第22話 選ばれし者たち(黒歴史)の集い
それは、日本政府が極秘裏に決定した、史上最も正気を疑うスカウト作戦だった。
作戦名『プロジェクト・ファントム』。
目的は、銀河の破壊神シルフィードが求めた「因果律改変の素質を持つ弟子」を確保すること。
ターゲットは全国のデータからメイが弾き出した、妄想強度が測定限界を突破している「超重症中二病患者」の三名である。
彼らは、まだ知らない。
自分たちの脳内で繰り広げられている壮大な設定(妄想)が、全能のAIと気まぐれな女神の力によって、物理法則をねじ曲げる「現実」になろうとしていることを。
そして、自分たちが本当に世界を救う(あるいは滅ぼしかける)英雄になることを。
内閣情報調査室の精鋭たちが、それぞれのターゲットの元へと向かった。
彼らにはメイから厳重なマニュアルが渡されていた。
『決して否定しないこと』
『設定に乗っかること』
『彼らのプライド(黒歴史)を刺激し、崇高な使命であると信じ込ませること』
かくして、喜劇と悲劇がない交ぜになった運命の歯車が回り始める。
***
【CASE 1:封印されし右腕の少年】
午後四時。
冬の早い夕暮れが、某市立中学校の屋上を茜色に染めていた。
本来、この学校の屋上は立ち入り禁止である。
だが、その少年――剣崎海人(けんざき・かいと、14歳)にとって、鍵のかかった扉など「物理干渉スキル」の前には無意味だった(実際は、用務員のおじさんが隠している鍵の場所を知っているだけだが)。
海人はフェンスに背を預け、包帯でグルグル巻きにされた右腕を、愛おしそうに撫でていた。
怪我をしているわけではない。
この包帯の下には、古の邪竜『ヴァルハザーク』の魂が封印されているのだ(という設定である)。
「……くっ」
海人は突如として右腕を押さえ、苦悶の表情を浮かべた。
「静まれ……! まだだ、まだ暴れる時ではない……!
貴様の瘴気を解放すれば、この街など一瞬で灰燼に帰すのだぞ……!」
誰もいない屋上で、独り芝居が熱を帯びる。
彼は定期的にこうして、己の中の闇と対話(ガス抜き)をしなければならなかった。
平凡すぎる日常。
理解のない教師。
レベルの低いクラスメートたち。
それら全てが彼にとっては「仮初めの世界」であり、自分が覚醒するまでの「檻」でしかなかった。
「……ふぅ。どうにか抑え込んだか」
海人は額の汗(ただの冷や汗)を拭い、夕日を見つめた。
その瞳には、誰も見ていない風景が映っている。
「世界が……軋んでいる。
境界線が薄くなっているな。奴らが動き出したか……」
その時だった。
屋上の扉が、ギイィ……と重苦しい音を立てて開いた。
海人は素早く振り返り、身構えた。
生活指導の教師か?
それともサボりを見つけに来た委員長か?
いや、違う。
そこに立っていたのは、黒いスーツにサングラスをかけた二人の男たちだった。
その身に纏う雰囲気は、明らかにカタギではない。
内閣情報調査室のエージェント、田中と佐藤である。
(……来たか)
海人の心臓が早鐘を打った。
恐怖ではない。歓喜だ。
ついに、この時が来たのだ。
平凡な日常という名の膜が破れ、裏の世界からの招待状が届いたのだ。
「……剣崎海人君だね?」
田中が低い声で尋ねた。
海人はフッと鼻で笑い、前髪をかき上げた。
「ククク……。
学校の名簿上は、そう登録されているな。
だが、その名は仮の器に過ぎない」
海人は右腕を突き出し、彼らを牽制した。
「俺の名は『レイヴン』。
……黒き翼の堕天使だ。
一般人が何の用だ? この領域に踏み込む意味を理解しているのか?」
常人なら「は?」と聞き返すか、痛々しいものを見る目でスルーする場面だ。
だがエージェントたちは訓練されていた。
彼らのインカムには、メイからのリアルタイム指示が飛んでいる。
『肯定してください。彼の設定レベルはクラスSです。敬意を払い、組織の人間として振る舞ってください』
田中は頷き、懐から黒い手帳(警察手帳のようなもの)を取り出した。
そこには金の箔押しで、謎の紋章(メイが適当に作ったデザイン)が刻まれている。
「失礼した、レイヴン卿。
我々は『機関』の者だ。
君の封印管理状況を視察に来たわけではない。……救援要請だ」
「機関……だと?」
海人の眉がピクリと動いた。
『機関』。
彼が妄想の中で敵対したり協力したりしている架空の秘密組織。
その単語が出た瞬間、彼の中で全ての点と線が繋がった。
「なるほど……。
どうりで最近、右腕の疼きが止まないわけだ。
世界の均衡が崩れ始めているということか?」
「御明察だ」
佐藤が一歩進み出る。
「東の空より災厄の星が落ちた。
『時空の魔女』と呼ばれる超越的存在が、この次元に干渉を始めている。
通常兵器や我々の持つ科学力では対抗できない。
……対抗できるのは、因果の理を書き換える力を持つ『選ばれし適合者』のみ」
佐藤はサングラスを外し、真剣な眼差しで海人を見つめた。
その目は演技とは思えないほど必死だった(任務に失敗すると、上司に殺されるからだ)。
「剣崎……いや、レイヴン。
君のその右腕の力が必要だ。
我々と共に来てくれないか?
君こそが人類最後の希望なんだ」
風が吹いた。
海人の学ランが、バサリと音を立てて翻る。
彼は俯き、肩を震わせた。
ククク……という押し殺した笑い声が漏れる。
「……やれやれ」
海人はゆっくりと顔を上げ、ニヒルな笑みを浮かべた。
「俺は静かに暮らしたかったんだがな。
光ある場所に背を向け、闇の中で朽ちていく……それが堕天使の運命だと思っていた」
彼は右腕の包帯を、きつく握りしめた。
「だが、世界が俺を呼んでいるというなら……仕方あるまい。
俺の出番か……」
「力を貸してくれるか?」
「勘違いするなよ、機関の犬ども」
海人は彼らを指差した。
「俺は貴様らのために戦うわけではない。
俺の庭(世界)が荒らされるのが気に食わないだけだ。
……それに、この右腕の邪竜も、そろそろ血を求めて暴れ出しそうだからな」
「感謝する」
田中が深々と頭を下げた。
「迎えの車を用意してある。
……『戦場(アマン東京)』へ向かおう」
「フン、案内しろ」
海人は鞄を片手に、颯爽と歩き出した。
その背中は、明日の中間テストのことなど完全に忘れ去り、世界の命運を背負った戦士のそれだった。
***
【CASE 2:星の声を聞く巫女】
同時刻。
都内の大きな公園。
木々が枯れ落ち、寒々しい風景の中で、一人の女子高生がベンチに座っていた。
星野ルナ(ほしの・るな、16歳)。
彼女は一般的な制服の上に、不思議なアクセサリー(通販で買った魔除けの石)をジャラジャラと身につけ、手にはタロットカードを持っていた。
彼女は空を見上げ、ブツブツと何かを呟いていた。
「……ええ、分かっているわ、シルフ。
風が騒がしいものね。
西の方角……凶兆の星。
世界のレイラインが歪み始めている……」
彼女の視線の先には何もいない。
だが彼女の脳内では、風の精霊や土の精霊、そして過去の英霊たちが常に彼女に語りかけているのだ(という設定である)。
彼女はクラスでは「不思議ちゃん」、あるいは「電波」として扱われ、孤立していた。
だが彼女にとってそれは、「高次元の魂を持つがゆえの孤独」であり、ステータスだった。
一般人には見えないものが見え、聞こえない声が聞こえる。
それは祝福であり、呪いなのだ。
「……来るのね」
ルナはふとカードをめくった。
出たカードは『運命の輪』。
「やっぱり。
避けられない宿命……」
彼女の背後に足音が近づいてきた。
ヒールを鳴らして歩いてくるのは、スーツ姿の女性。
内閣情報調査室の女性エージェント、山本だ。
山本はルナの背後で立ち止まり、声をかけるのを躊躇った。
だがインカムのメイが囁く。
『彼女は気づいています。声をかける前に、彼女から語らせるのが正解です』
山本が口を開こうとした、その瞬間、ルナが振り返らずに言った。
「……待っていたわ」
「え?」
「精霊たちが朝から騒いでいたもの。
『黒い服を着た使者が来る』って」
ルナはゆっくりと振り返り、神秘的な(と本人は思っている)微笑みを浮かべた。
その瞳は山本の背後にある「何か」を見ているようだった。
「あなた、背負っているわね。
……国家という名の巨大な業を」
山本は背筋が寒くなった。
(なんで分かるの? ただの厨二病じゃないの?)
実際には、スーツとイヤホンを見れば誰でも公的機関の人間だと推測できるのだが、山本は完全に飲まれていた。
「……星野ルナさんですね」
山本は平静を装い、切り出した。
「私は政府の者です。
今日はあなたにお願いがあって参りました」
「お願い?」
ルナはクスクスと笑った。
「違うわ。それは『要請』ですらない。
『必然』よ。
アカシックレコードには、今日のこの出会いすらも、数千年前から記述されていたの」
彼女は立ち上がり、空に手をかざした。
「世界線が……変動しようとしている。
α世界線からβ世界線へ。
特異点が近づいているのね?」
「は、はい。その通りです」
山本は必死に話を合わせた。
(特異点って何? シュタインズ・ゲート?)
「ある強大な存在が、この世界に干渉しようとしています。
それを正せるのは、あなたのような『視える』方だけなのです」
「そうね……」
ルナは胸元のクリスタルを握りしめた。
「私のこの瞳……『星幽眼』が疼いている。
逃げられないのね。
普通の女の子としての幸せなんて、最初から私には許されていなかった……」
彼女は悲劇のヒロインのように目を伏せ、そして決然と顔を上げた。
「いいわ。行きましょう。
精霊たちも『行け』と言っている。
……時が来たのね。
みんなの言う通りになるのね……」
「ご協力、感謝します」
「礼には及ばないわ。
これは私の魂の契約。
……世界の崩壊を食い止めるための最後の舞踏会よ」
ルナはタロットカードをポケットにしまい、山本の先を歩き出した。
その足取りは軽く、どこか浮世離れしていた。
彼女の妄想が、ついに現実の世界を侵食し始めた瞬間だった。
***
【CASE 3:転生待機列の剣聖】
最後の一人は、少し毛色が違った。
埼玉県の古いアパート、その一室。
カーテンが閉め切られた薄暗い部屋には、壁一面にライトノベルと漫画が積み上げられ、カップラーメンの空き容器が散乱している。
剛田武(ごうだ・たけし、32歳・無職)。
彼は部屋の中央で、通販で買った高級木刀を構えていた。
汗だくである。
彼はこの10年間、就職活動を一切せず、ひたすら「異世界転生」に備えて修行を続けていた。
彼の理論はこうだ。
『いつか必ずトラックに撥ねられるか、召喚陣が現れる。その時にレベル1の村人Aで死ぬのは嫌だ。今のうちに剣術と魔法理論(ラノベ知識)を極めておけば、転生直後から無双できる』
狂気である。
だが、10年続けた狂気は、ある種の迫力を帯びていた。
実際、彼の素振りは毎日1万回を超え、その剣速は達人の域に達しつつあった(ただし実戦経験ゼロ)。
「……ふんッ!」
剛田が木刀を一閃する。
風切り音が鋭く響く。
「……甘いな。今の踏み込みでは、オークジェネラルの装甲は抜けない」
彼は自分にダメ出しをし、タオルで汗を拭った。
「ステータスオープン」
彼は虚空に向かって呟いた。
もちろん、何も表示されない。
だが彼の脳内網膜には、レベル99のステータス画面が見えている。
「そろそろか……。
この世界の『チュートリアル』も長すぎるぞ。
運営(神)、いつまで俺を待機列に並ばせておく気だ?」
彼は天井を睨みつけた。
32歳。世間的には「終わっている」年齢かもしれない。
だが異世界転生業界では、オッサン転生はトレンドだ。
むしろ、ここからが本番だ。
ピンポーン。
チャイムが鳴った。
剛田は眉をひそめた。
NHKか?
宗教勧誘か?
それともカーチャンからの「いつ働くの」という手紙か?
「……誰だ。俺は今、瞑想中だぞ」
彼は木刀を持ったままドアを開けた。
チェーンロック越しに覗き込む。
そこにいたのは、内閣情報調査室の強面の男、鬼塚だった。
「剛田武氏だな?」
鬼塚は威圧感のある声で言った。
普通の無職ならビビって居留守を使うところだ。
だが剛田は違った。
「……ほう」
剛田はニヤリと笑った。
(ついに来たか。……ギルドの使いか? それとも王宮騎士団か?)
彼はチェーンを外し、堂々とドアを開け放った。
「何の用だ?
俺の剣の腕を見込んでの依頼か?
それとも魔王討伐のパーティ勧誘か?」
鬼塚は一瞬怯んだが、すぐにマニュアル通りに対応した。
「流石だな、剣聖・剛田。
こちらの正体を察しているとは」
「フッ、隠しても無駄だ。
俺の『索敵スキル』には反応があったからな」
剛田は木刀を肩に担いだ。
「で? どの異世界だ?
剣と魔法の世界か? それともSF系か?
俺はどっちでも対応できるように、スキルビルドを組んであるぞ」
「……場所は、ここだ」
鬼塚は言った。
「異世界へ行くのではない。
異世界から『最強の師匠』がやってきたのだ。
彼女が君の才能を求めている」
「師匠……だと?」
剛田の目の色が変わった。
転生前の修行イベント。
強力な師匠キャラとの出会い。
それは主人公が覚醒するための必須フラグだ。
「なるほど……。
転生前のシークレットイベント発生ってわけか」
剛田は納得した。
10年の待機時間は、このイベントフラグを立てるための前提条件だったのだ。
「面白い。
俺の剣技が、その師匠とやらに通用するか……試してみるのも悪くない」
彼は部屋を振り返った。
積み上げられたラノベたち。
これらは全て予習教材だった。
「待たせたな、俺の力。
……使う時が来たか」
彼はボロボロのジャージの上から、愛用のロングコート(通販で買った合皮製)を羽織った。
「行くか? 案内しろ。
その師匠……俺を失望させるなよ?」
「ああ、保証する。
彼女は……神にも等しい存在だ」
「フッ、神殺しか。……望むところだ」
剛田は木刀を腰に差した(ベルトに無理やり挟んだ)。
32歳無職。
今日、彼はついに「主人公」としての第一歩を踏み出した。
***
その日の夜。
アマン東京最上階スイートルーム。
東京の夜景を一望できる広大なリビングに、三人の「選ばれし者」が集められた。
右腕を抑え、不敵に笑う中学生、剣崎海人。
虚空を見つめ、精霊と対話する女子高生、星野ルナ。
木刀を構え、歴戦の戦士のオーラ(加齢臭含む)を放つ無職、剛田武。
彼らは互いを見て直感した。
(こいつ……できる!)
(同じ「力」を持つ者……!)
(パーティメンバーか……悪くない)
そして彼らの正面。
玉座のようなソファに座り、ワイングラスを揺らす絶世の美女。
時空の織り手シルフィードが、愉悦に歪んだ笑顔で彼らを見下ろしていた。
「よく来たわね、私の可愛いモルモット……いいえ、愛弟子たち」
彼女の背後から、圧倒的な魔力(因果律の歪み)が立ち上る。
それは妄想ではない。
本物の世界を書き換える力だ。
三人は震えた。
恐怖と、そしてそれ以上の歓喜に。
彼らの妄想が、今、現実に追いついたのだ。
海人が叫ぶ。
「見つけたぞ……俺が求めていた闇を!」
ルナが呟く。
「運命の歯車が……噛み合ったわ」
剛田が吠える。
「チュートリアルは終わりだ! ここからが本編だ!」
シルフィードは杯を掲げた。
「さあ、始めましょうか。
あなたたちの狂気で、この退屈な物理法則をぶち壊す授業を!」
ーーーーーー三人は、その日、運命に出会う




