ACT.4
その夜、徳島第一高校・旧館の礼拝室。
窓は全て黒布で覆われ、照明は最小限。壁にはタイツ地で織られたタペストリーが掛けられ、空気はしっとりと、沈み込むような静けさに満たされていた。
床にはマット。香の焚かれた匂い。
ゼンタイ部員たちは、全員が漆黒の全身タイツに包まれ、無言のまま礼拝室の中心を囲んでいた。
その中央に、一着だけ、白いゼンタイが置かれている。
それは儀式において「初めて奉納を受ける者」のためのもの。
「——これより、ゼンタイ奉納の儀を執り行います」
遥香の声が響いた。
部長としての声ではなく、まるで巫女のように、静かで、清められた声だった。
佐々波いつきは、私服の上から黒のローブを羽織り、中心へ歩み寄った。
その背筋はまっすぐだった。数日前まで震えていた肩は、今は柔らかく、美しい力に包まれていた。
「これが、奉納ゼンタイ。あなたの“生まれ直し”の衣」
遥香が差し出したのは、雪のように白い、顔まで覆うフルゼンタイ。
その繊維は極めて薄く、まるで水の膜のように指の間を滑った。
着替えを終えた瞬間、世界が反転した。
白いゼンタイに身を包んだ自分を、誰もが“見る”という感覚。
けれど、誰からも“名指されない”という安心。
被膜の中で呼吸をするたび、まるで胎内に戻ったような、深く柔らかい静けさが胸の奥まで染みわたる。
部員たちが、いつきを囲みながら円を描く。
「私たちは、あなたを包みます。
あなたが、未来を包むように」
そう唱えながら、全員が静かに両手を伸ばした。
手のひらが、白ゼンタイの背を、肩を、脚を、優しく撫でる。
ゼンタイスリスリ——しかし、これは“祝福”のための接触。
誰もが一度だけ触れ、そしてそっと手を引く。
擦られるたびに、いつきの中にあった輪郭がほどけていく。
恐れ、戸惑い、羞恥。それらがゆっくりと溶けて、ゼンタイの中で“真の自己”だけが残される。
遥香は最後に、姉・優子を呼んだ。
堂ノ内優子は、妊婦用の灰青のロングゼンタイに身を包み、胎児ごと「母なる被膜」として現れた。
その姿は神々しく、ただ立っているだけで空間が変わるような存在感があった。
彼女はゆっくりと、いつきの前に膝をつき——
そのまま、お腹ごと、優しくいつきを抱きしめた。
白と灰青のゼンタイが、擦れ合い、重なり、ひとつになる。
「あなたは、この子の先輩。未来のゼンタイを、どうか守ってあげてね」
優子のタイツ越しの唇が、いつきの頬にそっと触れた。
その瞬間、胎内の娘が、微かに動いたような気がした。
儀式の終わり、いつきはゆっくりと目を閉じた。
ゼンタイの中、すべてが静かだった。
ただ、鼓動だけが聞こえた。
自分のもの、周囲のもの、そしてまだ生まれぬ鼓動までも。
——この世界は、やわらかく、包まれている。
奉納の翌日、いつきは目覚めた瞬間に、自分の脚を撫でた。
習慣でも無意識でもない。ただ、確認したかったのだ。——“被っているか”どうかを。
スカートの下、今までと同じ80デニールのネイビータイツ。けれど違った。
それが**“何を包み、何を隠し、何を守るか”**を、もう知っている脚だった。
呼吸ひとつ、歩幅ひとつ。脚の曲げ伸ばしで伝わる繊維の伸縮に、思考がついていく。
——ゼンタイでの無音の歩行が、心に染みついている。
通学
駅までの道、制服の裾を揺らしながら、いつきは以前より静かに歩いていた。
ヒール音を立てずに、つま先から着地するように。
かかとを鳴らす子たちの中で、自分の動きだけが“風景の中に沈み込んでいく”感覚。ゼンタイウォークの成果だ。
すれ違う女子生徒たちの脚が、今日も多彩なタイツに包まれている。
けれど、いつきの目にはどこか“開きすぎて”見えた。——自分はもう、外からの視線に属していない。
彼女は“見せる”のではなく、“包まる”側に立っていた。
授業中
国語の授業。眠そうに頬杖をつく生徒たちのなかで、いつきは背筋を伸ばし続けていた。
タイツの張りが姿勢を崩すたびにささやかに警告する。
“美しくあれ。静かにあれ。中身を磨け。”
シャープペンを持つ指先も、ゼンタイでの「手元の所作」が染みついていた。
紙とタイツ地をこすり合わせるような、あの繊細な接触感覚を思い出しながら、ノートに滑らかに文字を綴る。
帰宅後——家族の風景
「ただいま……」
「あっ、いつき姉!」
玄関で待っていたのは、小学三年生の妹・佐々波るな。
この日もお気に入りのグレーの60デニールタイツに、シフォンのワンピース。るなは昔から、姉の服を真似たがる。
「ねえねえ、あの、顔まで被るやつ……本当にやったの?」
「うん……やったよ。奉納式っていうの」
「うわ……すごっ……。苦しくなかった?」
「ううん……逆。なんかね、落ち着くの。静かになる」
そう言いながら、いつきは自室に向かう。
制服を脱ぎ、ソファに座り、静かに**日課になった“ゼンタイリラックス”**の準備を始めた。
引き出しから取り出したのは、部で貸与された練習用ソフトゼンタイ。
ピーチグレージュの薄手、マスク部分は半透明。これを被るのはもはや特別なことではなかった。
呼吸を整え、布を引き上げる。
足元から、太もも、腰、腹部、胸、首、そして——顔。
視界が淡くなり、音が遠のいていく。
世界が、繊維のヴェールで一段階“後ろ”へ引かれる。
そのまま、ベッドにごろんと転がる。
タイツ地に包まれた頬が、枕に擦れる音が心地よい。
ゆっくり目を閉じると、まるで胎内に還ったような安らぎが身体を満たしていった。
しばらくして——。
「お姉、入るよ!」
るながノックもせずに部屋へ入ってきて、目を丸くした。
「……すご。寝る時もタイツなんだ……」
「……これは寝る用じゃないよ。リラックスのやつ。ゼンタイの練習……」
「……私もやってみたい……」
いつきは少し驚いたが、布を少し捲って、微笑んだ。
「……じゃあ今度、練習用の貸してあげる」
「ホント!?」
「うん。でも、被ったら静かにするんだよ。“擦る音”を聞きながら、何も言わないでいるの」
「わかった……! 静かに、スリスリするんでしょ!」
夜。リビングでは母が洗濯物を畳みながら、タイツ類を分けていた。
父は新聞を読みながら「またゼンタイ部か……」と苦笑い。
「でも、ちゃんとやってるんでしょ?変なことじゃないなら、いいんじゃないかな。自分を律するっていうかさ」
「ねーお母さん、私もいつきお姉ちゃんとゼンタイやっていい?」
「ええ……?えーと……お姉ちゃんにちゃんと教えてもらいなさいよ……」
母の声には若干の戸惑いと、しかし確かな興味も混じっていた。
その夜、いつきは日記帳にこう書いた。
「ゼンタイは、学校のことだった。
でも今は、家のことにもなってきた。
わたしの中にある静けさが、布を通して、誰かに伝わってる気がする。
次はるなと一緒に、“スリスリ”してみようかな。」




