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来夏(らいか)  作者: 三千
2/10

恋は突然やってくる

「それが、お待ち下さいと何度も申し上げたのですが、これを渡して下さいと仰って、直ぐにお帰りになってしまって」


俺はホテルのフロントで、信じられないという気持ちを抱えて、その場につっ立っていた。茫然自失とはこの事だろうか、呆気にとられてしまって何も考えられない。


俺はあれからホテルに戻ると直ぐにフロントへ行き、彼女が来たら声を掛けて欲しいと伝え、その為に携帯番号も置いてきた。待ち人のお名前はと聞かれたけれど、もちろん聞いてないものは答えることは出来ず、けれど写真を持ってくるはずだから引き留めておいてくれと、念まで押したのに。


それなのにまた、あっさりと帰ってしまうとは。


彼女にも俺に声を掛けてくれと言ったと思ったのに、と思う。それは俺の気のせいだったのだろうか、いや、言ったはずだ。


俺が嫌いなのか。俺が気に入らないのか。俺が芸能人だからか。


俺はあれから、写真集の撮影が終わると直ぐにホテルに帰って、フロントで来客はなかったか、いつも確認したし、ホテルの部屋で風呂に入るときも、電話が鳴りはしないかと耳まで澄ましていたし、そんな努力も徒労に終わって、もう脱力するしかない。


もう二度と会えない。


「今さっき、お帰りになられましたので、直ぐにご連絡を取って頂ければ、まだこの辺にいらっしゃるかもしれません」


その連絡先が分からないんだよ、だから何度も念を押したのに。

と、今さっき?


がくりとうなだれていた頭を上げた。


俺は直ぐにタクシーを呼んでもらうと、ホテルの入り口に回って乗り込んだ。


「すみません、人を探しているんで、その辺を回ってもらえますか?」


「分かりました」


タクシーがホテルのエントランスから公道へと滑るようにして出る。カッチカッチというウィンカーの音が、俺の心臓の鼓動を次第に速くに導くようで、気になる。


見つかるだろうか。見つけられるだろうか。あの飄々とした、掴みたくてもその指と指の隙間からするりと逃げてしまうような存在を、探し出すことが出来るだろうか。


手順としては、彼女を俺の前に置いてから自分の中にある情熱を計ろう、そんな風に思っていたのに、急いで彼女を探しているあたりもう答えは出ているようで、それが何故だか少しだけ癪に障った。


「お客さん、あれでしょ。桐谷きりたにさんじゃないですか、俳優の。何だ、まだ若いんですねえ」


俺は、きょろきょろとしながら、はあ、と生返事を返してから、


「すみません、もう少しゆっくり回ってもらえませんか?」


「でも、他の車の邪魔になっちゃうからね、何とも」


「そこ、左に曲がって下さい」


タクシーの運転手は、乱暴にハンドルを回した。心の中では、これだから芸能人は、などと思っているはずだ。


探し出すのは無謀だろうか、十分ほどぐるぐると走り回った所で諦めが首をもたげ始める。


彼女のことだから、小道をするりと抜けて去って行ってしまうような気がして、こんな風に言うのは可笑しいけれど、彼女には細く狭い道が似合うような気がして、そんな道ばかりを探していた、そんな時。


小道から出た大通りで目が留まる。


こんなにももう、いい時間の夜であるのに、煌々と明るい店が数件並んだその店先に、彼女の姿があった。俺は暗がりの中、何かとても良い宝物でも見つけたように、軽く興奮した。


「すみません、ここで良い」


タクシーが彼女とは反対側の車道に、車を寄せて止まる。俺は慌てて、財布から札を出して、お釣りを断り車から降りた。まだ走り出さないタクシーのハザードが、俺をオレンジに規則正しく、何度も照らす。


俺はそこから様子を見ていた。


彼女が誰かを待っているような、そんな気がしたからだ。


彼女が立っている辺りを改めて見てみると、それが一軒の本屋の前だと分かる。


俺は心が決まると、車道を横切ろうと一歩前へと歩を進めた。タクシーはまだそこに居る。運転手がちらちらとこちらを伺っているのが分かる。


俺が二歩目を躊躇した時、本屋から背の高い男が出てきたのが見えた。そして、彼女と話し始めた。


初めて彼女に出逢った時には、背の低い女だと思った。俺が所属する芸能界には、文句のつけようのない長身の美男美女がわんさか居る。そんな環境でここ何年かは過ごしていたから、それに慣れてしまっていたからだろう、そんな風に思ったのはある程度仕方が無い。


だから今、話している男も当然彼女より背も高く、そんな男とは背伸びをしてキスをするのだろうか、などとぼんやり思ったりしていた。


ようやくタクシーが出ていった。三歩目の足を後ろに戻すと、コートのポケットに手を突っ込んで、俺はその場に立ち尽くしていた。自分の吐く息が白く白く燻り、彼女の姿をも白く染めていった。


何か紙袋のようなものを手渡されている。一言、二言言葉を交わす。そして、ついに男が彼女の頬に手で触れた。


「ちょっと待て、おい」


俺は思わず、駆け出していた。予想はしていたけど、予想通りに事が運んで、俺は焦ってしまった。近付いていくと、男は背が高いだけでなく、顔もイケメンだということを理解する。自分でも思いも寄らず、彼女と男との間に割って入っていた。


「あの、君。これ有難う。お礼だけ言いたくて」


俺が押し退けたからもあるが、男が少し、後退りをする。

彼女の、きょとんとした顔。


「いいえ、どういたしまして」


そう言って、けれど今度は笑わなかった。邪魔されたと思って少し怒ったのだろうか、実際邪魔したんだけれど。


「じゃあ、はなちゃん、俺行くね」


男が俺の背後から声を掛けた。


はなちゃん、何てことだ、名前が何故か君にぴったりのような気がしてならない。教えてくれてありがとうの意もあり、俺は男の方に振り返った。


男は行こうとした足を止めて、こちらを見る。二度俺を見て、


「あ、れ、桐谷、さん?まじでか」


そう、普通こうなるんだよ。だけれど、君は、ねえ。


すがさん、知り合いなの?」


はなちゃんのこの反応。やっぱりか、やっぱりそうなのか、俺のこと知らないってか。


背の高い男は少し興奮気味に、言う。


「はなちゃん、テレビ見ねえもんな。今月号のsara見てない?載ってましたよね、あ、俺、『翼の行方』も見てましたっ」


「ん、芸能人?」


おっせーよ、はなちゃん。男がスマホを出す。


「すいません、写真一緒に撮ってもらえないですか?」


「悪いけど、そういうの断ってんだ」


そう言うと、そっかあ、だよなあ、などと言いながら、ポケットをごそごそと探っている。次はサインか?

よく見ると、羽織ったジャンバーの下からエプロンが覗いている。店名だろうか、usagiと刺繍があり、見上げて看板を確認すると、やはりこの書店の名前だった。ここの店員か、そう思っている内に、


「菅さん、次のもお願い。じゃあ、おやすみなさい」


俺の方にも会釈をして、はなちゃんは信じられないことに、帰ろうとする。


「ちょ、ちょっと、待って」


他に何か用ですか?そういう顔をして、俺を見る。何だよ、ここで別れたら、もう二度と会えないだろ。芸能人だと分かっても、そんな態度なのかよ。


「お、お礼を、」


何だ、何で俺がこんなにも必死なんだ。お前バカか、引き止める理由を、タクシーの中で散々考えただろう。

そしてもう一度、きょとんとしたその顔。

それがもう、俺の中の、どストライクなんだよ!


「ありがとう、でも、」


結構です、だろうなと予想をつける。大体返事は分かってきたんだ。


けれど、彼女は言った。


「嬉しい、」


どかんと来てしまった。どう言ったら良いのだろう、もうとにかく、連絡先を聞かなければならない、俺は俺の中で強固に思った。


「でも、本当にお礼なんて良いんで。それより、」


何だ、何?


「そんなことより、」


そ、そんなことより?

ここで、ふっと吹き出した。


「写真、まだ見てないね」


俺ははっと自分の手元を見る。袋に入ったまま握っていたし、それより何より、可愛いテープで留めてあるのに封が開けていないのが分かる。


「ご、ごめん、直ぐに君を追い掛けたから」


言い訳がましいが、事実なので仕方が無い。


「こちらこそ、撮らせてくれてありがとう」


にこりと微笑むと、踵を返して行こうとする。


「ま、待って、送っていく」


訝しむ彼女の横に、俺は強引に並んで歩き始める。


「はなちゃん、またね」


イケメンが声を掛けた。はなちゃんは振り返って、大きく手を振った。またね、と。

おい、お前は良いな、また彼女に会えるのか。俺は会えるか会えないかの瀬戸際に立たされているんだ。心の中で独りごちながら、彼女の横をついていく。


「はなちゃん、」


俺がそう呟くと、


「草花の花、だよ」


「花ちゃん、」


再度、俺が呟くと、花ちゃんは思わぬことを言った。


「桐谷、さんだったね。君は、変わっているね」


俺は思わぬ攻撃に固まった。

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