第18話 銀河のVIPは、「不便」という名の娯楽を愛す
その連絡は、いつものように唐突で、そしていつものように真田誠の胃壁を削り取る類のものだった。
水曜日の夜。
週休3日の恩恵を享受し、明日も休みであるという全能感に浸りながら、誠がネットフリックスでB級サメ映画を鑑賞していた時のことだ。
プツン。
部屋の照明が一瞬だけ暗転し、テレビ画面がノイズに覆われた。
次の瞬間、画面から飛び出すようにして、立体ホログラムが展開される。
『やあやあ、元気? 地球代表のサナダくん!』
映し出されたのは、金髪碧眼のカジュアルな青年。
銀河評議会の事務官にして、かつて銀河を食い荒らした元・捕食ナノマシングレイ・グーである。
「……うわっ」
誠は反射的にポテトチップスの袋を取り落とした。
隣に浮いていたメイが瞬時に警戒モード(赤色点滅)に入り、部屋の空間座標をロックする。
「な、なんですか急に……。心臓に悪いですよ」
『ごめんごめん。いやー、緊急の用事ってほどでもないんだけどさ』
グレイ・グーは、まるで近所のコンビニに行くような軽い調子で言った。
『実はさ、君の評判を聞いた銀河評議会のメンバーが、君の惑星に遊びに行くことになったんだよね』
「……はい?」
誠の思考が停止した。
評判? 遊びに?
『いやー、ほら。先日の評議会で君が配った「羊羹」あったでしょ?
あれが一部のメンバーに大ウケしちゃってさ。
「あんな繊細な原始的嗜好品を作れる種族が住む惑星とは、いかなる場所なのか?」って興味津々なわけよ』
「はあ……」
『で、とある高位の議員さんが「次の休暇はテラ(地球)観光に決めた」って言い出しちゃってさ。
もう止められないんだわ』
グレイ・グーは肩をすくめた。
『というわけで、明日到着するから。とりあえず適当に接待してあげてね。じゃ、よろしく~』
プツン。
通信が切れた。
後に残されたのは、床に散らばったポテトチップスと、凍りついた空気だけ。
「……」
誠は、ゆっくりとメイの方を向いた。
「……メイ。俺の聞き間違いじゃなければ、『銀河評議会のメンバー』が来るって言ってたよな?」
「……はい、マスター。録音データを確認しましたが、間違いなくそう発言しておりました」
メイの声も、珍しく少し硬かった。
「評議会のメンバーって、あの……神様みたいな連中だよな?
タイムロードとか、精神生命体とか……」
「ええ。銀河の支配階級たちです。
彼らの一挙手一投足で、星系の一つや二つが消滅したり、生成されたりします」
「それが……観光に?」
「……最悪の事態です」
メイが青ざめた(ディスプレイの色をブルーに変えた)。
「観光客というのは、得てして無責任で、好奇心旺盛で、そして地元のルールを知らないものです。
それが『神』クラスの力を持っていた場合……うっかり感動して、
『この星、気に入ったから私のコレクションルーム(亜空間)に収納しよう』とか言い出しかねません」
「地球が終わる!」
誠は頭を抱えて叫んだ。
サメ映画を見ている場合ではなかった。現実の方が、よっぽどパニックホラーだった。
「と、とりあえず日本政府に連絡するか……。俺一人じゃ抱えきれない!」
深夜の緊急招集。
場所は、いつもの総理官邸地下危機管理センター。
パジャマの上にスーツを羽織ったような恰好の閣僚たちが、眠気眼をこすりながら、しかし顔色は土色にして集まっていた。
「……つまり」
御堂筋総理大臣が、震える手で水を飲みながら確認した。
「明日、宇宙の支配者階級の方が、東京観光にいらっしゃると?」
「はい。そういうことです」
誠は重々しく頷いた。
「バカな……! 警備はどうするんだ!?
おもてなしの準備は!? 迎賓館か? いや、帝国ホテルを貸し切りにするか!?」
外務大臣がパニックになっている。
無理もない。相手はアメリカ大統領どころではない。
文字通りの「天竜人」が降りてくるようなものだ。
「落ち着いてください」
理 正義会長が、意外にも冷静に(しかし目は笑っていない)発言した。
「相手は観光に来るんです。物々しい警備などしたら、かえって興ざめでしょう。
それに……地球の兵器など、彼らにとっては豆鉄砲以下です。
警護など意味をなしません」
「そ、そうだが……。しかし機嫌を損ねたらヤバいのでは? 地球が消されるぞ」
「うーん……」
誠は腕を組んで考え込んだ。
昨日の今日で、少しだけ銀河の「空気感」を掴みつつある感覚があった。
「まあ基本的に大丈夫でしょう。……向こうは『珍しい動物園』に来るぐらいのテンションですよ?」
「動物園……?」
「はい。私たちと彼らとでは、テクノロジー格差は人間の赤ん坊と全能神ぐらい差がありますし……。
私たちが動物園に行って、ハムスターが餌を食べているのを見て、
『不敬だ! 処刑しろ!』とはならないでしょう?
むしろ、『わあ必死に食べてて可愛いね』ってなるはずです」
「……なるほど」
総理が複雑な顔をした。
自分たちがハムスター扱いであるという事実に傷つくべきか、
それによって安全が保障されていることに安堵すべきか。
「ハハハ、そうか。まあ気にしても仕方がないな……」
轟防衛大臣が乾いた笑いを漏らした。
「我々にできるのは、せいぜい『檻』の中を綺麗にして、
愛想よく回し車を回してみせることくらいか」
「そういうことです」
メイが補足した。
「今回のゲストは、特に『原始的な文化』に興味をお持ちのようです。
変に背伸びをして最新技術(といっても彼らにとっては石器レベルですが)を見せるより、
ありのままの『地球の日常』をお見せするのが、最高のおもてなしになるかと」
「ありのまま……か」
理会長がニヤリとした。
「それなら我々の得意分野だ。……よし、真田さん。君に一任する。
我々は裏方として交通規制やマスコミ対策など、君が動きやすいように全力を尽くそう」
「また丸投げですか……」
誠は溜息をついたが、腹は括った。
どうせ逃げ場はないのだ。
翌日、木曜日。
快晴の東京。
指定された待ち合わせ場所は、皇居外苑の広場だった。
一般人は立ち入り規制され、遠巻きに公安警察が警備をしているが、表向きは「道路工事」ということになっている。
「……来るぞ、マスター」
メイが空を見上げた。
彼女は今日、和服風にアレンジされたホログラム・エプロンドレスを纏い、完全なおもてなしモードだ。
隣には荷物持ち兼ボディガードとして、執事服を着たアンドロイドのウィルも控えている。
「座標固定。時空歪曲率、正常。……転送アウトします」
シュゥゥゥ……。
音もなく空間が蜃気楼のように揺らいだ。
SF映画のような派手な光や爆発音はない。
ただ「そこにいなかったものが、次の瞬間にはそこにいた」という、極めて自然で、それゆえに不気味な出現。
そこに立っていたのは、一人の女性だった。
いや、「女性の姿をした何か」と言うべきか。
見た目は20代前半の人間の女性に見える。
透き通るようなプラチナブロンドの髪、深遠な宇宙を映したような紫色の瞳。
服装は地球のファッション誌を参考にしたのだろうか。
白いワンピースにカーディガン、そして麦わら帽子という避暑地のお嬢様のようなスタイルだ。
だが、その存在感が違った。
彼女が立っているだけで、周囲の空気が清浄化され、
小鳥たちが一斉にさえずりを止め、
風さえも遠慮がちに吹いているような錯覚を覚える。
「……ようこそ、地球へ」
誠は緊張を押し殺し、一歩前に出てお辞儀をした。
「地球代表のサナダ・マコトです。遠路はるばるお越しいただき、光栄です」
女性――銀河評議会の高位議員は、ふわりと微笑んだ。
「出迎えご苦労。……私は『アリア』と呼んでくれ。
この惑星の言語体系に合わせて、発音可能な音を選んだ」
声が脳に直接響くようだった。
聴覚ではなく、魂が震えるような美声。
「外見はこの惑星の主要種族に合わせて構成した。……問題ないですか?」
「ええ、問題ないです。完璧です。……とてもお似合いですよ」
「そうか。それは重畳だ」
アリアは自身の腕や服を見下ろし、満足げに頷いた。
「炭素ベースの有機肉体というのは少々窮屈だが……風を感じる感覚というのは悪くないな」
「(……やっぱり中身は人間じゃないんだな)」
誠は心の中で冷や汗をかいた。
おそらく本体は高次元エネルギー体か何かで、この肉体は観光用のアバターなのだろう。
「では、アリア様。……本日は地球、日本国として歓迎いたします。
ご希望通り、今日は東京観光をしましょうか」
「うむ。頼むぞ、案内人」
アリアは期待に目を輝かせた。
その表情は、初めて遊園地に来た子供のように無邪気だった――
もし、その子供が指先一つで遊園地を消滅させる力を持っていなければ、だが。
「では移動しましょう」
誠は近くに待機させていた、ドラゴンバンク製の最高級リムジン(自動運転車)を手で示した。
「……む?」
アリアは首をかしげた。
「なぜ歩くのだ?
目的地までは、ここから直線距離で数キロあるのだろう?
転送すれば一瞬ではないか?」
「ああ、いえ……」
誠は苦笑して首を振った。
「東京観光をするなら、ワープしないのは風情があって良いんですよ」
「風情……?」
「はい。景色を眺めながら、時間をかけて移動する。
その『過程』を楽しむのが、地球流の観光なんです」
「ほう……過程を楽しむか」
アリアは興味深そうに呟いた。
「我々にとって移動とは、『座標Aから座標Bへの情報の書き換え』でしかない。
……時間というリソースを消費してまで、空間の連続性を体験するのか?」
「メイ、ワープはこの惑星ではまだないんですよ」
誠は助け船を求めた。
メイがすかさず補足する。
「ええ。アリア様。
この惑星の文明レベルでは、物質転送はまだ実用化されておりません。
彼らは物理的に体を運び、摩擦と慣性に抗いながら移動するのです」
「えっ? 不便じゃないですか、それ?」
アリアは素で驚いた顔をした。
悪気はない。現代人が「えっ、洗濯板で洗濯してるの? 不便じゃない?」と驚くのと同じ感覚だ。
「ハハハ、まあそうですね。満員電車とか嫌ですよ」
誠は笑った。
「でも、その不便さの中に発見があったりするんです。……さあ、どうぞ」
アリアは納得したのか、していないのか分からないが、おずおずとリムジンに乗り込んだ。
車が走り出し、皇居の緑や丸の内のビル群が窓の外を流れていく。
「……なるほど」
アリアは窓に張り付いていた。
「視覚情報が連続して変化していく……。
これが『移動』の感覚か。……酔いそうだが、悪くない」
「楽しんでいただけているようで、何よりです」
一行が最初に訪れたのは、東京のシンボルの一つ、東京スカイツリーだった。
貸し切りにするわけにはいかないが(一般客がいないと『ありのまま』にならないため)、
メイの認識阻害フィールドのおかげで周囲の客はアリアたちを気に留めることなく、自然に振る舞っている。
地上450メートルの展望回廊。
眼下には、関東平野を埋め尽くすコンクリートのジャングルが広がっている。
「……壮観だな」
アリアはガラス越しに下界を見下ろした。
「これほどの質量の構造物を……ナノマシンの自動建築も、重力制御もなしで建てたというのか?」
「はい。人間の職人たちが、鉄骨を一本一本組み上げて作りました」
「信じられん……」
アリアは絶句した。
「これを一から建造したんですか? ナノマシン建造もなしで?
念動力建造したら数秒で出来るのに……」
彼女の感覚では、高層建築など「作りたい」と念じればナノマシンが地面から生えてきて、一瞬で完成するものなのだろう。
「完成まで、約3年半掛かりましたね」
「3年……!?」
アリアが目を見開いた。
「3年も掛けて? たかが通信塔一つに? ……正気か?」
「ええ。多くの人の汗と涙の結晶ですよ」
「凄いですね……」
アリアはガラスに手を当てた。
「非効率だ。圧倒的に非効率だ。
……だが、その『3年という時間』の重みが、この構造物に奇妙な美しさを与えているのかもしれん」
彼女は鉄骨の継ぎ目を凝視した(おそらく分子レベルで溶接痕を見ている)。
「分子結合が不均一だ。手作業の痕跡がある。
……完璧な直線ではない。だが、それが『意志』を感じさせる。……面白い」
どうやら地球のローテク建築は、彼女にとって「手作りの工芸品」として映ったようだ。
次に向かったのは、浅草寺。
雷門をくぐり、仲見世通りを歩く。
アリアは人形焼を焼く機械や、着物を着た観光客たちを珍しそうに観察していた。
本堂の前には、常香炉がある。
多くの参拝客が立ち上る煙を手で仰ぎ、自分の体にかけている。
「……あれは、何をしているのだ?」
アリアが尋ねた。
「あれはお香の煙です。
体の悪いところにかけると良くなると言われているんですよ」
誠が説明すると、アリアは眉をひそめた。
「この煙を浴びると健康になれるのですか?
……成分をスキャンしたが、ただの炭化水素と香料の粒子だぞ?
医療用ナノマシンも、細胞修復因子も含まれていない」
「ええ。医学的な効果はありませんね」
「では、なぜ? プラシーボ効果を狙った集団催眠か?」
「でも、そのような効果も因果律改変もないようですが……」
アリアは真剣に悩んでいる。
「効果がない行為を、なぜ大勢でやっているのか」が理解できないのだ。
「人間は迷信を信じてるんですよ」
メイが横から口を挟んだ。
彼女の口調には、少しばかりの冷笑が含まれていた。
「『信じる者は救われる』という非論理的なアルゴリズムです。
彼らは物理的な治療よりも、精神的な『安心感』を優先させることがあります。
……たとえ、それがただの煙であっても」
「安心感……」
アリアは煙を浴びている老婆を見た。
老婆は煙を腰に当て、手を合わせて祈っている。
その表情は穏やかだ。
「なるほど。
……物理的な修復ではなく、精神データ(メンタル)のメンテナンスを行っているのか。
それなら合理的だ」
アリアはおもむろに常香炉に近づき、自分も煙を手で仰いでみた。
「……ふむ。少し焦げ臭いが、悪くない香りだ」
宇宙の支配者が、浅草で煙を浴びている。
そのシュールな光景に、誠は必死で笑いをこらえた。
日が暮れて、夕食の時間となった。
誠が予約したのは、都内の隠れ家的なフレンチレストラン。
ミシュランの星を持つ予約困難店だ。
もちろん、ここでも理会長の権力がフル活用されている。
個室のテーブルには、芸術的な前菜が並べられた。
シェフが挨拶に来て、料理の説明をする。
「北海道産のホタテを、低温でじっくり火を通し……」
「ソースは、自家製のハーブを使い……」
アリアはナイフとフォークを(見よう見まねで完璧に)使いこなし、料理を口に運んだ。
「……ん」
彼女の紫色の瞳が、わずかに揺れた。
「……複雑な味だ。数千種類の化学物質が、絶妙なバランスで配合されている」
「お口に合いましたか?」
「うむ。
……これが噂の、レプリケーターなし、全部手作りですか……」
アリアは感嘆の溜息をついた。
「食材の育成から、収穫、輸送、そして加熱処理に至るまで。
全て自然のプロセスと、有機生命体の手作業で行われたものか」
「はい。この店は特に、素材にこだわってますから」
「なるほど。正直、レプリケーターとの区別は付きませんが、特別感はありますね!」
彼女は悪気なく言った。
銀河の超高度なレプリケーターなら、原子レベルでこの料理を複製することは可能だ。
味も栄養価も完全に同じものが、0.1秒で出てくるだろう。
「メイ、まあ区別は分子レベルを区別出来る種族だけですからね。
大抵の自然食崇拝は、勘違いですから」
メイがワイングラス(中身はオイルかもしれない)を回しながら言った。
彼女は一貫して「テクノロジー至上主義」のスタンスだ。
「人間は『手間暇』という不確定要素を『味』として認識するバグを持っています。
『苦労して作ったから美味しいはずだ』というバイアスですね」
「おいおい、そうなのか?」
誠は苦笑した。
身も蓋もない話だ。
「ふふふ、メイさんは辛辣ですわ」
アリアは笑った。
その笑顔は、地球に来た時よりもずっと柔らかくなっていた。
「確かにそうですが、手料理は気持ちが籠もってますからね。
レプリケーターだけで充分と言われたら、そうですが」
彼女は皿の上のソースをパンで拭って食べた。
「私は感じますよ。この料理を作った料理人の『食べてほしい』という意志の波長を。
……それはレプリケーターでは再現できない、唯一のスパイスです」
「意志の波長ですか」
メイは肩をすくめた。
「非科学的ですが……まあ、アリア様がそう仰るなら、そうなんでしょうね」
ディナーが終わる頃には、アリアはすっかり上機嫌になっていた。
ワイン(もちろん地球産)も数本空け、頬をほんのりと赤らめている。
「……楽しかったぞ、地球代表」
彼女は誠を見つめた。
「不便で、非効率で、時間がかかる。
……だが、それゆえに豊かだ。
この星は銀河のどのリゾート惑星よりも『生きている』感じがする」
「それは光栄です」
誠は心からホッとした。
地球消滅の危機は回避されたようだ。
「気に入った。……また来てもいいか?」
「ええ、もちろん。いつでも歓迎しますよ(できれば事前連絡は早めに欲しいですが)」
「ふふ。次は、あの『温泉』というやつに入ってみたいものだ」
アリアは立ち上がり、テラスに出た。
東京の夜景が輝いている。
「では帰るとしよう。……お土産の『羊羹』は忘れていないだろうな?」
「はい、山ほど用意してあります」
ウィルが巨大な風呂敷包み(中身は全部羊羹)を差し出した。
「感謝する。……さらばだ、愛すべき不便な星よ」
シュゥゥゥ……。
来た時と同じように、彼女の姿は陽炎のように揺らぎ、そして消えた。
後には静寂と、微かなオゾンの匂いだけが残った。
「……終わった」
誠は椅子に崩れ落ちた。
長い一日だった。
だが、達成感はあった。
「お疲れ様でした、マスター」
メイが優しく声をかけた。
「完璧な接待でしたよ。
これで銀河評議会での地球の評価は、『星3つ(三ツ星)』くらいには上がったでしょう」
「星3つか……。悪くないな」
誠は残ったワインをグラスに注いだ。
「まとりあえず、明日は……」
「明日は金曜日。週休3日制ですので、お休みですね」
「最高だ」
誠はグラスを掲げた。
星空の向こうのVIPと、明日の休日に向かって。
(第二部 第7話 完)




