6話
佇む琥珀に、佳月は微笑んだ。
「探したよ月守さん。せっかくお昼ご飯一緒に食べようと思ってたのにどこにもいないんだから」
「すみません・・・」
琥珀が眉を下げれば、佳月は慌てて首を横に振った。
「ごめん気にしないでっ。約束もしてなかった私が悪いし。もうお昼すんだ?」
問われ、琥珀は腹の虫が微かに鳴るのを聞いた。
「いえ、まだです」
「なら良かった。もう時間もないし、食堂でパン買ってきたから食べよ」
佳月は持っていたビニール袋を掲げて快活に笑った。途端、今度は琥珀が慌てた様子で制服をパタパタ触り出す。胸ポケットや内ポケットを探り、スカートのポケットにも手を入れるが、ハンカチと小銭入れが入ってるだけで目的のものがない。
「お金・・・っ、教室に財布あるので後で支払いを・・・・・・!」
「それこそ気にしない気にしない! 私が勝手にしたことだし」
「でも・・・」
「じゃあ、月守さんの歓迎も兼ねてってことで受け取ってよ、ね?」
そう言われてしまえば、これ以上食い下がるのも佳月の厚意に対して失礼かと思い、琥珀は「ありがたくいただきます」と頭を下げた。
場所を移し、琥珀は佳月に連れられ空き教室にやってきた。元は視聴覚室だったらしいが、校舎の端にあることから利便性を考え別の教室を視聴覚室にし、ここは現在、放課後に吹奏楽部の生徒が練習のために使用しているとのことだ。
窓際に配置されている席の前後にお互い座ると、佳月はビニール袋の中身を次々取り出した。
あんパン、クリームパン、焼きそばパン、メロンパン、卵サンドなどなど、惣菜パンから菓子パンまで揃ったパンがどんどん出てくる。
「何が好きか分からなかったから、色々買っちゃった」
好きに取って、と言われ、琥珀は少し躊躇った後メロンパンとあんパンを選んだ。
途中、自販機で購入した飲み物(これは琥珀が持っていた小銭で自分で購入)で乾杯し、二人は遅めの昼食を取り始めた。
「そういえば、樹香と真尋にいじめられてた人のとこ行ってたって本当?」
不意に尋ねられた質問に、琥珀はあんパンに齧り付く寸前で動きを止めた。
何故それを、と若干の戸惑いを含んだ顔を佳月に向けると彼女は苦笑しつつ口を開いた。
「結構噂になってるよ。編入生が殺された二人について聞き回ってるって」
「・・・・・・軽率な行動でした」
編入二日目で殺害された者の情報を聞きまくっていたら噂の的になるであろうことを、すっかり頭から抜けていた。加えて事件のことで生徒が未だ不安な状況の中、そんな情報を集めていれば更なる不安と疑心を煽ったのではないだろうか。
ぐぅ、と小さく唸りながら琥珀が内心で反省していると、佳月はふとその瞳に寂しげな色を乗せた。
食べかけのパンを机に置き、佳月は窓の外に視線を向ける。
「・・・ここね、彩葉と一緒に昼ご飯を食べるのに使ってたの」
ぽつりと唐突に呟かれた言葉の意図を理解できず、琥珀は思わず訝しげに眉を顰めた。そんな琥珀に笑みを一つ零し、佳月は続ける。
「昨日言った、転校した後に自殺した私の友達。桐生 彩葉っていうんだけど・・・・・・」
哀愁を伴った声音で与えられた情報に、琥珀は微かに瞠目した。
「私と彩葉は幼馴染みで、ずっと一緒にいたの。少し引っ込み思案だった彩葉をいつも私が引っ張って連れ出して・・・、ここに入学しようって誘ったのも私でさ」
脳裏で幼馴染みと築いた思い出を思い出しているのか、外の景色を見ているようで佳月の目はどこか遠くを見つめていた。
「きっかけは、本当に些細なことだった。彩葉の手が当たって倒れた花瓶の水が樹香の制服にかかった。ただそれだけで、彩葉は樹香と真尋に目をつけられた」
佳月の瞳の奥で苛烈な炎が燻る。
「クラスが離れてた私は、いじめられていた彩葉の苦しみに気づくことができなかった・・・。ううん、気づいていたけど彩葉の「大丈夫」って言葉を信じて何も言わなかったの」
その結果、彩葉はこの世を去った。
もしあの時、彩葉に何か言葉をかけていれば結末は変わっていただろうか。
そんな意味のない「たられば」を、佳月はずっと繰り返していた。
「月守さんは、どこか彩葉に似てる。遠慮がちなところとか、雰囲気とか・・・。だからつい余計なお節介を焼いちゃうのかも」
視線を窓から琥珀に移し、佳月はごめんね、と自嘲じみた微笑みを浮かべた。
その笑みが琥珀を亡くなった親友に重ねていたことへの罪悪感故かどうかは、琥珀には判断しかねた。
それでも、と琥珀は言葉を紡ぐ。
「それでも私は、五十嵐さんに気にかけてもらえて嬉しかったです。例え彩葉さんの代わりだとしても、貴方がこうして私を気遣ってくれているのは紛れもない事実ですから」
これは、琥珀の本心だった。
しっかりと佳月の目を見つめながら、琥珀は柔らかく微笑する。
佳月が罪悪感など感じないように。気にすることではないと伝わるように、琥珀は笑む。
それを受けて、桃色の瞳を瞬かせると「やっぱり彩葉に似てる」と佳月は嬉しそうに、しかし寂しげに口角を上げた。
それから佳月は、桐生 彩葉との思い出話を聞かせてくれた。
初めて会ったときのこと、バトミントン部のダブルスで県大会優勝したこと、バレンタインデーは毎年お互いにチョコを交換していたことなど、たくさんのことを琥珀に教えた。
琥珀は相づちをしながら時折質問をし、穏やかな時間を過ごした。
気づけば昼休憩は後十分足らずで終了する時間までに迫っており、そろそろ戻った方がいいと判断した二人はゴミを片付け、余ったパンは後で分け合うことにし教室を出た。
スピカ組の教室までの廊下を歩きながら、佳月はグッ、と両腕を前に伸ばした。
その表情はどこかさっぱりしていて、晴れやかに見える。
「彩葉のことを、あんなに楽しく話せるとは思わなかった。ありがとう、月守さん」
「お役に立てたのなら良かったです」
変わらず柔和に微笑む琥珀に照れくさそうにはにかむと、佳月は琥珀のたおやかな左手を握った。
昨日、学校案内した時と同じように琥珀の手を引いて歩く。琥珀も特に抵抗することなく佳月の手を優しく握り返した。
「あのさ、月守さんの下の名前で呼んでもいい・・・?」
遠慮がちに言われた佳月の言葉に琥珀は一瞬キョトンとしたが、すぐに首を縦に振り快諾を示した。
「もちろんです。琥珀と呼んでください」
「やった! 私のことも佳月って呼んでね!」
握る琥珀の手を痛くならないぐらいの加減をしつつ、ブンブンと振る佳月は喜色満面といった様子だ。
それを見て、琥珀も目元を緩めて喜びを表した。
琥珀にも同年代の知り合いはいるにはいるのだが、友人というより仕事の同僚という感覚が強く、そして彼らはある理由により琥珀を毛嫌いしている。
そのため、琥珀は下の名前で呼び合う友人といえる存在ができたのは素直にうれしいと思えた。
繋いだ手を握り直し、佳月はまた寂しそうな微笑を浮かべた。そう簡単には感情が上手く切り替えられのだろう。
「彩葉にも、琥珀に会わせたかったなぁ・・・」
「お墓参りとかは・・・・・・」
亡くなってしまった者に会うことはもう出来ないが、お墓参りで報告という形はどうだろうかと思い琥珀がそう提言すれば、佳月は困ったように首を横に振った。
「それは難しいかな。私も彩葉のお墓参りに行きたいんだけど、肝心のお墓がどこか知らないの。彩葉の家族とは彩葉が死んでからぱったり連絡が取れなくなって・・・。彩葉の自殺のことはニュースで知ったの」
「そうだったんですか・・・・・・」
「おじさんとおばさん、凄く彩葉のこと大事にしてたからショックが大きかったと思う」
一人娘が自殺したのだ。他者と連絡を取りたくないほど憔悴してもおかしくない。
たとえそれが、娘と仲がよかった幼馴染み相手だとしても。
そう琥珀が考えていると、佳月がそういえば、と口を開いた。
「彩葉が自殺して数日経ったくらいの時かな・・・。おじさんから突然連絡が来て、おかしなこと言ったんだよね」
「おかしなこと?」
「なんか、警察署の遺体安置室? っていうとこに置かれてた彩葉の遺体が一瞬でどこかに消えたとかって・・・」
琥珀の目が大きく見開かれる。
「どういうことだか全然分かんなかったけど、おじさんもちょっとパニックになってた感じで詳しいこと聞く前に電話が切れちゃってそのまんま。折り返しても反応なし。何がどうなってんだか」
不安と不満が入り交じった声音で唇を尖らせる佳月の隣で、琥珀は思考を巡らせる。
(安置室の遺体が消える・・・。おそらく鬼の仕業だろうが、目的は何だ?)
相棒が同様の内容を知っていることを存ぜぬ琥珀は帰ってから仁に情報提供することに決め、心配そうな表情を貼り付けた。
「それは何とも不可思議というか、怖いですね」
「うん・・・。理由が何であれ、盗んだ奴を許せない」
そう憎らしげに奥歯を噛みしめる佳月。
刹那、琥珀は自身の心臓がスゥッ、と冷えていくのを感じた。
佳月の言葉が引っかかる。
何故、盗まれたと思ったのか。
一瞬の出来事だったというそれを何故、人為的なものだと判断したのか。
星ノ咲学園の月守 琥珀ではなく、柊の牙の、忍者としての月守 琥珀に頭が切り替わろうとしている。
手を引いて少し前を歩く佳月の背中を、琥珀は感情のない瞳で見据えた。
琥珀の空いている右手の袖口から、研ぎ澄まされた苦無の切っ先が覗く。瞬間、開け放たれた窓から突風が廊下に吹き込まれ琥珀と佳月を襲った。髪や制服を勢いよく靡かせた風に、佳月が小さな悲鳴を上げた。
「びっくりしたぁ、何だろね、今の風」
乱れた髪を整えながら、佳月は丸くした目で窓の外を見た。
その傍らで琥珀はただ静かに佇んでいる。
「琥珀、大丈夫? 目にゴミ入っちゃった?」
返事がないことに佳月が琥珀の顔を覗き込めば、琥珀は緩やかに口角を上げた。
「いえ、何でもないです。少し驚いただけなので・・・」
いっそ不気味なほどに穏やかな微笑みで、琥珀はそう告げる。
その時、予鈴を知らせるチャイムが鳴り響き、佳月はハッ、と血相を変えた。
「やばっ、授業始まる・・・! 行こ、琥珀っ」
ぐいぐいと琥珀の手を引っ張り、二人は廊下を駆け出す。
足を動かしながら、琥珀はふと窓の外に視線を投げた。白い雲を泳がせる広い青空、そこを羽ばたく鷹の姿を認め、琥珀は目を細めた。
(嗚呼、嫌になる・・・・・・)
この先に待ち受ける結末がどうなるのか、容易に想像がついてしまい琥珀は舌を打ちたい気分になった。
まだ二日目だというのに、この距離感。おそろしい。