挿絵表示切替ボタン
▼配色







▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる
終わらない話(いじめについての考察) 作者:斉藤めぐむ
しおりの位置情報を変更しました
エラーが発生しました

ブックマークしました。

設定

更新通知 0/400

設定を保存しました
エラーが発生しました

カテゴリ

ブックマークへ

以下のブックマークを解除します。
よろしければ[解除]を押してください。

ブックマークを解除しました。

5/7

白麦空芽

 僕は彼にはなれないだろう。だけど、彼にならないようにすることはできる。

「小林君」
 声をかけると赤い頬が振り返った。眉の上で切りそろえた前髪が少し乱れている。
「なに?」
 入学して間もなくの頃は、小林は静かで大人しい子どもだと思っていた。それで話しかけるのを躊躇した。彼はもしかすると面倒なことに巻き込まれ易いタイプかもしれないと頭の中の声がそう呼びかけた。
 しかし夏休み目前、クラス内のグループ勢力図ができ上がるにつれて彼の存在感は増すばかりだ。目を細めた小林がこちらを見ていた。その横には少年が立っている。彼も振り返ってこちらを見ていたが、無視する。
「話していい?」
「いいけど?」
 それとなく少年にどこかに行ってほしいと示すと少年は音もなく去っていった。小林がその背中を見ていた。
「あの子と一緒にいない方がいいよ」
 後ろを騒がしいグループの子どもたちが奇声を上げながら駆け去っていく。ランドセルの蓋が開いて鈍い音を廊下に響かせた。どこかのクラスでピアニカがファの音を鳴らす。
 白麦空芽は顔を寄せて小林の耳に話しかけた。小林が不快に顔を歪めて身体を離すまで、それほど時間はかからなかった。
「小林君まで、叩かれることないじゃないか。君が」
 一度声を低くして白麦は小林の目を見上げた。
「彼と友達でいるのってどうかなって思うんだ」
 薄く笑うとますます小林の顔は歪んだ。
「僕は誰かから言われて友達を選ぶわけじゃないから」
 小林は少年が去った廊下の先、柱の影へ視線を向けて目を細めた。少年の上履きが見えている。
「小林君」
 袖を掴んで白麦は小林を止めた。
「僕と友達になろうよ」
 同じクラスの夢木たちが騒ぎ立てながら、廊下を走っていく、その目が小林を見つけると手を挙げて挨拶を交わす。クラスの勢力図の中で小林の存在は急浮上している要因がそれだった。夢木はクラスでも目立つ少年だが、彼が小林に一目置いているようなのだ。原因は分かっている。虐められる少年を小林が庇ったからだ。葉山と夢木に逆らった生徒は小林だけだ。
「小林君もさ、僕らと一緒の方が楽しいと思うんだ」
 手を振り払うと小林は白麦を睨んで、少年の方へ向かった。
「悪いけど、自分で誰と遊ぶかは決めるよ」
 小さな背中がもうひとつの背中と駆け去ってしまうと白麦もその方向へ足を伸ばした。
 彼には友達がいる。クラスの中で大人しいのかうるさいのか分からない少し変わった友人たちだ。
 白麦にとって友人は大人しすぎても目立ち過ぎてもいけない。大人しすぎれば厄介ごとに巻き込まれるかもしれないし、目立ち過ぎれば面倒ごとを巻き起こす方になるかもしれない。
 クラスの中でのトラブルメーカーは葉山と少年だった。先日は夢木も加わったこともあったが、彼は落ち着いている。
 中堅中立のグループの中にいても白麦は落ち着くことができなかった。彼には守ってくれる存在が必要だった。小林のような。
 休憩時間の間、友人たちと過ごしながらも白麦は小林を横目で探した。彼がこのグループに加わってくれたらいいのに。
 白麦は幼稚園児の頃に小さないじめに遭っていた。
「入れて」
「いいよ」
 幼稚園内の遊びに参加するための合い言葉を白麦も交わし合っていた。おもちゃを貸し合う時にも合い言葉がある。
「かして」
「いいよ」
 語調を伸ばす独特の合い言葉は絶対のはずだった。しかし白麦の前で魔法は崩れ去った。理由は分からないが、突然に魔法は効力を失った。
 水色の小さな背中たちは白麦に振り返りもせずに、無視し続けた。時には代わりに砂場の砂を投げつけ、冷たい視線を向けることもあった。小さなお友達は小さな怪物へと変わり、白麦の小さな心を痛めつけた。
 おもちゃもなし、遊ぶ友達もなしの白麦にとって、大人たちの優しい眼差しと声だけが支えだった。甘い言葉と特別扱いがほしかった。自分は必要とされているし、ここに居てもいいのだという安心感が欲しかった。
 大人に媚びていくうちに友達はますます遠くなり、目だけは冷静に周りを見るようになった。わがままが増したと言われたが、それも大人を喜ばせることに繋がると無意識で知っていた。
「あの子が欲しい、あの子じゃわからん、相談しよう、そうしよう」
 ハナイチモンメのたびに一人残され、大嫌いになったが、あの歌は嫌いではなかった。白麦は小林の背中を見ながら鼻歌をくちずさむ。
 むくむくと湧き上がる渇望のまま白麦は笑みを浮かべた。視線は小林から外れていた。少年の小さな背中が見えていた。

 虐められた子は、誰かを虐めないと、本当の意味でいじめから立ち直れないのか。

 黄色いバケツが光に透けて机を色付ける。筆先を浸すと水は次々にその色を変化させていった。混ざり合う色彩に目を止めて子どもらは絵よりもそちらへ興味を持ったようだった。
 ぐるぐると乱暴にかき混ぜる子どももいれば、分かれたしきりごとに色を分けている者もいる。
 白い画用紙に好きな絵を描くように言われ、スケッチを始めたのがひと月前、彼らはそれに水彩絵の具で色をつけていた。
 白麦は色とりどりに咲く花壇の絵を描いていた。チューリップにパンジー、マリーゴールドが華やかに咲いている。教師や大人が好む明るい題材に彼は満足していた。例え不格好でも、叱られることも嫌われることも非難されることも疎まれることもない。
 パレットに並んだ原色を少しずつとって、丁寧に塗っていく。騒がしい教室内で、彼は安心感に満たされていた。教師が隣を歩いていくと彼は背筋を伸ばした。きっと褒めてもらえる。確信があった。
 しかし教師は何も言わずに彼の隣を通り過ぎていった。先週も先々週も褒めてくれたのに、なぜ。
 視界の端では葉山が校庭の端の木を書いていた。黒く沈んだ絵だが、どこか寂しさと悲しさ、卑屈さが漂う。教師はそれを持ち上げて褒める。
「すごく先生は好きだな」
 葉山は苦い顔で教師を見ていたが、何も言わなかった。隣の少年は相変わらず、何を書いているのかよく分からない絵を描いている。へたくそ。心の中で毒づいて白麦は自分の絵を見下ろした。
 明るい絵は、平凡で面白みがないものに急に思われて破りたくなった。認められないものに価値はない。必要とされなければ要らないということと同じだ。茶色の絵の具を取り出して、画用紙の上に伸ばそうとしたところで、教師が手を打った。
「今日はここまでにしよう。片付けをはじめて下さい」
 時計を見れば後五分で終業の時間だった。生徒たちはしつこく色を塗り続ける者もいたが、大人しく従うものがほとんどだった。白麦は絵を見下ろしていたが、茶色の絵の具を絵の具セットに戻した。
 水入れを持つと席を立って、廊下の流し台へ向かう。同教室内には同じように流し台へ向かう子どもたちで溢れていた。後ろの出口に近い少年はすでに廊下へ出た後だった。机の上にはあのへたくそな絵が置かれている。どうやら自分と誰かを描いたらしいが判別がつかないほど下手だ。
 廊下へ向かう途中で少年の絵を見下ろした白麦はよろけたふりをして、バケツの水を画用紙の上、机、椅子と構わずにひっくり返した。水浸しになった下手な絵は色付けた鮮やかさが溶けて混ざり合う。
「あ、ごめん」
 体勢を立て直しながら白麦は帰ってきた少年に笑みを浮かべた。申し訳なく見えるように。少年は机と白麦を見比べてから、小さく首を振った。
「いいよ」
「ごめんね」
 謝られれば許さなければならない。それも子どもに強要される魔法のひとつ。少年の小さな頭を見下ろして白麦は満足に笑みを浮かべた。心にできた引っ掻き傷が一つ、消えたような気がした。深くはないが、確かな傷だったそれ、誰にも、何をしても癒すことができなかった傷が薄まった。白麦は笑みを消さずに空になった水入れを手に廊下へ向かった。
 自分がされたことを少年にしている自覚は彼にはなかった。
 戻ってきた教室では小林が少年とともに雑巾を手にして、白麦の零した色水を拭き取っていた。その二つの背中を見つめて白麦は無言でいた。小林が振り返ると彼をあの大きな輝く目で見つめる。
「君も拭きなよ」
 言われた意味が分からず白麦は小林の顔を見返した。
「君が零したんだろ」
 白麦は笑みを浮かべるとしまったと笑った。
「そうだね。これ置いたら来るよ」
 水入れを示して、急いで席へ戻り、絵の具セットを片付けた。小林の席にはまだ絵の具セットが広げられていた。
 戻った時には二人は机の上を綺麗にしてしまっていた。白麦はそれに笑う。
「間に合わなかったみたいだね」
 少年は俯いたままで、小林は白麦を睨んでいた。葉山は見ていなかったが、他の生徒たちの視線は彼らを観察していた。
「いいよ」
 机の主は気弱に囁いた。笑みを浮かべて小林を見れば、彼は苦々しい顔をしながらも何も言わなかった。
 教師が授業の終わりを知らせる声で白麦は席へ戻った。手元に残った自分の絵は素晴らしいものに戻っていた。

+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。
↑ページトップへ