第12話
答えは簡単だった。今回の事態こそが監視社会にとって完全なるイレギュラーに該当するのだ。
「レイジーの、能力、ってことですか?」
佐々の誰に投げかけるでもない質問に、所長が答える。
「そういうことだ。彼女の能力は、人の価値観に刺激を与えたり、力を増大させたり……推測ではあるが、恐らく、人の潜在的な意識を外へ引きだす力。美夢くんも、東野くんも、それぞれの潜在意識を引きだされた故に、現在の状態にあると考えられよう」
「えっと、それってどういう──」
佐々は美夢と東野を交互に見比べる。彼女たちの潜在意識が外に引き出された──その結果、美夢は圧倒的な力を手に入れ、東野は真面目そうなで外面の良さそうな性格から反転して我を表に出すように……。
「私たちのことはいいから、早く続けましょうよ」
東野が先を促すので、佐々は視線を所長へ戻す。
「今回の問題、勿論、政府も動くに違いはないでしょう。けれど、それでは遅すぎる。これは政府から見れば不測の事態なんです。事態は収束には向かうでしょうが──それがいつになるかは分からない。となれば、今、我々に出来ることは一刻も早く原因の根本であるレイジーとやらを成敗することです」
頷く一同。ちょうどその時だった。
非常音が室内に鳴り響く。一同が顔を見合わせる。考えるまでもない、レイジーの出現が告知されたのだ。
「よし、行きましょう、美夢さん、東野さん!」
佐々の呼びかけに、今回ばかりは、二人とも素直に頷いた。
「なんなんだ、これは……!」
佐々の目の前に繰り広げられていた光景は、これまでの華々しい正義の組織と悪の組織の面々が戦いを繰り広げる場所とはまるで違った。警報音は、単にレイジーの出現を知らせたものではなかったのだ。
「これは、酷いですね。佐々くんの部屋くらい酷い」
「え、何で俺が攻撃を受けた!?」
東野の暴言はともかく、今、三人が目にしている光景は確かにひどいものだった。
かつて平和な街だったはずのオフィス街で、通りに面しているガラスが悉く割られている。自動車が適量走っていた通りを走っているまともな車はなく、そこにあるのは炎上した車か、どこから持ってきて散らばったのか分からない、様々な家具。通り一面にはガラスの破片や恐らくオフィスの割れた窓から巻き散らされた紙なども散らばり、壮絶な勢いで破壊されゆく街並みがあった。
立ち尽くす三人を差し置いて、街の中は荒々しい騒音に包まれている。叫び声、破壊音、ガラスの割れる音──。
「警察は何をやっているんだ!」
佐々が呟く。警察が手をこまねいている訳ではない。これまでの大規模な暴動を鎮圧するためにはそれなりの人手が必要であり、それを今かき集めているのだ。何せ、通常では起こり得ない事態なのだ。想定さえしていなかったのだろう。その事は佐々とって分かってはいたが、それでもそう言わざるを得ないような状況だった。
「さ~、じゃ、良く分からんけど、その辺の市民を片っ端からぶっ飛ばしていきますかぁ~!」
ぶんぶんと腕を振り回すのは美夢。
「失神させていきますか……」
にやりと笑うのは東野。
「待て待て! ダメだろ、それは! それじゃ、市民に手を出すのと変わらないじゃないか!」
「そうだそうだ! それじゃ正義なんて名乗れるものじゃないだろ!」
「そうだそうだ!」
いつの間にか三人の議論に割ってはいる声。
佐々たちが慌てて辺りを見渡すと、そこにはもう彼女がいた。堕の魔女王、レイジーが、だ。恐らく、市民たちの情報を聞いて、佐々らがいる場所へとかけつけてきたのだろうと思われた。
「わざわざそっちから来てくれるだなんてね~! お久しぶり!」
高笑いをするのは美夢だ。そのままレイジーへ向かって突っ込んでいこうとした彼女だったが、行く手を阻むのは市民の軍団。結局、市民たちをどうするのか結論が出ていなかったため、美夢は足を止めざるを得ない。
レイジーの両脇には、相変わらず二人の戦闘員が配置されている。身長が低い彼女に配慮するように、どこからか椅子やら机やらを持ってきた二人の戦闘員が、レイジーにその上に立つように誘導する。
よいしょ、よいしょ、と呟きながら机の上に立つレイジーは、市民らに取り囲まれている佐々たちを見下すだけの高さを手に入れると言う。
「飛んで火にいる夏の虫、とはこのことだなぁ! よくきた、正義のヒーローたちよ。その度胸だけは褒めてやろう!」
「そうだぞ!」
「そうだそうだ!」
「おい、お前たち、ここに合いの手はいらん!」
「そうだそう──ぐぇ」
レイジーに顔面を踏みつけられる戦闘員。どうやら、この二人はちょっとお調子者らしい。
「……ねぇ、何あれ、漫才?」
不審な目でそれを見る東野は佐々に問うが、佐々にもそんなことは分からない。それよりも、佐々は、今、どうやって、市民を掻い潜ってあのレイジーを倒すのかを考える必要があった。
レイジーがぺちゃくちゃ訳の分からないことを話している間に、聞いているふりをして佐々は作戦をたてようと試みる。前回と同じような状況ではあるが、今回は少し話が違う。何故なら、今、佐々の元には二人の戦士がいるからだ。美夢と東野、二人の戦士は佐々よりもずっと強い。レイジーの元へさえ無事送り届けることができれば今回の事件を無事解決させることもできるだろう。
「うぅむ……」
「──おいぃ! おい! 聞いてるのか、イベイジョン! なぁ! ムキー!」
唸る佐々に話しかけているのは、レイジーだ。
「?」
む、と意識をレイジーへ戻す佐々。
「今こそ、イベイジョンともども、その両脇にいる女二人も含めて、地獄の底へ落としてやろうと言っているんだ! 覚悟は良いな!」
佐々は両隣の二人を見る。何故か遠くの空を見ている東野と、はぁ~、めんどくさ~、とため息をついている美夢。恐らく、この二人のやる気のない態度を見て、考え事をしているが故に真剣な顔をしていたであろう佐々に問いかけてきたのだろう、レイジーは、と分析する佐々。
しかし、佐々の中で何も作戦は決まっていない。レイジーへ通ずる道は、見事に市民たちが手にどこから持ってきたのか良く分からない鉄パイプを持って塞いでいる。何か圧倒的なひらめきを……と今の事態を頭の中で整理する。
今の状況──勿論、佐々たちの手によって事態が解決されるのが一番いいだろう。被害も抑えらえるに違いない。では、このまま放っておいたらどうなる? 簡単だ。悪の組織は警察の手によって活動を停止させられ、悪の組織だからという免罪符を完全に失い、彼らは、善人に戻らない限り日本で生活していく術を失う。
あれ、そうだ、と思う。
両隣の二人を見て、さらに、レイジーを見る。誰も気がついていないのか? と考える。
この状況、佐々たちにある、一つの完全なる勝利条件──その勝利条件は、実に簡単なものだ。別に、佐々らがその手でレイジーを完膚なきまでに叩きのめす必要などまるでない。その勝利条件とは、時間が経過すること。
犠牲は確かに出てしまうだろう。けれども、その犠牲を最小限にとどめつつ、時間を稼ぐことができたとしたら……? それ、即ち、佐々たちの勝利と呼べるのではなかろうか。
そうだ、と佐々は思いついたことを言ってみる。
「くっ、俺たちが降参したら、市民たちの洗脳は解いてくれるんだろうな!?」
いきなり超絶ヒーローっぽいセリフを発したのには佐々なりの深い理由がある。けれど、このままただただ市民たちにボコボコにされるというのもボコボコにされる意味合いが薄く、どうせボコボコにされるくらいならとりあえず時間稼ぎのために降参しておいた方がいいと思ったのだ。降参とは即ち、身の安全を保障してもらうということも含む。
「なっ……!」
「何を……!」
けれども、勿論、それに反発する者がいる。美夢と東野だ。佐々はとっさに二人の肩をがしっと抱えるようにして掴むと、レイジーに背を向けて誰にも聞こえないようにひそひそと二人へ自分の案を話す。
「回りくどっ!」
「流石、セコい男代表ですね……」
二人の毒舌により心へダメージを受けつつも、佐々は再びレイジーとの交渉へ戻る。
「うぅーん~。どうしよっかなぁ~」
レイジーがものすっごく得意げな顔でにやにやしている。これは完全に油断している顔である。
「どうしよっかなぁ~」
「どうしましょうねぇ~」
ついでに戦闘員二人もレイジーに続いている。いいぞ、その調子で賛同しろ、馬鹿二人、と佐々は心の中で声援を送るが、
「でも、レイジー様!」
「怪しくないですか? こいつらが降参するなんて!」
突然頭を回転させる戦闘員二人に、佐々は怒鳴りつける。
「馬鹿野郎! 何が怪しいものか! この正義のヒーローイベイジョンは、何より、市民の安全を最優先に考えているんだ! どんな時も、一に市民、二に市民、三も四も五も六も、頭の中は市民の安全でいっぱいなんだよ! お前ら悪党にはわかるまいっ!」
市民および美夢と東野の冷たい視線を受けながら、それでも佐々は続ける。
「俺の熱い心の中がな、正義を成し遂げるためなら何でもする、そう熱く語りかけているんだ! いいだろ、レイジー! お前だって、関係のない第三者を巻き込んでこんなことをするだなんて間違っていると分かっているはずだ! さぁ、今すぐ市民を解放するんだ! 俺はどうなってもいい!」
熱く語る佐々の言葉を聞き終えて、レイジーはうんうんうん、と頭を何度も縦に振る。
「よぉし、よくわかった。イベイジョン。お前の覚悟が我の心のしっかり伝わってきたわ!」
「な、なら!」
ビシッとレイジーは人差し指を佐々へ向ける。
「まずはお前からにしてやる!」
「えっ」
「お前からだ! お前から、この場にいる暴徒たち全員でボコボコにしてやると言っているのだ!」
驚愕の表情を浮かべる佐々。少し後ろにいる美夢と東野に振り返り、どうなっているのかという状況説明を求めるが、二人とも呆れた顔で佐々を見るばかりだ。
「は、話が違うだろ! 話が! 話聞いてたか!?」
怒る佐々にレイジーは高笑いをしながら返す。
「ふっふっふ! 何が違うものか! 我は最初から何も約束などしていない。お前の意見を第一に尊重してやるだけありがたいと思えっ! さぁ、行くのだ、下僕ども! イベイジョンとかいううさんくさいわけのわからないヒーローをぶっ飛ばしてしまえ!」
「言われてますよ」
「言われてるぞ~」
レイジーだけでなく、後方からも煽りを受ける佐々は、ギリギリと歯を食いしばる。確かに自分は逃げるしか能のない訳のわからないヒーローであるということを少なからず自覚している佐々は反論することができないのだ。
それはさておき、となると、自分が痛い目にあうのも嫌な佐々は、数歩後ろへ下がる。美夢と東野と同じ位置へ移動することによって、迫りくる暴徒からの扱いを三人並列に並べようというそれはもう姑息な作戦だ。美夢は、はぁ、とため息をついた。
「正義君、君の名前は佐々正義。情けない、情けないよ、みゆは」
「珍しく、同感です、美夢さん」
美夢と東野を交互に見る佐々。二人は、佐々が引き下がったのとは反対に一歩前へ進んで見せる。
「な、なにを……」
慌てる佐々の言葉を遮るように、美夢が口を開く。
「何をって、簡単でしょ。今のこのクソみたいな状況を打開してやろーと思ってるの」
ぶんぶんと腕を振り回しながら続ける。
「みゆはね、いや、美夢みゆという子はね、力が欲しかった。それは、別に正義のヒーローになるためでもなければ、アイドルになるためでもない。それはただの手段に過ぎないの──」
そして、向かってきた市民を一人ぶっ飛ばして続きを呟く。
「それはね、私が、私のために、世界に夢を与えたかったからなの」
「……?」
首をかしげる佐々だったが、それとは対照的に、東野は、ふふふ、と笑った。どうやら、彼女は美夢の言いたいことが分かったようだった。
「認めたくはないですけど、どうやら、私と美夢さん、今ばかりは同じようなことを考えてるみたいですね」
「ん? なに? どゆこと?」
美夢の疑問に、東野が答える。
「私はね、別に正義の味方になりたいからヒーローになった訳じゃなかった。こんなこと、わざわざ言うことでもないけれど──そこの佐々くんがちょっと羨ましいから言ってあげるわ。私は、ただ、私のために戦う。それだけなの」
「んー……なるほどね」
佐々は以前として、意味がわからなかったが、美夢には東野の言いたいことが分かった。そして、同時に、美夢も東野も、互いに、今、何をどうしようとしているのか、分かったのである。




