3話
編入前に学園の資料に目を通していたので、どれくらいの規模なのかは把握していたが、実際にこの足で歩いてみれば、その広さに圧倒された。
中等部も高等部も三階建てで建物は別だが中で繋がっており、どちらの棟にも行き来できるようになっている。本館としてその二つを中心に、授業で使用する専門の建物が周囲に二つ三つ建てられている。
校庭は様々な部活動に合わせそれぞれ敷地内に配置され、更には畜産農業の授業や馬術部などがあるため、その動物たちを世話するちょっとした牧場もあった。
とりあえず授業で使用する場所を重点的に、物理的にも説明的にも駆け足で案内してもらった。それでも二時間は掛かり、現在、六時を少し過ぎた頃。八月のこの季節は五時過ぎには日が暮れるので、辺りはすっかり真っ暗だ。一応、街灯が等間隔に設置されているので、足下には困らない。
「ごめん月守さん、結局遅くなっちゃった・・・」
「全然大丈夫です。とても助かりました、ありがとうございます」
校門前で、佳月が申し訳ないと項垂れるので、琥珀は首を横に振りながら礼を述べた。遅くなったのはお互い様だ。
それを聞いて、佳月は照れくさそうにはにかむと、両腕を天に上げて身体を伸ばした。
「よし! それじゃあ帰ろうか。月守さん、お家どっち?」
「こっちです」
「あちゃー、私の家と反対方向かぁ。事件の事もあるから、なるべく一緒に帰った方が良いと思ったんだけど・・・・・・」
琥珀が指差した方向に、佳月は額を押さえて唸る。
三件もの殺人事件が発生したことで近隣を警察が見回っているとはいえ、流石にこの夜道を一人で帰るのはよろしくないだろう。
忍者である琥珀ならともかく、佳月は一般人だ。万が一、鬼どころか暴漢に襲われでもしたら大変どころの騒ぎではない。
かといって、琥珀が佳月の家まで送り届けると進言しても、彼女はきっと恐縮するだろう。学校案内してもらった短い時間でも、佳月が他者を思いやれる優しい心根の持ち主であるということを琥珀は理解していた。
(一旦別れた振りをして、彼女が無事に帰宅するまで見守るか・・・)
「――――琥珀!」
「! 仁?」
不意に名前を呼ばれ、考えていた琥珀が顔を上げると、見覚えのある車が反対車線の路肩に停車していた。
黒塗りの速さを重視したスポーツカーの運転席の窓から、仁が手を振っているのに琥珀は目を丸くした。
仁は近所迷惑にならない程度に声を張り、琥珀を手招く。
「迎えにきたぞ。そっちはお友達か?」
「あぁ、こちらクラス委員を務めている・・・」
「えっと、五十嵐佳月です!」
突然現れたイケメンに驚きながらも佳月が慌てて自己紹介をすると、仁は和やかに笑った。
「五十嵐さんもおいで。暗いから家まで送ってくよ」
「え、でもそんな・・・・・・」
「ご心配なく、鷹乃守仁は私の親戚です。怪しい者ではありません。行きましょう」
戸惑う佳月の手を取り、潜入調査でよく使用する親戚設定を口にしながらさっさと反対側の歩道に渡った琥珀は後部座席のドアを開けた。
そのまま「どうぞ」、と言われてしまえば、佳月は乗るしかなかった。
佳月の家は学園から車で二十分程かかる場所にあった。
到着した家の前で車から降りた佳月は、車内にいる琥珀と仁に頭を下げた。
「鷹乃守さん、月守さん、本当にありがとうございました」
「気にしないで。これからも、ウチの琥珀をよろしく頼むよ。こいつ、ちょっと世間に疎いとこあるからさ」
「仁」
開けた窓から身を乗り出してそう告げる仁に、すぐさま後部座席の琥珀が低い声を出して唸れば佳月は微笑ましいものを見るように笑った。
「もちろんです。月守さん、また明日ね」
「はい、また明日」
琥珀が微笑み返すと、佳月はもう一度会釈し家の中に入っていった。
パタンと玄関の扉が閉められたと同時に、琥珀は後部座席から助手席へと移動した。
隣で琥珀がきちんとシートベルトを着用したのを横目で確認し、仁はアクセルをゆっくり踏み込む。
表情を取り繕う必要がなくなったため、琥珀はいつもの無表情に戻ると右手で両頬を軽く揉んだ。
「助かった、ありがとう仁。それにしても、よくあの時間に私たちが出てくると分かったな」
「丁度近くにいたんだ。そしたら颯の奴がお前がそろそろ学校を出るって知らせてくれてな」
「お疲れ気味のお嬢を歩かせる訳にはいかんだろう」
不意に渋い声が車内に響いたかと思えば、トランクルームから一羽の鷹がヒョコッ、と現れた。
鷹はぴょんぴょん跳ねながら前に移動してくると、琥珀の膝の上に飛び乗り座った。
この鷹――――颯は仁が作った式神だ。今回のように琥珀と仁が別行動を取った際、緊急連絡などの役割を担っている。颯は琥珀を可愛がっており、主である仁を放って彼女の方につくことが多い。
柔らかな羽毛を指先で撫でながら、琥珀は目元を緩めた。
「そうだったのか、ありがとう颯」
「お嬢の為だ、お安いご用さ」
フフン、と胸を張り、颯が琥珀の指に嘴を擦り寄らせる。
それを苦々しい顔をして仁が聞いていれば、おもむろに琥珀が仁の方を向いた。
「仁、そっちは何か分かったことは?」
「あぁ、グローブボックスの中見ろ」
仁の指示に琥珀がグローブボックスを開けると、A4サイズの茶封筒が入っていた。
茶封筒の中から紙を取り出し内容を目で追えば、仁が調べていた被害者家族の詳細情報が記載されている。一番上のファイルから被害に遭った順に並べられており、星ノ咲学園に通っていた生徒については琥珀が調査を進めるので、除外されていた。
一番最初の被害者家族は凰家だ。
世帯主である凰秀雅、その妻の凰有香。そして二人の娘の凰樹香の三人家族で構成されている。
凰有香は裁縫が趣味の専業主婦であり、これといって周囲と問題を起こしてはいない。
対して、凰秀雅は都内にある大学で准教授を務めており、授業内容が分かりやすく、秀雅自身も柔和な性格であるため生徒に人気であった。しかしその裏では生活に困窮している女子大生を標的に性的な嫌がらせをし、それを盗撮した写真や動画で脅したり、自分の陰口を叩いた生徒にはテストの答案を改ざんし点数を下げたりと、中々にあくどいことをしていた。
次に二番目の被害者家族は九条家。九条家は梢が五歳の頃に父親の虐待が原因で両親が離婚しており、母親の九条鈴が一人で家庭と仕事を切り盛りしていた。鈴は昼間はスーパーでパートとして、夜はスナックで深夜過ぎまで働き、家に帰宅するのは朝方という生活をしていた。加えて、家事や娘の面倒もあるためかなりの重労働だ。梢が母親を慮って出来うる限り家事はしていたそうだが、それでも鈴にかかる負担は大きかった。
人付き合いが上手く一人娘をとても大事にしていることから近所からの評判は良く、これといって問題はない。だが、離婚した元夫と親権に関することで過去に何度か揉めており、これまでに度重なる嫌がらせ行為をされてきたらしい。その件に関しては元夫は自認しているが、鈴と梢の殺害については無実を主張しているとのことだ。
最後は小林家に関する資料だった。
世帯主の小林幸広、その妻の小林佳奈。二人の娘である長女・小林真尋、次女・小林瑠奈の四人家族である。
小林佳奈は凰有香同様、専業主婦であるが、夫が医師であることを近所に事あるごとに自慢しては、マウントを取るような女だった。
次女の小林瑠奈は小学五年生の十一歳だ。家族全員に甘やかされて育ったのと、まだ幼い故に姉の真尋以上にワガママ放題をしていたらしく、同級生とよく揉め事を起こしていた。
そして小林佳奈の夫で小林真尋の父親である小林幸弘は、都心より少し離れた場所にある病院に精神科医として働いていた。
しかし、表向きは患者に寄り添う真面目な医師として評価されている幸弘は、周囲に発覚されないよう上手く虚偽の診断を患者にし治療費を巻き上げていた。そのことを追及した同僚は、謎の失踪を遂げたり、別の病院に転属されたりと不可解な事が起きていた。
「・・・父親がろくでもないな」
全ての資料に目を通し終えた琥珀は、ファイルに紙を戻しながらポツリと呟く。
「人間そんなもんだ。自分の欲のために他人を蹴落としたり利用したり・・・、それがどんなに残酷なことでも平気でする」
前を見据えたまま、仁は言った。その瞳は嫌悪に歪んでおり、被害者家族に対して腹に据えかねているようだ。
この資料を読んでみて、正直ここまでしていると殺されるほど恨まれても自業自得だと琥珀も少しは思ってしまう。
それでも、この殺人がただの人間によるものでも鬼によるものであっても、殺してしまえば裁かれなければならない。
(・・・いつか私も、断罪される日がくるんだろうな)
ふと、琥珀はそう思った。
そして驚いた。
何故、そんなことが思い浮かんだのか自分でも理解出来なかった。
――――元は人間である鬼を殺しているから?
しかし、それは忍者として、そして仁のパートナーとなったときから覚悟していた。仁も同じだ。今更思い悩むことではない。
――――それよりももっと前。仁と出会うずっとずっと前・・・、私は・・・・・・
瞬間、琥珀の視界に舞い落ちる桜と赤い鮮血が飛び散った。
「お前の方はどうだった?」
仁の問いかけに、琥珀は耳元で風船を割られたかのようにビクッと肩を跳ね上げた。
それくらい、記憶の海に沈み掛けていた琥珀にとっては唐突の問いに聞こえた。
「どうした?」
丁度赤信号に引っかかったことで相棒の顔を正面から見ることが出来た仁は、琥珀の開かれた瞳に微かな怯えが混じっていることに気づいた。だが、それも一瞬のことで、瞬きの間に琥珀はいつも通りの様相だった。
「・・・何でも無い」
顔を逸らし、前を見つめた琥珀は平素と変わらない淡々とした声音でそう答える。
あまりにもいつも通りの様子なので、自分の見間違いかと思ったが、琥珀の膝上の颯が心配そうに琥珀を見上げているので、仁は見間違いではないことを確信した。
だが、追及するような真似はせず、信号が青になったことでブレーキからアクセルに移動させた右足に力を入れながら、仁は再度問うた。
「で、そっちは何か分かったことはあったか?」
「・・・これといって特には。凰樹香と小林真尋がいじめをしていたことくらい、だな」
「親が親なら子も子、てところだな。明日はそのいじめられてた子のとこに行くのか?」
琥珀は小さく首を横に振った。
「その子は去年転校し、その後自殺をしたそうだ」
「・・・・・・そうか」
平静を装っているが、微かに仁の声音は悲しみを纏っていた。
「更に言えば、五十嵐さんの友人とのことだ」
「じゃあ、彼女から情報聞き出すのはやめといた方がいいな」
「そのつもりだ。とりあえず、明日は他にいじめられた人がいないか探る。もしかしたらその中に鬼がいるかもしれない」
琥珀の言うとおり、いじめられている者の中に鬼がいれば手っ取り早いのだが、早々上手くいく保証もない。
仁が言わずとも琥珀もそれは分かっているだろうから、慎重に行動するはずだ。
「頼んだ。俺はここら一帯の見回りを強化する」
「了解」
明日のお互いの予定を確認し合い、仁は自宅に帰る前に最寄りのスーパーマーケットに寄るべくハンドルを切った。




