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忍陽  作者: 雪嗣
17/20

16話

 それからまた数日が経った。

 一向に鬼は姿どころか気配さえも出さず、微かな不穏さに警戒する毎日だった。

(俺達に気づいて餌場変えたのか? でもそしたらそしたらで何かしらアクション起こしていそうだが・・・・・・)

 レッスンを始める前のウォーミングアップをしながら、仁は頭を巡らせる。

 事前に知らせがあり武良上は少し遅れて来るとのことで、仁ともう一人の受講生はこうして身体を解していた。

 一レッスン五人までなので本来ならこの時間に受講を予約している佐伯、夏本、久保塚の三人もいるはずだがまだ来ていない。

 何かあったのかと仁が眉を顰めていると、ガラ、と教室の扉が開かれた。

「ごめんね二人共、お待たせ」

 申し訳なさそうに眉を下げた武良上が背後を気にしながら部屋に入ってくる。

 その後ろから夏本、久保塚も続き、そして佐伯が入室した途端、仁は目を見開いた。

「どうしたんだそれ!?」

「いやぁ~、ちょっと事故ったっていうか・・・・・・」

 そう苦笑う佐伯は松葉杖をついており、右足にはギプス、頭部は包帯で覆われていた。右頬にもガーゼが貼られており、一目で大怪我を負っていることが分かる。

 曰く、一昨日いつものようにレッスンを受けてから帰宅していると、車通りが全くなかったことで調子に乗ったバイク乗りがウィリー走行をしていたという。だが、バランスを崩して横転、勢いよくバイクが転がった先に運悪く佐伯が歩いており、避ける間もなく衝突してしまったのが事の顛末だ。

 しかもそのバイク乗りは免許取り立てで、「映画で見て憧れたウィリー走行をやりたかったからやった」、「車もなかったし丁度良かった」と反省した様子もなく、挙げ句の果てに、あの時間にあそこを歩いていた佐伯が悪いだのと取り調べで逆ギレしたそうだ。

「いや、どう考えてもそのバイク乗りが悪いだろ」

 公道でのウィリー走行などの危険な運転は法律で禁止されている。

 禁止されていることをやって、加えて人に怪我をさせているというのに逆ギレとは、呆れてものが言えない。

 仁の言葉に夏本と久保塚が全力で首を縦に振り、そのバイク乗りに怒りを募らせている。

 佐伯の怪我の具合というと、バイクが当たった右足の脛にヒビ、その衝撃で倒れた拍子に地面にあった石で側頭部を打ちつけ八針縫合、右の頬もその際に擦りむいたものだ。頭部の怪我は一週間ほどで抜糸出来るが、足の方は広範囲に骨が割れており、全治まで最低でも六ヶ月はかかるという。

「今日はコーチに無理言って入れてもらったんだ。ダンスは出来ないけどレッスン中の二人を撮影して家で復習はしたいからさ。出来る限り二人は入らないようにするし絶対に誰にも見せないからっ、俺達だけで見るからっ!」

 ごめんだけど撮らせて欲しい、と両手を合わせて懇願する佐伯に仁は快諾し、もう一人はそういうことなら、と困惑しつつも頷いた。

 そうして予定時刻より遅れて始まった今日のレッスン。

 佐伯は受講生の前、武良上コーチ側の壁に寄りかかるようにして座り、携帯のカメラをスタンバイした。

 武良上がリズムよく手を打ち鳴らし、それに合わせて仁たち受講生はステップを踏んでいく。

 しなやかに、そして力強く伸ばされる腕、軽やかに上げられる脚、それらをカメラ越しに時折自分の目で見ながら、佐伯はどこか心あらずだった。

(・・・・・・いいなぁ)

 携帯を持つ手に、無意識に力が込もる。

(俺も踊りたい・・・。来週の進級テストで二人と一緒に中級コースに行くはずだったのに・・・・・・)

 完治まで約六ヶ月。しかし、ヒビが治っても固定され続けた脚は筋力が低下しているためリハビリが必要となる。それもまたどのくらいの期間がかかるか分からない。

 ハァ、と佐伯の口から重い溜息が零れる。

 夏本と久保塚の三人でチームを組むつもりだったのに、これでは考えを改める必要がある。二人は完治するまでこのままでいると言ってくれたが、佐伯を待つということは彼らの時間を無駄にしてしまうということだ。かといって、二人に先に進級してもらっても、それもまた自分が追いつくまで待ってもらうことになる。

(怪我、しなきゃなぁ・・・)

 鎮痛剤が効いているおかげで今は痛みがない右足に、佐伯はだんだんと苛立ちを覚える。そして、その矛先は加害者の方に向けられていく。

(俺が悪いってなんだよっ。明らかにウィリーなんて危ないのに公道でするそっちが悪いだろ。てか、結局あいつから謝罪も何もなかったな。いや、顔も見たくないけど! 取り調べで逆ギレする奴、どう考えても対面したらヤバいだろうし。あ~っ、でもやっぱりムカつくなぁ!)

 思えば思うほど不満や怒りが募っていく。

 浅はかに行動した者のせいで、自分は日常生活に支障をきたし、周囲に心配と迷惑をかけている。


 怪我をしなければ。

 あの時間、あの場所を歩いていなければ。

 バイク乗りがウィリーなんてしなければ。


 ―――――殺してやりたい。


 そんな考えが、ふと浮かんだ。

 浮かんで、すぐに頭から消し去ったが、それでも一度思ってしまった殺意はしつこくこびりついて離れなかった。

 心の底から思っただけに、佐伯はその本気度にぞっとした。

(・・・疲れてるせいだな、こんなこと考えるなんて)

 無理矢理に頭を切り替えると、佐伯は手元の携帯に集中しようとして、固まった。

 カメラは夏本と久保塚の足しか映っていなかった。考え事に夢中になっていたせいで手がいつの間にか下がっていたようだ。

(うわー! ごめん夏本、久保塚ぁー!)

 声に出さず謝罪と猛省をして、慌ててカメラを元の位置に戻す。

 そんな佐伯の様子を、扉の窓から覗く影があった。






「ほんとありがとな鷹乃守。正直助かったよ」

 後部座席に座り申し訳なさそうに頬を掻く佐伯に、仁は気にするな、と返す。

 レッスン後、電車で帰る佐伯を心配して久保塚が一緒に帰ろうとするのを佐伯が断っていた。実家暮らしの久保塚はスクールから二駅行ったところに家があり、佐伯はそのもう三駅進んだ場所の学生寮に住んでいる。夏本は二人とは反対方向に家があった。

 佐伯に付き添えば、久保塚は進んだ分また戻ることとなる。

 流石に申し訳ないと断る佐伯にでも、と食い下がる久保塚。膠着状態にどうしようかと夏本が悩み始めたところにシャワーを終えた仁がやってきて、「じゃあ二人とも車で送るわ」と有無を言わさずさっさと佐伯と久保塚を自車に放り込んで今に至る。盗聴器もあり、仁が連絡を入れる前に琥珀から佐伯を送っていくようメールが届いていたのには苦笑するしかなかった。

 ちなみに、飲み会に行った日ももちろん車だったが、居酒屋近くのコインパーキングに停め直して一晩置いておき、翌日回収したのだ。

 先に家に送り届けた久保塚は最後まで佐伯を心配し続け、何かあったらすぐに連絡しろと釘を刺していた。

 次の信号左で、という佐伯の指示に従って、仁はハンドルを操る。

「大学への通学は大丈夫なのか?」

「大丈夫大丈夫。寮と大学マジで近くてさ。徒歩五分もかかんないし同じ寮の友達が手伝ってくれるから。ぶっちゃけ通学距離で大学選んだもんよ、時間ギリギリまで寝るためにな!」

 佐伯は見事なドヤ顔を披露して突っ込み待ちをしたが、生憎、ここにいるのは大学というものに縁がない陰陽師だ。

 仁は佐伯の大学を選んだ理由に、それもありかと普通に納得していた。

 これが夏本と久保塚であればチョップと共に鋭い突っ込みが飛んでくるのだが、まぁいいか、と佐伯は座席に深く座り直す。

 車内は終始穏やかだった。

 佐伯が大学生活を面白可笑しく語って仁の笑いを誘ったり、お返しに仁が同居人(琥珀)の日常生活での珍行動をげんなりと話したりしていれば、あっという間に寮に到着した。同居人の話に、佐伯が少々引いていたのは余談だ。

 寮生以外は敷地内に入れないので寮の前の路肩に停めた車から降り、仁は後部座席のドアを開けた。松葉杖を預かり、佐伯が出てくるのを見守る。

「中まで付き添えなくて悪いな」

「規則だからしょうがないって。むしろここまで送ってくれただけでありがたすぎる」

 仁から受け取った松葉杖を脇に挟み、佐伯は屈託ない笑顔を見せた。

 それに仁も笑みを返し、無茶すんなよ、と佐伯の右肩をポンポンと軽く叩いた。

「それじゃあ、今日はほんとにありがとな。療養しないとだからスクールにはあんまし顔出さなくなるけど、夏本と久保塚はいるから。撮影もすると思うけど、その時は協力よろしくお願いします」

「分かった、でも佐伯に会えないのは寂しいな」

「えー・・・、さらっとそういうこと言う? イケメンめ」

「? 何言ってるんだ?」

 そんなやり取りをした後、いつまでもこの場所に停車している訳にもいかず、仁は後ろ髪を引かれる思いをしながら車を発進させた。

 黒の車体が闇に溶けるようにして消えていくまで小さく手を振って見送っていた佐伯は、深く息を吐いた。ずっと上げっぱなしだった頬肉をムニムニと揉みほぐす。

(ちゃんと笑えてたよな? 変な顔してないよな? 皆、普通の反応だったし多分大丈夫だ) 

 怪我をしてから、周りの反応が非常に気にかかった。佐伯が少しでも困ったり悩んだりした表情をすると、すぐに周りの人間が大丈夫か、と眉を下げて心配するのだ。一人では出来ることが少なくなった自分にはとてもありがたかったが、同時にその優しさが胸に刺さって痛かった。

 以前であれば、佐伯がそんな表情をしていたら「お、恋の悩みか?」と茶化しながら聞いてくれたのに、今は血相を変えて佐伯を心配するのだ。本音を言えば、以前のように接してほしい。

(・・・自分勝手だなぁ、俺)

 助けてくれる友達に恵まれているというのに、なんて欲張りなのだろうかと佐伯は自己嫌悪に陥りそうになった。

 怪我のこともあり、いつもならパッと切り替えられる思考がどんどんネガティブな方へ傾いていく。

 こういうときはさっさと寝るに限ると松葉杖を進行方向に動かした時、不意に佐伯は声をかけられた。

「おや、君は確か・・・」

 聞き覚えのある声にそちらに顔を向けた途端、佐伯は思わずげっ、と言いそうになり、慌てて呑み込んだ。

 街灯に照らされてそこに立っていたのは、上級者コースを担当している熊崎だった。

 直接的な関わりはあまりないが、彼に対して佐伯はあまり良い印象を抱いていない。

 明らかにこちらを、というより、初心者コースのメンバー全員を見下している態度が隠れていなかった。むしろ見せつけている節があった気がする。

 やれあの受講生はウチのレベルについていけず数ヶ月で辞めるだろうとか、やれこの間入った子はこれ以上上手くならないだとか、色々言っていたのを思い出す。

 熊崎は佐伯を頭から爪先までジロジロと視線を滑らすと、フン、と鼻を鳴らした。

「怪我をした受講生がいると聞いていたが、君だったのか」

「えー、まぁそうです。熊崎コーチはどうしてここに?」

「家に帰るために決まっているだろう」

 小馬鹿にしたように、熊崎は口端を上げた。

 佐伯は、熊崎が自分と同じ最寄り駅を利用していることに内心最悪だと叫んだ。

「それにしても、運がないとはこのことだな。進級テスト間近で怪我をするとは」

 その一言にグッ、と唇を噛み締めた佐伯に熊崎は更に言葉を重ねた。

「それに、他人に手助けしてもらわないと日常生活も満足に送れないときた。階段の上り下り、荷物持ち・・・君が今まで出来ていたことも代わりにしてもらわなければならない。何人が自分の時間を浪費するんだろうな? 想像するだけでも罪悪感で潰れてしまいそうだ」

 言葉がナイフとなって佐伯の心を突き刺していく。わざわざ言わなくても分かっているよ、と声に出さず毒づく。

「あぁ、あと、怪我をきっかけにダンスを辞めていく受講生が一定数いてね」

「・・・・・・俺も、そうなるって言いたいんですか」

「それは君次第だ。だが、君は友達とチームを組むとかなんとか言っているそうじゃないか。君を待っていたら、友達はいつまでも初心者コースのまま。時間も金も無駄になる。かといって友達が先に進級しても、取り残された君は彼らと開いた差を埋めるために一から頑張らなければならない・・・。果たしてその頃に友達は君を待っていてくれるだろうか」

「・・・っ」

 佐伯は言葉に窮した。

 熊崎が言ったことは、佐伯自身が思っていたことそのものだったからだ。

 腹の奥底でマグマのように煮えたぎった感情がぐるぐると巡っている。

「・・・コーチには、関係ないことです・・・・・・・・・」

 怒鳴りつけそうになる激情を堪え、佐伯は絞り出すように告げた。

 顔を伏せ微かに震えている佐伯を見て、熊崎は笑みを深めた。

「まぁそうだが・・・、いや何、これでも同情しているんだよ。未来ある若者が、たかが怪我ごときで夢を諦めてしまうことに。そこで、一つ提案があるんだが」

「提案・・・?」

「――――その怪我を今すぐにでも綺麗に治してあげよう」

「・・・・・・は?」

 サラリと告げられた言葉に、佐伯はポカン、と口を開けた。

 全治六ヶ月の怪我を、今すぐに治すとは。唐突なのもあって意味が理解できない。

 戸惑う佐伯を余所に、熊崎は続ける。

「代わりに私達の手伝いをしてもらう。といっても、これは君にも必要なことだからね、必然的にやらざる終えなくなる。悩むことはない、怪我が治って友達に置いていかれることなくまたダンスが出来るんだ。君にとっても友達にとっても良いことだとは思わないか?」

 ついでに、と弓なりにしなった熊崎の目が佐伯を射貫く。


「君をそんな目に遭わせたバイク乗りに復讐できるぞ」


 それは、どこか甘美な響きを持って、佐伯の鼓膜を、心を震わせた。

 忘れようとして、でも忘れられなかった殺意が鎌首をもたげて思考を埋め尽くしていく。

 本当に、そんなことが可能なのか。

 怪我が治るだけでなく自分がしでかしたことを省みず、あまつさえその責を佐伯に押しつけようとしたあの男に復讐できるなんて。

 何とも魅力的すぎる提案に、佐伯の心は浮き足立つ。だが、殺意に呑まれて提案を受け入れかけたところで僅かに残っていた理性が感情を抑え込んだ。

 目に見えて葛藤する佐伯に、熊崎はやれやれと肩を竦めた。

「生き方が何もかも変わってしまうことだからな、仕方ないか。私もそうだったような・・・、いやそうでもないな。まぁいい、一日猶予をあげよう。明日はスクールが休みだ。鍵は開けておくから明日の・・・そうだな二十二時でいいか。その時間にスクールの屋上に来なさい。そこで返事を聞こう」

 そう言って、熊崎は佐伯に歩み寄ると、その左肩に手を乗せた。ギリッ、と痛いほど掴まれ、佐伯は顔を顰めた。

「くれぐれもこのことを他言するなよ。他言すれば友達には二度と会えなくなるぞ」

 耳元で囁かれた最後の一言は冬の凍てついた空気のように冷たく、佐伯は背筋が粟立った。ブワ、と汗が噴き出す。

 佐伯の頭がゆっくりと小さく縦に振られたのを確認して、熊崎はニコリと微笑んだ。

「色好い返事を待ってるよ」

 そう言い残し、熊崎は足早に去って行った。

 遠ざかる背中を見ることもできず、佐伯はようやっと深く息を吸い込んだ。

 松葉杖を握る手どころか、全身がカタカタと震えているのを実感している。

 掴まれた右肩はジンジンと鈍い痛みを訴えていて、先ほどのやり取りが現実だと教えていた。

 どうしよう、と佐伯は泣きそうな声音で呟いた。あれは聞いてはいけない類いの話だった。

 許せない、殺してやりたいと思ったのは事実だ。それは佐伯も否定しない。今も殺意が叫んでいる。

 だが、熊崎の提案を呑んで怪我を治してもらって復讐を果たせたとき、夏本と久保塚の顔を以前のように笑って見る自信が、佐伯にはなかった。

 彼らに失望を、軽蔑されるのが何より恐ろしいと思ってしまったのも、また事実だった。

「なつもと、くぼづか・・・・・・」

 迷子の幼子のような声が零れる。

 言葉に表せないぐちゃぐちゃな感情が涙となって、佐伯の頬を濡らした。

琥珀は過去、寝ぼけていた時に卵をレンジで温めて爆発させたり、虫を仕留めるために苦無を投げて壁に穴を開けたりしました。

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