彼女は確かに俺を撮っていた
「もうここで、」
こぢんまりとした十字路の一角に、写真館がある。写真館と分かるのは、看板に「めがね写真館」とあるからだ。ちょっと不思議な名前ではあるけれど、ここが花ちゃんの家か、と思う。
カメラを持ち歩く意味が、ここへ来てようやく分かる。建物の古めかしさからいくと、花ちゃんの両親が経営しているのだろうと想像できる。けれど、写真館には珍しく、店の表に一枚も写真が飾っていない。
「帰り道、分かる?」
花ちゃんの言葉で我に返り、俺は辺りを見回した。見知らぬ土地に見知らぬ場所。
ここへ来るまで、人通りもあまりなく、俺が見つかって騒ぎになる事も無かったから良かった。帰りはいつも携帯しているサングラスをかけていけば、見つからずに帰途に着くことが出来るだろう。
道は大体覚えているが、タクシーを降りたあのウサギ書房からしか覚えていない。不安にはなったけれど、最悪マネージャーに迎えに来て貰えば良いと思い、答える。
「大丈夫、分かる」
「そう、送ってくれてありがとう。それじゃ、おやすみなさい」
「待って、あの、携帯番号教えてくれないかな」
花ちゃんは、行こうとした足を止めた。怪訝そうな顔で、俺を見る。
「あの、本当にお礼とか良いんで」
そういう風に取るんだね、君は本当にたまんないな。
「そうじゃなくって、と、友達になってくれないかな」
うっわあ、二十八にもなる男が、友達ってなあ。
俺は赤面する顔を隠すようにして、手の甲で口元をこすった。
けれど。さっきのイケメンみたいに、花ちゃんと色んなことを話したいんだ。
それなのに、本屋からずっと一緒に並んで歩いていたっていうのに、俺は一つも話し掛けられず、無言のままここに辿り着いてしまったというわけだ。
「友達、」
花ちゃんが反芻する。
ダメだろ、おかしいだろ、俺。
「良いけど、」
え、良いの?
「携帯持ってない」
俺はその場で固まった。
✳︎✳︎✳︎
花ちゃんと別れた後、元来た道を歩き出し、俺は本当に打ちのめされていた。
携帯を持っていないという言葉に俺は、
「嘘、冗談だろ」
と返してしまった。断るための口実だと、そう捉えてしまった。
花ちゃんはそんな俺の様子を苦笑しながら見ると、
「本当に持ってないの、ごめん」
そして、建物の中へと入っていってしまった。俺は引き止めることが出来なかった。俺が悪い、全て悪い。花ちゃんは悪くない。俺が悪い。
俺は帰り道に並ぶ店の一つ一つを見ながら、携帯ショップを探してしまっていた。いや、もし花ちゃんに俺が契約した携帯を、はい、と渡したとしても、どうして?という顔をするに違いない。そして、必要ないから、と、突っ返されるに決まっている。
何だか俺は、凄く物悲しい気持ちになった。その気持ちのまま、壊れたロボットのように、とぼとぼと歩いてホテルに帰った。
部屋へと入ると、どっと疲れが出る。ベッドにごろんと身体を横たえた。
「花ちゃん、」
呟くと、途端に俺は一体どうしちまったんだろうと思う。ずっと手に持っていた袋を見る。それをぽいっとベッドの上に横たわっている俺の身体の隣に軽く放ると、軽く眼を閉じた。
ぼんやりとした眠気も感じながら、明日の撮影は何時からだったか、そう考え始めて正気に戻る。
「風呂、入らなきゃな」
起き上がってベッドから降りると、ぱさりと何かが落ちる音がした。ああ、写真か、と思い拾い上げ、そして、そこで。
俺はようやく封を開けた。
何枚か撮ったはずなのに一枚しか入っていない。けれど、その一枚を手にした瞬間、俺の時間は止まった。
俺が、佇んでいた。
背景の一部にしか、見られていないと思っていた。背景に同化している俺なのだと、俺じゃなく背景を撮ってるなと、あの時失笑すら覚えたはずなのに。
けれど、そこには確かに俺が存在していた。強烈な俺という個の存在が。
彼女は、確かに俺を撮っていた。それがただの後ろ姿でも、間違いなくそれは俺だった。
背を向けて後ろの背景を見る俺の顔は、斜め後ろから少し見えるだけで、そんな角度であるから、どんな表情かは一ミリも分からない。
けれど、あの冬支度を始めた森の樹々を、あれから直ぐにも薄暗い雲が覆ってしまった薄く青い空を、俺がどんな顔で見ているのか容易に見て取れるような、この写真を手にした人には誰にでも知られてしまうような、そんな写真だった。
こんなにも力強いものに、今までに出会ったことがあっただろうか。
バラエティー番組で着る衣装、俺がドラマで言う台詞、番組で使われる小道具、俺の周りにいる芸能人の面々、何一つ、ここまで気持ちを持って行かれたことは無かった。
今回、撮影している写真集も、きっと「俺」が写っているだろう。それが当たり前だろう、俺の写真集なんだから。
それなりのカメラマンに撮ってもらっているんだから、それなりの写真集に仕上がるはずだ。
けれど、これは違う。
俺は知らず知らずに力が入っていたのであろう、写真を持った指が震えていた。力を入れた部分が少し窪んで、薄っすらと跡が付いている。その写真は、俺の心の中にも、そんな風にして窪みを押しつけた。
花ちゃんが撮ったものだからであろうか。いや、違う。これはこの写真が持つエネルギーだ。
そして、また花ちゃんに会いたくなって、俺は困ってしまった。気持ちを持て余してしまって、困ってしまったんだ。
頭を冷やすために、シャワーを浴びた。身体を落ち着かせるために、風呂に入った。
頭と心と瞼の裏側に残る花ちゃんを、俺の中に閉じ込めるために、俺はベッドの中の布団に入り込んで丸くなり、それから眼を瞑った。