『異世界転生してきた勇者』の末裔なんですが。勇者様は怪異や呪術といっしょに来てたようです~役立たずだった最強無敵チートスキル”聖剣の紋章”が初めて役に立ってます~
「『~~以上によって人間と魔族は和平を結び、共和制国家が築かれた。』魔術史学部:ジュリア・アレクサンドリア……学籍番号89C37542……で、できたわ……アステリア、ありがとう……ありがとう……!」
「半分はわたくしとユリウスで書いたものですけれども……単位取れると良いですわね……」
レガティア共和国立魔法大学のサークル棟、十階の角部屋に、私とアステリアはもう三日も籠もっていた。
単位を落とした救済措置のレポートを書き終えて突っ伏すと、ごつん、とアステリアの角が当たる。
立派な角をお持ちの、魔王様の一人娘にレポートを書かせたなんて言うと何かの罪に問われそうだけど、幼馴染の彼女はなんだかんだ付き合ってくれて本当に助かった。
「もう三日もレポート書いてましたし、そろそろ勇者研究会の活動もしたいですわ……」
「ごめんね本当に……これ出したらまた依頼受けるから……」
完全に疲れ切って提出に行こうにも腰が上がらないでいると、部室のドアが開く。
先ほど昼飯を買いに行くと出たイケメン大男が、購買部の袋を両手にぶら下げて戻ってきた。
「ああ、終わったか。飯買ってきたぞ」
「ありがとユリウス~。これ提出してきて~。あたしたち疲れちゃった」
「俺もだが? 散々書かせた上にパシリまでしてやったんだから、自分で行け」
右目に刻まれた紋章を紅く光らせ怒る彼は、勇者研究会の部員のユリウス。
共和国のド田舎から勉強に来た苦学生で、依頼を受けて報酬を受け取るという私達の活動につられて入部してくれた……私のはるか遠い親戚……ということになっている奴だ。
飲み会の席でどうしてお金がほしいのかと聞いたら、義妹のゼノビアちゃん(十歳)と将来結婚するためだと言って私とアステリアを絶句させた変態でもある。顔はめちゃくちゃかっこいいんだけどね。
「分かったってば……その右目怖いんだから止めてよね」
「”勇者の瞳”が怖いとかお前、勇者の一族じゃなくて魔物か何かじゃないか?」
「これでも聖剣の紋章持ってますぅー。次期当主ですぅー」
「んで? それが役に立ったことあるのか?」
本家の私も、当然紋章を持って産まれてきた。
将来の当主として産まれた証、”聖剣の紋章”は、自動修復に自動防御、そして最強の魔法兵器である聖剣の三種を束ねた最強でチートな紋章で……まぁ、平和な現代では全く役に立たないんだけど。風邪引かないくらい? と思い出し、勝手に口がモゴモゴした。
「……平和な世の中って、あたしには生きづらいわ」
「いいから、もうちょっと勉強頑張れよ」
彼はガサガサと袋から食べ物を取り出して机に置いていく。
その中からカレーパンとマンドラゴラサイダーをもらい小銭を渡すと、さっきから黙っているアステリアがすっかり熟睡している事に気づいた。
「アステリア寝てる?」
「どっかの馬鹿に付き合ってろくに寝てないからだろ。静かにしとけ」
そんな彼女にさらっと毛布を掛けるユリウスはあらまぁ本当にイケメンだ。
静かに食べ終えて元気が出てきたところで、提出に行こうと席を立つ。
「じゃ、行ってくるわ」
「おう」
魔導昇降機を降りて外に出れば、ギラギラと夏の日差し。
試験が終わり夏休みに差し掛かったキャンパスは、私のように単位を落とした亡者たちがげっそりとした顔でよろよろ歩く。
「あークッソ。暑い……」
滴る汗をスカーフで拭い歩いてしばらく、魔術史学部の学部棟。
はぁ……しんどい……とため息を付いて、入口の扉を開けた。
「ごきげんよう、ジュリアくん。提出期限の正午まで、あと3分だが?」
「……」
するとそこには半透明の美少年幽霊が、私を睨み手を出した。
黙ってレポートを差し出すと彼はひったくり、ペラっと広げてそれを読んだ。
「内容は悪くない。評価は”可”だな。ただ、アステリアくんの魔力痕が残ってるぞ」
「手伝ってもらってただけです」
「はぁ……君ほど馬鹿な勇者の子孫、私は初めて見るのだがね。いや、勇者エルピス本人も結構な馬鹿だったが、先祖返りと言ったところか」
この厭味ったらしい悪霊……もとい、我らがレガ大魔術史学部学部長にして、500年以上も現世に留まる共和国最古の幽霊であらせられるロニアさんは不機嫌そうにため息を付く。
明らかに代筆を見抜かれたのだけど、私の一族の祖……勇者エルピスの友人で建国父の一人でもある本当にえらーい幽霊のこの人は、レポートをさっと丸めると懐にしまった。
「まぁ、いいか。今回は勇者研究会に頼みたいことがあるし」
そして手を叩くと、私の手元に古臭い手鏡が落ちてきた。
「なんですか、これ?」
鏡の表面は完全に曇って、光をぼんやり反射するだけ。
ただ古いだけで何の魔力も感じないな……と、私は不思議に思い何度か翳した。
「共和国博物館から学術調査の依頼があってね。これはその手鏡と一緒に保管されてた紙だが……」
続けてぺらっと、墨で書かれたものが目に入る。
なんだか実家に置いてあった古文書で見たような、たぶん文字だと思われるものだけど……。
ロニアさんがさっぱり分からないと言うし、なんだろう?
『禁后』とだけ書かれた紙に、私は首を傾げた。
「……? えぇと……なんですこれ? 絵では無さそうですけど」
「形状からして……古代の表意文字だろう。どうやら300年ほど前にこの大学内で発見されて、博物館に所蔵されたらしい。その後誰も調べなかった理由も分からんとのことで、私に回されてきた」
「何もわかんないんじゃないですか。手がかりも……ん?」
ぱちっ。と一瞬だけ、鏡から魔力? が出た気がした。
私に当たってすぐ弾けたと思うのだけど、ロニアさんは気づいていないようだ。
「ロニアさん、なんか今魔力出ませんでした?」
「いいや? 私は何も見えなかったし、痕跡もないね」
うーん、気のせいだろうか。言われてみれば魔力じゃないかもだし……静電気かしら。
「とにかく、国家公認の学術調査だからな。別に”分からないということが分かった”で構わないから、一週間後に報告しなさい。バイト代は1人日給2万アルバ出してやるから、勇者研究会のあと二人も手伝ってくれるだろ」
随分割の良いアルバイトだし、ユリウスはたしかに喜びそうねぇ。
アステリアも……確かに手がかりは一切ないけれど、こういう変な依頼は好きだろうな。
「うーん。分かりましたけど……せめて、最初に何をすればいいかくらいのヒントは……」
「うーん。一切詳細が分からんのよなぁ。ただ、発見された場所は……そう、ちょうど今、サークル棟がある場所だな」
じゃあ、そこから調査していこうか。と、私は勇者研究会の部室に帰ることにした。
――
「ジュリア遅いですわね? あ、それチェックですわ」
「どうせ怒られてるんだろ。昼に購買行った時、ロニア学部長が機嫌悪そうにしてたからな……すまん、一手戻していいか?」
「うふふ。ユリウス、三手前に詰んでましたわよ」
部室に帰ると、二人が仲良くボードゲームをやっていた。
バツが悪そうに降参だと手を挙げたユリウスの背中の向こうで、アステリアが手を振った。
「あら、おかえりなさいジュリア。レポートどうでした?」
「可ですって。まぁ無事に単位取れたので、活動再開というわけで」
二人が挑んでいた盤面を腕で押しのけ、さっき受け取った鏡と紙を置く。
不思議な鏡を翳したアステリアは目を輝かせ、ユリウスはしかめっ面で紙を見る。
私も、なんだか久しぶりの活動に感じてワクワクしてきた。
「わぁはぁぁぁ!! なんでしょうこの鏡、良からぬものを感じますわぁぁぁ!!」
「おい、この紙、めちゃくちゃ嫌な予感するぞ」
ただほんとこの二人、私と違って優秀なんだよなぁ。
なんて、自分の勘の鈍さに悲しくなっていると、右目を紅く光らせたユリウスがぶつぶつ言った。
「はぁ……お前とんでもないもん寄越したな? この紙に書かれているものは人間の名前で……いや、これはもう人間ではなく……別の……マズイな。これ、魔法じゃない……禁術?……くっそ、勇者の瞳も便利なばっかじゃねぇな……」
「あ、あんた、どうしたのよ?」
「ユリウス!! これを!!」
彼は自分の顔を両手で覆うと爪を立て……ガリガリと掻き毟り血が滴る。
感じたことのない恐怖に身がすくむ私の横から、アステリアが指輪を外してぶん投げた。
真っ白な宝石がこつんと当たった途端に漆黒に染まり砕け散り、彼の身体も崩れ落ちる。
本当に嫌な予感がしたので、私は直感的に右手を翳し……虚空から聖剣を引き抜いた。
「……あたしやロニアさんが見た時は、あんな事にならなかったけど」
「あの紙、どうやら読むことがトリガーになっている魔法ですわ。来ますわよ」
倒れ伏した彼の身体から瘴気が染み出し、瘴気の中から何か幽霊のような、いやもっと実体のある魔獣のような影が蠢いた。
ほんっとうに気色の悪い肉塊がボコボコと沸騰し、チグハグな手足が何十本も生えた半身を持つ女のようなバケモノが少しずつ、少しずつ這い出てくる。
「ちなみにユリウスは?」
「あの魔獣、いや正確には元人間でしょうか? アレに魔力を食われただけですわ。全身食われるところでしたが、魂の指輪が身代わりになったようですし」
魂の指輪……確かとんでもなく高価な魔石に超一流の魔法使いが何ヶ月も魔力を込めて作る……なんて、そんな事はどうでもいい。
とりあえずユリウスが無事のようなので、心底ホッとした。
「魔力を食ったって……さっきユリウスは魔法じゃないって言ってなかった?」
「”呪術”の方でしょう。いやぁ……禁術指定されて以来の伝説、研究すら許されないものを見られるとは……本当に勇者研究会やってて良かったですわねぇ」
人の命を用いる魔法、伝説の”呪術”に関して、今や扱えるものは存在しない。
私もそうだし、目がキラキラと輝くアステリアもそうだ。
しかし眼の前のバケモノから感じる魔力は明らかに異質で、伝説上の呪術だと思い知らせてきた。
「んでどう? 倒せるやつかしら? あたし的には全然行けそう」
「わたくし的にも、全然大したことは無さそうに見えますわね」
こんな時のために、小さい頃から無駄に剣術だの戦闘魔術だのやらされてたんだなぁ。でも、ちょっとがっかり。だとは思う。
聖剣を構える勇者の横に、魔杖を構える魔王がいれば、大抵の敵は余裕でしょ。
「相手が悪かったと思って貰って」
「フクロにしてやりましてよ!!」
アステリアの放つ、燃え盛る黒炎が魔獣を包み、私は一息で首を狙う。
鋼鉄だろうが幽霊だろうがバターのように切り裂く光の刃が走り、防御に腕を翳した魔獣の腕ごと斬り進む。
確かな手応えを感じたその時、何か異常に硬いものに弾かれた。
「ッッッ!? あんま効いてないわね!?」
「物理的には強いと……ふむふむなるほど? わたくしの好奇心、通用するかしら?」
飛び退る私に代わり、アステリアが黒炎の縄を操る。
それが魔獣に絡みつき大きく燃え上がると、天井の消火装置が唸りを上げて水魔法をばらまき……あ、そうだここ部室だった。
「ちょっとアステリア、やりすぎだって!!」
「結構怒られますわねこれ!?」
降り注ぐ水魔法に、反省文や罰金の心配をして注意がそれた瞬間だった。
”縺?◆縺?シ√??縺ゅ▽縺?シ!?”
魔獣が意味不明な悲鳴を上げて、急にキョロキョロと見回し無数の腕で何かを探すように、そこらじゅうを殴りだす。
「……マズイやつね」
危害を加えたはずの私を見ていない。ただごとではないとの直感で、聖剣を振りかざす。
何かわからないけれど、今ここで斬らないといけない。
腕を足を切り裂き、女の髪をわずかにぶった切った時、醜く膨れ上がった顔に覗く鋭い目。
”…………”
一瞬見つめ合い、背筋に悪寒が走る。
鏡のように光る銀色の瞳を見つめた瞬間、意識が遠くなった。
◆◆
鏡の前で、少女が一人祈っている。
傍らには無数の骨、足元には夥しい血。
「な、なにここ……あ、あんた誰……?」
一心不乱に何かをつぶやく彼女の周りを、やがて大勢の人間が取り囲んでいた。
”パンドラさま!! 我々を楽園に!!”
”パンドラさま!! どうかお救いください!!”
彼らは涙を流し口々に叫ぶと、パンドラさまと呼ばれた少女を殴りつける。
そのたびに少女は倒れ、うずくまり、血を流し、それでもなお立ち上がる。
”ありがとうございます!!”
”ありがとうございます!!”
”ありがとうございます!!”
感謝の言葉を叫びながら。
殴る、蹴る、ひっかく、噛みつく……暴力をふるい続ける彼らがあまりに異様で、しばらくあっけにとられていたのだけど。
「……や、やめなさいよ!! あんたら!!」
酷すぎる。あんな小さな子を。
身体が勝手に動くままに人間たちを殴り飛ばし押しのけて、少女を抱き締めた。
「あなた、大丈夫?」
治癒の魔法を唱え、暖かい光が少女を包む。
ただ一向に治る気配がしない不自然に曲がった腕、殴られ膨れ上がった顔はそのまま、彼女はたどたどしく喋った。
「お、おねえちゃん……」
泣き出しそうに溢れる涙を彼女は拭い、一度深呼吸をすると今度はハッキリ喋る。
「私を助けないで。皆を連れて行かなきゃいけないの」
その声、その瞳は真剣そのもの。
ただ小さな女の子がするにはあまりにも痛々しい決意に息を呑んだ。
◆◆
「はっ!?」
起き上がってあたりを見回すと、大学医務室のベッドの上だった。
隣では死んだように眠るユリウスと、真剣に話し合うアステリアとロニアさんがいる。
とりあえず懐中時計を開けば真夜中、半日は寝ていたのかと理解した。
「良かった……起きましたのね。先程は、申し訳ありません」
「おいおい、アステリアくんが謝る必要はないんだが……完全に私のやらかしだからな……」
涙を貯めるアステリアの横で、ロニアさんがバツが悪そうに頬を掻く。
そして『禁后』と書かれた紙、ずぶ濡れになって乾燥させたあとのあるそれを取り出し、そっと指さした。
「うげっ!? そ、その紙って……ユリウスが……」
「それは魔獣を呼び出す呪文に過ぎないのだろ。君が寝てる間にアステリアくんとも実験したが、これ自体はなんでもないものだ……はぁ……」
何度もため息を付いたロニアさんとアステリアは何度か目配せをして、本当に言いづらそうに言葉を続ける。
「ジュリアが倒れたあと、あの魔獣が手鏡の中に入っていったんですのよ。捕まえようとしたんですが間に合わず……それで……」
「うむ。手鏡に消えたあとすぐ、サークル棟の鏡という鏡全部から魔獣が現れたそうだ。夏休みで良かったっちゃあ良かったんだが……学生が十名ほど鏡の中に”連れて行かれた”」
「残ってた人たちと協力して、逃がせる人は逃がしたのですが……」
トイレやシャワー室やらからワラワラと這い出てくるバケモノを想像して、地獄絵図だと頭痛がする。
しかし、”連れて行かれた”と聞いて、『禁后』と書かれた紙をもう一度見て、気づいたことがある。
「……名前!! そう、名前だわ!!」
「名前? ユリウスくんが気を失う前、なにか言ってたそうだが」
「パンドラって読むのよそれ!!」
さっきまで見ていた夢と、今日の出来事が繋がった。
鏡の中……つまり楽園に連れて行くのだと言い切った少女の顔が頭に浮かぶ。
魔獣はきっとあの女の子なんだと思わず叫ぶと、隣のベッドからユリウスの声がした。
「……合ってる。俺が読んだから……いや呼んだから、あの子を苦しめてしまったのか」
「あの子? ねぇユリウス、やっぱりあんたも女の子を見たのよね?」
「ゼノビアと同じくらいの子だった。ロニア学部長、これが禁術で合ってますか?」
真っ青な顔をした彼は水を飲むと、ロニアさんを呼んだ。
そして二人で目を合わせて、勇者の瞳が真紅にきらめく。
勇者の瞳の便利な能力、記憶の転写を受け取って、ロニアさんは渋い顔をした。
「ふむ。無数の魂が傷つけ合い、苦痛によって力を増幅する蠱毒……中心がその子……鏡に映すことで増殖するのか……そうだね。性質的には”呪術”だ。これの術者は最悪だな……これほど強力な術者でありながら、大勢の命を自分のために使おうなどと……」
そして術の分析を行い、腕を組んで考え込むと、私達三人を順々に指さしていく。
「医務室には結界が施してある。共和国軍から応援を呼ぶから、君たち学生は大人しくしていたまえ」
見た目はただの美少年だと言うのに、500年も生きた大幽霊のロニアさんは落ち着いた声で告げた。
正直ここまで関わらせておいて、急に子供扱いされるのも腹が立つなと反論しようとした時、ユリウスが口を挟んだ。
「俺が解き放った呪術で学生が消えて、女の子が苦しんでるっていうのに寝ていろってんですか?」
彼の顔は凛々しく、まさに勇者ってこんな感じだろうな。ただこいつがロリコンなのを除けば、本当に格好いいとは思うのだけど。
なんて感心するべきか呆れるべきか迷ったところで、私にもやらなきゃいけないことがある。
「あたしも……あの女の子を助けなきゃいけないんで」
あの子は泣きながら『助けないで』と言ったのだから。
呪術によって縛り付けられて、何百年も苦しんでいたのだろうから……。
「君たちねぇ。エルピスの血筋は皆、誰かを助けたいだとか……同じようなことを言うなぁ」
ロニアさんは私とユリウスの目をそれぞれ見つめ、根負けしたとばかりに嘆く。
アステリアはどうだろうとふと見れば、彼女はロニアさんを説得することなど考えていなかったようで、魔杖を振って魔法の地図を描き、もう既に話を進める準備をしていた。
「あ、学部長の説得終わりましたの? あの魔獣のお名前が分かったので、既に探知魔法の方を勧めておりましたわ。サークル棟にワラワラと歩いている影が気持ち悪いくらいたくさんおりまして」
サークル棟の立体地図に魔獣のミニチュアがわさわさ動き回っているのが見える。
うわぁ……虫みたいでグロい…とげっそりしたけれど、ひときわ大きい魔獣が一体、地下のところでじっと動かずにいた。
それから目が離せなくなっていると、彼女は早口で続ける。
「お気づきになりました? 地下で動かずじっとしているのがいますわよね。これが本体か、もしくは本体をここで守っているのか。気になりません? 突き止めてみたくありません?」
マイペースに進める彼女はどんどん頬を紅く染め、本当に楽しそうなのに正直ドン引きした。
連れて行かれた学生たちのことなどもうどうでもいいというように、好奇心を思いっきり漏らしてキャッキャとはしゃいでいる。
――流石にちょっと空気読めてなさすぎるかなって――
そう思いロニアさんを見てみると、ぎりぎりと歯ぎしりをしていた。
「アステリアくん、君は本当に当代魔王にそっくりだねぇ!! 我が校の歴史上最強最悪の大問題児だった、あの悪名高き光輝なる災厄くんとね!! 名前も似てると思ったら全部!! 生き写しだよ君は!!」
「うふふ、光栄ですわ学部長」
アレクシア様の伝説は聞いたことあるけど……ロニアさん、これは本気で怒ってもいいやつだと思います。
そう心の中で同情していると、ぷりぷり怒った美少年幽霊は背を向けて歩き出した。
「ふん!! 軍の封印部隊が来たら、君たちに構わず封印作業に入るからな!! せいぜい私みたいに死なないよう、注意することだね!!」
捨て台詞を見送った私達は顔を見合わせ頷きあって、ささっと話をまとめる。
目標はサークル棟地下、呪術の魔獣……パンドラちゃんの、本体だ。
きっと連れて行かれた学生たちも一緒にいるはずだろうと、立体地図に印をつけた。
「ユリウス。寝てたから元気よね?」
「そりゃな」
「アステリア。今度はサークル棟ぶっ壊してでも終わらせるわよ」
「もちろんですわ」
「っしゃ行くわよ!! 調査再開!!」
勢いよくベッドから立ち上がり聖剣を抜き放ち、大急ぎでサークル棟に走る。
――
戻ってみればいつものサークル棟……なんてことはまったくなかった。
宿直の幽霊教授たちが結界魔法を投げつけて、外へ出ていこうとする魔獣たちを押し止める。
私達三人はこっそりひっそり透明呪文を唱えてすり抜け、地下一階まで侵入していた。
「本体と思われる場所は、ここの真下……地下二階部分ですわ。先程から動きがありません」
アステリアが開いた手のひらから魔法の地図を現し、印をつけたところから動いていないと確認する。
ただ下に向かおうとしたところで、階段もなければ魔導昇降機にも↓のボタンがない。
たしかによく思い出してみれば、このサークル棟って……?
「地下って一階しかなくない?」
それを聞くとアステリアは固まって、ただユリウスはぼそっと身体強化の呪文を呟き、魔導昇降機のドアを蹴りつけた。
すっ飛んだドアが遥か深くに落ちていき、やがて大きな音が響く。
「どうやら、ここより下は存在するようだな。降りてみるか」
「やるじゃんユリウス。先行くわ」
ひょいっと飛び降り着地して、安全を確認し明かりを灯す。
魔法の光に照らされて、古びた扉が見えた。
「あったわー!! ふたりともー!!」
私の声に二人も降りてきて、アステリアが扉に書かれた文字を読む。
「『考古省調査済・異常なし』共和国歴184年7月18日。320年前の日付で、担当官のサインもありますわ。この扉自体は封印とかではないみたいですし……開けちゃいましょう」
そして扉に杖を当てると、ギィと音を立てて動く。
聖剣を握る手に、じんわりと汗を感じる。猛烈な寒気が吹き抜け、呪術の本体が姿を表す。
夢で見たように、あの女の子の魔獣が鏡の前でじっと祈りを捧げていた。
「……ユリウス。パンドラちゃんはどう見える?」
「魔力に揺らぎがない。受肉し、完全に安定したように見えるな」
「連れて行かれた人は?」
「まだ生きてる。魂も微かに繋がっているから、適切な治療をすれば問題ない。30分は余裕がある」
彼はぐいっと革手袋をして、拳にキスをする。
あー、それゼノビアちゃんからの誕生日プレゼントだっけ。とか気持ち悪さを覚えたところで、勢いよく湧き上がった魔力が甲冑を作り、全身鎧の槍騎士が姿を現した。
「実家に鎧の置物置いてあるけどさ、そのデザインはダサくない?」
「男心を分かってないなお前は。騎士ってのはかっこいいんだ」
その時、パンドラちゃんの首がぐるんと振り向き私達をじっくりと見て、静かにすぅっと手を挙げた。
すると天井から次々と……少し小さな同じ姿の魔獣たちが降ってきた。
「アステリア!! 学生たちを保護して!!」
「彼らの身体は闇の衣で包んでおりますわ。聖剣の直撃でもなければ傷一つつきません」
「じゃあ、30分以内に!! 全員救うわ!!」
「パンドラちゃんも含めて、でしたわよね?」
彼女は飛びかかってくる魔獣たちをものともせずに、軽やかに杖を振る。
両の頬と額にも作り出された合わせて四つの口が、炎、風、水、土と四種の呪文を同時に歌う。
「四重奏。最初からかっ飛ばしていきましてよ!!」
反発し合う四大元素の大爆発。ちぎれ飛ぶ魔獣の血が降り注ぐのを背に、私とユリウスが走る。
まばゆい光に目が眩んだ分体を斬り捨て、突き飛ばし、パンドラちゃんの本体へとひた走る。
「多すぎだろ!! ジュリア、後ろ!!」
「その通りねぇ!! ユリウス、足元!!」
彼の槍が私の後ろを貫き、私の剣が彼の足元を抉る。
生まれつき完全に息が合っているから、こいつと一緒に戦うのは安心する。
アイコンタクトで背中を合わせパンドラちゃんに向き合うと、背中越しに彼が言う。
「行け。すぐ追いつく」
「りょーかい。よろしく」
短く言葉を交わし、私を見下ろし続けるパンドラちゃんに歩みを進める。
……一歩近づくたびに、彼女の過去の痛みが染み込んできた。
「……ねえ、聞いて。パンドラちゃん」
私の左腕が、不自然な方向にねじ曲がった。
傷を自動で修復するはずの”聖剣の紋章”は何も言わず、凄まじい痛みに唇が歪む。
「幻覚でしょ? あなた、こんな痛みに耐えていたのね。本当に、辛かったと思うわ」
”……痛くない”
返事があったと思ったら、後頭部を殴られたように鈍痛が走る。
ああ、私ったら基本的に無敵で良かった。なんて祖先に感謝をしつつ、足を進めた。
「嘘をつかないで。あなたが痛いと思っていたから、あたしにぶつけてるんでしょう?」
”私は皆を楽園に連れて行くの。だから、これは幸せなの”
今度は腹だ。肋骨が折れたとか言うやつだろう、息ができない。
だけど、私は歩くのをやめるつもりはない。
「本気で幸せな記憶だと思ってたら、あたしを攻撃するのに使わないはずだわ。お願い、一度だけでいいから、きちんと話を聞いてくれる?」
”……来ないで。おねえちゃんは優しくしてくれたから、連れて行きたくない……”
右目が潰れたが、この呪術を掛けた術者に本気で腹が立っているから、私は絶対に負けてやらない。
こんな子供を虐待して、こんな醜い魔獣にして、楽園に連れて行くだのデタラメを吹き込んで……。
出てこい、ぶった斬ってやる。
「……誰に言われて、あなたはそんな事をしているの?」
怒りを隠して聞くと、パンドラちゃんはちらっと一瞬だけ、祈りを捧げていた鏡台を見て言った。
”お、おかあさん……”
怯えた声で母親と言うのを聞いて、驚きよりも怒りが勝ったと思う。
みなぎる力とともにいつの間にか幻覚のダメージが消えて……ユリウスの右目で見てるみたいに、鏡台に置かれた一枚の鏡に、呪術の本質が見えた。
”おかあさんは、皆のためを思っていたんです!! 私が皆の希望だって!! そこは楽園だって!!”
閉じ込められた何百人もの人間が絡み合い泣き叫び、助けを求めてもがき苦しむ。
そんな光景が楽園だなんて、この子が思っているわけがないじゃないの……。
「……嘘なのは分かってるんでしょ? それ……」
”……っ!! でも、でもおかあさんが、私を、私を初めて見てくれたから!! パンドラっていう、名前もくれたから!! 私は!! 私は頑張ったの!!”
孤独な少女がたった一人で護り続けてきた母親との絆を、私はこれから引きちぎる。
だから涙を流し叫ぶ彼女から目を背けずに、背中で感じた親友たちに聞く。
なんというかまぁ、見事に全部倒して来てくれたみたいだ。
「……ユリウス、アステリア。あれ、どう思う?」
「鏡台が呪術の本体で間違いない、あの子は番人にさせられたんだろう……術者は、もういない……楽にしてやってくれ」
「恐らく、”おかあさん”にとって邪魔な人間を殺害する装置だったのでしょう。”禁后”という紙は、鏡台の番人である彼女を呼ぶためのものだと推測しますわ。……そしてユリウスの言う通り、あの子はもう……どうにもなりません」
「二人共、ありがと」
二人分の冷静な意見を聞いて、直感に従うままにパンドラちゃんを押しのける。
自分の存在が揺らいだ彼女はしぼんでいって、ただの少女に戻っていた。
「名前をもらった、って言ったわよね。じゃあ、本当のお名前は?」
偽りの名前で縛られた彼女の本当の名前を呼んで、ただの少女の魂に戻そう。
縛られた楽園の番人ではなく、どこにでもいる普通の子どもとして送ろう。
そう思いを込めて尋ねると、彼女は指を震わせた。
”わからない……けど、そこ……”
忌々しい鏡台の引き出しを指し、少女が私に言う。
その引き出しを力ずくで破壊し、そこに書かれた一枚の紙の、本当の名前を大声で叫んだ。
――
「痛い……痛いよぉ……マジでこんな痛いの産まれて初めてなんだけど……」
「聖剣の紋章は魂へのダメージは修復しないからな。基本的に無敵と言っても限度がある。ただ……パンドラちゃんについては、ああいうやり方で良かったと思うぞ」
「生前の痛みを全部分かち合い、説得で消滅させる……実に勇者っぽい戦いでしたわ。でも、ここまで魂をボッコボコにされたとなると、無理しすぎでしてよ」
そのままぶっ倒れたらしい私は二人に運ばれて丸々二日経ったそうで、今は医務室で寝込んでいた。
ユリウスがシャリシャリとりんごを剥いて、サクサク切って並べていく。
几帳面に並べられた皿を差し出し、彼は微笑んだ。
「ま、今回は倒れてて正解だな。俺らはさっきまで事情聴取されてたから」
「面倒でしたわよねぇ……禁術だからって根掘り葉掘りと!! せっかく分析してまとめた研究ノートまで没収されましたし!!」
私が取るより先にアステリアが一個つまみ、もぐもぐと食べながら不満を語る。
あれ、よく見ると角が欠けてるけど……この間の戦闘でかな。
「ん? ああ、角でしょう? ……つい先程、お母様にぶん殴られただけですの」
ああ……そういう……って、アステリアのお母様が来てるということは!!
なんて背筋が冷え切った瞬間、医務室のドアが吹き飛んだ。
「ヴァァァカ娘が!! その歳で禁術に触れるなどと……!! お前は次期当主で……!! 大統領に、共和国政府に借りを作り……!! 聖剣の紋章を良いように利用され……!! エルピス様に合わせる顔がない……!!」
現当主のグンナルお祖父様にフガフガ怒鳴られて、文字通り縮こまった気持ちになっていく。
説教の中身まで聞く気はないけど……本当に怖いのよね……お祖父様ったら……。
そんな調子で怒鳴り続けられて十分程経ったころ、ユリウスがお祖父様の腕を掴んだ。
「……当主様。その辺で」
「ワシを誰だと思ってる若造!! ……いや貴様、その右目は……そうか」
「分家の者ですが、非礼をお詫びいたします。ですが、ジュリアは多くの魂を救いましたので、どうかお許しを」
「分家の……ふむ、それならいい。ジュリア、今回は仕送り三ヶ月没収で許してやる。せいぜい自分で稼ぐんだな」
当然ユリウスの出自を知っているお祖父様は悲しそうな目で彼を見て、私に罰を残して去っていく。
……あーやだやだ。余計なこと言われなくてよかった。ありがと、ユリウス。
「はぁ……当主様、ほんと分家に冷たいんだな。名乗らせてすら貰えなかった」
「……そうね」
ほんとは違う。とフォローしたいのだけど、彼には教えられない。
だから適当にはぐらかして、話題を変えた。
「んで? ロニアさんは?」
「ああ、すぐ来るって……うわでた」
我らが学部長はどうなったんだろ? と尋ねると、よろよろとロニアさんが入ってくる。
幽霊だってのにやつれた顔をして、ふわっと椅子に腰掛けた。
「私は怒らんよ。さっきまでこってりと……学内の禁術を放置した責任を問われて来たからね。全く返す言葉もない失態とは、いくら長生きしても骨身にしみるものだね。骨も身もないけれど……ははっ」
お寒い幽霊ジョークを飛ばすほど参っているご様子で、アステリアがまだシャクシャク食べているりんごの群れから一個手に取り口に放り込む。
食べられるんだ……。なんて思っていると、疲れた声で話を続けた。
「聞きたいことが山ほどある、というのは分かるので……まずはさっき君たちが倒した禁術の正体から行こう。あれを”呪術”と名付けたのは私だが、異世界から来た”何か”だ。魔法じゃあない」
以前、嘘をついて悪かったね。とロニアさんは言う。
すると私達の頭に ? が浮かび、シャクシャクという咀嚼音も止まる。
ゴクリとりんごを飲み込んだアステリアが、その静寂を破った。
「異世界? わたくしが禁術について調べた限りでは、ただ伝説の失われた術式を以て、生命を賭した魔法だと……?」
「”呪術”は失われたんじゃあない。この世界には元々存在すらしないし、どう足掻いても再現できないものだ。あの”禁后”という文字が勇者の瞳で読めたのが答えであり、聖剣で斬れたのも答えだ。本当にアレが何かは分からん」
ロニアさんはそう言い切り、私とユリウスをそれぞれ指差す。
そして……私達にとって初耳な話を、サラッと言った。
「呪術から産まれたものは”怪異”と名付けた。あれらは勇者エルピスが異世界から来たあの日”ともに来たもの”で……元々異世界の力である勇者の力なら通用するものだ」
「……あたしのご先祖が……? 異世界から来た……?」
あまりに驚き聞き返す。
すると500年以上も昔どこからともなく現れた勇者について、実際に見てきたロニアさんが続けた。
「そうそう。中古書店のトラックに轢かれて転生してきたと、酔っ払うたび言っていてね。この大学だって、彼の母校のハチオウジとかいう、山の中にあるキャンパスをモデルにしたものだ。彼の異世界話はとても面白くてねぇ……」
本当に懐かしそうに、楽しそうに脱線したまま語る横顔は、全くもって疑いようがなかった。
だからもう、本当なんだと聞き入れることにしたし、詳しい話はお祖父様に聞いておこう。
ただ思い出話と違うところに疑問が浮かんだので、ついつい手が上がった。
「……すいませんロニアさん、懐かしんでるとこ悪いんですけど。勇者と関係ないアステリアは、なんで魔法を当てられたんですか……?」
爆破してたよね? なんて思い出して彼女を見てみると、思いっきり顔を背けていた。
そういえばさっき禁術の研究ノートがどうたらとか言ってたけれど、その関係かしら? いや、この感じは違うな。アステリアが小さい頃から、怒られてるときはいつもこうやってそっぽを向くし。
「アステリアくんの持っている魔杖はエルピスを殺すため、初代魔王が異世界の素材を加工して作った特別製でね。大ざっぱに言えば、異世界から来たものにも、こちらの魔法が効くようになる。母君から勝手に拝借していた……とまでは知らなかったが」
ああ、そう……家宝とか持ち出したんだ……。
まぁ、いつかはやると思ってたなと彼女を見ると、顔を真赤にして怒鳴る。
「だから角を折られたんですの!! もう良いでしょう学部長!! お話の続きを!!」
私もロニアさんもユリウスもため息をついて、今度は禁術に触れた私達の今後の話だ。
「じゃあ次に、君たちの処分についてだ。色々な方々と検討を重ねた結果……あ、この紙読んでくよ」
何枚か束ねられた紙に、共和国の大統領のサイン。勇者と魔王という、人間と魔族の名家より上の……共和国を治めるトップのサイン入り書類って、あれ? 結構ヤバくない?
そう、顔がひきつるのを感じた。
「貴殿ら勇者研究会の活動は、共和国に対して有益である。とみなし、今後も活動を許可する」
あーよかった。と、ホッとしつつも話は続く。
「ただし。今後はレガティア大学公認のもと、卒業までの間国家への勤労奉仕をすること」
「……勤労奉仕?」
今度はユリウスが眉間にシワを寄せて聞き返す。
ああ、タダ働きとか絶対嫌がるもんなぁ。そういえばバイト代のこと言ってなかった気もするし、あとでお金だけ渡そ。
「要は呪術によって産まれた怪異の駆除を手伝えってことだな。タダ働きにするつもりはないから安心してくれ」
「それなら……納得しておきます」
渋い顔で引き下がった彼はぶつぶつと、いくら貰うとか数字をつぶやいて……家計簿の計算でもしてんのかな。
「良かったじゃんユリウス。政府公認なら、バイト代も弾んでくれるでしょ」
「どうだか。学生ボランティアってのは、報酬が少ないのがお決まりみたいなもんだ」
「知的好奇心が最大の報酬でしてよ?」
「……アステリア。それは多分君だけだな」
とはいえ特に処分もなく、今後も好きにして良い。
そういうことだと理解して本当にホッとしていると、ロニアさんが一瞬だけ意地悪そうな顔をして、棒読みで書類を読み上げた。
「最後に。貴殿らは禁術について真実を知ったため、その身柄は共和国政府の管理下にあり、原則として勤労奉仕の拒否を許さず、見聞きしたあらゆる情報において守秘義務を課す。以上終わり」
「え、さっきロニアさんが勝手に喋りましたよね? 異世界の話……」
「大人って狡いよな。私も政府の人間だから言うが、これはそういう罠なんだよ。勇者や魔王の一族を良いように使えるなんて、滅多にない機会だからね」
「ま、まさか最初から? あの依頼自体が?」
「そっちは本当に偶然だから、私だって減給30%を3年も食らったんだ。そこは許してくれ」
「んなっ!! だからって!!」
話疲れたから帰る。とだけ言い残し、幽霊らしくすっと消えていく。
アステリアは苦笑して、ユリウスは頭を抱える。
「や、やられた……それでお祖父様が怒ってたんだ……」
私は、本来政府とは距離を置いている勇者の一族、アレクサンドリア家が激怒した理由を理解して、ベッドに倒れ込むしか出来なかった。
――
それから一週間ほど退屈な入院生活を送り、今日は退院祝いということで居酒屋に来ていた。
レガ大近所にある学生御用達、全商品290アルバの格安居酒屋は、今日もギャーギャーと騒ぐどっかのサークルで賑わっている。
「……はぁ……呪術だか怪異だか知らんがぁぁぁ……俺はこんな事をするために大学に来たのではなーいー……」
「卒業したら国家公務員の採用確実よ? 給料もいいじゃん」
お花摘みに行ったアステリアはさておき、ユリウスがビール片手にくだを巻く。
なんか珍しくハイペースで飲んでいて、もう5杯目くらいだった気もする。
「前に言ったろ……俺はゼノビアと結婚して、グレンデル湖の畔に一軒家を……釣りをして、ギターを引いて、質素だけど愛のある生活を……子供はそうだな……10人は欲しい……うぉえっ!!」
「きっしょ。まぁあんただって勇者の一族なんだから諦めなさいよねー」
適当に会話しながら彼の人生設計を聞いている。いやほんとロリコンなのが気持ち悪いけど、ゼノビアちゃん……会ったことはないけど可愛いんだろうなぁ。
なんて、自動修復のせいでそんなに酔えない私は、工業用アルコールの味がすると評判の焼酎をボトルが空くまで飲んでやっと、ほろっとした酔いを感じていた。
「んぐっ……!! 俺は!! ド田舎の!! 分家の分家の!! 当主様だって知らないような!! 誰が勇者の一族だっ……うぉぇっ……トイレ……」
気分も良くなってきた頃、ユリウスが愚痴ではないものまで吐きかけて席を立つ。
あーあ、超絶イケメンのくせにコンプレックス抱えて……あたしのせいで、ごめんね。
その背中を見送って、私も口が僅かに滑った。
「……あたしの双子の弟、でしょ。ったく、なーんで気づかないんだか」
双子の災いから私達姉弟を守るために、父と母はユリウスを手放した。
だから私はきっと、娘を自分のために永遠に縛り付けたパンドラちゃんの母親を、絶対に許せないと思ったんだろうな。
「ユリウスとすれ違いましたけれど、彼ったら潰れちゃいましたの?」
「吐いたら戻ってくるでしょ。ヘーキよヘーキ」
「……しっかし、ほんと感慨深いですわぁ。勇者研究会なんてものを作ったから、名前に結果がついてきたのかしら?」
「そうねぇ。未知の脅威と戦い、少女を救う――なんて、まるで勇者みたいよねぇ」
許せなかっただけだけど、救えたのかな……なんて、しんみり夜は更けていく。
もしこのお話が面白かったと思われましたら、ブックマークや評価を押していただけると嬉しいです!