18話
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武良上は相対している仁達に丸くしていた目を戻し、「あぁー」と納得したような声を上げた。
「なるほど、交渉は失敗しちゃったのか」
佐伯は思わず武良上に助けを求めようとして身動いだが、それよりも先に琥珀が武良上の方に身体を向けて刀を構えた。
「やっぱりあんたも鬼だったか、武良上コーチ」
「そういう鷹乃守君だって陰陽師だったんだね」
「知っていて泳がせてたんだろ」
ハッ、と吐き捨てるように仁は笑った。佐伯が見たことない、冷徹さを含んだ笑みだった。
だが、すぐにその笑みを消すと、仁は懐から二枚の札を取り出し武良上と熊崎にそれぞれ投げつけた。風を切り、二人の足下に張り付くと同時に札が爆発した。熱気を帯びた爆風と煙が周囲を覆い尽くし、敵の視界から仁達の姿が隠される。
「琥珀、佐伯をここから避難させろ。なるべく遠くにだ」
その指示に、琥珀は微かに動揺を露わにした。
「断る。お前を守るのが私の役目だ。置いていくことは出来ない」
動揺は一瞬。すぐさま冷静さを取り戻し、煙の向こうにいる武良上と熊崎に警戒しながら、琥珀は異議を唱えた。
「このままじゃ佐伯を巻き込む。俺よりお前の方が佐伯を抱えたままでも速い」
「だが仁、お前は今・・・っ」
「琥珀」
それ以上は駄目だと言うように、仁が鋭く琥珀の名を呼んで制した。
ギリッ、と琥珀は歯噛みした。
仁の指摘は尤もだ。あまり広さのない屋上で戦うとなると、佐伯を守りながら鬼二体を相手取るのは難しい。だからといって、琥珀は仁を一人置いてこの場を離れるのは躊躇われた。
今の仁は空間転移の術によって霊力を酷く消耗している。そんな仁に鬼二体の足止めをさせることは自殺行為に近い。鬼に決定打を打てない琥珀よりも仁がこの場に残る方がまだ勝機はあると頭では理解しているが、琥珀の心がそれを拒んだ。
それでも―――――。
「琥珀、大丈夫だ」
仁がそう望むのなら。
「行け」
琥珀は従うしかない。
「・・・すぐ戻る」
「頼んだ」
苦笑う仁の声を背に、駆け出した琥珀は刀を口に咥えると、かっ攫うように固まったままの佐伯を右腕だけで抱え上げ、反対の手で松葉杖を取った。そのまま屋上の縁を蹴り、飛び降りる。
十五mは優に超える高さからの落下に、佐伯は絶叫した。
「え? えぇぇえああああぁあぁぁああっ!??」
「ひらふぁみあうお(舌噛みますよ)」
耳元での大声に鼓膜がキーンッ、となりながらも、琥珀は軽やかに地上に着地した。
バクバクと心臓が口から飛び出そうなほど脈打ち、佐伯はプルプル子犬のように震えていた。あの高さから飛び降りて無事でいることが信じられなかった。
硬直状態の佐伯を抱え直し、琥珀は屋上を振り仰ぐことなく駆け出した。
「危ないなぁ」
薄らいでいく煙の向こうで、人影が揺れる。
新しい札を構えた仁は、気づいた。
気配が一つ足りない。
しまった、と思った時には武良上がすぐ目の前に迫っていた。
焦燥が、琥珀の胸中を占める。早く、早く、佐伯を安全圏まで避難させ相棒の元へ戻らなければならない。
佐伯の身体に負担がかからないようセーブはしているが、琥珀は疾風のごとく街を疾走していた。しばらく走り続けたところですぐ先の建物の陰から現れた二つの人影に気づき、琥珀は慌てて急停止した。危うく正面衝突するところだった。
「わぁっ!? ごめん大丈夫・・・って佐伯!?」
「え? あ、ホントだ。てか、え、どういう状況?」
「俺も何がなんだか・・・・・・」
人影の正体は久保塚と夏本だった。
二人はそれぞれバイトと帰宅にと分かれても、大学での佐伯の様子がずっと気にかかっていた。そんな折、夏本の携帯に友人から“Feather”の方に向かう険しい顔をした佐伯を見かけたという連絡が届いたのだ。急いでバイト中の久保塚に知らせれば、久保塚はバイトを早退を決め、夏本と合流し今に至る。
佐伯が見知らぬ少女に抱き抱えられている構図に、揃って困惑している。しかも少女の方は凶器を銜えているのだ。
琥珀は一瞬逡巡した後、佐伯と松葉杖を二人に押しつけるようにして渡し、銜えていた刀を右手に握り直した。
「彼を連れて遠くに行ってください」
「え、ちょ、何っ?」
「待て、君は一体何だ? それ本物の刀だろ、佐伯は何かトラブルに巻き込まれてるのか?」
「詳しくは言えません。何も聞かず、早く――――――ッ!」
ぐいぐいと言及してくる夏本の背を押していた琥珀は、背後に迫った気配に反射的に刀を振った。ガキンッ、と甲高い音が響き、火花が飛び散る。奇襲してきた相手はバク転で距離を取ると、その口からグルル、と獣の如き唸り声を発した。
街灯に照らされたその顔に、佐伯達は見覚えがあった。佐伯達と同じ初心者コースに通っている受講生の青年だ。昨日も彼らと同じ時間帯でレッスンを受けていた。
名前は浦川 瑞樹。K-POPアイドルを目指す彼は美容にも気を配り、キメ細かい甘めの顔立ちをしていたが、今やその見る影もなく悍ましい形相をしていた。目は落ち窪み、口は耳まで裂け鋭い歯が覗いている。
おおよそ人間の顔とは言えないそれに、佐伯達の表情が凍り付き、誰かの喉奥からヒッ、と引き攣った悲鳴が零れた。
「走れ」
浦川を見据えたまま、琥珀は背後の三人に鋭く言い放った。それでも彼らは金縛りにあったかのようにその場を動けなかった。
「早く!!」
今度は怒鳴りつけるような声音で琥珀が吠えれば、一番最初に反応したのは夏本だった。状況は全く分からない。だが、今はこの少女の言うことを聞いた方が良いと判断した。夏本は表情を引き締め久保塚の背を叩くと、佐伯の右腕を自身の肩に回させた。
「行くぞ!」
「えっ、でも・・・」
「いいから行くぞっ!」
戸惑う佐伯を有無を言わさず引きずるようにして、夏本は走り出す。久保塚も夏本に倣って佐伯の反対側の腕を肩に回した。
バタバタと慌ただしく去って行く気配を背中で感じながら、琥珀は得物を静かに握り直す。刹那、浦川の姿が掻き消えた。ふっ、と息を吐き、琥珀が刀を胸の前に構え腕に力を込めたと同時に浦川が鋭く伸びた鉤爪で襲いかかってきた。一撃目は刀で弾いて防げたが、間髪入れずに下から振り上げられた爪に琥珀は右脇腹を抉られた。鮮血が飛び散り、焼けるような激痛に上がりそうになった声をグッ、と堪えると、琥珀は頭を勢いよく浦川に叩きつけた。骨が砕ける音が響き、怯んだ浦川の鳩尾に今度は鉄を仕込んだ靴先で蹴りを食らわせる。胃液を吐きながら後ろに数メートル吹っ飛んだ浦川は、地面を数回転がった。
「が、・・・オォ・・・・・・ッ、ボク、のガオ、ガアあぁアアアアァアアァ・・・ッ!!」
血が噴き出すひしゃげた鼻を押さえ、浦川は気が触れたように絶叫した。
鬼化して理性もとうに飛んでいても、人間の頃に大事にしていたものを覚えているようだ。それを治るとはいえ傷つけられ、浦川は悲しみ、そして怒った。憎悪に満ちた眼が、琥珀を射貫く。
「ヨグ、モッ、ヨグモォッ」
「――――ハァ、何を手間取っているかと思えば」
その時、コツリと靴音を響かせて浦川の背後に熊崎が現れた。
「やはり、適当に人数を増やすものではないな。こんな低俗な鬼しか出来ない」
自分に目もくれず激昂している浦川を見下ろすその目には、呆れと軽蔑の色が滲んでいる。
元々、“柊の牙”の連中を撒くためにもう一人か二人ほど人数を補充しておきたく、それで白羽の矢を立てたのが佐伯と浦川だった。だが、佐伯には断られ、せっかく確保した浦川は鬼化したのがつい先日のことで理性が曖昧だ。現に、もう顔は治っているというのに粘着に顔について吠える姿は理性の欠片もない。
もう一度深い溜息を吐いた熊崎は、ぐるりと首を回した。
「仕方がない。私も働くとするか」
瞬間、熊崎の瞳が紅く染まり、口が耳まで裂け始める。黒い瘴気が彼の足下から漂い、空気がべっとりと纏わり付くように重くなっていく感覚に、琥珀は僅かに息苦しくなった。
ブチブチと肉が引き千切れる音と供に、熊崎の体格が一回り大きくなる。獣臭い息を口から零しながら、人と鬼の中間の姿を取った熊崎がギョロリと琥珀を見下ろした。
(・・・これは、まずいな)
いつでも迎撃できるよう身構えながらも、琥珀は圧倒的状況の不利に薄らと額に汗を滲ませた。
複数体の鬼の相手をしたことはあるにはあるが、それは仁がいること前提での話であって、一人では対処したことがなかった。
それでも、琥珀はやるしかない。相棒が待っているのだ、早く駆けつけなければならない。
二体の鬼を前に、琥珀は覚悟を決めた。
身体の奥底に意識を集中させ、そこに眠っているものを引きずり出す。すると、琥珀の胸の前に、“封”という文字が淡い光を発し、浮かび上がった。
これは、琥珀の中に居る、琥珀であり琥珀でないものを封印するための術。それを琥珀は今、解き放とうとしていた。
琥珀は文字を掴み取ると、渾身の力を込め粉々に握り砕いた。パキィンッ、とガラスが割れるような高い音を立て、文字だった破片が宙に霧散する。
変化が起きたのは、そのすぐ後だった。
琥珀の金色の瞳が血のように真っ赤に染まり、白目が黒に浸食されていく。額からは前髪を掻き分け、二本の黒曜石の如き黒い角が突き出した。
熊崎は目の前の光景に絶句した。鬼を退治する組織に所属する人間が、明らかに自分達と同じ鬼に変異しているではないか。
どす黒い瘴気が琥珀の身体を包み込む。熊崎のものよりも濃く、酷く澱んでいるそれに、熊崎は思わず嘔吐いた。その中から瘴気を裂くようにして出てきた琥珀の様相に、熊崎は更に息を呑んだ。
十㎝以上伸びた身長、まだ幼さが残っていた顔立ちは大人び、美しくシャープなものとなっていた。短かった髪も、腰辺りまで長くなり風に煽られて艶やかにうねる。
子供から大人の姿へと変貌した琥珀は、鋭く尖った牙を見せてうっすらと嗤った。




