第10話
正義の組織と悪の組織の戦いはエンターテイメントとして市民たちに提供されるコンテンツの一つである。経済的に余裕があり、ただ食べていくだけならばさほど苦労しないほど科学技術が向上し、国がうまく回っているからこそできる芸当とも言えよう。
さて、そんな平和な国であるが、今、その国の一組織として活動している佐々ら、正義の組織に所属する四名は頭を悩ませていた。場所はいつもと変わらぬマンションの一室。しかし、中は騒がしい。口論が行われているからである。
「だいたい、あれはやっぱりやりすぎなんですよ、やりすぎなんですって……お、俺は止めましたからね、俺は」
「あぁ? なぁに言っちゃってくれてるのさぁ~。そもそも、みゆはなぁんにも悪くないもんね! 悪いのは、悪の組織にいたあいつらでしょ?」
「そうです、その通りです。悪いやつを懲らしめて何が悪いっていうんですか? 文句あるんですか? ないですよね?」
言い争う三人を眺める所長は、彼ら三人の誰よりも困った顔をしていた。
「はぁー……」
大げさにため息までついて見せる。
「所長、何もそんなに落ち込むことないじゃないですか。別に、そんなに大した問題じゃないでしょう? 少し経ったら元通りになりますって」
「ホントホント。みゆの魅力を見せつければ、市民の一人や二人、簡単に意見変えるってのー」
「そうは言うけどねぇ」
相変わらず煮え切らない様子の所長へ、イライラしている東野が言う。
「じゃあ、どうしたら良かったって言うんですか? あの状況で、尻尾を巻いて、戦わずに逃げれば良かったって言うんですか? あのパンツを被った変態二人を放置して? ヒーローである私たちが? 逃げた方が良かったとでも?」
苛立つ東野に、所長は困った顔で返す。
「いや、そうは言ってないけどねぇ……」
頭を抱えている様子の所長の代わりに佐々が説明する。
「だから、あそこまで痛めつけないで良かったってことだよ。ね、所長?」
「まぁ、そういうことだねぇ……」
こんな争いが繰り広げられているのは、先日、美夢と東野が、フリーダムとリバティという悪の組織所属の敵相手に、あまりに一方的な戦いをし続けたという事に端を発する。
その戦いは、勿論、市民たちがカメラを通して見ていた訳であるが、あまりに一方的で、情け容赦のない戦いっぷりが、正義のヒーローの戦いとは言い難いという声がどこからか自然と湧き出ているらしいというのだ。
無論、だからといって、何か処罰が下る訳ではない。国からの援助等が打ち切られるという訳でもない。直接的な害はないと言ってもいいだろう。けれども、やはり、そこは正義の味方として、見過ごせないところにあると所長は考えているようだった。
かといって、一度、大きく汚れてしまった外面を再び元の姿に戻すことは難しい。結局、あの事件以降、その悪評を立たせる原因となった美夢と東野の出撃は控えられ、代わりに佐々が出撃し続けるという日々が続いていた。
「じゃー、もういいじゃんー、ぜーんぶ正義くんがやればいいでしょー?」
ふん、とそっぽを向く美夢。それに同調するように頷く東野。しかし……それはそれで問題があったりする。
「そういう訳にもいかなくてねぇ……まぁ、その、知っての通り、佐々くんの戦いっぷりはまるで慈善事業、交渉人、まるで正義のヒーローとは言えないのだ。何がイベイジョンか……私がデザインした衣装が泣いているよ」
「ぐぐ……」
所長が言うように、佐々の戦いっぷりは、市民から見ると実に迫力に欠けるものであり、それが延々続くことは、悪評こそ立たないものの、じわじわと人気が下がり続けるのは必至であるのだ。
「じゃーー! 文句言わないでよー! ちょっとくらいの悪評がなんだって言うのよ! みゆは美夢みゆ、皆のアイドルなんだよ? 多少のアンチを気にしてアイドルがやってられるかってーのーー!」
どかっとソファーに座り込む。その姿勢、その態度を彼女が言うファンとやらが見たらどう思うだろうか。
「第一、私は、別に美夢さんと違って人気者になりたくてヒーローをやってる訳ではないですし……学校の成績がよくなるからヒーローやってるだけですし……なんていうか、その、どうでもいい、っていうか~」
心底どうでもよさそうに髪の毛をくるくる弄っている東野。本気だ。
「ったく──」
佐々は思う。こいつらはこいつらで自分のためにヒーローをやっているんだ、と。しかし、それは、決して自分も例外ではない、ということも同時に考える。
さらに言えば美夢の意見も少しは分かる。どんな活動をするにせよ、多少の反対意見というのは噴出してきてしまうものだろうという主張が、である。それを全否定することは難しい。
であるとするならば、自分はこの二人に何かしらの説得をしたり、あのフリーダムとリバティにした行為は絶対に間違っていたと説得することができようか? いや、できまい。話し合っても仕方ないのだ、残念なことに。そんなことを考えて、その後の言葉を紡ぐのを止める。
一方の所長は、もう少し過激な行動を抑えてくれと言いたいのだろう。だが、言えない。所長もまた、ある程度長く生きてきた人間であるが故に、意見を真正面から衝突させることに抵抗を覚えてしまっているのだ。
そんな話し合いが持たれた後、結局、出撃回数が圧倒的に多いのは、佐々となった。
今日もまた、佐々が所長の指令を受けて、悪の組織の人間が出現したという地域へと赴く。けれども、今日は何やら胸騒ぎがした。うまくいかないような──いや、そうじゃない、何かそれ以上の不吉が待ち受けているような……。佐々の動物的な勘が働いた。
そうして向かった先で、彼が目にしたのは、かつて、目にしたあの敵だった。
「お前は──えーっと、誰だっけ……」
まだ年端の行かない少女のように見えるその外見。身にまとうはセーラー服にエナメル質の黒が組み込まれた悪役チックな、女王チックなもの。見る者を魅了し、また、それ以上に、人の心を魅了する少女。
「ぐぬぬ……相変わらず生意気な男め」
手下に従える二人の下級戦闘員が、ダダン、と勇ましく前へ繰り出し、おぅおぅおぅ、と声を張り上げる。
「貴様、この方をどなたと心得る!」
「だから知らないんだって……」
佐々のつぶやきは、無視され、戦闘員による演出が続けられる。
「この方こそ、この世界の価値観を変革し、今の停滞した日本を脱却させるための大いなる存在っ!」
「えっ、そうだったの?」
「うるさいヒーローだな、ちゃんと人の話は最後まで聞きましょうと習わなかったのか!?」
下っ端悪役に怒られ、むっとして腕を組み口を閉じる佐々。
「えー、と。そう! この方こそ、堕の魔女、レイジー様だ!」
「控えおろう、控えおろう!」
二人の戦闘員が膝をつき、レイジーへと道を空ける。前へ出るように促されたレイジーは、得意げな顔で闊歩し、佐々と対峙する。
レイジーが前へ出た瞬間、周りの市民らから歓声があがり、異様な盛り上がりを見せる。いったいなんだというのだ、と佐々は周りを見渡すが、彼ら市民の目線は総じてレイジーへと注がれており、ヒーローイベイジョンはまるで注目されていない様子だ。おかしい、何かがおかしい、佐々はこの時になってようやく違和感を覚える。
確かに、フリーダムとリバティの一件以来、ここら一帯で正義の組織のヒーローに対する市民たちの好感度が下がっているというのは確認できた事実だ。しかし、それにしても、悪の組織に所属する、それも幹部クラスである、レイジーに対して、歓声があがるというのはさすがにおかしいのではなかろうか。
市民たちは平穏無事な生活を切望しているはずであり、悪の組織はそれを妨害する存在に他ならないはずだというのに……。佐々は思わず辺りに叫ぶ。
「皆さん! どうしたんですか! 間違ってますよ! こいつは悪者、俺がヒーローです! こいつは皆さんの生活を脅かす存在なんですよ!?」
沈黙。
ククク、と笑うレイジーの声。
そして、市民の誰かが──それが誰であるかなんてことは分からない、けれど、確実にその一人は市民の中にいた──発する、ブーイングの声。それに、当然であるかのように続く、複数のブーイングの声。
それは、間違いなく、佐々に向けて放たれているブーイングであり、佐々は同時に悟る必要があった。周りの人間たちは、自分の味方ではないということを。
異常な事態だ。しかし、佐々も馬鹿ではない。この異常が、目の前の少女によって引き起こされているということをすぐに理解する。
「あー、そうか、そうか。てっきり、かませ犬かとばかり思っていたから、お前の能力、完全っに忘れてたわ!」
「なっ!」
「ななっ!」
勿論、これは佐々の挑発である。佐々が、レイジーのことを忘れるはずもない。当たり前だ、彼女の厄介な能力によって、美夢と東野が悪堕ちしてしまったのだから。それにより、佐々の仕事量が圧倒的な増加をみせ、今、自分がやたら忙しい原因を作った張本人を前に、その存在を忘れていたなんてこと、ありうるはずがないのだ。
では、何故、積極的な戦闘を嫌う佐々がこのような挑発をしたのか。そこにも当然理由がある。
佐々はもちろん覚えていた。レイジーの弱点を。彼女が自身の体を用いた直接的な戦闘において威力を発揮しないということを、である。
「あー、すまん、すまん、まぁまぁ、そんな怒るなって、なんだっけ? 電子レンジさんだっけ?」
「なななっ!」
「ななななっ!」
挑発に反応するお付きの戦闘員たち二名。佐々はにやりと口の端を上げる。挑発に乗れ、と強く念じる。乗ってくれればすぐに片が付く。そして、そうであれば、自分は勝利する。戦闘員二人の反応は上々だ。
今、市民たちが佐々へあまり良い感情を持っていないということから見ても、戦闘を長引かせることはよくないと考えたのだ。
しかし、佐々の思惑は、完全には当たらなかった。
「覚悟しろぉ!」
「いくぞぉ!」
佐々へ向かってきたのは下級戦闘員二人だけ。クソ、と心の中でつぶやきつつ、佐々はそれらと戦闘する。その間、レイジーはただただその戦闘を見守るだけで、なおのこと不気味に思えたのは、彼女がほくそ笑んでいるということだろう。
しばらくの時間をかけ、回避を駆使しつつ、佐々は二人の戦闘員を戦闘不能状態へ追い込む。真正面からの戦闘は苦手な佐々だが、それでも一応正義のヒーロー。所長によって作りこまれた衣装の力も借り、何とか戦闘員二人を倒すことに成功した。
しかし、依然動かぬ女王レイジー。
「はぁ、はぁ……よ、よぉし、つ、次は、お前の、番だぞっ!」
佐々は、ビシッとレイジーを指さすが、息が切れていることもあり、いまいち決まらない。再び市民から沸き起こるブーイング。何故か追い込まれているアウェイな状況に、あー、面倒くさい、という感想を持つ佐々。
けれども、彼は、今、そんなことを思うことなど許されない危機的な状況に追い込まれているということをまるで理解していなかった。レイジーは言う。
「いいや? 我の番ではないよ、ふふふ」
「? どういうことだ?」
佐々は息を整えつつ、首をかしげる。一体こいつはいつまで戦わずに逃げる気なんだ、と僅かな怒りを覚える。若干、佐々自身のことを棚上げしているような怒りであることはここでは触れずにおいておくこととしよう。
「どういうこと? 忘れたのか? 我は、堕の魔女レイジー……我は強い──しかし、強さとは、何も馬鹿正直に衝突することだけではない、ということさ」
佐々は顔をしかめる。どういうことか。この場にはもう佐々以外のヒーローはいない。悪堕ちさせて、手駒にできるヒーローはいないのだ。最も、以前の戦いにおいても、結局、美夢と東野は正義の心を捨てることはなく、堕ちたものの、レイジーの言うことは聞かないという結末に陥ったのであるが……。
「不思議そうな顔をしているな?」
「当たり前だ。もうお前以外に悪の組織に所属する人間もいなければ、正義の組織に所属している人間だっていない。戦えるのはお前だけ。つまり、お前はもう追い込まれてるんだ。違うか?」
「くくく……」
レイジーは先ほど佐々がしたように、口の端を上げてにやつく。おかしくて、おかしくて堪らない、楽しくて、楽しくて堪らない。そんな表情だ。
「何がおかしいっ! まさか、自分自身を洗脳して超大なる力を手に入れる、ってワケでもないだろ?」
佐々は当てずっぽうに推理する。
「勿論、そんな馬鹿なことはしないさ、わざわざ、自分の手を汚すような真似はね」
佐々の推理はもちろん外れる。レイジーは時間切れだとばかりに、笑い、にやつきながら、言う。




