四話 令嬢は剣を取る
ノーザお嬢様によるストーレン暴走事件から数日が経っていた。
半壊した格納庫の修理はまだ続いており、穴だらけになった庭は土系統の魔法使いたちが総動員でもとに戻していた。十五メートル級のマシーンが力いっぱいに踏み抜いた地面である。魔法を使えば容易に埋め立てられるというわけではなかったが、彼らは良い仕事をしていた。
その数日で、見た目はともかくとしてアイランディの屋敷の庭はしっかりとした地盤を取り戻した。
そして、ストーレン暴走事件は当然、領地内でも話題となる。
だがそれについて悪い感情を持つものは少なかった。
お転婆として知られるノーザお嬢様がとうとうやらかしたなというのが領民たちの共通した感想であったし、領主であるエーゲス自身も流石に厳しい叱責をしたが、それ以降は驚く程穏やかで、何一つ変わらない日常が続いていた。
ただ一人、兄のジークだけは一向に機嫌を直してくれなかった。
会う度に凍り付いたような顔で「あのようなことは二度とするな」と厳しい言葉を投げかけてくる。
それに関してはノーザ自身もぐぅの音も出ない。ある意味、彼女は兄のメンツをつぶしたことになる。レクーツァ王国の王を守る近衛騎士団の機体を身内とはいえ、勝手に動かされたのだ。不手際を指摘されるのは当然と言えた。
とはいえ、子どものした事、兄が降格処分を受けるなどの大袈裟な問題には発展しなかった。近衛騎士団本隊からも手紙という形でノーザには注意を促す程度だった。
それでも、メンツはメンツである。問題にならなかったからよいという意味ではなかった。
「あの、お兄様……」
そしてノーザは、そんな機嫌が悪く、暫く会話を交わしていない兄に呼び出されていた。兄の部屋は時期当主ということもあってか、父の書斎並の広く、しかし質素なまでに整理整頓が行き届いていた。
部屋の奥、窓際にポツンと用意されたテーブルと椅子、そこに腰掛けた兄はちらりと視線だけをノーザに向けた。無表情で、無言だった。
(あれは相当怒ってる顔ね……うぅ、どうしよう。流石にあれは私も反省する所だけど……)
例え前世の精神性を持っていたとしても他人に叱責されることに慣れるわけではない。びくびくとしながら、兄の部屋に足を踏み入れ、誰に言われたわけでもなく扉を閉める。
沈黙の空間の中で、兄と妹は微妙な距離を保ったままでいた。
「ふむ……」
ジークは溜息を一回だけして、体もノーザへと向けた。さてどうしたものかという風に額をかく。口はへの字に曲げ、眉は困ったように八の字だった。
「全く、元気なのは良いが……あぁいうことは二度とやめてくれ。流石の私でも心臓が止まるかと思った」
その声音は驚く程優しかった。言った後で、ジークはフッと小さな笑みを浮かべる。
「お前もそれなりには反省したと見える。だが、本来であればもっと厳しい沙汰を言い渡されても仕方のないことだったのだぞ。ある意味、お前は家に助けられたと思うべきだ」
「はい、お兄様……そのことはしかと」
ノーザ自身もそのことは理解していた。もしこれがどこぞの平民であれば、一族ごと処罰されても仕方のないことだ。
当初のノーザはいたずらなお転婆娘という立場であればどうとでもなると思っていたが、彼女自身が貴族であり、近衛隊というものに対する意識が低かったのも事実だ。
そして見た目はどうあれストーレン、ハイメタルガーデンは兵器である。むしろ叱責だけで許されているのは運が良すぎるというものだ。
「まぁ、いきなりガーデンの事をあれこれ聞いてきたり、調べたりしている時点で、私も注意するべきだったし、格納庫の警備を疎かにしていたのも事実だ。ノーザ、なんだってまたあんなことを?」
(いえるわけないわよねぇ……前世ではロボットオタクだったので興奮しましたなんて……それに操縦したかったって欲が全くなかったわけじゃないし)
本当のことなど言えば今度こそ兄は失望するだろうから、言わない。
「あの……騎士に、憧れまして……」
「はぁ……やっぱりか……一体何に影響を受けた? バルクムント騎士団長の伝説に憧れを抱いたか、それとも聖光女伝説にあてられたか……お前のような年ごろの子どもがガーデンの騎士を目指すのは大方そのあたりだろうと思うが」
バルクムント騎士団長。それはゲームにおいては攻略キャラの一人、王子ウェンディーズの師匠とも呼べる人物で騎士としても、そしてロボットのパイロットとしても優秀な人物だ。
メインキャラクターの師という美味しい立場にあり、立ち絵も用意されていたが、それ以上の役割はなく、戦闘シーンの少なさも相まってやはり印象の薄いキャラクターだ。
だが設定だけはそれらしく、生身の戦いであっても無敗を誇り、ハイメタルガーデンを駆って巨大なモンスターを一機で仕留めるなどの数々の武功を打ち立てた人物だ。噂では生身でハイメタルガーデンと互角に渡り合うなどとも言われているが、真意の程は定かではない。
ともかく、その武功はレクーツァ王国に留まらず諸外国にまで広がり、大陸中の少年少女のハートをがっちりと掴んでいる。
実はゲームの主人公であるアイリスもファンの一人だ。
そして『聖光女伝説』。聖なる乙女が世界に光をもたらし平和な世界を創造したというもの。
そのものずばり、アイリスが目覚める予定の聖光女をほのめかす伝説だ。不思議な事に魔王のことは一切触れられていない。ただ、聖なる乙女が云々だけだ。
その聖光女には彼女を守る四人の騎士がいて、これもまた大陸の子どもたちの憧れの物語となっている。
少年たちは伝説の四人の騎士、少女たちは聖なる乙女を……という具合だ。
だが、それは伝説という風に伝わっているが、どちらかといえば子どもに言い聞かせる寝物語のようなものだった。
誰一人として、その伝説が真実であるかなど、知る由もないのだ。
「あの、その……どちらもといいますか……」
子どもがハイメタルガーデンを操縦したがる理由としてはうってつけであるのは間違いなかった。
ジークは「やっぱりか」とノーザの言葉を信じた。彼は少し、うなだれるような仕草を見せ、再び顔を上げる。暫くは顎に手をあてがって何事かを思案していたが、またすぐにその姿勢を解くと、立ち上がり、つかつかと壁際へと移動する。
そこには装飾用の儀礼剣があった。ジークはそれを手に取ると、軽く振るう。
ビュンッと空を切る音がノーザへと鋭く届く。
「ふむ……」
感触を確かめるようにグリップを弄りながら、ジークはノーザの方へと歩み出す。
(な、なにかしら……)
剣を持ったジークが真顔で近寄ってくる。
よもや斬られるということはないだろう。いや、もしかしら……いやいや、そんなことはないだろう。うん、ないはず。
しかし、結局ノーザはあれこれ考える割にはその場を動けないでいた。
そしてジークが目の前に立つと、恐るおそる彼と視線を合わせる。
「持て」
「あ……はい」
ジークはグリップ部分をノーザへと向け、そう言った。
そこには有無を言わさない迫力のようなものがあった。ノーザはただ兄の言う通りにその儀礼剣を握るしかなかった。
装飾用とはいえ、鉄の重みがずしりと手の中に生まれる。ジークが手を離すとその重みは更に増した。とてもじゃないが、子どもが持ち上げられるような重さではない。
カツンと乾いた音を立てて、刃先が床に落ちる。
「うぅむ。その剣は軽いはずなのだがなぁ……レイピアの方がよいか?」
ジークはぶつぶつと独り言を呟き始めた。
「あの、お兄様? これは一体……」
「うん? ノーザは騎士になりたいのだろう?」
あっけらかんとした表情でジークは答える。
「そ、それは、そうですが……」
些か動機は不純ではあるが、ノーザは取り敢えず頷いた。
「だったら、私が教えれる範囲は教えなければなるまい。また、いつぞやこっそりと私のガーデンに忍び込まれてはかなわないし、お前もそうしなければ納得しないだろうしな」
「えと、それは……」
「剣の稽古だ。ガーデンを駆る騎士が、剣の一つも碌に握れないのでは話にならん。示しがつかないし、恥をかく。なに、これでも剣の才能はあると家庭教師からは太鼓判を貰ったのだ。お前に基礎を教えてやるぐらいはできるつもりだ」
ジークはニコリと笑った。
「近衛騎士団に入るのだろう? ならば、強くなければな。ただし、私は妹だからと言って手を抜くことはしないぞ。それ相応に厳しく稽古をつける。それについてこれぬのであれば、早々に諦めるべきだ。どうだ?」
その兄の申し出はどこか挑戦を叩きつけているかのようだとノーザは感じた。
(確かに、生き残る上で、自衛手段がないのじゃ困るわよね……魔法の存在があっても、ここには剣もあるし、弓も槍もある……ロボットには敵わないにしても覚えておくことに損はないはず……ていうか、覚えないと多分、死ぬ)
それに兄の言う通り、ハイメタルガーデンのパイロットになるには最低限度の剣術を身につけておく必要がある。当然、例外の例外も存在するが、一番確実でかつ近道なのはやはり手堅く剣術を覚え、騎士としての力があると示すことだ。
と、なれば、ノーザの考えはまとまる。
「望む所ですわ、お兄様」
ノーザは儀礼剣のグリップを両腕で握りしめ、力いっぱいに引き上げる。未だ重くて、剣先がふらつくが、なんとか持ち上がった。
「ワタクシは必ずガーデンの騎士になってみせますとも。その為ならいかなる努力だって惜しみませんわ」