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忍陽  作者: 雪嗣
18/21

17話

 どれだけ来るなと願っても時は進み、朝日は昇る。

 松葉杖をつきながら大学の廊下を歩いていた佐伯は、窓から照りつける太陽を憂鬱な面持ちで見上げた。

 あの後、どうやって部屋に帰ったのか覚えていなかった。気づけばベッドにもたれるようにして眠っており、窓から差し込む朝日で目が覚めた。変な体勢で寝ていたせいで全身がギシギシと痛み、首は右を向くことすら辛い。

 佐伯は深く溜息を吐き出した。

 身体の不調とは別で、気分が晴れない。

 昨日のことを夢だと思いたかったが、今朝着替えるために服を脱いだら右肩にくっきりと手形が残っていて絶望した。

 答えはまだ出ていない。自分が一体どうしたいのか、佐伯は分からなくなってしまった。ぐるぐる、ぐるぐると、殺意と恐怖が腹の底で回り続けている。

「さーえーき」

 太陽を仰いだまま立ち竦んでいると、背中を軽く叩かれ佐伯は振り返った。

 叩いたのは久保塚で、その横で夏本が「よっ」と片手を上げた。

 二人は佐伯とは別の講義を取っており、この後合流する予定だった。

「悪い、教授の話が長引いて・・・ってどうした? 何かあったか?」

 夏本に心配そうに顔を覗き込まれ、暗い表情のままだったと気づいた佐伯はパッと笑顔を作った。

「いや、何もないぞ」

「はい、ダウト。何年一緒にいると思ってんだよ、お前の嘘なんかすぐ分かるっての」

「言いたくないんなら無理には聞かないけどさ、あんま一人で抱え込みすぎんなよ」

 素っ気ない態度を見せながらも、二人共その声音は確かに佐伯を案じていた。

 途端熱いものが胸の奥から込み上げてきて、佐伯は悟られないように深く息を吸い、気持ちを落ち着かせる。

 夏本と久保塚に今の心情をぶちまけたい。

 バイク乗りに対する殺意と、二人に嫌われたくない恐怖に雁字搦めになっているこの胸の内を、聞いて欲しかった。


『他言すれば二度と友達には会えなくなるぞ』


 昨夜、熊崎に言われた言葉が脳裏を過ぎる。

 佐伯に何か起こるのか、それとも夏本と久保塚に何か起こるのか、どちらの意味で捉えるべきなのか判別出来ない。前者ならまだいいが、二人が居なくなってしまうことは佐伯にとって何より恐ろしいことで避けなければならないことだった。

 二人がいてくれるから、二人と一緒だからダンスだって頑張れるし、ダンサーへの夢を実現できるような、そんな気がする。もちろん、ダンスを抜きにしても大切な親友であることに変わりない。

 ゴク、と口内に溜まった唾を飲み込み、佐伯は口を開いた。

「もし・・・もしも、さ・・・・・・。俺が何か悪いことしたら、二人はどうする・・・?」

 言って、佐伯はすぐに後悔した。

 これでは、悪いことをしますと宣言しているように聞こえる。

 夏本と久保塚もそう捉えたのか、息を呑み、そして今まで見たことがない真剣な表情をした。茶化すこともはぐらかすことも許さない、そんな空気を醸し出している。

「それは、あれか? お前をそんな目に遭わせたバイク乗りに復讐したいってことか?」

 低い声で、久保塚はそう問うた。

 まさか真っ向から聞かれるとは思わず、佐伯は一瞬言葉に詰まった。

「い、いや、そうじゃなくて、復讐とかほんとに思ってなくてただの世間話っていうか、もしもの話っ。そんな真剣にならなくて大丈夫なやつだから!」

 わたわたと松葉杖を脇で固定して両手を振る佐伯に胡乱な視線を向ける久保塚の横で、考え込んでいた夏本がそれなら、と告げた。

「その悪いことの度合いによるな。いたずら程度の、くすぐったり驚かせたりとか他の人があまり嫌な思いをしないようなものなら乗る。だけどそれが犯罪まがいのものなら、殴ってでもお前を止める」

「な、殴るのか・・・?」

「殴る。殴って、落ち着いたら飯でも食いに行ったりどっか遠くに出かけたり・・・、お前が変な気を起こさなくなるまで好きなことやらせる。それでも駄目だったら、その時に考える」

「現実的に考えて、復讐は駄目だよなぁ」

 夏本の答えを肯定するように、久保塚が続いた。

「俺も夏本の考えに賛成かな。物理的に考えて、刑務所・・・今は留置所か、にいる加害者にどうこうするのは難しいし・・・ていうか、怪我させても反省の色がないクソ野郎のことに頭持ってかれんのはすっごい腹立つ。そっちに意識持ってくくらいなら早く怪我が治るように療養して、加害者の尻の毛までむしり取るくらい慰謝料を取れるだけ搾り取って、どれだけ愚かなことをしたのか身を持って分からせる」

 そう言って、腕を組んだ久保塚はニィ、と悪い笑みを浮かべた。

 あまり見ない類いの親友の笑顔に、佐伯は思わず「ヒエッ」、と怯えた声が漏れた。

 その横で、夏本が至極当然と言わんばかりにうんうんと頷いている。

「確かに、慰謝料は貰わないとな。金貰ったからって佐伯の怪我が治るわけじゃないけど、それくらいしないと割に合わないだろうし」

「そーそー。佐伯の頭の怪我、数針縫うだけで済んだけど打ち所悪かったら最悪の可能性があってもおかしくなかったんだから、罰は当たんない。むしろあっちに当たれ。ていうか佐伯が重傷であっちがかすり傷程度なのが今もマジで意味分かんねぇ、許すまじ!」

「大いに同感。でもまぁ・・・」

 怒りで自分の頭を掻き乱す久保塚を少し引いた目で見た後、夏本は佐伯に向き直り穏やかに微笑んだ。

「もし佐伯が本当に悪いことするんなら、俺も付き合うよ」

「・・・え・・・・・・」

 遊びに付き合うみたいな感じと声音で紡がれた言葉に、佐伯は瞠目した。あまりにもいつも通りの調子で言われたため、一瞬聞き間違いかと思った。

「あ、夏本、抜け駆けはずるいぞ。佐伯、俺も一緒に付き合うからな」

 久保塚が、はいはいと右手を挙げる。こちらも、いつもの遊びに参加する時のような調子で言うものだから、聞き間違いでないことに佐伯は更に困惑した。

「なんで・・・」

 問いかける声が震えた。

 何故そんな簡単に言えるのだろうか。否、言うだけならば簡単だ。いざとなるとどうなるのだろうか。

 疑心暗鬼に陥る佐伯に、夏本は不思議そうに首を傾げた。

「友達が困ってるのを助けるのは当然だろ」

 これまた雨が降っていれば傘を差すのは当たり前くらいの軽さで言われ、佐伯は一瞬目眩がした。

 その困っている内容が、もしかしたら犯罪を犯すことかもしれないのに、夏本も久保塚も臆した様子はない。

「元々、久保塚と話し合ってたんだ。もし佐伯が本気で復讐を考えてたら付き合おうって。あぁ、気にすることないぞ、お前の為っていうのも勿論あるけど、自分の為がでかいからな」

「?」

 意味が分からないと眉を顰める佐伯に、夏本は大仰に溜息を吐いた。

「考えてもみろ。お前が加害者に復讐した結果逮捕なんてされたら俺達の精神ダメージヤバいことになるからな。“事故の被害者、加害者に復讐か”的な感じでニュースになって、佐伯さんはどんな人でしたかって友人枠でインタビューされるんだ。想像しただけで精神が死ぬ」

「それにさ、逮捕されちゃったら絶対刑務所行きだろ。面会って身内しか出来ないらしいし、こうして佐伯と過ごす時間がなくなるくらいなら、共犯者として一緒に地獄までついていこうかなって。俺達はチームだからな」

 いたずらっ子のような無邪気な顔をして、久保塚が笑う。

「大丈夫だ佐伯、何があっても俺達はお前を嫌いにならない。どんな決断をしたって、最後まで付き合う覚悟は出来てる」

 刹那、佐伯の心を占めたのは狂おしいほどの歓喜だった。

 加害者への殺意と同時に芽生えていた、二人に軽蔑されたくないという恐怖。それを払拭する言葉を与えてくれたどころか、人の道を踏み外し共に地獄に墜ちてくれるという。

 大事な友達が家族もダンスも捨てて、あくまでも自分達の為だと嘯いてまで佐伯の為に手を汚してやると、そう宣言したのだ。

 これが喜ばずして何というのか。

 熱いものが両頬を伝い、ひく、と喉が引き攣った。

 二人の優しさに、溺れてしまいそうだった。

 まともに二人の顔が見れなくて、佐伯は嗚咽を漏らしながら俯いた。

「よーしよし、いっぱい泣け。佐伯はホントにしんどい時は明るく振る舞うからお兄ちゃん心配」

「・・・ぅ、れ、が・・・・・・っ」

「“誰がお兄ちゃんだ”だと。無理して喋んな、今はとりあえず泣いとけ」

 夏本と久保塚がそれぞれ佐伯の頭や背中を撫でる。

 その掌の温もりに、佐伯の目から更に涙が溢れた。

 ありがとう、としゃくり上げながらの言葉は綺麗な形として紡がれなかったが、それでも二人は気にするなと笑った。













 煌々と輝く満月が、街を淡く照らす。

 時刻は午後二十二時。

 佐伯は熊崎の指示通り“Feather”の建物の屋上にいた。五階建てのこの施設はエレベーターなんて便利なものはないため、佐伯は予定時刻の三十分前には来て階段をえっちらおっちら上ってきた。

 内心、何で屋上にしたんだよと恨み言を吐いていたものだ。

 佐伯が屋上に着いて数分程経ってから、熊崎が悠々と現れた。汗を額に滲ませて少々疲弊している佐伯を見て、ニヤニヤと嘲笑っている。

「あぁ、怪我のことを考慮していなかったよ。すまないね」

 何とも白々しい台詞に、流石の佐伯も苛立ちが沸いてくる。

「それで? 答えを聞こうか」

 笑みを浮かべたまま、熊崎は無駄話は惜しいと言わんばかりに本題に入った。

 松葉杖を握る手に力が込もり、佐伯は一度深呼吸をした。

 緊張か、それとも恐怖からか言葉を紡ごうと開いた唇が震える。唇だけではない、全身がカタカタと震えていた。

「お断りします」

 それでも、佐伯ははっきりと自分の意思を告げた。

 ピク、と熊崎の眉が動き、「何?」と不可解そうに声を上げた。

「確かに、あのバイク乗りのことは許せないし・・・許したくない。殺してやりたいって思った。あんなに誰かを強く憎んだのは初めてだった・・・」

「それなら」

「それでも」

 熊崎の言葉を遮り、佐伯は一拍置いて続けた。

「それでも、俺はあいつらと・・・友達といたいんだ。あんな優しい友達にこれから先会えるかどうか分からない。あいつらと一緒にいれなくなるくらいなら、俺は復讐なんてしなくていい」

 復讐と友達。天秤に乗せられた二つの選択で悩み迷った結果、佐伯は後者を選んだ。

 夏本と久保塚の決意と覚悟を聞いた今、佐伯の心に巣くっていた恐れは消え去った。二人が地獄まで共に来てくれるというのなら、怖いものなど何もないと思えるほどに。

 そんな二人と一緒にいられるのなら、復讐に囚われるよりも夢を目指す未来を歩みたいと強く望んだ。

 沈黙が流れた。

 震えは止まったが、俯いたままの熊崎が何を考えているのか分からず佐伯はゴクリと唾を飲み込んだ。

「――――そうか」

 ようやく発せられた言葉に、落胆の響きはなかった。それよりはどことなく失望の感じに似ていた。

「残念だよ」

 緩慢に上げられた熊崎の表情を真正面から捉えて、佐伯は引き攣った悲鳴を漏らした。

 その顔は、明らかに人間のものではなかった。

 瞳は血のように赤く染まり、耳まで裂けた唇から覗く歯は全てギザギザに鋭く尖り、トラバサミを連想させた。

「あぁ・・・本当に残念だ。君なら私達と同じになれると思っていたのに・・・・・・」

 背筋が粟立つほどにおどろおどろしい声だった。

 熊崎が一歩、また一歩と佐伯に近づいていく。

 様相も纏う空気も変わった熊崎に恐怖を覚え佐伯は急いで逃げようとしたが、松葉杖につまづき顔から地面に思い切り転がってしまった。慌てて上体を起こし振り返れば、すぐ目と鼻の先に熊崎が佇んでおり、佐伯の身体が硬直した。

 熊崎が右腕を大きく振るった。その爪は鋭く尖り、月の光を反射して妖しく煌めいた。

 これから襲いかかる痛みを想像して、佐伯はギュッと目を瞑る。

 凶器と化した爪が佐伯の身体を引き裂こうとした瞬間、佐伯の右肩に五芒星が浮かび上がり周囲を呑み込むほどの閃光を放った。瞬きの輝きと同時にバチッ、と熊崎の右手が弾かれ、その掌は酷く焼け爛れるほどの火傷を負っていた。

 何が起こったのか分からず、佐伯は目を白黒させることしか出来なかった。

 熊崎も驚いた様子だったが何かに気づいたように頭上を見上げたかと思えば、突然その場から飛び退いた。刹那、上から勢いよく落下してきた黒い影がつい一瞬前まで熊崎のいた場所に刃物を突き立てるように着地した。

 激しい衝突音と共に、砂煙が舞う。

 ゆらりと立ち上がった影は、とても華奢に佐伯の目に映った。否、実際その正体は華奢な少女だった。右手には、鍔のない直刀が握られている。

 立ち込める砂煙を斬るように刀を振り、少女――――琥珀は左手を天に差し出した。しなやかな指を揃えた掌に、一回り大きいがっしりとした男の右手が乗る。手を辿っていけば、見知った顔があり佐伯は瞠目した。口も開いたまま塞がらない。

 琥珀の手を頼りに、重力など感じさせない軽やかさでどこからともなく宙から地面に降り立ったのは、仁だった。

「無事か!? 佐伯!」

 琥珀と並んで佐伯を守るように警戒態勢を取った仁にそう問われ、佐伯はハッと我に返った。

「え、えっ? たか、のもり? 何で、え? 何が、どうなって・・・」

 様子の変わった熊崎に襲われかけたと思えば、仁が見知らぬ少女と一緒に突然現れて、と我に返ったはいいものの、佐伯の脳内は混乱に満ちた。

 そんな佐伯を気にかける余裕はなく、仁は札を構えながら熊崎を見据えた。

「陰陽師に忍者・・・。クソッ、そいつに印を付けていたとはな」

 回復の遅い火傷した右の掌を見下ろしながら、忌々しげに熊崎は舌を打った。

 佐伯を送っていったあの夜。いつもどおりを装いつつも、どこか気落ちしていた佐伯を見て、佐伯が鬼になってしまうことを危惧した仁は彼に印を付けていたのだ。佐伯の身に異常が起こった際、すぐさま飛んでいけるように。少し座標がずれ、頭上から現れることになってしまったが間に合ったのでここは良しとする。

 ジリ、と仁・琥珀と熊崎はお互い出方を伺い続け、頓着状態になった。

 だが、いつもでもこのままではいられない。先手を打とうと仁に目配せして琥珀が腰を僅かに落とした瞬間、

「あれ? これどういう状況?」

 第三者の声がその場に響いた。

 え、と吐息のように零したのは佐伯だった。

 仁と琥珀は氷の如く冷たい瞳で声の主の方に視線をやり、熊崎は面倒臭そうに顔を歪めた。

「武良上コーチ・・・?」

 建物の中に続く扉から現れたのは、レッスン時と変わらない柔和な笑みを浮かべる武良上だった。

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