20話
失意の底にいると、不意に彼女――――琥珀が振り返った。
常ならば、もう少し感情の読める瞳が、今は見る影もなく凍てつき仁を見下ろしている。その紅い瞳が、仁の負傷した右肩を見て、ほんの僅かにピク、と反応を示した。
琥珀は無言のまま片膝をつき、伸ばした右手で血に濡れた右肩に触れようとして、止まる。何かを躊躇うようにして一瞬彷徨った右手は、結局、仁に指先すら触れることなく引っ込められた。
仁が何か言葉を発しようと口を開いたが、それよりも早く琥珀は立ち上がり背を向けた。
紅玉の瞳が更にその色を深めたのを、背後にいる仁が気づくことはない。
「えぇええ・・・、ウソぉ、その子鬼だったの!?」
ぐちゃりと粘着質な音を出しながら、泣き別れになりかけた胴と下半身を繋いでいく武良上は、鬼が敵対関係にある陰陽師を守った事実に驚きを隠せないでいた。
「鬼なのに陰陽師の味方してるなんて・・・え、何か弱味でも握られてる?」
綺麗に再生した胴を一撫でし、目を白黒させる武良上に、琥珀は牙を見せて威嚇するように低く唸った。同時にぶわっ、と琥珀の全身から溢れ出た瘴気の酷い濃度に、武良上は喉奥までせり上がった吐き気を必死に堪えた。
(え、何これ・・・。この瘴気の濃さ、明らかに俺より強いやつ・・・・・・)
瘴気がまるで鉛のように全身にのし掛かり、指の先端を動かすことすらままならない。
瘴気の濃度は鬼の力を比べるのに一番分かりやすいものだ。
鬼になりたては最も瘴気が薄く周囲に及ぼす影響は微々たるものだが、強い鬼になればなるほど濃くなりその影響力も比例していく。
可視化される程の琥珀の瘴気は、同じ鬼である武良上でさえ呼吸が苦しく、威圧が凄まじかった。
その時ふと、武良上は琥珀が左手にボールくらいの塊を持っていることに気づいた。あんなに大きなものを何故今まで気づかなかったのだろうかと不思議に思うくらいには、存在感のあるサイズだった。
武良上が見ているものに琥珀も気づき、徐にその塊を放り投げた。
一回地面をバウンドし、ゴロリと近くまで転がってきたそれの正体を目にした武良上は、背筋が凍り付くのを自覚した。
それは、人の頭部だった。
ただのもがれただけの頭だったら、武良上はそこまで驚きはしない。
だがそれは、異様だった。
左右で顔が違うのだ。右側が熊崎で、左側が浦川の顔をしているのだ。それぞれ縦に割った頭部の半分ずつを、まるで粘土同士を思い切りぶつけて無理矢理くっつけたかのようなぐちゃぐちゃな境目の、熊崎と浦川が融合した顔だった。二人の表情はどちらも悲痛に満ち溢れ、浦川は眼球が飛び出し、熊崎の下顎は千切れかけてぶら下がっている状態だった。
それまで引っ付いていただろう顔は投げ捨てられた衝撃でずれ、竹を割ったように左右に分かれて転がった。どちらのかも分からない欠けた脳味噌やら骨が血溜まりに混じって地面に広がっていく。
割れたその頭部を指差して、琥珀はニィ、と口角を吊り上げた。
次はお前だと、動作だけで示され武良上は「ヒッ・・・」と引き攣った悲鳴を漏らした。
今すぐにでもここから逃げ出したいと頭の中が騒ぐが、肝心の身体がピクリとも反応しない。恐怖で脳が支配されかけた刹那、武良上の前から琥珀の姿が消えた。と思えば、次の瞬間には視界が黒で覆われた。
「え」
瞬く間に間合いを詰められ、顔面を鷲掴まれた武良上はそのまま勢いよく地面に叩きつけられた。その衝撃で地面は蜘蛛の巣状に割れ、武良上の顔も頭蓋骨ごとぐしゃりと潰れた。
血と肉片を付着させたまま一度武良上の顔から右手を離した琥珀は、観察するように陥没して原型を留めていない顔をジッと見つめた。そして、ほんの僅かでも潰れた肉が再生する素振りを見せた瞬間、再び右手を振り下ろした。
ビシャッ、と周囲に鮮血が飛び散る。
武良上の腰あたりに馬乗りになった琥珀は、武良上が再生をしようとする度に肉を引き裂き、抉り、骨を砕いた。仕舞いには、一つの場所だけを攻撃するのに飽きたのか、標的を武良上の胴体に移した。両の爪を武良上の胸に突き刺し、襖を開けるように左右に裂いた。縦に開かれた先には、肋骨に覆われた心臓が早鐘を打っていた。
琥珀の目が愉悦に歪む。
肋骨を一本一本掴んではへし折り、剥き出しとなった心臓を引きずり出す。心臓だけではない。肺も肝臓も、目に映る臓腑全てを引き千切り、そこら辺に放り投げる。
二人の周囲は血の海と化し、細切れの肉塊が散らばっていた。
「・・・ッ、琥珀!」
何度も何度も武良上の臓物を裂いては潰していく琥珀の背に、仁は声を振り絞って名を叫んだ。
途端、ピタリと琥珀が動きを止めた。
振り上げていた左腕をゆっくりと下ろすのと同時に、同じくらいのスピードで琥珀が仁の方へ上半身を捩る。
何故止めると言いたげな眼差しをしている琥珀に、仁は努めて冷静に口を開いた。
「それ以上は、もういい。後は俺がやる」
右肩を押さえながら仁が立ち上がれば、琥珀もパッと腰を上げた。
仁が歩き出す前に武良上の足を掴んで引きずると、仁の前に持ってきて放し、早くしろとでも言うように軽く顎を上げた。
仁が準備する間にも蠢いた武良上の部位を足で潰していき、再生する暇を与えない。
札を構えた仁は、ただの肉塊と化した武良上を見つめた後、何かを堪えるように瞼を閉じた。
呪を唱え、眩い光と共に灰となった武良上が風に舞って霧散していく。
それを静かに眺めていた仁だったが、不意に琥珀が倒れ伏した事でハッと我に返った。
「琥珀・・・!」
慌てて相棒を覗き見れば、その全身から蒸気のような煙が緩やかに立ち上り、徐々に琥珀の身体が縮んで元の大きさになった。
穏やかな寝息を立てる琥珀に安堵し、仁は彼女の傍らに頽れるように膝をついた。気を抜けばそのまま落ちてしまいそうな意識を必死に繋ぎ止めながら、仁は頭上を飛ぶ颯に片手を挙げて指示を送る。
後数十分程で処理班が来るだろう。佐伯達の事も彼らに任せようと判断し、仁は琥珀と向かい合わせになるように横になった。
そして、あどけない寝顔をしている琥珀の投げ出された左手に己の右手を重ねた。その際、傷が痛んだが、今はどうでもよかった。
『その子鬼だったの!?』
思い出すのは、武良上の言葉。
武良上は琥珀を鬼だと思っていたようだが、実際には少し違う。
琥珀は人工的に作られた鬼である。
しかし、これにも“おそらく”が言葉の頭につくが。
その昔、鬼による被害が甚大だった頃。
陰陽師が対抗策として思いついたのが、忍者を鬼に変異させ使役するというものだった。
そのために捕獲した鬼の心臓を、忍者に移植し内側から作り替える実験を行ったのだ。大半の忍者は適合せずに鬼と化し理性を失い退治されたが、適合したほんの一部の者は人のままで鬼の力を手に入れた。
彼らは“鬼人”と呼ばれ、鬼狩りの役に立ったが、それでも時が経てば完全な鬼へとなり陰陽師に滅された。
しかし、この実験はあまりにも非人道的と判断され、また忍者達による反乱が起きかねないと恐れた上層部が明治以降、鬼人を作り出す実験は禁止し、行った陰陽師は処刑となった。
現在、残っている鬼人は琥珀を含め二人。後は全員退治された。
しかし、琥珀に関しては謎がある。
琥珀は鷹乃守家の地下牢で、厳重に封印が施された状態で発見されたのだ。
一体いつからそこにいるのか、何者なのか、保管されている文献にも一切記されていなかったため、鷹乃守家の誰にも分からなかった。
発見したのは、当時まだ十歳だった仁。
何かに呼ばれるように辿り着いた先に、封印された琥珀がいたという。
そして仁が琥珀の身体に張り付けられていた札に触れた途端、封印が解かれ琥珀は目覚めた。その際、大人の姿から今よりもう少し幼い姿へと変わったのだ。
数十年ぶりに発覚した新たな鬼人の存在に鷹乃守家含め、陰陽師側に衝撃が走ったのは言うまでもない。
目覚めた琥珀は封印されていた事も含め、自分が何者なのかさえも記憶に無く、上層部は対処に困った。
そんな中、とある忍者が現れ、こう言った。
『せっかくの戦力になるかもしれないのに殺すのは勿体ないだろ。俺が面倒見るからその子さっさと寄越しな』
上層部相手にこんな不敬な態度を取れるのはこの世でただ一人。
平安の世から生きているという化け物じみた噂があり、陰陽師なしで鬼を戦闘不能に追い込む実力を持つ無敵の忍者――――名を夕霧。
彼は半ば拉致する形で琥珀を連れていくと、名を与え、教養と戦術を学ばせ、たった数年で一人前の忍者に育て上げた。
そして夕霧は琥珀の相棒として仁を選んだ。『この子の封印解いたの君なんだから責任持ちな』という一言を添えて。
そうして二人は数年ぶりの再会を果たし相棒となったのだ。
琥珀は封印が解かれた時のことも仁のことも覚えていないが、仁はその時のことを今でも鮮明に思い出せる。
ずっと、心にぽっかりと穴が開いているのかと錯覚してしまうほどの空虚を抱えて生きていた。
何をしても満たされず、穴を埋めてくれる誰かを探していた。
そんなある日、誰かに呼ばれたような気がして地下に行き、琥珀を見つけた。
牢の中央、地面に縫い付けられるように縄で幾重にも縛られた状態で座し、封印の札を張られていた。
眠る琥珀の顔を見た瞬間、心の穴が塞がっていくのを仁は実感した。
――――彼女だ。ずっと、ずっと・・・求めていたのは彼女だ・・・!
何故初対面の相手にこんなことを思うのか、今でも不思議でならないが、彼女が傍にいてくれるのならそれもどうでも良かった。
もう二度と失いたくない。
守りたい。
だというのに、この体たらくはなんだ。
守るつもりが守られ、結果、琥珀ばかりが傷ついている。
無意識に、仁は重ねた右手に力を込めた。自分よりも一回り程小さく華奢な手は赤く濡れ、白い肌を覆い尽くしている。
「・・・・・・ごめんな」
――――不甲斐なくて。
――――いつも辛い目に遭わせて。
――――頼ってばかりで。
――――守ってもらってばかりで。
――――手放せなくて、ごめん。
心の中で幾つもの謝罪を繰り返しながら、仁は静かに意識を失った。
うーん、上手くまとめられない・・・。
この話はまた直すかもしれないです。




