ACT.9
7月20日、徳島第一高校は終業式を迎えた。
蝉の声が鳴きはじめ、コンクリートから照り返す光に目が眩むような昼前。
それでも、すべての女子生徒はタイツを穿いていた。
義務だからではない。
——存在の標だから。
佐々波いつきの脚には、45デニールの透け感のあるスモーキーグレーがあった。
合宿後に遥香から渡された、“夏休み向けの布”だ。
「暑い時期には、タイツの『薄さ』を意識しなさい。
それは露出じゃない。“布の輪郭を残すこと”が大事なの」
その言葉を思い出しながら、いつきは駅までの道を歩く。
地面の照り返しは強い。額にうっすらと汗がにじむ。
けれど、スカートの下の布が足を守っていた。
“隠す”ではなく、“触れさせない”という選択。
夏休み初日。
朝からセミがけたたましく鳴いていた。
いつきは、自宅の扇風機の前でタイツの脚を投げ出していた。
るながアイスを食べながら訊ねる。
「お姉、暑くないの?そんなに布ぴたーってなってて」
「暑いよ。でもね……脱ぐと、落ち着かなくなるの。
布がないと、“私が全部見えちゃう”気がして……」
「ふぅん……わたしはまだ、汗かくのやだな〜。
でもね、最近はタイツ穿いたまま寝ても平気になってきたよ!」
るなは得意げにそう言って、膝を軽く叩いた。
ほんの少しずつ、“布と暮らす体”に馴染んできている。
昼過ぎ、優子からメッセージが届いた。
「紗衣が昨日、布を撫でながら笑いました。
まだゼンタイは着せないけれど、“気配”は伝わってるようです」
文面を見て、いつきはスマホを胸に抱いた。
合宿で感じた静けさが、布ではなく日常の温度として今も残っている。
午後、部屋のクーラーをつけず、カーテンを半分だけ閉める。
風はある。汗もにじむ。
けれど、タイツの中にある蒸れですら、“布と共にある季節”を教えてくれる。
ゼンタイほど包まれてはいない。
だが、**脚だけは常に“守られている感覚”**を忘れない。
歩くたび、布が張る。
座るたび、太ももがぴたりとまとわりつく。
その一つひとつが、自分の**“輪郭を確認する儀式”**だった。
夜。
るなが、ひとこと呟いた。
「お姉、あたしも……いつか、1日中ゼンタイ着てみたいなって思ってる。
まだ怖いけど、ちょっとだけ楽しみでもある」
いつきは、風呂上がりの脚に新しいタイツを通しながら答えた。
「そのときは、静かな夜を選んでね。
音が少ないときのほうが、“布の声”が聞こえるから」
夏の始まり。
制服のない日々。校舎のない時間。
それでも脚には布がある。
そして、布の下には、“包まれる前の私”がいる。
いつきの夏は、脱がずに始まった。
ゼンタイ部には、夏休み中も毎週、各自の“被膜活動報告”を提出する義務がある。
ただし、それは競争でも評価でもない。
誰がどんな布に、どんな沈黙を覚えたかを記録するための、内省的な“祈り”のような報告。
そしてその前提には、厳格な一文が添えられていた。
「スカートとレギンスによる代用は禁止。
レギンスは“脚を断片的に隠す”衣であり、ゼンタイ部の精神とは相反する。
私たちは脚だけでなく、空気との境界そのものを布で包む」
【佐々波いつきの活動:「布の記録」】
いつきは、毎日使うタイツを洗い、干し、畳むその所作を一枚ずつ日記に書いていた。
使用した布の種類、色、湿度、脚とどこで張ったか、破れの兆しはあったか。
それを克明に記録する。
ある日の日記より——
「7月26日 薄雲色・60デニール。
太ももの内側、汗でぴたりと吸いついた時間が13時40分〜14時30分。
そこからの乾き方が美しく、内股で冷風にあたった瞬間、
“ここに私がいる”という気配が、布の中で脈打った。」
——これは、布の“詩”だった。
【堂ノ内遥香の活動:「沈黙の録音」】
部長・遥香は、“布と動作の摩擦音”を録音する活動を続けていた。
全身タイツ姿で椅子に座り、立つ。歩く。寝転がる。布が擦れ、張り、沈む。
その音だけを高感度マイクで収集する。
「布は、静けさのなかにだけ音を出す。
私たちは、それを“聞く耳”を持つべきなのよ」
録音データは毎晩、自宅のPCに保存され、“無言の会話”としてアーカイブされていく。
【2年生・鳥越千紗の活動:「触感日記」】
千紗はゼンタイ素材を5種類に分類し、自宅で交互に試着する活動を行っていた。
伸縮率、通気性、肌への圧、汗を吸う速度。
すべてを“触覚”だけで記録する。
日記にはこうある。
「TYPE-B・薄膜ラバー:着用開始から10分後、膝裏に蒸れ発生。
だがそこから先、布と肌が融合したように感じ、むしろ落ち着いた。
暑さではなく“湿り気”が、わたしを包んでくるのだ」
千紗はこの感覚を“夏の密教”と呼んでいた。
【3年生・塔堂みちるの活動:「被膜散歩」】
みちるは外出時も常にゼンタイを内に着用していた。
見た目にはごく普通の長袖ワンピースだが、その下には薄手のゼンタイが常にある。
顔は見えていても、首から爪先まで布に包まれている感覚。
「わたしは“見せている”のではなく、“秘めている”のよ。
布は“隠す”んじゃない。“連れて歩く”の」
風が吹けば、ワンピースのすそが揺れ、内側のゼンタイ布がふくらむ。
それを感じる瞬間、彼女の思考は世界と離れる。
そして、全員に共通していたのは、**「脱ぐことが“無”になることではない」**という認識。
ゼンタイを着ていなくても、自分の輪郭は“内側から包まれている”——
それこそが、ゼンタイ部の真なる活動だった。
最後に、部長からの合宿明け通信。
「この夏、タイツを脱いでも、布はあなたの内にいます。
スカートとレギンスは、“脱いだふり”を作る偽りです。
布とは、着るものではなく“生き方”。
どうか静かに、ゆっくりと、布を忘れずにいてください——遥香」




