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堕、堕、堕ッ!!  作者: 上野衣谷
第三章「帰ってきた堕の魔女王レイジーだっ!!」
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第11話

「まだ、気づかないのか?」


 レイジーはそういうと、首を左右にゆっくりと振る。いや、首を振ったのではない。レイジーは、辺りを見渡したのだ。佐々もまた、釣られるようにして周囲を見渡す。そして、その周りにあるのは──。


「……! まさか!」


 ようやく佐々がピンとくる。そして、その閃きは悲劇であり、最悪であった。


「ようやく気付いたか。そうだ、そう──」


 レイジーはこれまでにない、悪役にふさわしい邪悪な笑みを浮かべる。口の端が顔の端に届かんばかりに笑う。その表情は、彼女が愉悦の絶頂に在ることを意味し、同時に、佐々は絶望の淵に立たされていることを意味した。


「我は、堕の魔女レイジー……確かに、前回は、失敗した。お前たちヒーローというまがりなりにも使命を背負った奴らに堕のエネルギーを与えてしまったことによる失敗だ。しかし、人は、目標がある限り、学び、成長する。我には、成し遂げなければならない目標がある。そして、それは、たとえどんなことをしてでも、絶対に、成功させなければならない……」


 レイジーの語るような口調に佐々は今彼女がしようとしていることに警鐘を鳴らす必要を感じる。


「しかし、だが、そんな、本気か!?」


 けれど、レイジーは、そんな佐々の忠告を聞く様子などまるでない。彼女は強い信念のもとに動いているからだ。彼女はもう決断していたのだ、次の一手を。


「たとえ──それが、常識に反していようとも成し遂げなければならないのだ。なぁに、少しくらい、常識を破ったって構わないだろう? 何故なら、我らは、悪なのだからなぁー!」


 刹那、レイジーの体から、どす黒い光が全方向に向けて、四方八方に、勢いよく放たれる。それは、絶望を色にしたような黒。その光は佐々にだけ当たることなく、その場にいた市民たちの胸に突き刺さる。


「がっ!」

「うっ!」


 市民たちは苦悶の表情を浮かべ、胸に手を当て、しゃがみ込む。静かに膝をつく市民たちの動きをただただ見守ることしかできない佐々であったが、何が起きているかということは容易に想像ができた。


「こんなことをして、許されると思っているのか……!?」


 佐々にあるのは、怒りというよりは焦りだ。自分が窮地に立たされるということを恐れての焦り。正義のヒーローとしての感覚ではなく、人間の本能的な焦りであったが、ともかく、彼が今できるのは、目の前の悪を糾弾することしかなかったのだ。

 その行動を正当化するには、レイジーがした行動が許されないことであるということを指摘すればいい。それのみが、細い細い、佐々の論拠であった。

 その細い論拠を砕くようにレイジーは両手を天にかかげる。


「ふふふ……! 許される、許されない、ということが、我々悪に所属する人間に対して問うべき内容か? 甘い、甘いのではないか、イベイジョンよ」

「なにっ!」


 むくり、むくり、とゆらゆら立ち上がりつつある市民たち。それら市民を背景にして、レイジーが続ける。


「悪……悪には何が起因するか、お前は考えた事があるか? 悪とは、自由の果てにある存在よ。自由のなきところに悪は発せず、また、悪のなきところに自由は発しない。考えたことはあるか? 今のこの日本に在る、悪の組織とやらは、本当に悪なのかということを。悪とは何だ? 正義とは何だ? イベイジョン、お前もまた、そこらのヒーローと、そして、そこらの悪の組織で暴れる人間たちと何も変わらないということよ……」

「訳の分からないことを」

「ふふふ、分かるまい、しかし、お前にも簡単に分かることがるぞ」


 そういうと、レイジーはかかげた両手をさっと降ろす。それが合図だったかのように、ゆらゆら揺れる、死体のような市民たちが、ざっと姿勢を正す。直立不動のその様子は、まるでロボットか何かのよう。全く何も装備していないはずなのに、彼ら市民の周囲には、不気味な黒いもやがかかっているように見える。レイジーの力が及んでいるということを表しているのであろう。


「それはな、イベイジョン。今から、お前は、自由の力を得た市民たちの手によって倒されるということだ!」


 レイジーが佐々を指さす。それにより、悪の手に落ちた市民たちが佐々の周りを取り囲む。ギラリと光る目からは、佐々を叩きのめさんとしていることがよく伝わる。


「許される訳ないだろう! 正義と悪との戦いに、市民を巻き込むなんてことが! 警察が動くぞ、犯罪だぞ、これは!」


 佐々が叫ぶが、レイジーはまるで動じる気配はない。


「それでこそ、悪だろう? 今まで日本で活動していた悪の組織なんてもの──所詮、ごっこ遊びだ。そうだろう、警察が動かずして悪の組織? 片腹痛いわ。まぁ、おしゃべりはこれくらいでいいだろう? さぁ、イベイジョン……! ここがお前の墓場だ!!」


 同時に、イベイジョンへと襲い掛かる市民たち。

 あまりの数に、それらの攻撃を避け続けることは敵わない。佐々は、高くジャンプして、市民たちの攻撃の手が届かない建物の上へと飛び乗る。


「くそっ……! どうしたらいいんだっ」


 市民たちが、その建物の中へと入り込んでいくのが目に映る。佐々の元へと市民が来るのは時間の問題かと思われた。かといって、市民たちの手を掻い潜り、レイジーのみを倒すというのは佐々には荷が重い。


「どうする、考えろ、考えるんだ……。真正面からぶつかるばかりが脳じゃないはずだ」


 この事態を打開する策を考える。目下にいるレイジーは、余裕の表情で腕を組み、市民たちの攻撃を見守っている。しかし、その周りには複数の市民がおり、彼らを退けなければレイジーを攻撃することは難しい。

 かといって──市民を傷つけるのは憚られる。それはよくないことだ、と佐々の中の常識が市民への攻撃を遮る。そんなことをしてしまっては、もういよいよ、正義の組織への指示はまるでなくなってしまうという心配もある。やろうと思えば、やろうと思えば、市民全てを倒して、レイジーへと攻撃を仕掛けることは可能であろう。しかしながら、それは即ち、正義の死を意味するものだと佐々は感じたのだ。

 佐々は、正義の組織というものに対して、そこまで強い使命感を持っているわけではない。しかしながら、彼の中の常識が、市民を全て倒してレイジーへ攻撃をしかけるという行動を否定した。市民はか弱い。加減をするにしても、攻撃するという事実そのものが佐々には納得できない。


「……よし」


 佐々は状況を再び確認する。今、自分は、市民に襲われている。そして、自分は、今、市民を攻撃できる立場にはない。それは、自分の中の常識は勿論のこと、同時に、市民からの正義の組織への好感度があまりに下がりすぎるということも大きな要因だ。

 以上のことから、佐々が取ることが出来る選択肢は一つに限られる。

 そうしているうちに、バタバタ、という足音が聞こえてきて、佐々のいた建物の屋上の扉が開く。市民が雪崩れ込んできて、瞬く間に佐々の行く手を阻む。いつの間にか市民たちは各々が手に鉄パイプやらバットやら、長い棒状のものを所有しており、戦闘態勢を整えている。

 佐々は大げさにぶんぶんと腕を振るって見せた。戦闘準備をしているかのような素振りに、市民はたじろぐ。


「おぅおぅ! よくきたなぁ~! 市民の皆さんっ!!」


 不敵な笑みを浮かべる佐々に、市民たちは首を傾げる。おうっ、おうっ、と腕を振るうと、おぉう、おぉう、と声をあげながら面白いように市民らは一歩、二歩と後ろへ後ずさる。 


「いいか、見とけよ、お前ら! イベイジョンを敵に回すということが、どういうことか、覚悟して見てろよぉ~!」


 ふっふっふ、と笑う佐々。警戒する市民。佐々はゆっくりゆっくりと市民へ向かって前進する。三階建てのビルの屋上、下は道路。退路がないから前へ出るのだ、と言うが如く、死さえも恐れないような形相で前へ歩み出る佐々に、市民たちは恐れをなして、ジリジリと後退する。

 けれど、それも長くは続かない。当たり前だ、彼らはレイジーによって洗脳されているのだから。


「う、うぉあああ!」


 誰かが叫んだ。

 その声の主が、市民らの中から一人飛び出す。勇ましい市民が現れたことにより、他の市民らもそれに続き、今度は、我先にと佐々へと迫る。ドタバタと忙しい足音が屋上のコンクリートの床を叩く。佐々はニヤリと笑う。笑い、そして、くるりと反転、市民へ背中を向けた。


「はっはっは!!」


 佐々は初めからこの行動を取ろうとしてた。彼に必要だったのは、勇気でもなければ、やる気でもない。距離だ。

 彼は道路側へ向かって全力で走る。勢いこそが大事。市民へはったりをかますことによって確保した距離を、一歩一歩強く踏みしめ、全力で走る。これは、助走である。佐々が、建物を飛び出し、道へ落下せずに、下にいるレイジーたちを飛び越えて、向かいの建物の屋根へと飛び移るための助走である。


「はーっはーっはー! さらばだー!」


 コンクリートの屋上を飛び出す力強い跳躍。回避能力の中には、このような逃走能力もまた含まれているのだ。佐々は避けることの専門。同時に、逃げることの専門でもある。それらに関して、佐々の右に出るものは少なくとも彼の活動地域の中には他にいない。

 宙を飛ぶ佐々。あわ、わわ、と余りの勢いに屋上から落ちそうになる市民たちを振り返ることなく、空を跳ぶ。佐々を除く、その場にいるすべての人間が、そのあまりに見事な跳躍、逃げっぷりを目にして、口を大きく開いていた。唖然、といった言葉がまさにピタリと当てはまるであろう。

 市民らを唖然とさせた後、佐々は無事、道を挟んだ向かい側の建物の屋根へと飛び移ることに成功する。大きく手を振って、さようならの挨拶をしながら、


「それでは! またいつか!」


 と言い残すと、佐々は次から次へと屋根から屋根へ飛び移り逃げ去っていく。その姿、まるで世紀の大泥棒のようであり、彼のそんな姿を画面越しに見た市民たちは、これまた唖然としてたに違いない。

 こうして、佐々対レイジーの戦いは、佐々が完璧なる逃走劇を演じたことによりお預けとなってしまった訳であるが、同時に、これによって正義の組織は更なる窮地に立たされることになるのである。




「なんてことをしてくれたんだ! 君というやつは!」


 所長の怒号が飛ぶ。正義のヒーローたちの秘密基地。所長の緊急呼び出しにより、ヒーロー三名が大集結したその場において、佐々はとてもとても怒られていた。

 テレビ画面から流れるニュースは、ヒーローにとってあまり良くないものであった。

 かつてない量の、突発的な犯罪が、佐々たちの管轄地域において起きているというのだ。


「い、いや、でも、これと、それとは、話が違うでしょう?」

「話が違う訳があるかっ! ここで報道されている犯罪、これは、どうみても、例の悪の組織の堕の魔女レイジーとかいう者の仕業に違いない……! 佐々くん、君はとんでもないことをしてしまったんだ。あの場で的確に彼女を倒しておけば……」


 い、いやぁ、でもぉ、と反論しようとする佐々をよそに、話を全く聞いていない様子だった美夢が疑問の声をあげる。


「でもさぁー? なんで犯罪がこんなに発生するの? あり得なくなーい?」


 ソファに深々と腰かけ、太ももと太ももをクロスさせて足を組んで、さらには腕まで組んで続ける。


「だってさぁ~、今、世は徹底的な監視社会。警察さんに見つからずに、悪の組織に所属しないで、犯罪を犯すなんてそれこそ、ある日いきなり思い立ったりでもしないと無理じゃないのぉ?」


 美夢の言うことに、佐々も賛同の頷きをする。彼女の言うことを佐々はよく理解できた。人の思想までも監視しているなんていわれる今の監視社会において、犯罪を犯しそうな素振りが探知されてしまえば、心身データ等をもとに事前に犯罪が予知されるほどに社会の仕組みは進んでいる。人が何かしらの行動を起こそうと決意するにはそれなりの理由がある。それを本人が自覚しているにせよ、自覚していないにせよ、何らかの形でその理由は形成され、徐々に心の中で成長していくものなのだ。

 であるからして、今の社会はそれらの変化を監視することによって、ほとんどの犯罪を事前に予測し、防止する。例外といえば、悪の組織に所属している連中に対する不干渉措置や、圧倒的なイレギュラーによって突発的な犯罪──つまるところ、事故的な犯罪が発生するケースくらいなものだ。


「あっ……」


 佐々はそれだけのことを思い返して、ピンとくる。

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