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終わらない話(いじめについての考察) 作者:斉藤めぐむ
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小林樹

宜しくお願いします。
 教師たちはみな、彼に冷たい。

 違和感を持ったのはいつだったか。小林樹はライン引きのハンドルを握りながら小柄な背中を見ていた。紅白帽に顔を隠した同級生の少年が小石を拾っているのを見るのは、特に面白みがあることではない。その背中の持ち主が教師に声をかけられている姿を一度も見たことがないことをふいに思い出しただけだ。一人きりでいる生徒を見つけると大抵の教師は声をかけに回る。しかし、彼に対しては違った。
 一人きりで今も小石を拾っている。褒められているところも教室で当てられているところも見たことがない。自分も決して友人たちとつるむ方ではない小林ですら目の前の学友は不信な存在だった。学級の中の異物は子どもの目につき易い。
「おい」
 声をかけようとしたところに担任の教師がやってきて小林の肩を叩いた。
「うまく引けたか」
 体育教師の担任は明日の運動会を前に生徒たちを準備に借り出している。小石を拾うのも裸足で走る者も多い運動会で怪我をする者を少なくするためだった。
 振り返った小林は自分の引いた線を見直した。あまりうまいとも言えない。一年生にはライン引きは重く、うまくコントロールできなかった。運動場の隅の保護者観覧席の仕切り線だが、曲がっているよりは年長者に真っすぐに引かせた方がいいのではないかと思われた。
「いいんだよ、別に。ここは保護者しか見ない。お母さん、お父さん方は曲がった線をむしろ微笑ましく思って喜ぶさ」
 そういうものだろうか。小林は自分の引いた曲がった線を微笑ましくなど思えなかった。彼は曲がっていることよりも真っすぐなことの方を好ましく思う。不自然なものが自然なものよりもいいと思ったことはなかった。
 生真面目に小石を無言で拾い続ける少年も彼の中で曲がった線と同じだった。自分が引いたわけではないが、気にかかるのには違いがない。
 頭を荒っぽく撫でられて小林は学友の背中を見ながら目を細めた。
 小林樹は話をするということが苦手だ。友人とよべるものはほぼおらず、学校では口の中で自分の考えを呟くのが常だった。教室は生温い気配の中で微睡み、生徒たちを授業から眠りの世界へせき立てていた。体育の後の授業はいつもそうだ。生徒たちの頭も動きも緩慢になる。
 廊下側の一番後ろに座る例の学友は小林の窓側の席からは見えにくい。振り返らないと彼を見ることはできない。しかし彼の様子は想像がつく。恐らく生真面目に一人教師の話に頷いているはずだ。
「明日はついに運動会です。みなさんはまだ学校に入学して間もなく、上級生のお兄さん、お姉さんに緊張することも多いでしょうが、お父さんお母さんの前で元気よく踊って、精一杯走りましょう」
 授業後に現れた担任教師は一人一人の顔を見ているようで、また彼を無視している。
 机に頭を乗せて、彼の席を振り返れば、熱さも冷たさもない眼差しが教師の顔へ向かっていた。表情は変わらない。子どもらが教師の求めに返事をすればホームルームも終わりになる。
「明日は早いからまっすぐ家に帰るように」
「はーい」
 帰り支度を急ぐ生徒たちの中で小林はあえてゆっくりとランドセルに教科書を移した。廊下側の少年がいつも最後に帰ることを彼は知っていた。
 案の定もたつく級友に小林はランドセルを背負うと近づいた。
「なあ」
 声をかけるとおどおどと怯えた視線が小林を見上げる。教師の顔を見ていた視線とはまるで違うそれに小林は違和感を覚えながら少年の出方を待った。
「何?」
 ぼやけた視線が小林の顔を頻りに右往左往する。こうして声をかけると大抵の学友たちは友達になるべく返事をするか、敵対するのが通常で、少年の観察する視線に小林は目を細めた。
「一緒に帰ろうぜ」
 しかしこれといって話があるわけでもない。小林はランドセルを背負い直し、誘った少年の返事を待った。
「いいけど」
 不安そうな少年の口元が強ばり、視線が足下へ向かう。他の子どもなら喜んで誘いに乗るところだ。小林は学友の反応など気にせずに廊下へ出た。後に従う少年が出てくるのを待つと一緒に階段を降りて行った。
 何を話したわけでもない。ただ隣り合って歩いただけだった。小さく漏らす息やその意味もなく、少年は学校から出てすぐの曲がり角で小林とは逆の方角を指差した。
「僕、こっちなんだ」
「そっか」
 じゃあ。二人は手を振り合うと別れた。少年の背中はどことなく沈んでいるように見えた。

 運動会は快晴の中で行われた。赤白に別れて対抗して行われる大会の中で新入生がすることはほとんどない。校庭に並べられた椅子に腰掛けて自分たちに振り分けられた色の上級生を応援するぐらいだ。
 親たちは必死になって場所取りをし、カメラを回している。小林の両親も例に漏れていなかった。保護者席の一部にシートを敷いて家庭用カメラを手にしていた。
 土煙の中で意味もなく歩き回ったり、騒ぎ立てたりしながら進行が進んでいく。球投げに参加する一年生を呼ぶアナウンスに緊張の面持ちで列に並んでようやく運動会の意味が分かったような有様だった。
 例の学友は静かに椅子に座っていた。口も開かず、静かに運動会を見ている。参加しているというよりも教師や保護者のような構えだ。小林は彼の親や親類を探した。昼食の時に走って親の元に駆けていく子どもたちの中で少年だけが静かに椅子に腰掛けたままだ。体操着が風に吹かれて砂まみれになるのも構わず、じっと座ったままの少年を横目に小林は親たちの待つ体育館へ向かった。
 少年はその後も体育館に姿を現さなかった。漠然とした不思議さが小林の中に広がる。弁当を食べるのは体育館と決まっているわけではないが、校庭は砂風が酷くてとても野外で食べられる状態ではなかった。校舎に入ったのかもしれないが、体育館から見える範囲では少年が移動した姿は見えなかった。
「よそ見しないでちゃんと食べなさい」
 注意を受けたが、気になって視線を外すことはできなかった。不思議そうにする両親に小林は曖昧に返事をしながら校庭の方へ視線を移した。まだ座ったままでいるだろうか。卵焼きとタコ型ウィンナーを箸で摘み、口に運ぶ。手元は狂わずに彼の口の中に入った。すこし普段よりも塩味が濃いような気がした。
 戻ってくればやはり椅子に腰掛けたままで前方を見つめている少年がいた。騒ぎ立てる子どもたちの中で彼は大人しく座っており、昼食休憩前と変わらない姿勢でいた。強い日射しにも遊ぶことにもめげずに座っていられるのは上級生を合わせても彼ぐらいのものだ。
「ご飯、食べた?」
 横に立って影を作ると少年の顔が小林の方へ向く。率直な疑問だった。目を瞬かせてから少年が曖昧に頷いた。
「どこで、何食べた?」
 怯えた視線に変えて少年は静かに小林を見返す。少年の目が一瞬、真っ黒になった。煌めきが一切消えて、黒目が大きく開いたように見えた。
「校舎で食べたんだ。お母さんもお父さんも用事で来られなかったから、先生たちと食べた」
 ふーん。小林は目を細めて少年を見た。彼は嘘をついていた。小林は確信していた。少年は一歩もここを動いていないはずだ。
「なに?」
 怯えた目で少年が小林を見上げる。
「べつに」
 他の子どもたちも席に戻りつつあった。まだ一年生は真面目で他の学年に比べても戻りは早かった。親たちが付き添っている者もいた。
 午後の出場種目は五十メートル走とダンスだった。体育の時間に何度も繰り返し練習した演目で、音楽がなればどうすればいいのかは分かっているはずなのだが、もたついてしょうがなかった。誰一人完璧に踊れる者はいない。校庭の隅で踊る少年も同じだ。彼が一番酷かったかもしれない。体育の時間にももたついていたがさらに輪をかけてひどくなっていた。一歩も動かない方がまだましかもしれない。たまに手足を出して踊ろうとするからさらに目立つのだろう。
 小林はダンスの間、視界の端で右往左往する彼に目を逸らされながら自分なりに精一杯踊った。両親が手を振るのを無視して、己の役割を果たした。赤い耳を付けているのをかわいいだなんだと騒いでカメラを向ける親たちの顔はほとんど見えていない。小林は黙々とダンスに集中した。
 踊り終わると自分たちもそううまく踊れていなかった学友たちが少年に冷たい一瞥を向けていた。あまりにも彼の踊りが酷かったからだろう。一生懸命に踊った彼らを邪魔したように映ったのかもしれない。
 小林はその様子を観察していた。少年は俯きながら無言の圧力に耐えていた。辛そうに見えるが、一緒に下校した時の奇妙な居心地の悪さとは違っていた。
 五十メートル走でも彼が足をもつれさせると学級内の空気は俄然冷たさを増した。横一列に並んで走る生徒たちが学年を越えて彼を責め立てているようだった。
 赤の帽子を被った括りの中で少年は異物となって、黒く染まっていくように小林には見えた。小さく体育座りをした背中が赤の海の中で浮き上がるようだ。
「なあ」
 声をかけると小林にも白く尖った視線が集中する。少年は戸惑ったように小林を見上げた。
「隣、いいか」
 少年の目が見開かれた。首を横に振りたがっているように小林には見えた。だが、戸惑いながらも少年は頷いた。彼の隣の椅子は空いていた。端で大人しく座る彼に近寄る者は他にいなかった。
 小林は背中に視線を感じながら少年の隣の席に座った。この歪んだ線を真っすぐにしたい。小林にはただそれだけだったが、少年にも他の人間にも小林の行動の理由は理解できなかったようだった。

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