花ちゃんの恋人
「ああ、俺何やったあぁ」
ホテルに戻って、シャワーを浴びると、俺はようやく正気を取り戻した。ベッドの上で、のたうち回る。
俺はいつも花ちゃんと会った後は、いつもこんな風にして、何かをやらかして後悔しているような気がする。あれから俺は何度も「間違えたんだ、ごめん」などと、あわあわしながらそれを繰り返すという、馬鹿みたいな態度を取って、花ちゃんを困らせた。
二回も間違えるかよ、ってか、間違えてキスなんかするかよ。
頭を抱えたまま、俺はベッドの上で、でんぐり返しをした。ああ、でんぐり返しなんて、何年ぶりにやっただろう。それ程までの、俺の失態と言ったら。
謝ろう、メールで直ぐに。いや、マネージャーが明日の新幹線の時間まではオフだと言っていた。謝りに行こう、直接。
けれど、俺は花ちゃんを前にすると、おかしくなっちまうんだよ。どうしたら良いんだ?
俺はそれから何も考えたくなく、ビールを煽って直ぐさまベッドに入って眼を瞑った。
瞼の裏側で、花ちゃんのきょとんとした顔が宝物のように浮かぶと、キスなんて久しぶりにした、そう思ってまたのたうち回り、けれどそれを繰り返しているうちに眠ってしまった。
朝、早目にホテルを出て、うろ覚えの道をひたすら歩いていく。マネージャーに確認すると、タイムリミットは午後二時だと言われたので、時間はたっぷりあるし間に合うはずだと思ったけれど、念のため朝のうちに荷物もまとめておいた。
写真館は何時に開館するのだろう。さすがに十時には開けるだろうと予測して、その時間に間に合うようにホテルを出る。うさぎ書房を横目に通り過ぎる。タクシーでぐるぐると回ったので、最初にここに来た時には距離感は掴めなかったが、その日の帰りに歩いてみたら、意外とホテルから近いことが分かった。
うさぎ書房はまだ開いてないようだ。
俺はあの、花ちゃんに馴れ馴れしかったイケメンの男を思い出した。彼氏だったらどうしよう。いや、彼氏でも関係ない、その時には俺が花ちゃんを奪うまでだ。
そう、何かの恋愛ドラマみたいな台詞が頭に思い浮かぶ。
そうだ、と思い出す。恋愛ドラマで二度、相手の女優とキスしたなあ。俺の中では、それはキスのうちに入っていないことが認識できた。今の今まで、思い出しもしなかったんだからな。
花ちゃんとのキスは、ふわりと軽いものだったのに、俺はあれから何度も思い出してはうっとりしている。
「あの驚いた顔、可愛かったな」
呟くと、俺の身体は途端に軽くなり、足取りも軽くなった。
花ちゃんに会ったら、まずは昨日のことを謝って、それからうさぎ書房の彼が彼氏じゃないことを確認して、東京に帰るけどまた会いにくると伝えよう。それまでは、誰とも付き合わないで、は、まだ早いか。
そういう事を考えている内に、あの写真館の十字路に出る。
「ちゃんと覚えているもんだ」
そして、写真館の中を覗く。ドアを押すと鍵はかかっておらず開いたので、遠慮がちにそっと押してみる。カラン、と音がすると、はあい、と返事がした。
「こんにちは」
店の中には誰も居ず、奥から、ちょっとお待ち下さいと聞こえてきた。
俺は店内をぐるっと見た。
やはり不思議なことに、写真が一枚も飾られていない。写真館なら見本の一枚くらいは飾ってあってもいいはずなのに。
いや、そんなことより今は、花ちゃんに会って謝罪する責務があるんだから、それを忘れちゃだめだ。
「お待たせしました、あ」
あ、と言う花ちゃんに向けて、精一杯の笑顔を作る。けれど、多分、それは完成していないだろう。変な顔になっている、とその顔の筋肉の感じから、一応自覚は出来る。
俺はどきどきと昂ぶる心臓を感じながら、
「き、昨日はごめんね。間違えたと言ったけど、そうじゃなくて、君にキスしたかったんだ」
花ちゃんは首を傾げると、
「キス、」
と、言った。
「うん、了承を取るべきだったんだけど、つい、」
言葉を濁すようになってしまうのが、本当に意気地なしだ。
「その、君が可愛くて、つい」
「つい、」
俺の言葉を反復する。
「でさ、この前のうさぎ書房の菅さんっていう人、君の彼氏なのかな?」
「え、あ、うん」
え、ちょっと待て。うん、だって?
「か、彼氏なの?」
「え、うん」
ここで再度、ダメージを喰らう。
「付き合ってるの?」
「うん」
俺がここへ来るまでに頭の中で何度も繰り返したロールプレイングはここで終了した。
「と、突然来てごめんね」
やっとの事で、絞り出せた言葉がこの一言だった。




