第13話
美夢と東野の意見は一致していた。その堂々たる様子を見て、佐々は息を飲む。
「ま、まさか……」
佐々の口から漏れ出る呟きは、二人がこれから取るであろう行動を覚悟するためのものだ。その呟きを聞いてか聞かずか、美夢が言う。
「行くわよ」
「行きますか」
地面を蹴る音。
「なっ、何をする気なんだっ!」
叫ぶのは、佐々ではなく、レイジーだ。佐々の降参の声の後、突如としてそれとは正反対に動く二人の女ヒーロー。
「何って、そんなの、決まってるだろぉ~?」
慌ててレイジーの前へと立ちはだかる市民の壁。しかし、それらの壁は──吹き飛ばされるか、あるいは、バタバタと力を失って倒れていった。
美夢による物理攻撃によって、市民らは次々と吹き飛ばされ、再起不能に陥る。勿論、東野も負けてはいない。彼女の攻撃もまた、市民たちの力を奪っていく。市民たちはスーツを着用していないが、攻撃はされてしまう。強化なしに受ける攻撃は強力で、抵抗する間もなく次々と市民の壁は突破されていく。
「な、なんだ、こいつら!?」
「それでも正義の味方か! ブーブー!」
市民たちから飛び交うブーイングだが、そんなものには耳もかさない。
「甘いのよ! 一般ピーポーめ! みゆがそんじょそこらの正義のヒーローに見えるぅ? 市民が特権階級だと思ったら大間違い、大間違いぃ~!」
確かに、見えない。その容姿は悪堕ちしてしまったその日から、正義のヒーローとは縁遠いド派手なものになっているからである。
「ふ、ふざけるな! 市民に手を出していいと思ってるのか!」
「や、やめてくれ、やめっ……うわぁあー!!」
次々にばったばったとやられていく市民たち。
「やめてくれ? 私のような美少女にやられるなら、本望でしょう? 嘘はよくないですよ」
謎理屈を押し付けるのは東野だ。きっと市民の誰もが、心の中で、あ、この人ダメな人だ、と思ったのは確実であろう。
その思い通り、東野は次々に市民たちを倒していく。当たり前だが、市民はさしたる能力もっていないため、美夢や東野に敵う訳もない。彼らがもっていた唯一の能力である、市民が故にヒーローは攻撃できない、というものは美夢と東野によってあっけなく打ち破られてしまったのだから。
「それでもヒーローか! おい! や、やめないかっ!」
青ざめた様子で美夢と東野を止めようとするのはレイジー。
「止めろ? そもそもけしかけたのはそっちでしょ?」
美夢のもっともな反論が飛び、
「ま、私も美夢さんも、貴方の力のおかげで市民の皆さんと戦えているというのはあるかもしれないですけどね」
東野がそれに続く。
「グググ、ま、まずいですよ、レイジー様!」
「もうここにいる市民のほとんどが倒されてしまいましたっ!」
二人の戦闘員の声の通り、もう辺りを見渡せば市民がバタバタと道に倒れている異常事態がそこに広がっていた。破壊されている建物と併せれば、それこそ、ここで戦争でも起きたかのような情景だ。あわわわ、と震えるのはレイジーだけでなく、佐々もであるが、美夢と東野の勢いが衰えることはない。
いよいよ市民の最後の一人が戦闘不能となり、レイジーを守るようにして戦闘員二人が前に立つ。
みるみる内に事態が訳の分からない方向に動いていくのを見て、佐々は思う。もうどうなってもいいや、と。開き直ったのだ。
「さぁ! 残るはお前たちだけだなっ! はっはっは! この二人の価値観を変えてしまったのがお前の運の尽きだったということだな、レイジー!」
佐々は言い放つ。レイジーは、ギリギリと歯ぎしりをし、地団駄を踏む。
「あー! もう! どいつもこいつも! そこをどけっっ!」
自分よりも背の高い部下の戦闘員二人を押しのけると、レイジーは前へ出る。佐々たちを睨みつけて言う。
「いいだろうっ! この堕の魔女王、レイジー様が、お前らへ直々に天罰を下してやる!」
「お前が下すのに天罰なのか……?」
「うるさい、うるさいっ! お前たちなんか、正義のヒーロー失格だっ!」
今にも噛みついてきそうな勢いのレイジーは、きーっ、と喚き声を上げ、美夢と東野に突進してこようとしたが、それを戦闘員二人が慌てて止める。
「お、お待ちくださいっ! レイジー様っ! あの二人はレイジー様が勝てる相手ではありませんっ!」
「どうしても、どうしてもいくというのなら、まず、我々が行きますから! ね、レイジー様! その隙に逃げてください、あなたは我々悪の組織にとって、そして、あの方にとって必要な存在なんですからっ!」
うー、うー、と怒りに震えるレイジーだが、何かを理解したのか、おずおずと引き下がる。
「あ、後は任せたぞぉお、戦闘員んぅ~!」
涙目になりながら呟く。そして、背を向けて走り出す。
「あ、待てっ!」
「させないですよ!」
東野が後ろから遠距離攻撃を放つ。レイジーはとっさに回避行動をとるが、完全に避けきることはできない。本来なら、その場で倒れてもおかしくないほどの毒クラゲの能力による攻撃。けれど、レイジーは何とか歩き、その場を離れて行こうとする。
美夢と東野が逃すまいと追いかけようとするが、そうはさせぬと二人の前の立ちはだかるは、戦闘員二名。
「おーーっとぉ! 待ってもらおう、美少女二人よっ!」
何故か美夢と東野をほめたたえる戦闘員二人の姿は、それこそ戦闘員らしく、黒一色のシンプルなもので、マスクもまた、黒を基調とした変哲のない顔を隠すくらいの役割しかないものだ。これを見て、人は彼らを、雑魚、と思うだろう。しかし、その心に背負う思いは、彼らをたかが戦闘員と人々の思いとは裏腹にとても熱かったりする。
「なんだ、お前らっ! そこをどけーっ!」
佐々が奥から叫ぶ。美夢と東野が、少し呆れた表情で佐々を振り返るが、佐々はそんなことに負けはしない。
「お前ら、いいか、お前らに勝てる相手じゃないのは見てわかるだろ。美夢さんも東野さんもお前ら雑魚相手とはいえ、容赦はしないぞっ! 市民相手にも容赦しなかったんだからな! いいのか、お前ら、ここで大人しく通さなかったらお前らは数日間脳から送られる激痛に悶え苦しむことになるかもしれないんだぞっ!」
佐々の脅しに、けれども、戦闘員二人はまるで尻込みしない。
「ふふふっ……そんな脅しに俺たち二人が負けるとでも思っているのか?」
「俺たちは、堕の魔女王レイジー様、一の下僕」
しゅばばっと、何やら格好良さげなポーズを取る二人。
「戦闘員A!!」
「戦闘員B!!」
別に格好良くないぞ、と佐々は心の中で突っ込みを入れる。
「レイジー様は、俺たち二人のどうでもいい、クソみたいな人生を変えてくれたお方だ。レイジー様は、ここでやられる訳にはいかないお方だ。俺たち二人の人生は、もう一回終わってるんだ。このクソみたいな、閉鎖的で、退屈で、管理されて、がんじがらめの世の中で、それでも、俺たちは俺たちを生きればいいんだということを教えてくれた偉大なお方だ!」
「俺たち二人は馬鹿だ。馬鹿だし、弱い。戦闘員にしかなれないくらい才能も力もない。若くもないし、社会的なステータスだってまるでない。生まれてこの方一等賞を取ったこともなければ、何か特別すごいことをした訳でもない。だから俺たちは腐るしかなかった。無気力に、ただ生きる、それだけしかできなかった。そんな俺たちに、俺たちを教えてくれた人、それがレイジー様なんだ!」
戦闘員A及びBが話している間にも、レイジーはどんどん逃げていく。佐々の分析によれば、この二人の戦闘力は美夢と東野に遠く及ばないだろう。彼ら二人で時間稼ぎなどできる訳がないのだ。
とはいえ、手に汗握る展開佐々はにたじたじだった。なんだ、この熱さは。なんだ、この悪役らしからぬエピソードは。それらのエピソードは嘘かもしれない、しかし、二人が確実に負けると分かっている戦いに敢えて挑んでくる当たり、ある程度は確からしいとも思えた。
「……ほぉーん、なるほどぉー」
美夢が答える。
「戦闘員A君、B君が言いたいことは分かった分かったぁ~、みゆもねぇ、二人の気持ちはよぉく分かるよ!」
「まぁ、それには同意ですね」
意外なことに同意する美夢と東野。しかし、二人が戦闘員二人に手加減することがあり得ないということはすぐに明らかになる。
「分かるからこそ、それには徹底的に答えてあげないとなぁ~! か・ら・だ・で!」
「それにも、同意ですね」
刹那、戦闘が始まる。動きは一瞬だった。人の目で何とかギリギリ追えるほどの早さで、美夢が動く。戦闘員二人は、それに反応しようと必死で目を動かすが、それ以上のことはできなかった。目を動かし、避けなければいけないとようやく脳が反応した時にはもうとっくに手遅れな距離に、美夢は近づいていたのだ。
攻撃が戦闘員二人にまとめて放たれる。
二人とも、それを避けることは到底かなわなかった。何とか、防衛本能をギリギリのところで働かせて飛んでくる蹴りに対応した防御を取ろうとする。結果、防御は間に合う。何とか美夢の蹴りをまともに受けることは回避できた。しかし、それではまるで意味がないということにすぐ二人は気づく。
鈍い衝撃音と共に、戦闘員二人は数メートル後ろへ吹き飛ばされたのだ。
それは、美夢の攻撃の威力があまりに高すぎるからに他ならない。まるで戦闘員二人だけが地球の重力から解放され、月にでもいるかのように何度か地面を跳ね返り、ようやくその身体が止まる。ずざざ、とコンクリートと布が擦れる摩擦音で彼らがどれだけのダメージを受けているのか良く分かる。
「お、おいおい……」
思わず目を覆いたくなる光景に、佐々は引き気味に呟く。もう勝負は決まっただろうと言っていい状況だ。いや、勝負の結果など最初から決まっていたのだ。よもや、数秒も待たずして、東野の出番なしに、美夢の一撃のみで二人が同時に吹き飛ぶという結果になるとは考えていなかった佐々だったが、けれども、この結果は見えていたのだ。
戦闘員二人にとって悲劇だったのは、彼ら二人が悪の組織に所属していたということであろうか。故に、美夢は市民との戦いとは違い、手を抜かず本気で攻撃した。それは、戦闘員二人にどれだけ激しい攻撃をしようとも、専用のスーツを見に纏っている彼らなら死ぬことはないからだ。市民はスーツを身に纏っていない。いくら街に張り巡らされた機能で直接的にダメージが入らないとはいえ、多少加減しなければどうなるかは分からない。市民との戦闘は想定されていないのだから当然だ。
けれども、戦闘員二人は訳が違う。美夢は、言った言葉通り、徹底的に、戦闘員の宣戦布告に答えたのである。
「さぁて、と。それじゃ、ま、逃げてった人追いますかね~」
美夢が歩き出す。
「そうですね、私の毒が多少なりとも効いているはずですから……この時間ではそう遠くにはいけないはずです。後を追えば何とか──」
東野の言葉が止まる。それは、彼女の視界に予想外のものが映ったからだ。
それは、ゆっくり、ゆっくりと動いていた。小刻みに震えつつ、けれども、しっかりと、その両足を大地につけて、立ち上がった。
「ま、まだだ……!」
「まだ、まだ……!」
レイジーの後を追おうとする美夢たちの前に立ちふさがるは、先ほど美夢に吹き飛ばされたはずの戦闘員二人。ゆらゆらとお化けのように立ち上がると、咆哮を放ち、その身体の震えを無理やり止める。
彼らは、気持ちで持っていた。気合い、と呼んだ方がいいだろうか。美夢の攻撃により、脳へ与えられた壮絶なる衝撃は、本来、二人の戦闘員の体を何日か機能停止に追い込むほどに強いものだったはずだ。けれども、二人はその痛みを気持ちで押さえつけた。
「なんてやつらだ……あり得ない、あり得ないだろ、そんな」
佐々は、何が彼らをそこまで突き動かしているのか理解できなかった。確かに、理論上は、可能だ。痛みはあくまで脳が認識しているに過ぎない。であるからして、それを上回る強い意志があれば、理論上は、動けないほどの痛みを受けてもなお、体を動かすことは、可能。しかし、それを、実際にやってのけるのは、言うのとは訳が違うほどに困難。
「へぇ……すごいですねぇ」
感心の声を漏らすのは東野だ。
「何を、勝った気で、いる……!」
「まだ、まだまだ、まだまだまだ! 俺たちの身体は動くぞ!」
二人の戦闘員は、そう言うと、美夢と東野へ向かって走り出す。二人がそれぞれ、右手を振りかぶって、パンチを繰り出す。渾身の思いで放ったパンチだろう。けれど、あまりにも力は足りなかった。弱い、弱すぎる。それは、佐々から見ても明らかだ。この二人が相手なら、自分でも勝てるだろう、と佐々は今でもそう思っていた。
案の定、その拳は美夢にも東野にも当たらない。それどころか、パンチを繰り出したことによって、二人の身体はよろめき、倒れそうになる。何とか踏みとどまったが、しかし、その二人を待ち受けていたのはさらなる悲劇。
「これで最後ですね。楽にしてあげますよ」
にっこりと笑った東野によって放たれた毒の一撃。それは、もはや避けることなどできる体ではない戦闘員二人に綺麗に命中する。
「うっ……!」
零れる声。戦闘員Aも、戦闘員Bも、バタ、バタと両膝を尽き、両手をつく。




