友達じゃなく恋人になって欲しい
先生とやらの登場で、これはもう東京に帰る前に、花ちゃんに告白しておかなければという気持ちになり、食後のデザートを口に運びながら、俺はいつ言おうかとタイミングを計っていた。
心を決めたら行動は速い。
「花ちゃん、ちょっと良いかな」
「うん」
俺が立ち上がると、花ちゃんが不思議そうに見る。
「こっちで少し良い?」
少し離れたテーブルに近づいていって、イスに座る。花ちゃんも真向かいに座った。面と向かって言うのは、恥ずかしいし、何だか分からないような勇気が要る。
「あのね、俺、写真集の撮影でここに来てて。今日の午後に、東京に帰らなきゃいけないんだ」
うん、と頷く花ちゃん。もうちょっと、寂しそうにしてくれても良いのになあと心のどこかで思う。
「それで、俺、花ちゃんとその、付き合って欲しいと思ってて」
うん、と再度頷く。
「当分はメールとかの遣り取りになっちゃうけど、俺、会いに来るし」
うん、
「だから、その、俺の恋人に、」
そこまで言うと、え、という顔をして、
「と、ともだち、」
と、言うもんだから、俺は立ち上がって言った。
「友達じゃなくて、恋人になって欲しい。花ちゃんのことが好きなんだ」
俺は言った!と思った。顔から火が出そうとか、口から心臓が飛び出しそうとか言うけど、今の俺はそのどちらも当てはまる。
けれど、言ったんだ!
花ちゃんの返事を待つ。
少し離れたテーブルで、華ちゃんと菅くんがこちらの様子を見ている。それが分かるくらい、俺の神経は研ぎ澄まされている。
「こ、困った」
花ちゃんがようやく言ったこの言葉の真意が分からず、俺は俺の中で右往左往した。
困ってるのか、困らせているのか、それじゃあやっぱりダメってことなのか、俺はもう完全に振り回されていた。
「駄目、かな」
控え目に言ってみる。
「ど、どうしよ」
おろおろして、華ちゃんの達の方を見る。華ちゃんは、難しそうな顔を作っていた。菅くんも同じような顔をしている。そこに答えは無いと知ると、再度おろおろして、俺へと向き直る。眼は泳いで、手を握ったり、指を引っ張ったりしている。こんな花ちゃんを見るのは初めてだ。こんな花ちゃんも、素直に可愛いなと思う。
けれど、彼女を困らせている、その事実が俺の中に深く突き刺さった杭のようで、俺は身体中のそこかしこに痛みを感じていた。
「ごめんね、困らせているね」
俺は項垂れてはいるものの、けれどなるべく明るく言った。
「返事はまたで良いから、俺のこと考えてみて」
こくっと頷く、細い顎。この前キスした唇が、きゅっと結ばれていて可愛い。可愛いんだよ、可愛いんだ。花ちゃんが好きなんだ。誰にも取られたくない、あの先生にも、誰にも。
俺はそんな気持ちを抱えながら、新幹線に乗った。東京に着く頃には、窓の外はすっかり夜になり、ビルの明かりが次々と眼に飛び込んでくる。今頃は、何をしているだろう。何を考えているだろう。そこに、俺は存在するのだろうか。
帰り際、華ちゃんに言われたことを思い出す。
「花はねえ、言われたことを深読みしないタイプだから、何でもストレートに受け取るんだ。気持ちは言葉にした方が伝わると思うよ。花は単純なの、私と違ってシンプルなの」
その言葉を聞いて、今までの花ちゃんに納得がいった。
シンプル。
とても的を得た、花ちゃんを表現するのに相応しい言葉だと思った。
キラキラとした夜景を見ながら、どうして俺は東京に住んでいるんだと、不思議に思う。ここに花ちゃんは居ない。花ちゃんと同じ空気が吸いたいよ、俺は窓に頭をもたせ掛けると、そう呟いて眼を瞑った。
✳︎✳︎✳︎
東京に帰ると、怒涛のように仕事が待っていた。あの、写真集の撮影期間がまるでオフのように思えるほど、毎日何らかの仕事が詰め込まれていて、目の回るような忙しさだ。余りの睡眠不足に、頭がふらふらする。そんな俺の状態を見て、マネージャーがスケジュールの調整をして多少緩めてくれた。
あれから花ちゃんから、メールが来ない。返事を待っているのに、それすら忘れられているのかもしれない、そんな長い期間。仕事をこなしている間は、そんなに気にならなくなるけれど、こうやって自分の控え室で少しのんびりする時間が取れたりすると、俺は花ちゃんに貰った一枚の写真と、スマホのアドレスの花ちゃんのページを呼び出して、その二つを机の上に並べては大きな溜め息を吐いたりしている。
君と同じ空気を吸いたい。
「はあ、こっちからメールしてみようかな」
すると、トントンとドアがノックされた。
「どうぞ、」
ドアに向かって声を掛けると、マネージャーが勢い良く入ってくる。
「桐谷くん、この後ドラマの撮影だけど良い?台詞って、」
マネージャーの中塚さんが、手帳を開いたまま、俺に話し掛けてくる。中塚さんは、三十二歳の独身女性だ。マネージャーの仕事なんて、不規則だし重労働だから、所帯持では無理な部分がある。中塚さんは性格もサバサバしていて気持ちが良いし、それに何より話しやすい。本音も言えるから、俺は随分と助かっていると思っている。
「覚えてます、大丈夫です」
「その続きで明日もまるっと『悲森』だけど、明後日はオフだから頑張ってね。私ちょっと挨拶行ってきます」
「はい、お願いします」
中塚さんが机の上を見て、
「なあに、また写真見てるの?それ、本当に良いよね。アマチュアが撮ったとは思えないよ」
中塚さんが出て行くと、俺は再度スマホを見る。
一日オフなら、花ちゃんに会いに行ける。それを口実にメールもできる。
俺はスマホを操作すると、メールを書いて何度も確認してから、送信ボタンを押した。
明後日、仕事が休みになったんだけど、花ちゃんは時間あるかな? 会いに行っても良い? その時に返事を聞かせて欲しい
返事は半日待ったけれど来ず、けれどそれでも俺は会いに行こうと決心していたし、その気持ちは一ミリも動かなかった。動きようがなかった。
君と同じ空気を吸いたいんだ。
次の日、ドラマ『悲しき森』の撮影が終わり、持ち続けていた緊張感を手離すと、どっと疲れが襲ってきて、送ってもらっている車の中で、俺はうとうととしていた。明日は朝早くの新幹線を予約してあるからとか、約束はしていないけれど明日には花ちゃんに会えるはずとか、うつらうつら思っていたら、スマホがブーブーと鳴った。
カバンから取り出して、画面を見る。花ちゃん、の文字に俺は飛び起きた。
明日、どうすればいい ハテナ
ハテナって、ハテナマークが出せなかったのか、俺はぷっと吹き出すと、運転しているマネージャーが後ろを振り返って笑いながら言う。
「桐谷くん、最近何か落ち込んでたけど、浮上できたねえ。今日の演技も良かったって、監督さんが」
「ご心配を。でも、黒谷さんに褒められるのは嬉しいです。実力派の監督だって言われてるし。今回も難しい役だったから、結構悩んだんですよ。この前の立木さんとのセッティング、有り難かったです。色々アドバイスも聞けて良かったし」
「そう、それなら良かったわ。私あんまり顔広くないから、桐谷くんの力になれなくって。申し訳ないわ」
「そんなこと無いですよ。いつも的確で助かってます」
ハンドルを右へ回しながら言う。
「スマホ、握りしめてるね」
俺は両手で包み込むようにして持っているスマホを、家に帰ってからゆっくり返事をしようとポケットに戻して、笑った。
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新幹線で座席に座ってから、席の周りの人たちに見つかって騒がれ、花ちゃんに会いに行くという雰囲気を楽しめなかったのが残念だ。けれど、もうすぐ本物に会える。写真館に行くから待っていて、そうメールすると、わかったと返事が来る。
意外と直ぐに来た返信で、俺がついこの間までずっと待っていたメールも、実は花ちゃんもずっと俺からのメールを待っていたのかもしれない、そう思えてきてならない。
タクシーで直接行くと、場所が誰かにバレて迷惑を掛けることになるかも知れない、そう思ってこの前泊まったホテルまで行ってもらい、タクシーを降りる。
ここからなら徒歩でもそんなに掛からないから、そう思っても気持ちは急いて、先に先にと走り出す。うさぎ書房を横目に見ながら早足で通り過ぎる。
「もう直ぐ会える」
そう思うだけで胸が熱くなって、気持ちが急いてしまう。
恋人になってくれたら、きっと嬉しくて嬉しくて舞い上がってしまうだろう。けれど、逆の返事だったらどうしよう。その可能性もあるわけで、俺はそんな時はどう言って説得しようか、繋がりが切れないようにどう言えば良いのか、そればかり考えていた。
もう少しで写真館だ、そう思って角を曲がる。
すると。写真館の前に、花ちゃんと「先生」が立っていた。俺は足を止めた。
何かを話している。花ちゃんがうん、うんと頷いている。
「先生」が少し離れた位置に俺がいることに気がついて認めると、彼はあろうことか花ちゃんをその両腕で抱き締めた。マフラーを顔で避けて、首筋にキスをする。
俺はそれでもう、俺の頭の中は沸騰して、何かが溢れ出しそうだった。
彼が顔を上げて、俺を見る。それで確信する。
見せつけているんだ、俺に。花ちゃんは自分のものだと。
そして、すっと花ちゃんを離すと、くるりと踵を返して去っていった。
ぽつんと取り残された花ちゃんは、その場に立ち尽くしている。後ろ姿が、ビニールの買い物袋を右手に下げたその後ろ姿が、俺のものだったら良かったのに。
花ちゃんは少しすると、写真館に入っていった。
俺は。
痛み出した胸を掴んだまま、当分の間、そこから動けなかった。