告白
「元気?」
ここへ来る時までの高揚感が、ここへ来た時から重苦しい気持ちに変わってしまった。新幹線を降りた途端に、花ちゃんと同じ空気だと、思い切り吸い込んで、お前は病気だな、そうも思うけれど昂ぶる気持ちは抑えられなかった。
それなのに今、花ちゃんが目の前に座り、一緒に紅茶を飲んでいるというのに、俺の心は習字で使う墨汁のように真っ黒だった。
言葉とは、心が無いとこんなにも意味を成さない。
そう思うような、この挨拶。
花ちゃんは、うん、と頷いた。
「元気だよ」
「今日は華ちゃんは?」
「買い物に行ってる」
「そう」
寒々しい、俺の言葉。
耐えられなくなって、紅茶を飲む。
「この間の返事が聞きたい」
結果は分かっている、返事はさっき聞いたようなもんだから。俺はわざわざ振られに来たんだ。そう思うと、自分が嫌で嫌で仕方がなくなった。そう考えてしまう自分を責めたい気持ちになった。
そうじゃないだろ、花ちゃんに会いに来たんだから。
「うん、あのね、」
「ごめん、待って」
俺は言葉を遮って、テーブルに肘をついて両手で顔を覆った。心の準備が要る。いや、準備はしてきたんだ。けれど、さっきのようなハプニングには対応できていない。
首筋にキスをするなんて、もう恋人同士で決定だろ。そう思うと、やはり心は黒く黒く染まっていった。俺は両手で顔を隠したまま、言った。
「花ちゃんが好きなんだ、大好きなんだ。君に初めて逢った時から、好きなんだ」
言葉が震え出す。俺はもうそれを止められなかった。
「好きなんだよ」
嫌だ、誰かに取られるなんて。あいつに掻っ攫われるなんて。
俺は息を吐いて、いつの間に握り込んでいた両手を下げると、花ちゃんを見た。花ちゃんは俺が好きな、あのきょとんとした顔でなく、少し苦笑いのような顔をして言った。
「ありがとう、でも」
でも。
「恋人は、ちょっと」
やっぱりそうか。
俺は再度、顔を両手で覆った。何だ、これは。このショックの大きさは。計り知れない、何か重たいものをどかんと渡されて、海の底に沈んでいくような。いや、海じゃない。底なし沼だ。
顔を泥だらけにして、もがき苦しみながら埋もれていくような感覚に陥る。
断られても何とか説得して、それかまた友達からなんて考えていたのに、そんなものもどこかに吹き飛んでしまって、何も考えられない。駄目な理由を聞く勇気も到底、出てこなかった。
「分かった」
立ち上がりながら、花ちゃんを見る。と、そして少し驚いてしまった。
花ちゃんは泣いていた。ぽろぽろと溢れていく、涙。
「何で、」
俺は聞いた。何で泣くの、と。
「嬉しいの、好きだって、初めて言われたから」
俺はその言葉を聞いて直ぐに、鞄を持って、その場を去った。
さよなら、そう言って。
カランと鳴ったドアベルが、空虚な俺の中でいつまでも鳴り響き、それは当分の間止むことは無かった。
✳︎✳︎✳︎
新幹線の駅のホームで、ぼけっと座っている俺。花ちゃんに振られて、馬鹿みたいに無気力な俺。
「好きだって初めて言われたって、あんな嘘つかなくたって良いのにな」
ぼんやり思う。花ちゃんは、嘘なんてつかないよ、そう思うけれど、嘘だって無理矢理決めつけてるんだ。好きな人がいるとか、彼氏が出来たとか、そう言って欲しかった。嬉しくて泣くなんて、そんな別れの仕方ってあるかよ、と恨み節になる。
そして、俺だっせーな、と思う。
花ちゃんは悪くない、花ちゃんは悪くないんだ。俺が悪い。好きになって、馬鹿になった俺が。
プルルルと新幹線が発車するのを知らせる音が遠くの方で聞こえる。俺が乗る新幹線も、もう直ぐこのホームに滑り込んでくる。
東京かあ、そう思うと、そこでスマホが鳴った。
花ちゃんの訳がない、そうは思うけれど、ポケットに手を突っ込む。これがマネージャーとかだったりしたら、俺はさらに落ち込んじゃうぞ。
そこには予想に反した、華ちゃんの文字。
俺は慌てて画面をタップした。
「振られちゃったかな、ごめんなさい。花、病気のことは話してないよね。持病があって、多分桐谷さんに迷惑掛けたくなくって断ったんだと思う。許してあげてね、花を。本当にごめんなさい」
俺はホームから出口へと飛び出したんだと思う。誰かにぶつかって、ごめんと言いながら、改札を出る。後ろで、ちょっと今のって桐谷じゃない? という声を聞きながら、朝に意気揚々と歩いた道を、その帰りに重い足を引き摺って歩いた道を、駆け足で走っていった。覚えていないんだ、俺がどんな顔でその道を辿ったのか。
写真館に飛び込むと、花ちゃんはびっくりした顔で俺を見た。眼と鼻が少し赤くなって、泣いていたんだと分かる。俺はたまらなくなって、近づいていき、そして抱き締めた。
「好きなんだ、好きなんだ、花ちゃんが好きなんだ」
そう何度も繰り返したのは覚えている。
✳︎✳︎✳︎
キスをして、抱き締めた。
何度も何度も。
「膠原病っていう病気の一種で、寒いと手の指に血が通わなくなって、あっという間に真っ白になってしまうの。もうそうなると、早く温めないといけなくて」
そう言えば、ここでカレーライスを皆んなで食べた日、花ちゃんは帰ってきて直ぐにカウンターの向こう側で何かをやっていた。あれは、お湯で手を温めていたのか。
「原因も分からないから、一生治らないし。毎年、酷くなっていて」
悲しそうな顔をする。そんな顔、初めてだった。
「外出する時、カイロが手離せないの。家に帰ると、上着を脱ぐでしょ。脳が少しでも寒いと感じると、それでもうだめ。真っ白になっちゃうから、直ぐにお湯で温める」
花ちゃんの手に触れると、ひやりと冷たい。
「雪女みたいでしょ」
苦笑いをする。
「真っ白な、死んだ人の手みたいになるの。気持ち悪いよ」
「そんなことない」
俺が強く言うと、おろおろっとしてから俯いて、花ちゃんが答える。
「ありがとう」
愛しくて抱き締める。
「俺、そんなことで振られたくない。そんなことなんて言ったら、花ちゃんには申し訳ないけど。俺は気にしない」
こうやって本音を言うと、何故かさっきまで重かった心が途端に軽くなる。
「神谷先生って?」
「私の主治医なの」
「それだけ?」
「え、あ、うん」
朝のあれを思い出しているのだろうか。反応が鈍る。駄目、絶対、渡さない。
「俺のこと、どう思ってる? 病気とか関係なく、本心が聞きたい」
強く言うと、花ちゃんがまたおろおろとし始める。
きっと君が君なりに決めたことがあって、それでそんな風に迷っているんだね。君は本当にたまらない。俺はもう一度抱き締めると、耳元で言った。
「俺は好き、花ちゃんは?」
好きだと言って欲しい。言ってくれ、言ってくれ。俺は何度も頭の中で願った。
「す、好き」
俺は眼を強く瞑った。
ありがとう、俺はそう囁いて、抱き締める腕に力を入れた。