第1話
ヒーロー、それは誰しもが一度は見たことがあり、考えたことがある、正義の味方の姿。
ニ十世紀の終盤から、二十一世紀にかけて、特撮、アニメを初めとして世の中には数限りないヒーロー像が溢れ出た。特に日本国においてヒーローの黄金時代とも呼べるこの時代は百年余り続き、それに伴って、ヒーロー及び正義の味方という子供たちの娯楽は徐々に姿を変えていった。
そんな華々しい創作の世界でヒーローが悪を滅ぼすのとは対照的に、二十二世紀に入った日本国の悪は別の形で滅ぼされていく。科学技術のフル導入による犯罪率完全ゼロ社会の到来。ヒーローの力ではなく、科学の力で悪を滅ぼした日本は世界で最も平和な国として、その対犯罪のノウハウを他先進各国へ売り込むまでに成長する。
順風満帆、極楽浄土を形成することに成功したと日本人が思ったのは、それから十数年の間に過ぎなかった。
次に日本国を襲った問題は自殺率の急激な上昇。
しかしながら、これに対しても、日本は完全監視という手を以てして自殺しそうな因子を事前に発見し施術することにより未然に自殺を完全に防ぐという神の領域へ足を踏み入れるような技術力によって問題を解決する。
「そんな息苦しい社会で何が楽しい……!」
当然そう考える者はいた。ここ、四畳半の窓から満足に光も降り注がない狭い狭い空間にいる男、佐々正義もまたその一人である。日本国に住む国民は全て、十五を超えると体内にマイクロチップの埋め込みを義務化されている。そのチップにより常に監視されるのだ。
「やってられるか、やってられるか!」
佐々は今、追いつめられていた。行っていた肉体労働を首になったからだ。加えて、家賃滞納三か月に、クレジットカードの借金が月の給料一か月分以上。
だからといって、今すぐ餓死の危険に直面しているかといえば、そうではない。日本国は一部地域で完全自動化された食料供給システムの構築に成功しており、全国民に等しく生活する上で必要な食料が供給される仕組みになっているからだ。
佐々は薄暗い部屋の明かりを付けようともせず、フラリフラリと立ち上がると、手に何も持つことなく、くたびれた靴を履き無気力に外へ出た。
身にまとう服はくたびれたトレーナーに履き込んだジーパン。顔に生気はなく、眼鏡のレンズには汚れが見られる。そんな男は一人、街へと歩く。
「──というのがつい二か月前」
「何独り言言ってるのー?」
部屋は明るい。高層マンションの高層階、二部屋分のスペースを使って作られたこのスペースは、何を隠そう正義のヒーローたちが集う秘密基地だ。佐々がかつていた部屋とは対極に位置するかのような清潔感溢れる部屋であり、佐々はそこに配置されたふかふかのソファーに腰かけてテレビを見ながら呟いた。
「いや……なんでも」
佐々に話しかけたのは、美夢みゆ(芸名)。本人曰く、現役女子大生にして現役ヒーロー。みゆ通信(本人発信)によると一留しているらしい。
「何? もしかして、自分の役割忘れちゃった?」
再び問いかける美夢に対し、佐々は面倒くさそうに首を動かし、答える。
「いや、忘れてないですよ。俺は正義のヒーロー……そう、主に地域の平和を守るための活動を行う……」
「そうそう、みゆでも知ってるよ~、今の日本は無気力社会! だから政府は斬新な政策を打ち出した! そう、それは悪の組織の公認化であーるっ! その悪の組織を倒すためのこれまた公認機関がここ、正義のヒーローたちの秘密基地!」
美夢は声高らかに宣言し、ガッツポーズを取って見せる。成人女性よりも何周りか小さめの体が盛んに動き回り、せわしない。
ちなみに、年齢は佐々よりも一つ上らしいという噂があるが、年齢について触れると物理的な攻撃が飛んでくるので触れることはできない。
「騒がしいですね……」
そう言いながら入室してきたのは美夢よりも一回り高い身長、佐々とほとんど変わらない、女性にしては気持ち高めの背をもつ少女、東野彩夏。
彼女もまたヒーローの一人である。少女というよりは、女性という言葉が似合う顔立ちの彼女は騒がしい美夢に何ら気を引かれることなく、別室に活動記録を報告に行くようであった。凛とした姿に似合う、毒を扱う能力を持つ。
「あの、美夢さんもああいう感じにしたらどうです? ほら、年齢とかの問題もありますし」
言ったと同時に飛んでくる美夢の拳を、佐々は見事な動きで寸でのところで避ける。
「……あ、美夢さんのパワーからして無理ですね。なんでしたっけ、その」
「これはラブパワー! 愛の力!」
「そうそう、ラブパワー、かっこ物理」
再び繰り出される拳を避ける佐々。
「ほんとちょこまかと」
「すみません、そういう能力なので……」
見ての通り、美夢が持つ力がラブパワー(物理)に対して、佐々が持つ力は回避能力。避けるだけの力といってしまえば聞こえは悪いが、それが彼の力である。
さて、このようにして、佐々がこの秘密基地へ参加したのは、偶然などではない。
彼はあの日、金も何もないまま街に出て、チラシを拾ったのだ。そう、求人広告だ。今の時代、求人広告を紙媒体などでばら撒く会社などそうそう存在しない。それこそ、個人の趣味で行われているような小さな会社か、あるいは──。
所長曰く、紙によって広告を行ったのは、その方が他に行き場がない人が集まる可能性が高いから、だという。何でも、悪の組織を駆逐するための必須機関とはいえ、悪の組織は誰でも一定の悪事を許されるという特権があるのに引き換え、正義の組織はあくまで悪の組織を取り締まるという派生的な業務を行うに過ぎない。そのくせ、給料は最低賃金に設定されている。
そんな正義の組織が求人広告を出したところで、ごくごく一般的な日本人はそこで働こうという意思を示さず、故に、紙媒体を利用した宣伝なら所長の意にそぐう人材が見つかる可能性が高いから、とかなんとか。
佐々は、見事のその思惑に捕まり、最低賃金にて住み込みで正義の組織の一員として働くことになったのだ。
正義のヒーローといえば聞こえはいいが、実際は、政府公認の悪の組織の活動を取り締まるためのこれまた政府公認の機関に過ぎない。悪の組織、正義の組織と聞けば、地球の平和、日本の平和、地域の平和をかけた大きな大きな争いを繰り広げるものだと思われがちだが、それも違う。
政府はこれら正義の組織と悪の組織の活動によって、また、その活動をテレビやインターネットを通して広く見せることによって、人々の無気力感を拭い去るという試みをしているのであるが、達観した人からは、ただのごっこ遊びだと言われる始末なのだ。
とはいえ、誰もが悲観的に捉えている訳ではない。
佐々が所属するヒーロー組織の華、美夢みゆは地方アイドル並みの人気を誇っているし、それを上回る人気を持つのが東野彩夏。この二人が人々に振りまいている活気は、無気力感からの脱却に一定の効果を示しているとも言えよう。
「うんうん、素晴らしい、素晴らしい」
テレビの鑑賞を終え、そんなネットの記事を読む佐々に、今度は女性ではない男性が近づいてくる。身にまとうは白衣。白髪混じりではあるが整えられた髪、黒縁の重たそうな眼鏡をかけて、近づいてくる彼は、このヒーローの秘密基地の所長だ。手にはマグカップを持っている。中に入っているのはコーヒー。ずるずるとそれをすすって、佐々を見下ろして言う。
「ねぇ~、君さぁ、そろそろ出撃しない? 出撃」
佐々、チラリと見た後、無視しようと決め込むと、再び視線を携帯デバイスへと戻し、ネットサーフィンを再開する。
「……」
「……」
所には誰もいない。東野は再出撃、美夢も敵が多い、強いとの情報から東野の応援として出撃へ。ここに残るは男二人だけだ。
「いやぁ~困ったなぁ、困った! ふぅ~」
佐々が座っているソファーの隣のソファーへとぼすんと腰かける所長。よいしょぉ、と言うのがおっさん臭さを醸し出している。しばらく沈黙が流れたので、佐々は堪らず横目で所長を見ると、見事に目が合う。彼は待っていたのだ、佐々がこちらへ顔を向けることを。
「いいかい──」
目が合ったことを合図に、所長は姿勢を正すと佐々へと語り掛ける。
「僕はね、性善説を信じているんだ。人間の本質は善。けれど、放っておけば人は簡単に悪に染まる……。例えばね、今、君が僕のことを見たのは、一旦は無視を決め込もうとしたけれど、やっぱり心のどこかでそれは申し訳ないなと思ったからだ、そうだろぉう?」
佐々は小さくため息をつく。
「君はここに来た時言っていたね、俺は別に正義なんかに興味はない、って」
「あー、はいはい、言いましたよ。正義に興味はないけど、金が出て住むところがあるなら所属します、って」
「うんうん、確かにね、うーん、そうか、そうか。君は正義に興味がない……」
再び流れる沈黙。このおっさんは言いたいのだ、あることを言いたい。けれど、それを敢えてはっきりと言葉にしないでいる。それは、勿論、佐々の口からその言葉を語らせるためだ。そして、そのための圧力とは、彼所長が、この場から動かないこと。しつこく佐々の隣に居座り続けること。
「……あー、はいはい! そうですね! 金を貰ってるのに働かないと罪悪感が沸くんじゃないか! とかそういうことですよね!?」
佐々が言うと、所長はにっこりと気持ち悪い笑顔になる。
「ピンポーン! 大正解!!」
佐々は勿論、楽して過ごしたいと思っていた。けれども、一方で、政府の食料供給システムにおんぶにだっこされるのはどうにも居心地が悪かった。だからこそ、ここに就職したのである。それらの感覚ははっきりとしないものであった。
「分かりました、分かりましたよ! えーっと、いいですよ、行きますよ。俺が行ったところで何が起きる訳でもないでしょうけど、行きますよ、行きますとも」
この二か月間、何度か出撃したことはあった。しかし、その度に、佐々は自身の不必要さを噛みしめる結果となったのだ。何せ、佐々の持つ能力は敵の攻撃を避けること。自分にしか恩恵のない上に、敵へダメージを与えることも難しい。対して、他二人、この秘密基地のエースが持つ能力は共に敵を攻撃するのに役立つ能力。佐々が出来ることと言えば、悲しいかな、少数の敵を引きつけるということくらいなのだ。
まぁ、しかし、である。
ものは考えよう。
ここで所長の言うことを聞いて、出撃しても、佐々は自身の能力により傷つくことはないだろうし、またこのようにしつこく出撃を迫られるまでにはある程度の期間が空くに違いない。それらのことを加味した上で、佐々は所長の言うことを聞くことにする。損得勘定の上で起こす行動であるからして、佐々の動きに迷いはなかった。
すたこらと出撃していく佐々の背中に、所長が慌てて言う。
「今回の敵は、相当強いらしいからな! 何でも、悪の化身だとか、悪の大王だとか、いや、女王様がどうとか……」
繰り出されまくる情報に、佐々は顔をしかめながら、
「な、何言ってるんですか……そりゃ、敵は悪でしょうよ、悪。政府公認のね、悪」
と返す。彼は思っていた。あー、そうだ、少し遅めに行ってやろう、と。そうすれば、まぁほとんどの確率で、美夢と東野がケリをつけてくれているだろう、と考えたのである。寄り道するのは、所長にばれてしまうため、基地の扉を出た瞬間から、その歩調を極端に緩め、ゆるりゆるりと現場へ向かう。避けるだけの男が現場へ向かう。ゆるり、ゆるり、その後ろ姿は到底正義の味方には見えないが、これでも彼は、正義の味方なのである。
正義の味方、佐々正義、秘密基地より、出撃す。
その先に待ち構えていた光景は、佐々が予想したものとは到底違ったものであった。
美夢みゆ。ヒーローとしての力は、ラブパワー(物理)。ヒーロー衣装はアイドルかと見間違えるようなフリルが散見できる愛らしいもので、髪の毛の色も変身と共に黒から明るいピンクブラウンへと変化する。ラブパワーなどと言っているのは本人だけで、本質的な能力は圧倒的な破壊力を持つ物理攻撃。拳、足から繰り出されるその一撃は、悪の組織の最下層の戦闘員たちを根こそぎ戦闘不能状態へと追いやる。
東野彩夏。ヒーローとしての力は、毒クラゲ。ヒーロー衣装は美夢とは打って変わって地味で人目を引かない黒と灰色、そしてアクセントに白が入っている程度のラバースーツ。けれども彼女の見目麗しさはその服であるからこそなお際立つ。その姿の内に潜むは強力な毒針をモチーフにした攻撃方法。攻撃が当たるということは、即ち、当たった相手の死を意味する。
彼女たち、戦闘において、負けるとは思えない二人。同時に、二人とも、色々な事情は抱えていても正義には熱い。正義の味方として確固たる地位を築いてきた二人。所長は、そして、佐々は、二人の勝利を確信していた。いや、確信していたというより、もはやそれが当たり前、生活の一部になっていた。
であるからして、現場に到着した佐々の側に二人が立っていないなどということは、よもや、予想できる事態ではなかったのである。