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忍陽  作者: 雪嗣
20/20

19話

 数分前――――。

 パタタ、と鮮血が地面を彩る。

 負傷した右肩を庇いながら仁が札を放てば、それは武良上の眼前で爆発した。

 辺りに血と肉塊が飛び散り、爆煙が漂う。

「・・・・いってぇ・・・っ、けど聞いてた話より大したことはないな」

 頭部を吹き飛ばすつもりだったが、間一髪のところで武良上は右腕を犠牲にしたようだ。肩から下が無くなったその傷口からぐじゅぐじゅと新たな肉が再生しかけている。

(そう簡単にはいかないか)

 霊力を消耗している状態で鬼に攻撃しても大したダメージを与えられないことが分かっていながらも、それでも少しは身体に応えてくれないかと思ってしまう。

 一瞬で再生とまではいかないが、それでも完治した右腕を仁に見せつけるように擦りながら武良上は口角を上げた。次はどうする、と言わんばかりの余裕に満ちた表情だった。

「それにしても、よく俺が鬼だって気づいたね。もうちょっと時間稼ぎ出来ると思ってたのに」

「ウチには情報収集得意な奴がいるからな」

 仁と琥珀が足で情報収集するのなら、ネットワークを駆使して情報を仕入れるのは黎の得意分野だ。

 便利になった現代ではSNSが普及し、その中で「Feather」に通う生徒の気になる書き込みを見つけたのだ。

 一ヶ月ほど前に、一人の受講生がコーチに対して酷いことを言ったということだ。曰く、「大会で優勝経験があるだけで調子に乗るな」とか「あんたの指導はありきたりのことで全く身にならない」等々。挙げ句の果てには「怪我でプロを諦めた負け犬野郎」とまで言われたらしい。詳しく調べていくうちに、その受講生は高梨たかなし 幸介こうすけで、コーチの方が武良上だと判明した。

 高梨は幼稚園の頃からダンスを習っており、元々の運動神経の高さや優れたリズム感で出場したダンス大会で優勝を総なめしてきた。親をはじめとした周囲の人々に褒めそやされ、自尊心が肥大化し天狗になっていたのだろう。幼い頃から指導してくれた武良上を見下し、罵倒するくらいには。

 それから僅か十日ほどで、高梨は行方知れずとなり、無残な遺体となって発見された。

 これで武良上を疑うなというほうが難しい。そして案の定、武良上は鬼だった。

 熊崎を鬼にしたのか、それとも熊崎に鬼にされたのか、どちらが先に鬼になったにせよ、二人で共謀して有能な受講者を喰らっていたようだ。それも全身を喰うのではなくダンスに必要な手足をだけ狙って千切り他は捨てている。加えて、高梨に言われたことが余程気に障ったのだろう、縫い付けられた被害者の口はまるで、余計なことが言えないようにと主張しているようだった。

 だが、そこまでべらべらと喋る気は仁にはない。

 煽るようにべ、と舌を出し、左手の中指だけを立てる仁に、「意外と行儀悪いんだね」と武良上は口端を引き攣らせた。

「何だ、品行方正な良い子ちゃんかと思ってたか?」

「・・・・・・・・・・・・そうだね。そうだったら、良かったのに・・・」

 武良上の瞳が、どこか遠くを見つめるように虚ろになった。何かを思い出しているのか、僅かに揺れた焦げ茶のまなこは、刹那の瞬きの後深紅に染まりきっていた。

 その瞳に宿るは、明確な殺意。

 先程までの、お遊びが混ざっていたような軽い感じのものではなく確実に命を奪いにくると本能で察せられるものだ。ビリビリと肌を刺すような鋭く冷たい殺気を直に浴び、仁は一層警戒を強めた。

 いつでも札を放てるよう構えた指に力を込めた瞬間、武良上の姿が掻き消えた。残像すら残さず目の前から消えたと判断すると同時に、仁は即座に上体を前に倒す。刹那、頭上で突風が吹いたのを感じ、仁は思わず肝が冷えた。視界の端で捉えた鋭く伸びた爪を揃えて突き出された手刀に、回避行動が後ほんの僅かでも遅れていれば仁の頭は骨ごと貫かれていただろう事が容易に想像出来た。

 前屈みになった勢いを利用し左足を後ろに振り上げ突き出されたままの手を弾くと、そのまま右足で地面を蹴り宙で一回転。逆さになった体勢で武良上と向き合った瞬間、ガラ空きとなった胸目がけて札を放つ。武良上の胸元に張り付いた札は、眩い閃光と共にその身を焼き焦がす雷撃と化した。瞬く間に光が収縮する頃には武良上の全身は黒焦げ、炭になった指先が少し動いただけでボロ、と崩れる。

 臓腑も焼かれ、濁音混じりの掠れた言葉にもなっていない声を発する武良上。

 その胴に一撃入れようと仁は右足を突き出したが、腹にめり込む直前で綺麗な白肌に覆われた掌に受け止められた。

「・・・ッ」

 すぐに引っ込めようと膝を曲げるも、がっちりと靴を掴まれ抜け出すことが出来ない。そのまま目にも止まらぬ速さで足首を掴み直されると、ふわりと内臓が浮き上がる気持ち悪さを感じ、直後、背中を中心に全身に衝撃が襲った。肺の空気が押し出され、仁の呼吸が一瞬止まる。

 塔屋に投げつけられたのだと、必死に繋ぎ止めた飛びかかる意識の中、状況を判断した仁は痛む身体に鞭を打ち立ち上がろうとした。しかし、ダメージが大きく支えにした肘から頽れてしまった。

 呼吸する度に激痛が走る身体に、仁はふと琥珀の事が頭に浮かんだ。

 忍者は陰陽師を守る盾として、鬼を引きつける囮として、その役目上どうしたって陰陽師より怪我を負う事が多い。琥珀もまた鬼との戦闘の度に重傷を負い、その身体には無数の傷痕が今もなお残っている。骨が砕けようが肉が抉れようが役目を果たそうと懸命に鬼に食らいつく相棒の姿を見てきた。それに比べれば、ただ壁に叩きつけられたくらい何てことない。とてつもなく痛いが、骨にも内臓にも異常はないことは把握出来た。

 再度両腕に力を込め、仁はグッと上体を起こす。そこに、ふと影が差した。

 武良上が、いつの間にか音もなく仁を覗き込むようにして佇んでいた。逆光で表情は見えづらいが、爛々と光る一対の赤い燐光が冷たく仁を見下ろしている。

 不意に、フッ、と吐息のような笑いが武良上の口から漏れた。

「・・・・・・あの子もね、初めは良い子で可愛かったんだよ」

 独り言かと思うほど小さく呟かれた言葉に、仁は眉を顰めた。

 武良上の視線は何かを思い出すように宙を彷徨い、上向きで固定された。



 ――――本当に、良い子だったんだよ幸介君・・・。「コーチ! コーチ!」ってキラキラした目で俺を見て、次は何するの、僕頑張るよって。飲み込みも早くてメキメキ上達するから俺も教えるのが楽しくて・・・・・・。贔屓は良くないって分かっていたけど、あまりにも一生懸命だったからついつい。


 ――――でも、いつ頃だったかなぁ。急に態度が一変しちゃった。声を掛けても「うるさい」って言われて、他の人は思春期だからって笑ってたし、俺もそれなら仕方ないって思ってたけどショックだったよ。後から聞いたけど、幸介君、あの時スランプで周りに当たるほど自暴自棄になってたんだって。


 ――――それでも、言っていいことと悪いことの区別くらいはしてほしかったなぁ。怪我してプロでやっていくのを諦めたのは本当だけど、「負け犬」って・・・・・・。俺の悔しさも何も知らないくせしてよくもまぁあんなこと言えたよな。あー、今思い出しても腸が煮えくりかえる。


 ――――・・・だから、閉じなきゃいけないって思ったんだ。あんな人の気持ちも考えられずに簡単に侮辱の言葉が出てくる口を、永遠に開かせちゃいけないって。手足も、死んだらダンスなんて出来ないからいらないでしょ。人間って、手足がないと何だか達磨みたいで面白いんだね。俺、初めて知った。



 つらつらと、まるで役者のように喜び、落ち込み、悲しみ、怒りながら言葉を重ねた武良上は最後に喉奥でククッ、と笑うと、愉悦に歪んだ目で仁を見つめた。


「鷹乃森君も、もういらないよね」


 ゾッと背筋が粟立つ笑みに身体が反応するよりも速く、伸びた手が仁の喉を捉えた。勢いよく背中を壁に叩きつけられ、掴まれたままの喉がギリッ、と絞め上げられる。気道を塞がれ、満足に呼吸が出来ない。

「・・・・・・ッ、゛ァ・・・っ」

 ジタバタと暴れた仁の脚が武良上の銅や下半身を蹴り上げるが、弱っている人間の攻撃など鬼からしたら蚊に刺された程度の何の威力もない。脳に酸素が行き届かなくなり、目の前がチカチカと明滅する。

 意識が遠のきかけたその時、武良上の背後に揺らめいた影を仁は霞む視界の中気づいた。瞬間、目の前の武良上が吹き飛び、仁は急激に入り込んできた酸素に噎せ返った。解放された首を押さえ、地面に蹲って激しく咳き込みながらも仁は何とか顔を上げて映った影の正体を確かめた。

 風に乗って、漆黒の髪が舞う。

 すらりと伸びた見慣れない背、けれども見覚えのあるその後ろ姿に、仁は胸中で相棒にその選択をさせた無力な自分に静かに失望した。

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