令嬢、仕事をする①
ボタボタと、切断面から血液が流れでていく。その勢いは早い。まるでリンゴが木から落ちるような速度で、草むらに赤い湖を作り広げていく。
それを私は黙って見つめている。いや、見つめているのではなく、動けないのだ。私の右手には使い慣れた切れ物ナイフ。そのナイフは今、左手の親指の腹と爪の中間点で動きを止めていた。
あともう少し動かしたら、ポロリと私の指は草むらに転げ落ちるだろう。その瞬間、切断部位から血が滝のように吹き出すに違いない。想像するだけでも恐ろしい光景だ。私には回復魔法があるというのに、大量出血による死、という恐怖が離れない。
「……ダメですわ。こんな状態で指を落としたら、最悪パニックになって死んでしまいますわ……」
ハァと、ため息をつく。ナイフを抜き、適当に指を治癒して、汚れているところを布で拭いていく。切断実験第1回は失敗だ。何回もナイフを差し込み、あともう少しというところまではいくのだが、どうにも上手くいかない。体が固まってしまうのだ。
冒険者になると志してから、早2年。10歳になった私は、魔法の扱いに慣れ、軽い傷の修復なら早く、何度も繰り返しできるようになっていた。手首の傷程度なら、100回連続で治しても吐かなくなった。治せる怪我の種類も増えた。火傷に凍傷に腫れに打ち傷、もちろんパックリ割れた切り傷だって簡単に治せるようになった。魔力が体に流れる感覚と出ていく感覚、それと自分が吐いてしまう限界点もだんだんわかるようになってきた。この調子で訓練していけば姫になれるかもと思った時、私は試していないことがあるのに気付いてしまった。
切断、もしくは損失した部位の治療だ。私が普段してる回復という行為は、一つの治療行為のみを指している。治そうとする部位をつなぎ合わせる、もしくは元々の健康の状態に戻すといった、修復と呼ばれるものだ。この修復だけでは、全ての傷を治すことはできないのではないかと、私は思ったのだ。
冒険者は危険な職業だ。動物型の魔物に腕を食いちぎられたり、騎士の亡霊に足を切られてしまうかもしれない。
この時私は、回復魔法を使うと思う。だが、今まで軽い切り傷や風邪ぐらいしか治してきたことがない私は、その怪我を治せるのだろうか。その時になって実はできませんでした、なんてことになったら大変だ。
まずは自分の体で治せるか確認してみよう!ちょうど魔力の扱いにも慣れてきたところだったのですもの!渡りに船ですわー!
早速実践してみようと思い、スパンと切ろうとしたのが今日の朝だったのだが、気付けばもう昼前。このあとアンナとの戦闘訓練もあるので、今日の実験は中断するしかないだろう。
血溜まりになった部分を土で埋め、私は屋敷に戻ろうとした。
「た、たすけて!だれか、だれかきてください!オヤジがケガをしているんです!」
「このままじゃうごけなくなっちゃうの!だれかー!」
すると、玄関の方から叫ぶような声が聞こえてきた。走って向かうと、そこには私と同じくらいの男の子と女の子が2人いて、屋敷の門をむりやり開けようとしていた。
2人は共に、灰色でボロボロのシャツとズボンを着ていて、身なりもその服装と同じようにくたびれていた。髪はボサボサだし、顔には土埃がたくさんついている。おそらくこの貴族領から少し離れた貧民街の子供たちだろう。貧民街の住民から、贅を尽くした暮らしを毎日のように行う貴族はかなり嫌われているので、彼らがこちらに来ることはめったにない。
「なにをしているのですの。ここはフォーベルトの別宅、許可なくは入れられませんわよ」
「あ、ご、ごめんなさい!でもわたしたち、こちらに住んでいるフォーベルトさんに会いたくて!」
「ここの家の人は回復魔法が使えるって、オヤジから聞いてて、あの、その、俺たちお金がなくて!後で返すって言っても、誰も信じてくれなくて!それで!」
「落ち着いてくださいまし。話を聞くに、あなた方の父親は怪我をされているということですのね?」
「は、はい!」
「父親は今どちらに?怪我の程度は?話はそれを聞いてからにしましょう。治せるようでしたら、対価を頂くことを前提にですが、治療することを約束しますわ」
2人の顔がパァと明るくなる。私は昔、本家からあまり平民に関わってはならないと言われたことがある。下賤な輩に関わると我が家の名誉に傷がつくとか、平民の臭いを我が家に残しては先祖に怒られてしまうとか、そんな理由でだ。私は別に名誉だの誇りだのには興味がないので、関係がないことだ。助けられる人は助けておいた方がいいと思う。
あと、他の人に回復魔法を試せる機会を逃してなるものかという邪な思いもあったりする。報酬ももらえて魔法の実践も行えるなんて万々歳なのですわー!
「とはさすがに言いませんけど!さて!それで、どちらにおられますの?」
「あ、足は大丈夫だったので、歩いてきているはずです!すぐにこちらにきます!」
「あ、ありがとうございます!そ、それで、フォーベルトさんは……?」
「ん、ああ!言い忘れておりましたわね。あなたたちが探しているのは、私なのですわ」
「「……え」」
「私の名前はリサ・フォーベルト。この家の主人ですわ。よろしくお願いしますわ」
裾をつまんでお辞儀をし、少し待っていたのだが、返事がない。チラッと視線をあげると、なんだかオロオロしている。もしかして、私が主人だったことにびっくりしているのだろうか。10歳の子供が主人の家なんて、私の家くらいですものね。
「あなたたちのお名前は?」
「あ、はい。私はランって言います」
「お、俺はレン。あ、あの、フォーベルト、さん?」
「リサでいいですわよ。なにかしら、レン」
「す、すごい失礼なことを聞くんだけどさ。リサ、さんは魔法を、その、使えるのか」
「えぇ。これでも訓練をしていますので、軽い怪我なら問題ありませんわ」
「そ、そうなの?魔力って、子供の時はすごく少ない量しか持てないって、お父さんから聞いたよ。だから魔法は大人しか使えないって」
「それはあくまで、なにもしなければの話ですわ。まだ2年ですが、これでも毎日訓練を続けていますもの。どーんと任せて欲しいのですわ!」
2人の顔が再びパァと明るくなる。あまり人と関わってこなかったので、頼られると嬉しくなってしまう。怪我も見てないのについ調子にのって、大丈夫だと言ってしまった。
それをすぐに後悔することになった。ザッザッと、遠くから足を引きずるような音が聞こえてきた。
「あ、お父さんだ!」
「ああ、あれがあなたの父……え」
ランと名乗った少女が手を振ると、男が左手を小さく振り返した。彼がランとレンの父親だと気づくと同時に、彼の怪我が一目でわかった。
ぽたりぽたりと、肘から先の本来なら腕がある部分から血が垂れている。肩の近くを布で強く縛り、止血はしているようだが、それでも出血は防げなかったのだろう。ふらふらと体が揺れているのが見えた。
「う、腕が切れているのですね。これは、骨が折れそうですわ」
骨が折れるどころではない。損失した部位を治したことは一度もないのだ。できるかどうかの確認からしなければならないし、あれだけの重傷だ。治癒できなくても、適切な手当てをしなければ命に関わるだろう。
「おとうさーん!リサさまがケガ!なおしてくれるってー!」
「ラン!?ま、まだ治すとは、」
「本当かラン!?おいみんな、助かるぞー!」
みんな?私がそう思う間もなく、彼の後ろからガヤガヤと声がし始める。ザッザッと、歩く足音が1人、2人と増えていく。
「……レン。あなたたちの父親は、なんの職業をしておられますの?」
「冒険者だよ!まだDランクなんだけど、今日仲間の人たちと一緒にCランクになるための試験に行ってきたらしいんだ!け、けど、そこでみんな腕をやられちゃったらしくて」
「みんな!?」
「し、しかも、毒を使う魔物もいたらしくて、もうすぐ死んじゃうかもしれない人も何人かいるんだ!オヤジは腕だけだったけど、パンさんやシオさんはあともう数時間で動けなくなるらしいんだ!」
「どく!?」
目を凝らすと、血を垂らしながら右腕を抱えて歩く無精髭の男が1人。右手だけ失ったスキンヘッドの男が1人。ぱっと見怪我をしていないように見えるが、ふらふらと頼りなく歩く女が1人と次々に歩いてくる。
「ちょっ、なっ」
最終的に、門の前には8人もの冒険者が並んだ。全員確かに、肩に羽のようなアクセサリをつけている。ただベルダがつけていたものよりも大きさが小さいし、素材も安っぽく感じた。DとCでつけている物が違うのかもしれない。
ランの父親は前に見た女のベルダよりも細身で、頬が痩せこけていた。とても冒険者をしているようには見えず、服もシャツとツナギだけだ。大工をしていると言われた方がしっくりくる。後ろのメンバーも似たり寄ったりという感じだった。
その男が頭を下げると、全員が一斉に頭を下げる。慌ててランとレンも頭を下げた。
「ラースと申すものだ。頼む!必ず金は払う!俺たちを助けてくれ!」
「た、助けてくださーい!」
私はふらりと、後ろに倒れそうになった。どうしてこうなるのか。私はほんの1人の軽い怪我を治してあげればいいんだと思っていたのに、実際は重傷患者を8人も治療をしなければならないなんて!
断ろう。これだけの人数を治療、もしくは手当てをするなんて、私にはまだ無理だ。血を見るだけで悲鳴を上げる屋敷のメイドたちに経験があるわけないから、手伝いも期待できない。なにより治療が失敗したときの責任も取れないのに、引き受けるわけにはいかないだろう。
「……まさか、これだけの人数がいるとは思いませんでしたわ」
申し訳ありませんが、と続けようとすると、ランがバッと顔を上げた。目には涙が滲んでいる。今にも泣き出しそうだ。
「り、リサさま……?もしかして、ムリ、なんですか……?」
うっ。怯んでいると、今度はレンが顔をあげる。
「お、俺、最初はフォーベルトの本家の方に行ったんだ。そしたらくるな、でていけって追い出されんだ。剣持った人に脅されて、すごく怖かった。だからリサさんが助けるって言ってくれた時、すごく嬉しかったんだ……頼むよ。オヤジたちを助けてくれ」
うぐっ。あのクソ兄上、こんな子供にまで剣を向けるなんて、なにを考えていますの。いえ、私もできると期待させておいて、あっさりと断ろうとしている身でしたわ。最初っから希望を持たせないクソ兄上の方が誠実とまで言えるかもしれない。
この兄弟からしたら、口だけは大言壮語で実際は何もしなかった私の方が、よっぽど酷い奴に見えるだろう。あの兄上よりも下に見られるなんて、ひどく屈辱を感じる。
「やはり無理か……いいんだ、ラン、レン。リサ様、だったかな。彼女をこれ以上困らせないでやってくれ」
「お父さん……」
「オヤジ……」
「俺が馬鹿だったんだ。借金を早く返して、お前たちに楽をさせてやりたかった。それで仲間のみんなを呼んで、職員さんに無理を言って試験を受けた。大した実力もないのに近道をしようとした、バチが当たったんだ……みんな、本当にすまなかった」
「気にすんな……俺たちもいまの生活から抜け出したい一心で、ようするに金が欲しくて、お前の誘いを受けたんだ。全員バカヤロウだったってことさ。お前のせいじゃない」
今にも死にそうな顔をしているラースさんを、みんなが慰めている。みんなひどい目にあったはずなのに、誰も文句1つ言わない。きっと仲間思いの良い人たちなのだろう。
父親を失って泣く子供は見たくないし、私の尊厳もかかっている。なにより、聖女クレアのような女性を目指す身として、毎日を懸命に生きている人たちが怪我をしているというのに、放っておくなんてやっぱりできませんわ。
「みなさん!なにを勝手に諦めているのですの!私はなにも言っておりませんわ!」
「!そ、それって」
「みなさんを治療しますわ!損失した部位の回復はかなり難しいので、軽い手当てぐらいしかできないかもしれません。それでも命だけは必ず、繋げてみせますわ」
「ほ、ほんとうですか!」
「ええ……すぐに屋敷にお連れしましょう!案内はメイドにさせますので、みなさんはここで待っていてくださいですわ!私は治療の準備があるので、しばしお待ちをですわー!」
「あ、ありがとう!ありがとう、ありがとうリサ様!」
感謝の声を聞きながら、私は屋敷の方へと一度戻ることにした。とりあえず、まずは血を見ても平気そうなアンナに手伝ってもらおう。そのあとは、怪我の詳細を聞いて、まずは解毒をして、それから切断実験をもう一度やるしかない。急がないとですわ。
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