第x話+1:似て非なる者ども
「うぅ………」
頭が、痛い。
喉が渇いた。
不快な感触に呻きつつ、目を開けて、
「起きたよ、シオン」
「起きたね、アヤメ」
ステアと同じくらいの年頃のメイド服を着た幼女が2人、私を覗き込んでいた。
咄嗟に、闇を纏おうとして。
『3』
「っ!?」
私の耳元で、悍ましい声がそう囁く。
思わず体を硬直させてしまった私の頬を、幼女二人がプニプニとつっつく。
下手に動くわけにもいかず、されるがままになることしばらく、幼女の片割れが、ハッとしたような顔になって。
「アヤメ、ジュジュ兄にホーコクしなきゃ」
「あっ、忘れてた!お兄ちゃ〜ん!!お客さん起きたよ〜!!」
「それじゃ、お客さん。ばはは〜い」
ひまわり色の髪の幼女が大声で叫びながら部屋を飛び出し、感情の読めない無表情のまま手を振った鶯色の髪の幼女が、その後を追って走り出す。
とりあえず部屋を見渡してみるが、特に異常はない……どころか、むしろ帝国貴族の客室にも劣らないような、上質な寝室だった。
天蓋付きのベッドといい、部屋に置かれた細やかな調度品といい、朝日を透かす、丁寧な刺繍の施されたカーテンといい、どこか、神経質なまでのこだわりを感じる。
なんだかワケがわからないまま、ベッドから体を起こして。
ガシャン!!
「………なるほど、こう来ましたか」
私の両手首と首を、銀細工を施された鎖が繋いでいた。
「お兄ちゃんお兄ちゃん!お客さん起きたよ!!」
「綺麗な目の人だった。またジュジュ兄のアイジンさん?」
「ありがとうね、アヤメ。それとシオン、私がいつも愛人を連れてきてるような言い方は辞めてほしいかな?」
「そうですよシオン。お嬢様の愛人はこの私です」
「やめてよリナ。2人の教育にわ」
「かぷっ」
「ひゃあっ!?」
捕獲したクロが起きたという事で、寝かしていた部屋に向かう途中、リナに首を噛まれてしまった。
そのまま抱きすくめに来たリナを、振り払って。
「……ちょっとリナ?急になにするのかな?」
「もちろんナニですが?」
「リナ、ついさっきまで吸血してたでしょ。まだ足りないの?」
「お嬢様があまりにも無防備だったもので」
引き剥がしたリナを問い詰めて、さも当然のように唇を拭うリナ。
………なんだか叱る気も失せてしまった。
「……もう良いけどさ、今日から3日間、吸血禁止ね?」
「そんな殺生な!?酷いですお嬢様、どうかご再考を」
「ダメ」
「………リナお姉ちゃん、私の血飲む?」
「っ、ぜひ」
「大丈夫、アヤメ。それだと罰にならないでしょ?」
「くぅん」
「そんな目で見てもムダ」
「そんなぁ………」
「それと、シオン、アヤメ。悪いけど、今日の朝ご飯はリナと食べてくれるかな?私はお客さんと話さなきゃいけない事があるからさ」
「ブーブー」
「えー」
「ゴメン、埋め合わせは今度するからさ」
「じゃあ一緒に寝て」
「抱っこしたまま本読んで」
「うん、わかった」
欲望に忠実な2人の頭を撫でて、優しく抱きしめ。
「リナ、お願いね?」
「………承知しました、お嬢様」
「………わかった。また今度、血ぃ吸ってあげるから、それでいい?」
「っ、はい!!」
目をキラキラさせながら2人の手を引っ張っていったリナを見送り、廊下の突き当り、封印を施した一室のドアをノックして。
「入るぞ」
「《死》!!」
部屋に入ると同時にそんな声が飛んで、しかし何も起こらなかった。
当たり前だ、俺自身の毛髪と血液を鋳溶かした銀で俺直々に細工した【魔術師殺し】による拘束は、そう簡単に敗れる物じゃない。
ゆっくりと、ドアを閉めて。
「言っておくが、これ以上魔法を使おうとするのはやめておいた方がいいぞ。死にはしないだろうが、死んだほうがマシな目に遭う事になる」
「………」
「そう警戒しないでくれ、別に、取って食おうってわけじゃない、俺はただお話がしたいだけだ。………とりあえずは、朝飯にしようか。アンタ、もう、2日も寝たきりだったからな。腹ァ減ってるだろ?」
険しい目で俺を睨みつけるクロにそう言って、【なんでも収納箱】から机と椅子と食器セットを取り出した。
「気狂い熊のアイリッシュシチューだ。熱いから気をつけろよ?」
あれよあれよと席に着かされ、目の前に配膳された、ホカホカと湯気を立てるビーフシチューっぽいものがなみなみ入ったシチュー皿と、こんがり焼かれた小麦の香ばしい香りを漂わせるフランスパンっぽいものが数切れ置かれたパン皿。
手際よく配膳した長身の女が、私の目の前に、バターナイフと小坪にたっぷり入ったバターを置いた。
ルシアスの空間収納に酷似した謎空間からそれらを取り出した女が、更に取り出したワインボトルから、グラスに赤ワインを注ぐ。
………どうでもいいが、朝から酒を飲むつもりなのだろうか?
「この森に棲んでる気狂い熊は、ただでさえ食料の乏しいアルスシールの冬の中頃から春先………ちょうど今くらいの季節になると、冬眠から目覚めたばかりの生き物をたらふく食って脂肪を蓄え始めて、夏から秋まで掛けて肥えてから冬眠する、変わり種の熊でな。冬眠寸前の時期だと肉が臭くて食えたもんじゃないが、逆に今くらいの脂の乗り具合なら、こうやって煮込むと中々に旨い。なにより酒と合うしな。アンタも飲むか?」
「………私、未成年ですよ?酒を飲むと思いますか?」
「そうか。じゃあ無理に進めても悪いな」
「………」
「………どうした?食べないのか?」
「この状況で毒を警戒しないほど馬鹿じゃありませんので」
「そんな事しねぇよ。だいたい、殺す気ならとっくに殺してるさ。今こうしているのだって、アンタが客人だからなんだぜ?」
「………客人、ですか?」
「ああ。色々と聞き出したいことがあったとはいえ、事実として、俺はアンタを俺の家に招いた。ならば、出来る限りのもてなしをするのが俺のルールだ。………アンタが、俺のお客様でいてくれる限り、な?」
どこか怪物的な笑みを浮かべて言う女は、どうやら嘘をついているようではなかった。
………相手が私を客として扱うと言っているからには、こちらが変な行動をしない限り、手を出される事もないだろう。
諦めて、スプーンを手に取って、シチューを掬って口に運び。
「………美味しい、ですね」
「そうか。それは良かった」
大きめの野菜と肉がたっぷりと入った、ちょっと豪華なシチューだった。
よく煮込まれた野菜と肉の旨味が溶け出したシチューが、胃袋に、心地よいくらいにスッキリと納まっていく。
微かなトマトの酸味とサワークリームの風味が、濃厚な熊肉の味わいをサッパリと纏めていた。
少々お行儀が悪いのを自覚しつつ温かなパンを千切って、シチューを掬って口に運び、柔らかな熊肉を嚙み締める。
ほとんど喋りもせずに、久々のご馳走を、平らげて。
「………ごちそうさまです。久しぶりにちゃんとした食事を食べました」
「お粗末様でした」
手を合わせてそう言って、まんざらでもないような顔で微笑む女。
私の分の三倍くらい入ってた特盛シチューをいつの間にか食べ終えていた女が、ワインを呷って。
「革命軍のレーションはクソまずいからな。アンタも大変だったんじゃないのか?」
「そう、ですね。腐った泥を啜っているような気分でした」
「あいつら、貧乏だからな。そこらの村から略奪して生計を立ててるようなのもいるくらいだし、幹部からして殺した敵の数で決まるような輩だから、そもそもロクな組織じゃねぇ」
ニヤニヤと笑みを浮かべた女がそう言うのを、なんとなく眺め。
「………それで、その、なんというかだな、言いにくいんだが………」
「?どうかしましたか?」
「あ~………いや、その、戦闘中とはいえ、名前をバカにしてすまなかった。許して欲しいとは言わんが、せめて謝らせてくれ」
心底すまなさそうな顔でそういった女が、ペコリと頭を下げた。
………なんというか、少し意外だな。
そういうことを言うタイプに見えなかったから、なおさらに。
「………別にいいですよ。もうあまり怒ってませんし」
「………そうか、そういってもらえるとありがたい。侘びと言っちゃなんだが、気になった事があったら何でも聞いてくれ」
「気になった事、ですか」
「ああ。ちなみに俺の名前はアーカード。吸血鬼のアーカードだ。気軽にあーちゃんとでも呼んで」
「偽名ですか」
「………そうだ。よくわかったな?」
「私、人が嘘ついてるのわかるんです。………それで、本名は?」
「ジュジュ。吸血鬼のジュジュ・ギュスターヴだ」
「………吸血鬼というのは、本当のようですね。にわかには信じがたい話ですが」
「そこは俺の魔法でチョチョイとな。ちなみに俺の魔法は………便宜上、【創造魔法】と呼んでいる。詳細は俺自身も把握しきれていないが、魔法や、魔法を込めた道具を作る魔法だと認識している。この屋敷にある魔道具も、この屋敷を覆う結界も、ついでに言えば俺やリナ………アンタが酷い目に遭わせた青髪の綺麗なメイドさんの義肢も、俺が作った。結構すごいだろ?」
「………それはまた、凄まじいですね」
この女………ジュジュ、なかなかえげつない事をさらっと言いやがった。
発言からして、あのメイドさんが使っていた雷を纏った蹴りや火炎放射は、ほぼ確定でジュジュが作った道具の効果だろう。
火炎放射はまだいいにしても、雷撃はマズすぎる。
【落雷魔法】………風魔法を極めた先にのみ存在する、覚醒魔法を疑似的にとはいえ再現するなど、並大抵の事じゃない。
さっき使った道具や戦闘中に使用していた兵器からして、【空間魔法】、【強化魔法】、【結界魔法】なんかも再現に成功してそうだし、例の蜘蛛みたいな兵器や超火力の銃火器も、この世界の常識から大きく逸脱している。
………というか。
「………貴女、もしかして、転生者ですか?」
「………ってことは、アンタもそうなのか!?」
「ええ、いちお」
「アンタ出身はどこだ!?日本か!?多分日本だよな!?死んだのは何年だ!?何歳の時だった!?死因は!?アンタもこの世界にくる前にアレを見たんだろ!?アレは一体なんだと思う!?神様の類にでもあったりしてないか!?」
「ちょっ、いったん落ち着いてください!!」
「あっ………すまん、取り乱した」
もしかして転生者なのかと思って問いただして、逆に質問攻めにされた。
無駄にいい顔面を押し付けてくるジュジュを引き剥がして、興奮した様子でブツブツと何か独り言を言うジュジュ。
相手が落ち着くまで、しばらく待って。
「………それで、落ち着きましたか?」
「ああ。いや、生きている転生者に遭うのは初めてだったからよ。つい、興奮しちまった」
「それなら良いのですが………待ってください、今、生きている転生者といいましたか?」
「おう。俺が知っている転生者は、御大と先生とアンタだけだ。ちょっと待っててくれ」
そういったジュジュが、空間収納らしき魔法から、なにやら古びた本を2冊取り出し。
「コレだ。ちょっと読んでみてくれ」
「はぁ………」
差し出された本の適当なページを開いて、
「………って、コレ、英語じゃないですか」
本の中身は、崩れたアルファベットで書かれた小説らしきものだった。
………どうやらジュジュは、これで話が通じると思ったらしいが。
「ん、あぁ………確かに、読みにくいわな。ただでさえ文体がクソややこしい人だし」
「いえ、そうじゃなくて、私、英語読めませんよ」
「………?」
「一身上の都合で、高校卒業どころか義務教育すらまともに受けられなかったので」
「あっ………その、すまん」
「謝られるような事じゃありませんよ。………それで、この本がどうかしたんですか?」
「筆者の名前をちょっと見てくれ」
「名前………これ、ですか。え~と………あ、あぶどぅる?」
「アブドゥル・アルハザード。20世紀アメリカを代表する怪奇小説作家の1人、ハワード・フィリップス・ラヴクラフトが幼い頃に使用していたペンネームだ。俺が昔住んでいた屋敷の大図書室に、この小説………『ニャルラトホテプ』が置いてあった。………紛れもなく、ラヴクラフト本人がこの世界に転生していたことの証左だろう。………ちなみに、あくまで俺の見立てだが、何かしらの魔法による保護が掛けられている。数百年、へたすりゃ数千年は前の代物だろうな」
「な、なるほど………」
「ちなみに、この本の著者はビロード色の髪をしていたそうだ。一緒に保存されていた日記に怪物を使役していた話も残っているから、恐らくは俺たちと同じイレギュラーだったんだと思う」
「なるほど………」
………この女、希少魔術師狩りが行われるはるか前の、ノア様がハルだった時よりずっと昔の記録に、自力で辿り着いたのか。
つくづく、危険な人間だ。
「それと、こっちは日本語で書かれているからアンタでも読めると思うぞ?夢野久作の『犬神博士』だ」
「………なるほど?」
「他にもいないか探ってみたが、残念ながら、俺に見つけられたのは、ラヴクラフト御大と夢野久作先生の2人だけだった。………その様子じゃ、アンタも他に、転生者を知ってるんじゃないか?」
「………1人だけ、ですが。もっとも、すでに敵対しているので情報共有はできそうにありませんね」
「………そうか、因業なこったな。異世界に来てまで、はらから同士で殺し合う羽目になるとは」
「私は、そうは思いませんが。私の主の邪魔になるのならば、全てを排除するまでです」
「おお、怖い怖い。………そうか、やっぱアンタ、この国の外から来たのか」
「ええ」
「目的はなんだ?何をしに来た?」
「立場がアベコベです。質問に答えるのはそちらでは?」
「ちぇっ、バレたか」
知っていることを少しだけ話しつつ、問うてきたのを言い返す。
………目の前の怪物のスタンスがわからない以上、下手に内情を話すのはリスクが大きすぎる。
特に厄介なのは、先ほどからスイが一向に反応を示さないことだ。
何があったのかは知らないが、私の意識がない間に、何らかの手段で意思疎通を封じられた可能性が高い。
………一応、私の奥底で微かな反応を感じるので、生きてはいると思うが。
「すまん、だいぶ話が逸れちまったな。それで、何か聞きたいことはあるか?」
「では、単刀直入に伺います。貴女は、何が目的なのですか?」
「ふむ………俺の人生の目的なら、シオンとアヤメ、それとリナの俺たち家族で平和に暮らすことだ。アンタをここに連れてきた目的なら、アンタから情報を得るため、というのが一番正確だろうな」
「情報、ですか」
「ああ。今まで平和に暮らしてきたってのに、いきなり劣等髪が人ん家に侵入して大暴れするわ、メイドをボコボコにするわってなったら、そりゃ普通はキレるだろ?んでもって、アンタが誰かの、それもこの国の外から来た人間の子飼いっぽかったから、こうやって捕獲して、穏便に情報を得ようとしているわけだ」
「穏便に、ですか」
「ああ、穏便に、だ。実際、アンタに口を割らせる方法ならいくらでもあるんだぜ?物理的な拷問だけじゃない、快楽漬けにするなりクスリで頭をパッパラパーにするなり、やり方なんざいくらでもある。わざわざ手荒じゃないやり方を選んでんのは、一重にアンタが外部勢力の尖兵だからだ。アンタの所属勢力、この国に来ている兵力、及びにアンタほどの戦闘能力を持つ人間を従えてる『主』とやらがどれだけ強いのかわからない以上、取れる手段は多いに越したことはない。だから今も、こうやって丁重に扱っているわけだしな」
「………なるほど」
この女、相当以上に頭が回るようだ。
下手に隠したりせず、正直に話した方が良さそうだし、なによりも、決定的な行動を起こすには、まだ情報が足りない。
自死を選ぶにしろ、脱出を狙うにしろ、情報が少なすぎる。
………それに、私が長く戻らなければ、リーフが動くはず。
ジュジュがいくら強くても、私とスイ、リーフの三人で囲んで殴れば、逃げるくらいは出来るだろう。
と、なれば、私の役目は時間稼ぎか。
「………わかりました。私の主、ノアマリー様の目的について、お話ししましょう」
夢野久作がマジカル異世界転生したんだ、ラヴクラフトだってマジカル異世界転生してもおかしくないさ。