1話
都内の中央部分に位置するその学園は、一見北欧のお城を彷彿とさせる外見で、美しくも厳格な雰囲気を醸し出していた。
星ノ咲学園。
中高一貫のエスカレーター式であり、創立から百十年は経つ歴史ある名門校である。元々は女学園だったが、生徒数の確保のために五年前から共学となり現在の男女の人数は半々となっている。
高い教養もさることながら「礼儀作法から人間は成り立つ」という校訓の元、基本的教育の他に社会に出ても困らないよう、言葉遣いを初めとするテーブルマナーやビジネスマナー、果ては失敗しない化粧の仕方など女子にも男子にも必要な作法を実践形式で教えてくれる。
授業内容が厳しい分、校則は比較的緩く“身だしなみが乱れていないかつ派手でなければ髪型やアクセサリー類は自由”、“アルバイトOK”、“休憩時間のスマホの使用許可”等がある。
作法の他にも将来を幅広く選択できるようにと、工業、農業、商業、政治あらゆる専門学科にも力を入れている。
そんな現代社会に出ても困らないような知識を中学から学べるとあり、是非ウチの子を、と入学を希望する親が後を経たない。
真夏のじりじりと焼け付くような厳しい日差しの中、星ノ咲学園高等部二年に一人の編入生がやってきた。
偏差値も高く、学費もそれなりにかかるため編入となると足踏みをしてしまうこの学園に編入生ということで、どんな子なのだろうと、一年スピカ組は浮き足立っていた。
朝のホームルームを知らせるチャイムと共に教師が教室に入ってくる。口元に薄らと皺が刻まれた小太りした中年男性だ。
「はい、皆おはよう」
「「おはようございます!」」
教卓前に立った教師の挨拶に、生徒達が元気よく挨拶を返す。それに満足そうに頷き、教師は朗らかに続ける。
「昨日伝えたように、このクラスに編入生がくる。皆、仲良くするように」
短く簡潔にそう締め括ると、教師は教室の外で待機している編入生を呼ぶ。
横開きの扉が開くと、ローファーの踵をカツン、と鳴らし一人の少女が教室に足を踏み入れる。
ほう、と誰かがうっとりとした溜息を吐いた。
ぴょこぴょこ跳ねた艶のある漆黒の短い髪に、月を思わせる鮮やかな金色の瞳。陶器のように色白の肌で、その整った顔立ちは中性的だ。これが男子の制服を身に纏って登場していたら、女生徒達が黙ってはいないだろうというくらいに端麗だった。丈が短いスカートから生える脚はすらりと細いが、程良く引き締まっており前列の男子生徒がゴクリと唾を飲み込む。
教卓前に立った少女は、黒板の真ん中にバランス良く達筆に自分の名前を書くと、手についたチョークの粉を軽く払い生徒の方を振り返る。
「月守琥珀です。父の仕事の関係でこちらに引っ越してきました。一日でも早く学校生活に慣れるよう頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」
凜とした声でお手本のような挨拶を告げると、琥珀はたおやかに微笑んだ。
瞬間、湧き上がる拍手。
事前に用意された席に向かう途中で幾度も掛けられるよろしくね、などの声に丁寧に対応しながら、琥珀は普段そんなに使うことのない表情筋が痛みを訴え始めていることに気づいた。
事の始まりは二週間ほど前。一軒家で起こった殺人事件の二日後の事だった。
「潜入調査?」
リビングの床に直に座って本を読んでいた琥珀は、丁度ページをめくろうとしていた手を止め怪訝そうに背後を見やる。
すぐ後ろには、家主がこだわりにこだわった低反発素材のL字型ソファが鎮座しており、そこに家主である青年が数枚の書類片手に腰を落ち着かせていた。
青みがかったざんばらの髪に、切れ長で黒曜石のような瞳をした青年の名は鷹乃守仁。
仁は右斜め前にいる琥珀を蹴らないように気をつけながら長い足を組み替えた。
「二日前の一家殺害事件・・・、そしてその前に起こった二つの一家殺害事件。全部鬼の仕業で間違いない。微かに邪気が残っていた」
琥珀と仁は、現代に実在する鬼を狩る組織である“国家公認隠密鬼狩り協会「柊の牙」”に所属している。「柊の牙」は主に陰陽師と忍者で構成されており、仁が陰陽師、琥珀が忍者である。
忍者は常人離れした身体能力を活かし陰陽師を守りつつ鬼の気を引き、陰陽師は忍者が囮となっている間に鬼を葬る術を練るという形で、鬼狩りは行われてきた。そのため、陰陽師と忍者は基本二人一組での行動が原則となっている。
ちなみに、メインが鬼狩りなだけであって、霊などの怪異的存在も取り扱っている。
ポンポン、と仁が自分の右隣を叩くので、琥珀は読み途中のページに栞を挟んだ本を閉じて卓上に置くと、仁の隣に腰を下ろす。その際視界に入った『簡単! 人間の解剖方法』という何とも不気味な本の題名を、仁は見ないことにした。趣味は人それぞれだ。
「この三つの事件には共通点があった」
仁は手にしていた十数枚の書類の中から、三枚を取り出し琥珀に渡す。
記載されていたのは被害に遭った三つの家の家族構成とその詳しい内容だった。速読を会得している琥珀は、一分もしない内に読み終えるとなるほど、と頷く。
「それぞれの家の子供は全員、星ノ咲学園の生徒だ」
家族構成は母子家庭だったりと裕福な家庭だったりとバラバラだが、その家の子供は星ノ咲学園に通っていた。学年は三人ともクラスは別だが高等部一年生で、性別は全員女子。
扇状に広げた紙を見比べ、琥珀は呟く。
「・・・・・・いじめ、か?」
「確かに学校といったら、大抵それが多いな。、もしくは他校で妬んでる奴か痴情のもつれか、学校が被ったのはたまたまで、親が恨みを買っていた、とかな」
鬼になる者は、恨みや憎しみなどの怨念から人間が鬼に変異するか、鬼に傷をつけられた人間が次第に鬼に転じてしまうかのどちらかだ。
学校関連のほとんどは、いじめに遭っていた被害者が鬼に変異し加害者を食い殺すという事例が多い。今回もそれだろうかと推測した琥珀だったが、仁の言葉に早計だったと考えを改め直す。
「ま、理由がどんなであれ俺たちは鬼を狩るだけだ。次の犠牲者を出さないようにな」
「それで潜入調査か」
「協会は、学園の生徒が鬼だと睨んでる。それに、それが一番手っ取り早いしな」
仁から新たに手渡された紙に目を通し、琥珀は任務内容を確認する。学園内部に潜入し鬼を見つけ出せ、と何とも簡潔に書かれている。
「臨時教師として潜入するのは大変だろうが、仁なら大丈夫だろう」
「は? 潜入するのはお前だぞ、琥珀」
何言ってるんだ、とでも言うように片眉を器用に上げる仁に、琥珀は首を傾げる。
「前回あった潜入調査も私が行った。その前もだ。流石に不公平じゃないか?」
「不公平も何も適材適所だ。こういうのは同い年の方が警戒されにくいんだよ」
「・・・せっかく取った教員免許はいつ活かすんだ」
「いつかは活かす」
しれっと口にしながら、仁は呆れる琥珀の手から書類を回収し纏めると、傍らのファイルに手早く片付けた。そのまま右手を伸ばし琥珀の滑らかな右頬を指の背で撫でると、仁は柔く微笑む。思いやりと信頼で満ちた優しい瞳を、琥珀は真っ直ぐに見つめ返す。
「頼りにしてるんだよ。お前はしっかり者だから今回の任務も安心して任せられるって。だから頼むよ、な?」
幼い子供に言い聞かせるような穏やかな声音でそう紡がれた言葉に、琥珀は何か言いたそうに唇を動かしたが、結局出てきたのは重い溜息だった。