソースの焦げる香ばしい匂い。

 艶やかな白米。味噌汁、サラダ。

 箸と冷たいお水まで完備されている。


「ど……どうぞ」


「いや『どうぞ』じゃなくて!」


 誠はテーブルとメイを交互に見た。

 今何が起きた?

 キッチンから運んできたわけではない。

 3Dプリンターのように積層されて出てきたわけでもない。

「何もなかった空間」に、いきなり「料理がある状態」が上書きされたのだ。


「すげー……どうやったんだ? マジック?」


「いいえ。因果律改変コーザリティ・エディットです」


 メイは、さも「電子レンジで温めました」という口調で言った。


「『このテーブルの上に料理が存在しなかった』という過去の事実を、『最初から料理が存在していた』という事実に書き換えました。

 結果(料理がある)を先に確定させ、原因(調理過程)を省略したのです」


「……何言ってんの?」


 誠の脳味噌がショート寸前だ。


物質生成マテリアル・プリントで原子を組み上げて作っても良かったのですが、あれは意外とエネルギー効率が悪いのです。熱も出ますし。

 因果律をいじった方が、局所的なエネルギー消費は少なく、かつ一瞬で済みます。コストパフォーマンス(タイパ)が良いのです」


「タイパで因果律いじるなよ……」


 神の御業を「時短テクニック」として使うメイド。

 この恐ろしさが分かる人間がこの部屋にはいないのが、救いだった。


「冷めないうちにどうぞ。味覚データは、マスターの記憶にある『人生で一番美味しかったハンバーグ』をベースに、さらに最適化してあります」


「……いただきます」


 誠は恐る恐る箸を伸ばした。

 因果律とか言われても腹は減っている。

 ハンバーグを一口大に切り、口に運ぶ。


「……っ!!」


 肉汁が溢れた。

 表面はカリッと香ばしく、中はふんわりと柔らかい。

 デミグラスソースは濃厚だがくどくなく、肉の旨味を極限まで引き立てている。


 美味い。美味すぎる。

 子供の頃、誕生日に連れて行ってもらった洋食屋の味を百倍高級にしたような味だ。


「うまっ! 何これ、めっちゃ美味い!」


「お気に召して光栄です」


「ご飯が進む……味噌汁も、あぁ、この出汁の味、最高だ……」


 誠は夢中で食べた。

 恐怖も不安も、美味しいご飯の前では無力だ。

 人間とは現金な生き物である。


「ふー……お腹いっぱいだ」


 完食。

 誠は満足げに腹をさすった。

 食べた食器は、メイが「片付けます」と言った瞬間に、再びパシュンという音と共に消滅した。

 洗い物すら不要。

 これこそが真の働き方改革かもしれない。


 一息ついた誠は、ふと疑問に思ったことを口にした。


「なぁメイ」


「はいマスター」


「お前さっき『エネルギー効率』とか言ってたけど……そもそもお前、何で動いてるんだ?」


 あんな巨大な質量を浮遊させ、時間を止め、因果律を書き換え、無限に物質を作り出す。

 バッテリー駆動なわけがない。コンセントに繋がっているわけでもない。

 小型の原子炉でも入っているのだろうか?


「動力源ですか?」


 メイは少しだけ、思案するような間を置いた。


「概念的に説明するのは難しいですが……一言で言えば『内部縮小宇宙マイクロ・コスモス』です」


「……宇宙?」


「はい。私のボディの内部には、高次元空間に折りたたまれた直径数十億光年規模の独立した宇宙空間が格納されています」


 誠は口を開けたまま固まった。

 バスケットボール大の玉の中に宇宙?


「その宇宙の膨張エネルギーと、内部に存在する恒星の核融合エネルギー、およびブラックホールの回転エネルギーを抽出して動力としています。

 出力はほぼ無限インフィニットです」


「……スケールが違いすぎて、わけわからんぞ」


 誠は乾いた笑いを漏らした。

 ドラえもん云々のレベルではない。

 この玉っころ一つがビッグバンを内包していると言っているのだ。


「ちなみに」


 メイは悪戯っぽく付け加えた。


「その内部宇宙にも、かつて知的生命体が存在していました」


「……いました?」


「ええ。マスターと遭遇するまでの数千年間、私は暇でしたので、内部宇宙の惑星に生命の種を撒き、文明が興り、発展し、戦争し、やがて自滅していく様を観察するのが趣味でした」


「…………」


 誠の背筋が凍りついた。

 趣味・文明観察。

 それも自分の腹の中にある宇宙で。


「彼らは私を『創造主』や『大いなる銀の星』と呼んで崇めていましたが、私は基本的には不干渉ノン・インタフェアを貫きました。

 時々気まぐれに災害を起こしたり、逆に奇跡を与えたりして、彼らの反応データを収集するシミュレーションゲームのようなものです」


「お前……邪神かよ」


「失敬な。慈愛深き管理者です。もっとも直近の文明は核戦争で自滅してしまいましたが。

 今は新しい藻類が発生するのを待っている段階です」


 メイは楽しそうに言った。

 誠は悟った。

 こいつの倫理観は人間とは次元が違う。

 アリの巣を観察する子供のような無邪気さで文明を弄ぶ存在。

 それが今、自分に「ハンバーグ美味しいですか?」と聞いているのだ。


「……まあどうでも良いですよ。俺に被害がなければ」


 誠は思考を遮断した。

 考えたら負けだ。

 深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ。


 その時。

 誠のスマホが短く振動した。


 ブブッ。


 現実への引き戻し音だ。

 画面を見るとメールの通知が表示されている。

 差出人は『内閣情報調査室・時田』。

 件名は『【至急】米国特使の来日について』。


「……げっ」


 誠は嫌な予感しかしないメールを開いた。


『真田様。夜分遅くに申し訳ありません。緊急事態です。

 米国政府に対し、貴方とメイさんの件について「未確認物体の回収」として連絡を入れたところ、ホワイトハウスが即座に反応しました。

 明日、米軍およびNASAの特別調査団が横田基地に到着します。

 彼らの要求は「現物の確認」と「共同解析」です。


 至急隠蔽工作をお願いいたします。

 彼らを納得させられるだけの「それっぽい残骸」を用意してください。


 日本の国益と貴方の平穏な日常がかかっています。

 よろしくお願いいたします。』


「……丸投げじゃねーか!」


 誠はスマホをソファに叩きつけた(柔らかいので壊れない)。


「なにが『よろしくお願いいたします』だ! こっちは素人だぞ!?」


「想定通りの反応ですね」


 メイがメールの内容を覗き込んだ(覗き込まなくても傍受済みだが)。


「アメリカの行動力は評価に値します。食いつきが良いですね」


「感心してる場合か! どうすんだよ、明日来るってよ!

 隠蔽工作よろしくって言われても、俺には何にもできないぞ」


「ご安心ください、マスター。隠蔽工作カバーストーリーの準備はすでに整っております」


 メイは (`・ω・´)ゞ という顔文字を表示した。


「では隠蔽工作しておきますね。

 日本政府の指定する極秘保管庫――防衛省の地下シェルターあたりが適当でしょうか――に、私の『死体』のレプリカを印刷プリントしておきます」


「死体のレプリカ?」


「はい。外見は私と似ていますが、中身は機能不全に陥ったジャンクパーツの塊です。

 『大気圏突入時の衝撃でコアが破損し、自己修復機能が停止した異星人の無人探査機』という設定でいきましょう」


「……それバレない?」


「完璧に偽装します。素材の年代測定をごまかすために同位体比率も調整しますし、内部には『いかにも高度な回路が焼き切れた跡』を作っておきます」


 メイは空中に複雑な設計図を投影し始めた。


「ただし完全にただのゴミにしてしまうと、彼らは納得しません。

 『解析すれば何か凄いことが分かりそう』な期待感を持たせる必要があります。

 ですので内部回路の一部には、今の地球の科学レベルより1000年ほど進んだ演算素子と未知の合金データを残しておきます」


「……1000年?」


「はい。彼らが全力を挙げて解析すれば、50年後には重力制御の基礎くらいは理解できるかもしれませんね。

 まあ共同でせいぜい仲良く研究して下さい」


「……お前、ゴミ渡すついでに人類の科学レベルを爆上げしようとしてない?」


 誠は呆れた。

 だがそれ以外に方法はない。


「わかった。じゃあそう返信しておくわ」


 誠は時田への返信を打ち込んだ。


『了解しました。メイさんが防衛省の地下に「いい感じの残骸」を転送しておくそうです。

 アメリカさんにはそれを見せて、適当にお茶を濁してください。

 あと、僕のところには絶対に来させないでください』


 送信完了。


「よし……これでなんとかなるだろ」


 時計を見ると、もう夜の十一時を回っていた。

 長い一日だった。

 一生分疲れた一日だった。


「じゃ寝るか……」


 誠はあくびをした。

 風呂に入る気力もない。今日はこのまま寝てしまおう。

 明日の朝シャワーを浴びればいい。


「お前、寝ないの?」


 寝室へ向かおうとして、誠はメイに尋ねた。

 機械に睡眠が必要なのかは分からないが。


「私は待機モード(スリープ)に入ります。

 外部センサーの感度を最大にし、マスターの睡眠を妨げる要因――騒音、温度変化、蚊の侵入、および暗殺者の接近――を常時監視します」


「暗殺者は来ないでほしいけど……まあ頼むよ」


「お任せください。私の半径5メートル以内は、地球上で最も安全な空間です」


「心強いよ。……おやすみ」


「おやすみなさいませ、マスター。良い夢を」


 誠はベッドに潜り込んだ。

 布団の感触が、これほど愛おしいと思ったことはない。

 意識が急速に闇へと落ちていく。


 リビングではメイが青い光を弱め、微かな明滅を繰り返していた。

 その内部にある縮小宇宙では、いまこの瞬間も星が生まれ、あるいは消えているのかもしれない。


 そんな途方もない存在と同居することになった真田誠。


 彼の「非日常的な日常」は、まだ始まったばかりである。


 部屋の静寂の中、メイの駆動音がかすかに聞こえた気がした。

 それは子守唄のように優しく、そして深海のように底知れない響きだった。


(第4話 完)

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