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笑っちゃう彼女の秘密

作者: 伊和

他社と似たような企画ではいけないから!などと言いながら吉田部長が下した命令は、取材拒否の店の企画だった。

取材拒否の頑固な店は既に選択されていた。


(ひぃー。とてもやりたくない仕事だ)そう思いながらも、青木陽子は横浜、本牧にあるカレー店にたどり着いたのだった。彼女は、小さな出版会社で働いている。


 SNSはもちろん、ホームページも無くネット上では電話番号くらいしか調べられないその店は本牧通りから少し入り込んだ住宅地にあった。昭和の香りが色濃い木造のたたずまい、小さな「たかし食堂」という看板が妙に新鮮に見える。店内は15坪くらいあるだろうか?テーブルが5席、カウンターが6席のこじんまりした雰囲気だった。店主は四十代と思える綺麗な女性だった。


メニューは二つしかない、カレーセットとカツカレー…、彼女はカレーセットを注文した。ルーが多めのカレーで具材に輪切りのウインナーなども入っていて福神漬けと干しブドウが添えてあり、うっすらと辛味オイルがかけてある。インド本場ということからは程遠いカレーでどちらかといえば、和風の?まかないカレーの感があった。食べてみると確かに美味しい…でも普通のカレーライスだった。よくわからないのでその日は何の食レポートも書けなかった。

その後、何度、たかし食堂を訪れただろうか?店主とも顔なじみになってしまった。店主はよし子さん(赤坂よし子)という。


「よく見えられるわねえ!」

陽子は混んでいる時間をなるたけ外して訪れているから顔をすっかり覚えられた。

「実は私、グルメ冊子の出版会社にいて…こちらの店を掲載できないかな?と思って…」

店主が不機嫌になるかと思いきやそうでもなく、案外さばさばしていた。

「そういう依頼が多いけど、取材を受けたことは一度も無いのよ。多分頑固な店っていう感じでしょう。でもいいわよ。そろそろ潮時だからね」

「えっ ほんとですか?」

陽子は胸が弾んだ…。潮時、という言葉が気になったが仕事の糸口がつかめたのだ。

「取材を受けるわ。いい中身はないけれど。」」


 

「ありがとうございます。よし子さん、たかし食堂は今年で何年くらいになるお店ですか?」

「そうねえ、20年くらいね」


 よし子は、25年前、赤坂たかしと結婚した。よし子はとにかく美人で周りから注目され男性諸君の憧れの的だったのである。二人は地方銀行に勤める同僚だった。何の反動かわからないが、よし子はチヤホヤされることが好きではなかった。彼女に唯一厳しく接していたのがたかしなのである。もしかしたら私は「M」の性格かも知れない、よし子はそう思っていた。残業が多くたびたび一緒に帰ったりするうちに二人は付き合うようになっていた。ぼくとつで口数の少ないたかしだが、付き合ってみると居心地が良い、気を使わなくて良いという不思議な男性だった。よくよく見たらまあまあいい顔立ちだった。たかしには、大切な人を守る、というDNAが深く刻まれていたから、よし子は自分の選択に確信し彼女の方から結婚を申し込んだのである。

…そんな話を陽子は2時間も聞かされた。よし子は案外話好きだったのである。

(私 カレーの話が聞きたいのに…)


雨の土曜日、行きつけの喫茶店で陽子はよし子と向かい合っていた。

「たかしさんと結婚して私は大満足だったけど、ひとつだけ不満があったの、何だと思う?」

「なんですかね〜、もしかして浮気とか?」

「全然、そんなことはないのよ。食生活よ。たかしさんは偏食なの。」

「そうなのですか。」

「そう、好き嫌いが色々あって。私もともと料理は小さいころからしてきたし自信もあったのだけど、たかしさんは変な美食家なのよ。」

「そういえば、お店の名前、たかし食堂は旦那さんの名前、ですか?」

「そうなのよ。たかし食堂のカレーライスは、たかしさんが好きなカレーなのよ。」


(なんか、話が繋がってきたー)

陽子は興味津々で聞き入っていた。

「野菜嫌いなたかしさんには、ちょっと小細工して作ったものをうまい!と食べてもらっているの。」


 結婚して数年たったある日のこと、よし子の料理に満足していたたかしだったが、たまたま、体調が悪かったのか、こんなことを言った。

「よし子さんの料理はおいしいよ。でも小さいころに食べた母さんのカレーライスがまた食べたい。あれは絶品だったンだ。スパゲティも…」


「あら そう?」

よし子は軽く答えたが、感情に火が付いた。通っていた料理教室を辞め、翌週から週末は高速を使って静岡のたかしの母親のもとを訪れた。義母は志津というユーモアのあるやさしい女性だった。


「お義母さんにお漬物の作り方とか教えてもらおうと思って…」

志津は、孫のさくらも一緒に連れてくることもありことさらよし子を歓迎した。よし子は、料理教室では習えなかったことなど多く教えてもらった。


「今日はここまでにしましょう。」

よし子は陽子にやさしく微笑んだのだった。彼女は、これまでのいろんな話を聞いて、料理に家族への愛情が隠れていて企画の成功を予感していたのである。

ここまでは。


(筆者より~いきなりオチが来ます~)

日を改めて、陽子とよし子は向かい合っていた。

志津の自宅を訪れた回数が増したころ、よし子は核心のレシピを志津に聞いた。

「それにしてもよし子さん、料理上手ねえ。」

「お義母さんには叶いませんよ。」

「とんでもない、とんでもない。」


「ところでお義母さん、たかしさんが言っていました。小さい頃にお母さんが作ってくれたカレーライスがものすごくおいしかった、って。どんなカレーだったのですか?」

「バカねえ…」

「たかしさんは絶品だったと…」

「バカねえ。」

「えっ?」

「あれは、ボンカレーよ!」

「えええっ ボンカレー。あのレトルトの?オオツカ食品の?」

「そうよ!」

「でも、たかしさん、出来るまで長く待たされたと言っていました。」

「うちでは、ご飯は保温しない習慣があって、その都度ご飯を炊いていたのよ。待ち時間はご飯が炊きあがるまでの時間。」

まさによし子は狐につままれた感じだった。二人して顔を見合わせて笑ってしまった。


「お義母さん、このこと、たかしさんには内緒にしておいてください。」

「いいわよ。」


夜、隣で、スヤスヤ眠るたかしを横目によし子は考えた。

(育ち盛りでおなかを空かせて家に帰ってくる子供。大好きな母親がいて、自分だけにカレーを作ってくれたらおいしいわ、絶対。お米は本物で、ご飯は炊きたてだし、大好物のウインナーも隠れている。オオツカ食品のカレーは日本人に合うもの…)


数週後、よし子は志津お義母さんに教わったからといい、長い時間待たせてたかしにこのカレーを振る舞った。当時と違うのは、ウインナーの他にたかしの好きな干しブドウと自家製の福神漬けを添えたことだ。辛味オイルは別添えした。

カレーを食べたたかしはこう言ったのである。

「よ、よ、よし子さん! 母さんのカレーよりもおいしい!」


「ありがとう、これからもお義母さんにいろいろ教えてもらうわ、貴方が小さい頃に食べたスパゲティの作り方なんかも…」


この話を聞いて陽子は呆気にとられてしまった。

「驚いたでしょ?たかし食堂のレシピはレトルトカレーなのよ。」

「そうなんですか」

「ごめんなさいね。とても特集が組めるような話ではないでしょ」

そして小さな声で独り言のようにつぶやいた。

(いけないことをしているから、お店をたたもうかと思っていたの)


いきなり気が抜けて陽子は大笑いしてしまった。よし子も笑っている。


その日、会社に帰った青木陽子は、吉田部長を捕まえて長い打合せに入った。


…3カ月後、たかし食堂の前にその通りには不釣り合いの高級車が止まった。

オオツカ食品幹部が訪れたのである。前持って連絡を受けていたよし子は同社の食品を消費者に無断で提供したことの責めを受けると思い覚悟をしていた。

 しかし、話の内容はたかし食堂のカレーの「逆ライセンス」だった。オオツカ食品の幹部は紳士的にゆっくりと話をした。

「たかし食堂カレーという商品名で当社において量産、販売をさせていただきたい。」

ということだった。


この背景には陽子の上司である吉田部長の働きがあった。彼は飲食関係の出版に携わっていることから、オオツカ食品までたどり着き陽子のレポートをありのまま見てもらっていたのである。荒唐無稽のような話に当初耳を疑った同社の幹部たちであったが、何度か私服でたかし食堂を訪れてその味に納得し今回の提案となったのだ。


「商品化といってもそもそも御社のカレーですけど…」

よし子は不可解極まりなかったが、オオツカ食品の槻ノ木専務がいうには…

よし子店主の食に対しての向き合い方と調理法、顧客サービス含めて商品化に協力してほしい、ということだった。


…1年後、すっかり仲良しになった青木陽子とよし子は本牧公園の桜並木を歩いていた。陽子の会社の吉田部長とよし子の旦那たかしもいれてよし子宅で食事会をする予定なのだ。

「ちょっとコンビニに寄っていきましょう。野菜を買うわ」

コンビニの食品棚には「たかし食堂カレー」が並んでいる。エプロン姿のよし子の写真がパッケージにデザインされており少し恥ずかしい。オオツカ食品の槻ノ木専務によれば発売開始後まもなく、レトルト食品売上ランキングの上位になっているという。

 

食事をしながら、よし子は、吉田部長と陽子に丁重なお礼をした後、小さな声でお願いした。

「お義母さんの秘密は、私たちの秘密。内緒にお願いしますね」

軽くウィンクする吉田部長だった。

「吉田部長、本当にありがとうございました」

たかしからも感謝の言葉があった。たかしの勤める銀行で吉田部長の紹介により「オオツカ食品」の大きな融資の話があったのである。秋田に生産工場を建設する資金だ。東北のコメどころでレトルトご飯、いわゆるチンするご飯の量産拠点を設ける計画なのである。流通経費を大規模に削減しコメ作り農家に工場でも働いてもらう予定だ。もちろんシナリオを書いているのはよし子である。彼女はオオツカ食品に白米とターメリックライスのレトルト化を提案していた。


(エピローグ)

「おばあちゃん!こんにちは」

よし子はまた、さくらを連れて志津のもとを訪れている。今日は、白餡に味噌を練りこんだ味噌饅頭の作り方を教えてもらっていた。

「ところで、お義母さん、たかしさんが言っていました。小さい頃にお母さんが作ってくれたスパゲティがものすごくおいしかった、って。どんなスパゲティだったのですか?」

「スパゲティ???」

しばらく考えて志津はこう言った。


「ああん、あれね。あれも笑っちゃうのよ…」


                                             ~終~


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