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終わらない話(いじめについての考察) 作者:斉藤めぐむ
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夢木誠也

 喜ばなくちゃいけないよ。だってあなたはお兄ちゃんになるんだから。

「うちのクラスにだっていろいろあるもんね」
 得意げなのはどうしてなのか。廊下を走る仲間たちの背を追いかけていてもここのところ気持ちが晴れない。もやもやとした苛立を抱えて夢木誠也は一人廊下を歩いていた。すれ違う同学年の生徒たちの呟きや会話ですら苛立が募る。
 自分のクラスに入り、教壇を思い切り蹴ると少しばかりだが気持ちがすっとした。
「誠也」
 声をかけられ、そちらを向くと友人たちが彼を見ていた。少し顔が歪んでいるように見える。
「どうした」
「別に」
 端的に答えてそちらへ近づく。数度瞬きすれば彼らの顔は普段通りに戻った。
「そういやさ、お前んとこ弟生まれんだろ。お母さんが言ってた」
「うん」
 返事はやや重めになったが、友人たちが不審に思っているようには見えなかった。夢木は彼らの反射的にする興味深そうな顔を見回した。喜ばしいことなのだ。笑って頷く。
「いつ」
「来週」
 梅雨の季節に入り、時折厚い日がある。半袖を着た少年らが目立ちはじめていた。プール開きも間近だった。暑い時期のお産は大変なのだと言われても夢木には分からないことだった。
「うちにも弟いるけど、ムカつくだけだぜ」
 一人が声を上げると他にも数人意見を言う者がいた。妹よりはましだろ。返す声に羨ましがる者もあり、夢木はその声を静かに聞いていた。
 弟。ある日、その存在は夢木の生活に割り込んできた。まだ彼が学校に通う前、正月の開けた頃に母と父は夢木に弟の存在を告げた。
「あなたはお兄ちゃんになるのよ」
 そっとお腹を撫でながら二人は夢木に微笑んだ。幸せ一杯の二人の笑顔は眩しく、夢木も嬉しくなったのを覚えている。しかし、徐々に弟は夢木の生活に浸食してきた。かつて夢木が使っていたというベビーベッドが家族の寝室に並び、おもちゃや飾りは弟のための物が増えていった。
 とはいえ、家族に男が増えること、弟という存在を自分の子分のような存在と理解していた夢木は新しいおもちゃが、しかも勝手に動く素晴らしいおもちゃがやってくると信じていた夢木はそれも受け入れることができた。
 暗い気持ちになっていくのを夢木は振り払うと学友たちの話題がアニメに変わっていることに気付き、曖昧に笑みを浮かべた。全く楽しいわけではなかったが、学校にいる時まで惨めな気持ちでいる必要はない。
「誠也、学校終わったら、遊び行こうぜ」
 チャイムの音ともに自分の席へ駆けていく子どもたちの中で夢木はとりわけ仲のいい学友を振り返った。視界が暗くなるのを感じる。
「ああ、ごめん。俺ダメなんだ。この後病院」
「病院? ああそうか、弟な」
 戸惑った笑みに、なんで俺が謝らなきゃいけないんだという思いが吹き出す。友人に怒っているわけじゃない。両親にでもない。自分にでもない。じゃあ、誰に怒っているのか。この苛立は誰に対しての物なのか。夢木は自分の座る椅子を引くと腰を下ろした。弟だ。全部、弟が悪い。
 病院に続く道はコンクリートの歩道を繰り返して商店街の脇道を抜けた先にある。駅の近くの病院だから、車通りのあるため気をつけるように言われていた。
 巨大な病院を見上げて夢木は沈んでいた頬を無理に引き上げる。空気が薄い病院では音も遠く、時折ひどく鋭く響く。自動ドアが開いて夢木を受け入れると無機質な緊張を強いる。
 四方八方からの視線をくぐり抜け、ランドセルを揺らしながら、エレベーターのボタンを押す。階段を上がるように教えられていたが、夢木はエレベーターが好きだった。
 すれ違う看護士が夢木に挨拶をしながら通り過ぎる。
「あら、誠也君、こんにちは」
 白衣の医師も彼に声をかける。白衣の中に緑の服が見えるとその奇妙さに身を固くする。
「偉いな」
 褒められても顔を上げることができなかった。急ぎ足で母に割り振られた病室へ入った。
 その部屋は母だ。母でできていた。母の腕の中と同じぐらい夢木は安心できた。入ると仄かに温かく、母の匂いがする。
「誠也、おはよう」
 母は優しい目で、家にいるときよりもずっと優しい目で誠也を見るが、とても顔色は悪く、腹を摩る姿は痛々しかった。弟が入っている腹はますます大きくなっている。
 手を消毒し、ランドセルを下ろすと夢木はベッドへ駆け寄った。
「お母さん、おはよう」
 ピンク色の母の服はカサカサして寒そうに見える。また母が痛そうに顔を歪めた。
「大丈夫よ、心配しないで」
 夢木を気づかう母は少しも大丈夫そうではなかった。声は掠れ、顔は歪められたままだ。
「お父さんは?」
 聞いてみると母は首を振る。
「今日も遅いんだって。誠也とお母さんと赤ちゃんのためにお仕事、頑張ってくれているのよ」
 知らず尖ってしまう唇に母が微笑んだ。
「そんな顔をしないの」
 病院にいる母は怒鳴ったたり、うるさく言ったりしない。そのことがさらに夢木を寂しい気持ちにさせる。家に帰ったら母はいないのだ。父も遅い。
「誠也。誠也はお兄ちゃんだから、頑張れるよね」
 息も乱れた母に問われて首を横に振れるわけもない。夢木は頷いた。
 陣痛が思ったよりも早く来たという夢木の母は逆子の心配もある夢木の弟のために早めに入院することになっていた。今夜にはもしかしたらと言われてすでに二日が経っている。
 頭を撫でられ、学校での出来事を少し話すと面会の時間は終わってしまう。返ってきたばかりのテストの間違った場所を教えてもらう暇はなかった。
「また明日ね」
 寂しげな母の笑顔に胸を痛くしながら夢木は病室を後にした。
 いつの間に陰ったのか通りはすっかり暗くなり、夢木は一人俯きながら家路を歩いた。信号機がカッコーの鳴きまねをする。途中横を通る小学校はすっかり暗がりの中で不気味なほど静まり返っていた。昨日降った雨のせいでできたいくつかの水たまりを跨ぐ。せっかく買ってもらったばかりの運動靴が少し濡れた。
 家に着くと首から下げた鍵で重い扉を開けた。
「ただいま」
 言っても声は返って来ない。当然のことで不思議でもなんでもないが、一人きりの家の中は寒くて好きになれなかった。自分の部屋にランドセルを下ろし、居間に行くとテレビを付けた。少し騒がしくなり、安心できる。
 ベランダに干したままの洗濯物を取り込む。夜風はまだ冷たく、夢木の頬を撫でた。洗濯物を畳むと台所へ行って準備してある総菜を電子レンジに入れて温めた。それを食べるように言われている。
 もうすぐ父が帰ってくるだろう。夢木はテレビの前に戻り、意味の分からないことで笑う大人たちの顔を見ていた。

 葉山さんは時折かんしゃくを起こして道具を投げつける。彼女の隣で、少年は文句も言わずにそれを受け止めていた。その間に入るのは小林の役目だった。
 夢木は友人たちと見守りながら声を潜める。葉山さんは数日前まで優等生で、何をやっても誰よりもうまくできる子だった。彼女の悪口を女子たちが言いはじめたのはいつだったか、夢木は覚えていない。
 筆箱、鉛筆、消しゴム、チューブ糊、鋏が飛んだ時、クラス中が口を開けた。少年の頬に当たりはしたが、傷はつけなかった。目の真下だったからみな、不安に思ったが、それも少年が葉山に謝り続けているのを見ると収まった。
 小林は葉山さんの手を掴んで止めようとしていたが、彼女は主導権を渡す気は無いようだった。
 椅子が倒れる音がすると少年が小林を庇って、葉山さんの拳を受けていた。頬が赤く腫れている。
「痛かったら、嫌だったらそう言えばいいじゃない。言わないのが悪いのよ」
 葉山さんの拳は柔らかかったのか、少年は平然と立ち上がって、いつもの怯えた笑みを浮かべていた。
 理不尽だ。夢木はそう感じた。しかし、夢木は葉山さんの言葉に心を奪われてもいた。嫌だったらそう言えばいいじゃない。言わないのが悪いのよ。そうなのか。
 小林は葉山さんの理不尽に怒っており、少年に話しかける。
「葉山さんのわがままに付き合うことはないよ」
 周りは関わるまいと目を逸らし、気を利かせた一人が教師に知らせるために走ろうとするのを少年が止めた。
「僕は大丈夫だから」
 あの曖昧で優しい笑み。夢木の胸の中でかっと燃え立つような苛立が走った。大丈夫なら許されるのか。
 手に持っていた鉛筆を夢木は投げつけていた。怒りのままにそれをぶつけると幾分気持ちが落ち着く。相手が顔を歪めるとさらに気持ちはすっきりとし、心地良さまで感じた。少年の目は傷つけられまいときつく閉じられていた。
 唖然とするクラス中の視線が夢木に集まった。見ていた葉山さんの腕がまた掴んだ道具類を少年に投げつける。勢いを増したそれを避け切れずに少年は目をつぶったまま、それに耐えていた。
「痛いって言え、嫌だって言え」
 喉が焼けるように痛んだが、夢木は叫ぶことがやめられなかった。
「夢木君」
 止めようとする小林の顔にも当たったが、夢木にはやめることができなかった。いや、できたがそうしなかった。止めたくなかった。これほど気持ちのいいことを他に知らなかった。ゲームなんかより断然面白い。
 小林が当たった頬を抑えるとそれまで黙っていた少年の目が夢木を捉えた。見たこともないほどくらい目に夢木は思わず手を止めていた。
「なんだよ」
 少年の目が瞬くと夢木は人の目が光るという不思議な光景に手を下ろした。掴んでいた椅子が床に転がる音がする。
 夢木を見ていた視線は逸らされた。始業チャイムが鳴ると子どもたちは一斉に自分の席へ戻る。何事もなかったように並ぶ子どもたちの後頭部が決められた位置に配列される。
 席に戻った夢木は自分の手を見下ろした。赤くなった手にはまだ椅子の足を掴んだ感触が残っていた。いったい、自分は何をしようとしたのだろうか。椅子を投げていれば、少年も小林もただではすまなかっただろう。自分が恐ろしくて夢木はしばらく自分の手を見つめたまま俯き続けた。
 教師は知っているのかいないのか、小林に声をかけただけで、少年には目もくれずに授業を始めた。
「おい」
 放課後を待って夢木は小林に声をかけた。他の友人たちは彼を避けるようにして早々に帰っていった。
「なに」
 振り返った顔が夢木を咎める。ランドセルの持ち手を掴んで鋭い目をした小林は夢木の顔を見返して、少年の方を見た。
「あいつ、なんなの」
 同じ方を見て小声で言えば、小林が顔を歪める。
「どういう意味?」
 廊下では帰っていく同級生たちの駆け足と甲高い話し声がする。小林の大きな目がいっそう大きくなった。
「いや、なんでもない」
 気詰まりに黙ると小林が夢木を睨んだ。
「そんなことよりも謝るのが先だろう」
「悪い」
 先にあった騒動を思い返すたびに胸が悪くなるようだった。自分でもどうしてあんなことをしたのか分からなかった。
「僕にじゃない、彼にだ」
 少年を示す小林に言われるまま夢木は少年に頭を下げた。被っていた野球帽も取って床に視線を落とした。
「悪かった」
「そんな、いいよ」
 少年は恐縮して顔の前で手を振るが、小林はまだ許していないようだった。まだ視線が鋭い。
「病院、いいのか」
 聞かれ、ようやく思い出した。小林は見た目よりも鋭い奴のようだ。
「そうだ、忘れてた」
 じゃあな。手を振って教室を出ると葉山さんが帰っていくのが廊下の先に見えた。彼女は一人きりで、踏みつけるように歩いていく。
「悪かったな」
 もう一度、教室を振り返り二人に向けて言うと夢木は慌ただしく走り出した。面会の時間が短くなるのが嫌だった。
 弟は生まれただろうか。母の苦しそうな顔と正月明け見せた嬉しそうな顔が交互に思い出されて夢木はいっそう駆ける足に力を込めた。
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