8話
欠損表現あります。
お気をつけください。
日はすっかり暮れ、街灯が優しく道を照らす。
琥珀は一人、電柱の上に器用に腰を落ち着かせていた。
通行人に見られたら即通報される場所にいるが、そうならないように一般人には視認できないよう術をかけている。
立てられた琥珀の左膝には颯が止まっており、甘えるように琥珀の頬に頭を擦り寄せた。
『桐生 彩葉のこと、五十嵐さんから聞いたのか』
不意に、颯が嘴を開いた。しかし、その声は颯のものではなく、仁の声だった。
万が一情報が盗聴される場合を考慮し、携帯電話の代わりに式神を用いて離れた場所にいる相手と連絡が取れる術を、琥珀と仁は使っていた。
「そういう仁の方は黎さん調べか」
『あぁ、ちょっと気になってな』
二人は今日集めた情報を交換・共有していた。
本来は仁が学校終わりの琥珀を迎えに行く予定だったが、流石に昨日今日と迎えに来てもらうのは申し訳なく思い、琥珀は断ったのだ。
別段、仁は迎えに行くことを苦に思ってはいないが、常日頃から一緒に行動しているのでたまには単独行動も必要かと判断し、琥珀の好きにさせている。
そんな仁の厚意に甘え、琥珀は電柱の上に座って情報提供している。
鳳 樹香と小林 真尋にいじめられていた花房 奈緒やその他の生徒のこと、五十嵐 佳月の幼馴染みである桐生 彩葉のことなど、メモを見ながら事細かに報告する。
そして、佳月から教えてもらった情報の中でも特に気になる部分をどこか緊張した様子で琥珀は相棒に尋ねた。
「その桐生 彩葉のことだが、遺体が警察の安置室から消えたというのは本当か?」
『! どこで手に入れた? その情報』
驚きの混じった仁の返答に、琥珀は嫌な予感が的中しそうで溜息が零れそうになったが寸での所で飲み込んだ。
代わりに、言葉を紡ぐ。
「佳月から聞いた」
颯の向こう側で、仁が微かに息を呑んだような音がした。
暫しの沈黙の後、仁は重々しく告げた。
『それは、メディアにも報道されていない警察内部だけの極秘事項として扱われてるものだぞ。一応、遺族には伝えられているが、箝口令が敷かれてる。遺体が消えただなんて、下手すると警察の不祥事として報道されかねないからな』
「・・・・・・そうか」
“消えた遺体”という文言だけでマスコミが飛びつきそうなネタだ。
警察は余計な騒ぎを起こしたくないだろうことが窺える。
遺族の方も、箝口令を敷かれている以上おいそれと情報を外部に漏らすわけにいかない。マスコミに今住んでいる場所を特定され、自宅に押し寄せられるような事態になることは避けたいだろう。それこそ一人娘である彩葉が自殺して傷心しているときも、記者が自宅前に張り込み心境やら何やら聞き出そうとしてきて、それが一因で引っ越したくらいなので、マスコミに対する心証は良くないと思われる。
警察内部と遺族しか知らない情報を、五十嵐 佳月は把握していた。
これが意味することは――――。
琥珀は、今度こそ隠さず溜息を吐いた。深く、重々しい溜息だった。
彼女の心境を慮っているのか、それとも自身も衝撃を受けているのか、仁は何も言わない。
颯の頭を優しく撫で、琥珀はどこか物憂いそうに口を開いた。
「とにかく、彼女を探そう」
『・・・そうだな。俺は五十嵐 佳月の家を当たってくる。この時間なら帰っているかもしれないからな』
現在の時刻は午後七時を回っている。
佳月は部活動もアルバイトもしていないので、よっぽどのことがなければ家にいるはずだ。
「なら、私は佳月の帰宅路を確認しながらそっちに向かう」
万が一、佳月が帰宅途中であった場合を考えてのことだった。
仁が車で佳月の家に先行し、琥珀が帰宅路を辿っていけば、最後は合流することになる。仁に迎えに来てもらってから行くよりは遙かに時間を短縮でき、効率的だ。車には劣るが、忍者である琥珀の機動力は中々のものであるため、この方法が最善といえた。
『気をつけろよ』
「それは私の台詞だ」
最後にお互い用心して当たるように一言交わし、術を切った。
お役御免となった颯が、もう一度琥珀の頬に頭を擦り付け羽ばたいていく。闇に溶けるようにして遠ざかる颯を見送り、琥珀も電柱から飛び降りた。
都心部から少し離れた閑散とした場所に、ひっそりと小さな病院が建っていた。耳鼻科を専門に診察・治療する小病院だったここは、交通の利便性の悪さや人手不足などの理由で経営難に陥り数年前に閉院となってしまっていた。
解体費用が工面出来なかった関係で建物はそのまま残され、夜な夜な非行に走る高校生らの溜まり場となっている。集まる高校生が通う学校はバラバラだが、親や学校での出来事で共感できる部分があるということで仲間意識が芽生えており、それなりに仲良くやっている。
この日も、十人未満の高校生が病院のロビーで酒や煙草、お菓子を持ち寄ってたむろしていた。その中には、夕方頃に校舎裏で駄弁っていた星ノ咲学園の生徒五人の姿もあった。彼らもこの溜まり場によく来ており、ここ最近は殺害事件のこともあって足が遠のいていたのだが、カラオケに行った後久しぶりに訪れたのだ。
何してたとか、数学教師がウザいだとか近況や愚痴を言い合い、缶ビールを呷る。
「そういや、お前らのとこ大丈夫なのかよ。確か三人も殺されたんだっけ」
不意に、男子一人が星ノ咲の生徒に向かって声をかけた。それを聞いて、他の面々も口々に喋り出す。
「あぁ、ニュースで見た見た! 学校にマスコミが来て生徒に質問とかしてたよね」
「てか犯人まだ捕まってないんでしょ? ヤバくない?」
「猟奇的だよな、一家惨殺とか」
話のネタが欲しかっただけなのだろう。
勝手に盛り上がってキャーッ、と叫ぶ女子数人に苦笑しながら、星ノ咲学園の黒髪男子生徒が口を開いた。
「まぁ、確かに俺らの学校の生徒が今んとこ殺されてるけどさぁ、また狙ってくるとは限らねぇって。警察も見回りとかしてるし、犯人も警戒してしばらくは大人しくしてるんじゃね?」
笑って告げる黒髪男子は、周りに気づかれないよう横目で近くの椅子に座っている同校の女子三人の様子を伺った。電気なんて通ってないのでロビーは暗く、各々持ってきたランタンやライト、そして玄関から差し込む月明かりだけを頼りにしている。真っ暗ではないため、話を振られた際、確かに三人の身体が強ばったのを黒髪男子は視認できたのだ。
普段は気にしてない風に振る舞っているが、彼女たちは内心ずっと事件に怯えていた。それを知っているために、黒髪男子はわざと明るく言った。同時に、話題を変えたいと手にしていた空の缶ビールを揺らす。
「そんなことよりさ、そっちに余ってる酒ない? ビール以外がいいんだけど」
「チューハイ系なら何本かあるぜ」
話を振った男子が傍らのビニール袋を確認した。黒髪男子に便乗する形で、ちらほらと自分も欲しいという声が上がる。そのままアイドルやアニメなど好きなことを話し合うのを見て、黒髪男子は自身の思惑通りにいったことに一息吐いた。潰した缶ビールをその辺に放り捨て、新たに開けたチューハイをグイッ、と傾ける。
その時、ギイィッ、と錆び付いた重々しい音がロビーに鳴り響いた。耳障りにも感じるその音は、そこまで大きくはなかったが、十人を一斉に静かにさせるには充分だった。
音の出所は玄関だった。
その両開きの扉は目一杯開けられ、建物と駐車場の境目のところで人が一人、佇んでいた。数人分の小さな悲鳴が上がる。
全員が咄嗟に、警察が来たのだと思った。病院前を通りがかった誰かが通報したのだと。
血の気が引き、逸る心臓をどうにか落ち着かせている中、一人が慌てて言い訳を並べ始めた。
「いっ、いや、違うんですッ! 別に怪しいことは俺たち何も・・・・・・っ。ちょっと皆で楽しくしてただけっていうか・・・、そのぉ・・・・・・・・・っ」
しどろもろに捲し立てる男子を余所に、コツ、と靴音を響かせ人影が彼らの元に歩み寄る。
十人に緊張が走ったが、次の瞬間ライトに照らされた顔に、星ノ咲学園の五人が驚愕と困惑を交えた声を上げた。
「えっ、五十嵐・・・!?」
「何でここに・・・?」
そこに立っていたのは、五十嵐 佳月だった。
下からの光源により、穏やかな微笑が恐ろしく感じる。
「何? お前らの知り合い? びっくりさせんなよもぉーっ」
「えっ、結構可愛くね。どしたの、一緒に遊ぶ?」
警察ではないと分かり、あからさまにホッと胸を撫で下ろす他校の生徒たち。
対して星ノ咲学園の生徒は、動揺から抜け出せないでいた。
五十嵐 佳月といえば、自分たちとは違い所謂「良い子ちゃん」と呼ばれる側の人間だ。駄目なことははっきりと駄目といい、誰に対しても平等に接し、教師からの信頼も厚い、そんな生徒だ。そんな彼女が何故ここにいるのだろう。
教師や、最悪警察に告げる可能性があるからこの場所を教えてもないし、仮に教えたとしてもわざわざ近寄ってくるような人物ではない。
「五十嵐・・・何でマジでここいるの・・・・・・? ここのこと、ウチら教えてないんだけど・・・」
一番玄関に近いところにいたふわふわ髪の女子が、本当に意味が分からないといった様子で佳月を指差しながら問うた。
緩慢に顔をふわふわ女子の方に向け、佳月は歯を見せて嗤った。その綺麗に並んだ歯は獣のごとく鋭く尖り、口端からは夥しい程の唾液が溢れ、ポタポタと床に滴り落ちていく。
異常とも言える佳月の様子に、一度は治まった恐怖心が蘇り全員の身体を硬直させる。
「え、や、なに・・・、ほんと大丈夫なの・・・?」
女子たちが身を寄せ合う。刹那、風を切る音を彼らの耳が拾った。
一拍おいて、異変に気づいたのはふわふわ女子だった。
「――――え?」
視線を下げる。
佳月を指差すために上げていた右手の、手首から先が無くなっている。ビチャビチャッ、と生温かい液体が床を濡らす。認識して、脳が理解した瞬間、焼けるような激痛が襲い、ふわふわ女子は喉奥から凄まじい絶叫を轟かせた。
「ッア゛ァ゛アァ゛ア゛ァアァッッ!!! 痛い痛゛いぃぃッ! う゛あ゛ぁぁああぁっ!!!」
「きゃぁああぁぁっ!!」
「いやぁあぁっ、なに、何なのッ・・・!?」
「おい、どうなってんだよ!? 何が起きた!??」
「分かんねぇよッ! ライト持てよ!!」
「! 五十嵐いないんだけどっ!!」
ふわふわ女子の悲鳴を皮切りに、彼らは一瞬でパニックに陥った。
女子のわめき声に、男子の怒号が飛び交う。急いでそれぞれ足下にある明かりを持ち、佳月が立っていた場所を照らすが、そこに彼女の姿はない。
先程まで確かに玄関前に佇んでいたというのに一瞬にして姿を消した佳月に、さらに彼らの頭が混乱する。四方八方にライトの光を向けるが、それでも佳月は見つからない。彼らの心臓は今にも胸を突き破りそうなほど強く、速く脈打ち、肺まで深く酸素を吸えないせいで過呼吸になりかけている者までいた。
神経も限界まで高ぶった彼らの鼓膜を、ふと奇妙な音が叩いた。
固いものを砕くような音と、汁を啜るような、ともすると不快に感じるような音が背後から発せられている。
背筋が粟立ち、全身がブルブルと震え始めるのを実感しながらも、黒髪男子は恐怖を押し殺し恐る恐るライトを背後に向けた。つられるように、他の生徒も後ろを伺う。
照射した先、受付の台の上に佳月が座っていた。優雅に足を組み、何かを口にしている。それは、ふわふわ女子の無くなった右手だった。傷口部分から溢れる血を啜り、肉を噛み千切っては出てきた白い骨をクッキーのように噛み砕き嚥下している。
「う、うわああぁああぁぁっ!!」
もう限界だった。
恐怖に駆られるまま黒髪男子を筆頭に、痛みで蹲ったままのふわふわ女子を置き去りにして彼らは唯一の出口である玄関に走り出した。見捨てられたことに気づいたふわふわ女子が弱々しい制止の声を発するが、誰も足を止めない。そうして誰もいなくなったロビーで、独り取り残されたふわふわ女子は泣きじゃくることしかできなかった。
何で、どうしてと、嗚咽混じりの嘆きがロビーに木霊する。そんな彼女の肩を、右手を食べ終えたらしい佳月が優しく叩いた。ヒッ、とふわふわ女子が息を呑む。
「置いていくなんて薄情だね、あいつら」
赤く汚れた口で、佳月はそう告げた。
この状況を作り出した原因だというのに、ふわふわ女子に心底同情している素振りを見せる。しかも笑って言っているので、そのちぐはぐさがふわふわ女子をさらなる恐怖へ導いた。
笑みを深めて、佳月は続ける。
「でも、大丈夫! あんたを食べた後、ちゃんと逃げた奴らも私が食べるから。これで皆一緒だね」
何を言っているのか、ふわふわ女子は理解できなかった。否、理解したくないと脳が拒絶しているのだ。
牛や豚を食べるのと同じ感覚で、佳月は彼女を、“人間”を食べると言い放った。
その事実が、ふわふわ女子の思考を麻痺させた。
固まるふわふわ女子を押し倒し、その上に馬乗りになった佳月はこれまでの笑みを消して憎悪に満ちた瞳で彼女を見下ろした。
「・・・恨むなら、自分のしたことを恨みなよ」
「い、いやあぁぁっ!! たすけ・・・たすけてぇ!!!」
状況を把握したふわふわ女子の抵抗をいとも簡単に押さえつけ、佳月は細い喉笛に狙いを定める。
ぐわっ、と大きく開いた口で牙を皮膚に突き立てる直前、佳月は視界の端で不審な影がちらつくのを見た。反射的に上体を反らす。閃く切っ先が佳月の前髪を掠め、犠牲になった数本がパラパラと散っていく。反らした体勢でそのまま床についた両手の肘をバネに、後転の要領で距離を取った佳月は邪魔をした相手を見上げた。
研ぎ澄まされた苦無を両手に構え、ふわふわ女子を守るようにして立ち塞がるのは、つい半日前に下の名前で呼び合うようになったばかりの琥珀だった。
そこに学校で見せていた穏やかさはなく、ただただ敵を排除せんとばかりに鋭く佳月を睨みつけていた。
立ち上がりながらスカートに付着した埃を払い、佳月は特に驚いた様子もなく琥珀を見つめて微笑む。
「――――やっぱり琥珀が、“柊”の連中だったんだ」
紡いだ言葉の音に、どこか哀感の響きがあることを佳月は知らぬ振りをした。