八話 嫌な予感
ノーザとしての生活が九年目を迎える春の頃。
それまでの生活において、特別なことは起きなかった。アイランディの領地はそれ一つが小さな国のようなものだった。王都程ではないが、豊かな城下町を構え、パイに使うチェリーが自慢ののどかな田舎の畑も広がる広大な土地だった。
それゆえにノーザは別に王都や他の街に出かける意味もなかったし、基本的な勉強は家が雇った優秀な家庭教師が全て教えていた。
それ以外、ノーザの身の回りでの変化はない。婚約者が出来たという話もない。当然、アイリスとも再会していないし、その他の攻略対象のキャラクターたちとも出会いはなかった。あっても困るのだが。
強いて言えば、父エーゲスに「専用のガーデンが欲しい」と我儘を言い出したぐらいだろう。
その我儘は屋敷の使用人たちを越えて、領地、そして王都にまで伝わっていたようだった。
アイランディの娘がとうとう本気になったぞ、というのは暫くは語り草になったという。
しかし、当のノーザはその歳で本当にハイメタルガーデンが手に入るなどとは思っていなかった。言ってしまえば自分は本気であるという姿を見せつけるようなものだ。
そんなある意味では退屈な日々。
だが、ノーザの九歳の誕生日が終わって三日後の事だった。屋敷が少々慌ただしくなる。いや屋敷だけではない。アイランディの領地全体が騒ぎ始めていたのだ。
その理由というのも、レダ国王が領地に沿って展開される国境警備の視察に来るというものだった。
突然の事だった。だが理由はすぐさま判明した。その視察には王子ウェンディーズもまた同伴するというのだ。ようは時期国王であるウェンディーズに王国の隅々を見せてやりたいという親心と国王としての焦りが此度のことを招いたのだというのはもっぱらの噂であった。
***
「あぁ、心配だわ。お兄様が歓迎の矢面に立つだなんて。それに演武もあるのでしょう? そういったものは前もって練習をしておくものではないのですか?」
ノーザは久しぶりに帰ってきた兄と昼食を取りながら口を尖らせた。
近衛騎士団としての兄ジークは暫くは家に戻らなかった。王都にて任される仕事も多く、実際はそういうものだったが、ノーザの誕生日ということで一時的に帰省していたのだ。
それが、此度のレダ国王の突然の来訪に当たって主催として動かなくてはならないので、屋敷に留まっていたのだ。
本来そのようなことをするのはエーゲスの役割なのだが、彼は息子に跡を継がせるよい準備期間であると考え、一切を任せていた。エーゲスはそれよりも大切なことがあると言って妻であるパトリシアと共になにかこそこそとしていた。
「武術の稽古は欠かしていない。そこに問題はないさ。それに、緊急の事態においてゆったりと準備を済ませている暇はないからな。レダ陛下の突然の来訪に万全を期して迎えるのは国境沿いの我らの兵士に対してもよい訓練になる。臨機応変、迅速に対応できなければ強い武器を持ったところで……」
全てを任されたジークはその期待に応えるように奮起していた。
だからいつになく饒舌で、指示できる立場に浮かれているのも事実だった。
「あぁ、いやすまない。ノーザにしてみればつまらない話だな」
「いいえ、私もいずれは騎士になる身。そういった話は聞いておいて損はないと思いますわ」
ノーザにしてみればどこか歳以上に大人びている兄が無邪気な子どものように張り切っている姿を見るのは嬉しいものだった。
(騎士団ってのは剣の腕だけで成り上がれるわけじゃないものねぇ)
それにこういった知識はせがんで手に入るものではない。戦術指南書というものは屋敷の書斎にも置いてあるが、目を通したところで到底理解できるものではなかった。小難しい理論と理屈、それに知識があることを前提にした書き方故に、ノーザはそうそうに手放した。
これから生き残ろうというのだ。軍の動きというのは何かしらで知る必要があった。
「ならば、もう少し剣の腕を磨くのだな。女騎士だからと言って安く見られる程、騎士というのは甘い世界ではない……それに、父上はお前には騎士などにはなって欲しくないようだし……」
「お兄様までそのようなことを? ワタクシのガーデンを用意してくださるのではないのですか?」
ノーザには兄が九歳の誕生に交わした約束を反故にするつもりじゃないのかと思ったが、ジークは首を横に振った。
「約束は、守る。とはいえ、新型を与えるという大それたことは出来んぞ。そうだな……ハーンバスト学園に入学する折には、専用の機体を用意しておこう。言っておくが、そんなことができるのは我が家の位の高さがあるからだぞ? 普通は出来ん」
ジークは空になった食器を片すように使用人を呼びよせると食堂から退出していく。
「理解していますわ」
ノーザも同様に食事を終えると、兄を見送った。ジークの足取りは軽かった。
ノーザは兄とは正反対の通路、自室へとを足を向けた。
「ハーンバストか」
それはレクーツァ王国の王都に存在する歴史ある学園だ。そしてゲーム『聖光女アイリス』の主なる舞台。単なる貴族の学校ではない。男たちは騎士になるという夢を抱き、女はロマンスを求め、淑女としての気位を学ぶ。
同時に政治的な場所でもある。同盟国からも重要な地位にある子どもたちが留学してくるのだ。
それにハーンバスト学園は近年、ハイメタルガーデンの騎士を育成する学科も出来上がったのだ。戦場を変えた新兵器とも呼ぶべきハイメタルガーデンのノウハウはまだ発展途上である。王国としても、なんであれ向上させたい分野であった。
ハイメタルガーデン専用の学科の設立に留学生を迎えるという立場は、他国の技術をかすめ取りたいという思惑も交差しているというのは暗黙の了解であった。それは他国にとっても同じだった。
「なんか、一気にドロドロした世界観に見えてきたわねぇ……ゲームじゃそんな空気は一切なかったけど」
ゲームではついぞ触れることのなかった話の裏側だ。
「裏設定……ってわけじゃなさそうだけど」
設定資料集にも載っていない、製作スタッフだけが把握する世界観が垣間見えているというべきか。
真意を知る由はないが、いよいよもってノーザも本腰を入れないといけないと考えるようにはなったのだ。
「ん?」
自室の扉の前にたどり着いた時だった。ノーザはチリチリと脳裏に違和感を感じた。
「王様が来る……その警護……あれ、これってもしかして……」
ノーザはハッとなり来た道を戻った。
だが、既に兄の姿は屋敷にはなかった。
「ジークが死ぬのってもしかして……」
使用人たちの姿はない。不吉な言葉だったが、その呟きが聞かれることはなかった。
「いや、でも、王様の警護って今までなんどもあったしなぁ……」
誤魔化すような言葉が出てくる。
でも、ノーザはどうにも嫌な予感がぬぐえなかった。