あなたが愛しているのは
「僕が愛しているのは君じゃない」
清潔な香りがほんのり漂うあなたの部屋で、あなたはそう言いました。
あなたはいつもそういう人でした。
口が達者で、雰囲気づくりが上手で、人をまとめる力がある。非の打ち所のない天才で、みんながあなたの魅力に惹かれていました。
でも僕は気づいていたんです。いついかなる時も、あなたは自分の本心を見せた時なんて一度もありませんでした。
僕はもともと、他人の感情には人一倍敏感でした。家族でも、友人でも、初対面の人でも、相手が今どんな気持ちなのかということが、手に取るように分かりました。
あなたは違いました。
大丈夫か、とか。ありがとう、とか。人に声をかけた時、話す時、あなたの口から出たのは決してあなたの言葉なんかじゃない、着飾った偽りの言葉でした。手に取るように分かる心が、感情が、何故かあなたの前では、触れようとすると霧のように溶けてしまう。すくい上げようとしても、すぐに手からすり抜けてしまう。
大雑把なうわべだけの心に隠れていたのは、とても繊細な心だった。
あなたは一見心無いように見えるけど、誰よりも自分の感情に誠実な人でした。空っぽの感情を振りかざす他の人とは全く違う、そんな人でした。
僕は他人の心を気にせずには居られない、周りの目が気になってしょうがない。そうやってしか生きれなかったのに、あなたは、実はどんなことにもお構いなしで、僕の中の常識をことごとく打ち砕いていったのです。それも、軽やかに、爽快に。
僕が他の人と同じくあなたに惹かれて、その中でも特別な感情を抱いたのはそれが理由だと思います。
ときどき、あなたは言うんです。
愛してやれなくてすまないって。
僕はこうして君のように美しい人間の側に居られている自分自身を愛することしかできないんだって。
苦しそうな顔で言うその言葉も、きっと僕に向けられたものではないのでしょう。
でも、僕は悲しくなんてありませんでした。そんなことはとっくの昔にわかっていましたから。
あなたに初めて会った時から。白いYシャツに浮かんでいる、青い名札に刻まれたその名前を呼んだ時から。そんなことはわかっていたんです。
僕はきっと、永遠に片想いを続けるのでしょう。あなたに届くことのない想いを、このちっぽけな胸に抱え続けて、朽ち果てるのでしょう。
でも、そう望んだのは僕ですから、悪いとは思っていません。
だから、僕は今こうして、ベッドの上に押し倒されて、あなたの腕に抱かれているのです。あなたが今から、その両の手で僕の気道を塞ごうとしていると、あなたが抱いているのはどうしようもないくらい純粋な殺意であると、そう分かっていながら、あなたに身を預けているんです。
あなたが、せめて僕の前だけでも本心をさらけ出していてほしいから。あなたが、誰よりも自分に誠実でいられる時に、僕の息の根を止めて欲しいから。僕が誰よりもあなたを愛していたいから。そうしたいから。
震える手が、僕の首元をそっと包みました。