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堕、堕、堕ッ!!  作者: 上野衣谷
第四章「さようならイベイジョン」
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第18話

 セロはまずは冷静に考える。イベイジョンは容易に勝てる相手のはずだ。それは先の一撃が容易に命中したことからも明らかな事実のはずだ。加えて、今、二人のヒーローまでもが、イベイジョンを倒すために力を尽くしてくれる状況になっている。何も問題はないはずだ、そうセロの理性はセロ自身に語りかける。

 では、一体、この悪寒は何か?

 直感とは、時に当てにならないこともある。しかし、こういった戦闘の場においては違う。

 セロは、自分の直感に対して自信を持っていた。直感とは実に素直な感覚であり、同時に、理屈では理解できないものも察知してくれることがある。セロは、であるからして、佐々に対して警戒心を強める。そして、問う。佐々にではなく、美夢と、東野に。


「二人は──私と志同じ、と考えていいのだね」


 美夢と東野は、ええ、うんそうだね、一応、と答える。

 セロはニヤリと笑うと、両手を二人に向けて掲げた。


「では──二人とも、私の力を貸してもらおう。変化の為に、自由のために……!」


 手がうっすらと光ったような気がした。佐々は、セロが何を言っているのか感じ取り、


「や、やめっ──!」


 叫ぼうとした。しかし、もう遅かった。

 美夢と東野の二人は、バタ、バタとその場に倒れ込み、ピクリとも動かなくなる。佐々は、それを見て、愕然とするでもなく、顔を少し俯ける。


「安心してください、イベイジョン。別に二人は死んだ訳じゃない。ただ──そうですね、何故こんなことをしたかといえば……」


 視線を一瞬宙へやり、再び佐々を見る。


「戦力の、一点集中のため、ですね。もっと分かりやすく言えば、人間二人がそれぞれ同じ力を持つ場合──一足す一は二にはならないということですよ。一足す一は、一コンマ五、とか、そういったところでしょう」


 数秒の空白。佐々は肩を震わせる。セロは小首を傾げてそれを見る。一体何がしたいのだ、という疑念の目は、佐々が顔を上げた途端、驚きの目に変わった。


「何を、笑って……おかしいですか? 何かが」

「ああ、おかしいね」


 まるで理解できない佐々の言動に、セロは憤りを覚える。今にも攻撃に写ろうとするセロを止めるように、佐々は続けた。


「別に、エンペラーセロ、あなたにおかしいと言っている訳じゃない。自分自身さ、俺自身──イベイジョン自身が、自分をおかしいと感じているんだ」

「何を言う……ああ、おかしな奴ですね、君は。何も選べず、くだらない人生を送ってきた、違うかね?」

「そう、一部については、その通り。俺は、選択してこなかったということに気づいたんだ。いつだってそうだ。所長がやられ、二人の仲間も倒れた。それでも、俺は選択できずにいた──いや、選択してこなかった、と言った方がいいか」

「何がいいたい」

「何がいいたい? エンペラーセロ、お前の質問に答える」

「……ほう」


 ズザ、と音がする。エンペラーセロが戦闘を予見した合図。


「えぇと、なんだっけな? 誰が決めたのですか? だっけか? ああ、そうだ、お前の行為をやってはいけないことか、誰が決めたのか、という質問をしたな、エンペラーセロ」


 無言を返すセロ。佐々もまた、動く準備をする。そして、言う。


「誰が決めたのか。簡単なことだった、それは、俺だ。俺、イベイジョンが決めたんだ。俺が絶対的に正しい存在だなんて言うつもりはない。正義は絶対的なものなんかじゃあない。だけど、これだけは言える。世の中の人々が、皆、エンペラーセロ、お前の望む変化を受け入れたいとは思っていないということは!」


 それは、佐々の選択を意味していた。佐々正義という一人の男が、己の意志に基づいて行動を起こすということを意味していた。その選択が正しいか正しくないかということについては、誰も判断することができないだろう。さらに言えば、何にとって、正しいかということを判断しなければならないのだ。

 そして、この佐々の選択──佐々が戦うとうことを選んだということについては、他の誰かにとって正しいとは言い切れないことであっても、けれども、間違いなく、佐々正義という一人の人間にとっては正しく、正義であった。それは、確実に、正義であったのだ。

 佐々が言い終えたか、言い終えないかの内に、二人の勝負は始まった。

 セロの足がコンクリートを蹴る。セロの動きは速かった。佐々の目前へ迫ろうとするが、しかし、佐々は、先ほどとは違う奇妙な感覚を覚えた。

 自分は攻撃されるだろうと覚悟する。しかし、佐々は避けようとしない。無論、佐々に、セロの攻撃を受け止めるだけの力はないはずだ。けれど、佐々は逃げようとしなかった。避けてしまうということは、過去の自分と何ら変わっていない自分を再びセロの前に立たせることになると思ったからだ。

 考える暇などないはずだった。

 ところが、相手の動きは、佐々の目に見えた。

 攻撃を避けずに受けるということは、その攻撃に対して何らかのアクションを起こし自分の身を守らなければならないことを意味する。避けるにせよ、受けるにせよ、必要なのは相手の攻撃を見る力だ。先の戦闘では、その力は佐々に欠けていた。

 だが、いくら相手の攻撃が早くとも、肉体の動く速さは限られる。それは、あくまで拡張現実のエフェクトに過ぎず、佐々が思いの力を最大限に発揮できれば、その上をいく動きを取ることが出来る。

 分かりやすく言えば、肉体の動きはどれだけ頑張っても、どれだけ鍛えても、感覚の動き、即ち、認識する動きには勝てないということ。

 佐々はセロの動きを捉える。百パーセントとはいかずとも、自身のどこへ向かって攻撃が放たれるか、それさえ分かれば何の問題もない。

 セロは基本に忠実な動きをする。そこに騙しはない。力の吸収によって強化されたのは、あくまで速さと威力。セロの根本が揺らぐことはなく、故に、佐々は、見えさえすればその攻撃に対処するのはたやすい。

 迫りくるセロの拳を、佐々は手を添えるようにしてはたく。そして、その僅かな力により機動をずらす。セロの拳は、真っ直ぐに力を込めて放たれたものである。正面衝突であればその威力を発揮するが、あくまでそれは正面衝突の場合。佐々はその裏を欠いた。拡張現実の力を借り、佐々はその拳の側面から力を加えたのだ。

 セロが体制を崩す。その横を縫うようにして、佐々は通り過ぎ、そして、通り過ぎ際に、小さく攻撃を入れる。

 二人はすれ違うような形で、それぞれの立ち位置を反転させる。


「……一つ、教えておきましょう」


 セロが呟いた。セロは脇腹を抑えている。佐々の攻撃を受けたからだ。


「無粋なことを言うなよ」

「それはね、私がまだ本気を出していない、という事だ」


 セロは天に両手を掲げる。それは、即ち、彼の能力を発動するということを意味していた。バァア、と何かが弾けるような音がする。佐々は危機感を覚えた。これ以上強くなられたら自分は勝てない。だから、佐々はセロの力が発揮されるよりも前にカタを付けようとセロに向かって走り、拳をセロの顔へと勢いよく放つ。

 だが、その攻撃は、セロにより弾かれた。セロにより放たれたエネルギー波が佐々を吹き飛ばしたのだ。


「さぁ、始めるとしよう。君と私──いや、イベイジョンと、この放送を見ていた市民全てとの戦いを──」

「ちっ、そういうことかよ」


 佐々は察する。そう、セロは、放送を通して、この戦いを見ていた市民全てを味方付けていたのだ。彼は、そんな市民の力を吸収したのである。


「こんな放送を見ている奴らの力など大したものじゃない。大したものじゃぁないが──ないよりは、マシだろうからな」


 くくく、とセロは笑ってみせる。両手をパン、パンと打ち付け、力を確認し、満足そうに頷いた。

 再び始まる戦い。

 追いつめられるのはセロではなく、佐々だった。さっきは見えた攻撃が、ほとんど見えない。かわすのがやっとで、連続で繰り出されることにより、佐々の行動のテンポは徐々にずれていく。

 セロは、佐々を殴り、蹴ろうとした。それらの攻撃は直撃こそしなかったが、佐々の体を僅かにかすめる。

 避けてばかりの自分に、佐々は段々と腹を立てる。これじゃ同じだろうが、何も変わらないじゃないか、佐々の中のそんな思いは徐々に大きさを増す。


「さあ! さあ! どうしました!? 何故反撃しない! これが思いの差だ、これこそ、思いの差の証明なんだ!」


 セロの攻撃。攻撃。攻撃。

 刹那、佐々は確信した。自分は攻撃するべきだ、と。何を思ってなのか、詳細なことは分からない。けれども、避けてばかりでは勝てないという小さな思いが攻撃を避ける度に佐々の脳に蓄積され、それが爆発したのである。

 突如、佐々は、それにカウンターのパンチを放つ。何を思って放った訳でもない。彼の頭が、感覚が、今だと放ったパンチは、確かにセロの顔に直撃する。それは、セロが回避行動を一切捨てていたからこその直撃。セロの全意識が佐々への攻撃に傾いていたことによる直撃。クロスカウンター。

 故に、佐々が持ちうる全ての力は、そのままセロへと直撃したことを意味し、それによりセロが発したのは、


「……ぐふっ」


 という僅かな悲鳴だけであった。セロの顔の肉が佐々の拳により大きく歪み、片目は半ば強制的に閉じられ、醜い表情が表れる。セロは僅かにぐらつき、一歩、二歩、と後ろへ下がった。それにより、佐々の拳はセロの顔から離れる。


「ぐ、く、くそ──」


 セロは片手でその頬を抑え、悪態をつく。


「しかし……ふふふ」


 次に、セロは自分の前に倒れる佐々を見る。佐々は両手を尽き、四つん這いになる。息を大きく吸おうと目を見開くが、その目は大地を見るばかりで、思うように肺に空気が入らない。

 佐々の一撃は確かにセロの顔へと命中した。それは、セロが悪態をつく程度のダメージは与えた。しかしながら、その代償として、佐々はセロの一撃を腹に受けたのだ。それにより、押しつぶされた内臓は、佐々が全身へ酸素を回そうとするのを拒絶し、苦しみ悶えさせる。


「がっ……はっ……!」


 はっ、はっ、とまるで犬のように酸素を求める様は、無様であった。佐々の反撃しようという意思を意地でも捻じ曲げようと、佐々の身体は佐々の脳へ、もう自分は戦闘できる状態じゃない、という主張を押し付けてくる。


「どうしたんだ、もう終わりか?」


 セロは満足できないと言ったように、タン、タンと地面を蹴り、ステップを踏む。佐々にかかってこいと言うかのように。

 佐々はそれに答えることが出来ない。セロの声も、その地面を蹴る音も聞こえる。今すぐに立たなければならない、自分の選択を全うするには、今すぐに立ち上がり、セロと再び戦わなければならない、頭ではそう分かっていたが、体はまるでついてこない。

 いくら、強く願ったところで、それは単なる思いに過ぎず、いくら拡張現実がその思いの実現を手伝ってくれるからと言って、それよりも強い思いの前にはあっけなく散ってしまうのだということを佐々は今、まさに体感しようとしていたのである。

 屈する、という言葉が佐々の頭に浮かびあがる。

 自分はまたここで負けるのか──。しかし、佐々のその思いを断ち切ったのは、一つの声。


「立ち上がれぇ、イベイジョン──いや、佐々正義!」


 佐々が声のする方を振り向くと、そこにいたのは所長だ。立ち上がることができない所長は、倒れたまま、たまに咳き込みながら、声を発していた。


「佐々正義、君は、君として、戦う時が来たんだ。イベイジョンとしじゃない、君はイベイジョンをやめかけている──変化というのは、すぐには訪れない。何度も、何度も、立ち向かって、それからようやく訪れるんだ……この意味が分かるか。分かるはずだ、今の君なら! さぁ、立て! 佐々正義!」


 所長は震える右手でセロを指す。


「その男は、まだ私の力を取り込んでいない。何故だか分かるか? 簡単だ、私は、その男に負けていないからだ! さぁ、立ち上がって、立ち向かえ、その男に、エンペラーセロにっ!」


 佐々は、その声を聴き、呼吸を整える。すぅ、と息を含んで、体をピクリと動かす。まだ動く……不思議と、佐々の体はまだ動いた。いや、動いてしまった。それは、佐々自身の心から来る力。

 そして立ち上がる。立ち上がり、身構える。エンペラーセロは、何を言うでもなく、再び拳を振るう。

 動きは見えた。何とか躱すこともできた。しかし、それだけでは勝てない。佐々は攻撃をする。しかし、それは、先ほどのような捨て身の攻撃ではない。セロの攻撃を時には受け止めつつ、佐々は攻撃を繰り返す。今、佐々は、エンペラーセロとまともに渡り合っていた。渡り合っているように見えた。

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