十六話 朝稽古
早朝に目を覚ます癖がついたのは多分良いことなのだろうけど、ノーザにしてみればそれは一つの枷であり、自らにかけた呪いのようなものでもあった。
朝日が昇ると同時に起床し、ぼんやりとする頭を冷水で強制的に揺り戻す。
「涼やかなる風よ、我が杯を満たせ」
一々詠唱が必要なのがこの世界の魔法の不便な所だろう。これぐらい頭で念じてポンと出来たらいいのに。
ノーザは桶に張った常温の水を魔法で一気に冷やす。それを両手で掬い、一気に顔面へと叩きつける。
痛みにも似た冷気が突き刺さり、ノーザを完全な覚醒へと促す。こんなこと、前世では絶対にやることもなかった行為だ。
だけど、今は体に染みついたルーチンワークとなっている。面倒臭いという感情があっても、やめることはなかった。
「よし……」
ハーンバスト学園は貴族の学校であるが、生徒一人ひとりに個室を与えられる程のスペースはない。だが、家の位によってはその個室を得ることは出来た。公爵家の生まれであり、古くより王国を支えてきた家柄であるノーザは当然、個室をあてがわれていた。
彼女の部屋は貴族特有の豪華な調度品に寝具、そして大量のドレスが収容できる棚やドレッサーが置かれていたがそれらは全て部屋に最初から用意されているものだった。
この部屋で彼女の私物は学園の制服とほぼ無理やり持たされたパーティードレス。
そして……男用のスーツに一本の古い剣だった。
ノーザはその男用のスーツに袖を通す。豊満な胸を締め付けるようにして押し込み、上からはベストを羽織る。そして古い剣を携えながら、ノーザはまだ静かな宿舎の廊下へと出て、そのまま中庭へと向かった。
道中、下働きの使用人たちが驚いたような表情を向けてくるが、それを無視。そんな視線は屋敷にいるうちに慣れた。
中庭に移動したノーザはおもむろに剣を抜き、まずは一刀振り下ろす!
ビュンッ! と風を切る音が走る。
ノーザは次に横へと剣を払う。同様に風を切る。それを終えると次は突きを放つ。
その素振りを何百と続ける。ただ振るのではない。一つ振るう度に剣先と筋がぶれないように意識しなければいけない。適当に上下左右に振るうだけでは意味のない動きと筋肉がついてしまうのだと教わった。
それは亡き兄の教えである。ノーザは兄の教えを守り、ずっと剣の稽古を続けてきた。時には王都より剣術を得意とする騎士を呼び寄せては稽古をつけてもらってきた。十二歳になる頃には木刀で打ち合う稽古もしてきたし、白い肌には無数のあざが出来た。
それは十六になった今でもそうである。こうして、基礎稽古を続ける。ただ、ひたすら、剣を振るう。
それがノーザの朝の日課だった。
汗の玉が弾け、日の光を反射する。朝の稽古はそれで仕上げである。どちらにせよ学校でも剣の授業はあるのだ。朝から体力を消費しすぎるのは効率が良くない。それも兄の教えであり、剣の先生たちが口を揃えて言っていたことだ。
剣を納めて、深呼吸をする。軽く筋肉をほぐすように体を伸ばしていると、背後からコツコツと足音が聞こえてきた。
宿舎の使用人でもやってきたのだろうと思ったノーザは何気なく後ろを振り返る。
「あ、ノーザ様?」
「……アイリス?」
そこにいたのは制服姿のアイリスであった。
「そ、そのお姿は……」
アイリスにしてみれば男用の服を着ているノーザの姿は衝撃的だった。豊満な胸はベストで覆われ、多少目立たないようになっているもののやはりその形ははっきりとわかってしまうし、足もズボンのせいでくっきりとしていた。
そこにいやらしさはないが、それでも体の形がはっきりとわかる姿は驚きのものなのだ。しかもそれが、公爵家の娘が行っているとすればなおさらである。
「あぁ、これ? 兄のお古よ。動きやすいから」
対するノーザはくるりと、衣装を見せつけるように回って見せた。
「王都の女騎士の方々ならこれぐらいの格好は普通よ。以前、剣の修行をつけてくださったお方も基本的にこの格好だったし。まぁ流石にマントを羽織っていたけど、ここにないし」
一方のノーザはあまり驚いていなかった。アイリスが早起きをする子だというのは知っていたからだ。
それはゲームの知識である。工場で育ったアイリスは世話になった男衆が働き始めると同時に目を覚ましていた。その後、工場の手伝いを始めたアイリスは今のノーザと同じように早朝に目を覚ますのが日課となっていたのだ。
「それにしても、こんな朝早くにどうしたの?」
ノーザは中庭の花壇に腰掛けながら、質問した。
「あ、その。早く目が覚めてしまって……それでちょっとお散歩を……」
(フーム。ゲームだとノーザの二日目朝の行動は宿舎の散策で終わったはずよねぇ。まぁほとんどチュートリアルのようなものだったけど)
つまり散歩の途中で自分を見かけたので、やってきたということだろうか。ノーザは特別深く考えることもなく、そういうものだと理解した。
「剣のお稽古ですか?」
「そうよ。昔からやっているの。まぁ、私、剣の才能はないって散々言われてるからね。こうでもしておかないと騎士団にすら入れないのよ」
ノーザは苦笑して答えた。
「騎士団……? まさか、騎士団長になるという?」
「あら、覚えていたの?」
「それは、もちろん……一緒に、ストーレンを見たことも……」
「当然、覚えているわよ、アイリス・パーガン」
ノーザはフッと小さな笑みを浮かべた。
対するアイリスは感動に打ち震えるような満面の笑みを浮かべていた。
「まさか、あの時の子が学園に来るなんてねぇ」
本当は知っていた。アイリスが貴族の忘れ形見であることも、この学園にやってくることも全て、ノーザは知っている。
「あ、はい! 私も驚いています。なんでも父が貴族だったらしくって……それで……」
「へぇ」
「あ、でも位低いようなんです。でも後継ぎがいなくておとり潰しなりかけていたみたいで……それで、父が愛人だった私の母のことを思い出して……」
「そう。また随分と大変な目に会ってるわね」
ゲームとして彼女の人生を知るノーザは、貴族の娘であるという真実はアイリスを幸せにするものではないことを当然知っている。
言ってしまえば彼女は駒なのである。父方の貴族の家を存続させる為に誰でもいいから貴族の子息と結婚させるという役割を持たされた娘なのだ。
「何かあれば、言いなさい。そういう出自ってだけでとやかく言ってくる奴って多いのよ」
かくいう原作ゲームのノーザがその一人だった。アイリスの出自は愛人、つまりは不貞の結果である。貴族として見れば、それは許されない行為であるし、まず良い目では見られない。良くも悪くも純潔であるアイランディの生まれであった原作のノーザはそんなアイリスという存在が化け物のように見えていたのだ。
だが、今のノーザはそうではない。むしろ同情すら覚えてる。
「それより、あなた、私との約束は覚えているでしょうね?」
「や、約束ですか? あの、それは……お付にするということですか?」
「そ、あなたここに来るまではずっと工場にいたのでしょう? なら、多少なりともガーデンの知識と技術はあるんじゃないの?」
「それは、まぁ……」
「じゃちょうどいいわね。ちょっと私のガーデンの調子を見てくれないかしら。私、技術的なことってどうにも苦手なのよね」
「でも、そういったことは学園の技師たちが行うのでは……」
アイリスの言う通り、ハイメタルガーデンの操縦士を育てる為の学園には実機を調整する技師たちもまた雇われている。どれも一流の技師たちである。
実際、調整云々という話であれば彼らに任せておけば問題はない。だが、ノーザの狙いはそうではない。
(アイリスのガーデンの知識は天才的だわ。四人の攻略キャラのガーデンのパワーアップは半分以上、アイリスのアイディアによる改造がもとになっているし)
そう、ノーザの狙いはこれだった。
『聖光女アイリス』における主人公アイリスは工場での生活が長かった為に機械技術に関しては専属の技師たちも舌を巻く程にある。
だがそれだけではない。アイリスは中盤以降、特定の攻略キャラの機体の改造プランを設計するのだ。
(いずれ起きる戦争……いえ、魔王との戦いにおいて四人のヒーローたちの機体改造は必須。でもその前に私の機体にだって改造してほしいのよ。半分以上、私の欲望……それに……この子も結構な機械オタクだからねぇ)
どちらにせよ、ノーザはアイリスを引き寄せておきたかった。アイリス自身の人間性も可愛らしいのだが、それ以上に才能を手放しておくのはもったいないからだ。
アイリスは、ハイメタルガーデンの改革を促す、貴重なファクターとなりうるのだから。
「でも、アイリス。あなた、ガーデン好きでしょう?」
「も、もちろん好きです! ですが、流石に……」
一見断っているようなアイリスだが、ガーデンに再び触れられるということに期待しているのかそわそわし始めているのが傍から見てもわかる。
だがそれでも公爵家の機体をべたべたと触るようになるのは恐れ多いという感情もまた同様に抱いている様子だった。
アイリスは、自分自身の才能をまだ理解していないから。
「いーの。私が許す。ま、今すぐにやれってわけじゃないのよ。授業もあるし、あなたも色々と大変でしょう?」
ノーザはそういいながら、立ち上がる。汗のせいで少し体が冷えてきたのだ。
せっかく温めた体が冷めてしまうのは避けたがったが、つい長話をしてしまった。
「それじゃね、アイリス。学園であなたにあえてよかったわ」
そういってノーザは片手を上げながらアイリスと離れた。




