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「胡蝶のことなら、私には少しくらい分かります」


 自信たっぷりに告げる蜜蜂を、ゆぎは胡散臭そうに見つめている。


「いつもは競争相手ですからね。それでも、胡蝶の友人だっています。多様な種族の者と親しい関係を保つことは王国の安定にもつながりますからね。胡蝶を飢えさせない方法についても、私の守る花の彼女だけでは重荷かもしれませんが、働き蜂であるこの私も一緒なら大丈夫です」


 力強く言う彼女がとても勇ましい。

 何よりも、彼女の口から飛び出た未来がとても魅力的なものに思えた。

 二人で協力して、胡蝶を育てる。

 そんな未来の妄想は、これまで集めてきたどんな宝物よりも美しく輝いて見えた。


 しかし、靫は容赦のない態度で突き放す。


「楽観的なお話ね。それで、あなたはあと何年生きるつもりなの? ただの虫よりもはマシでしょうよ。けれど、働き蜂の過酷な現実をまさか忘れたわけではないでしょう?」


 非常に残酷な煽りでもあった。

 それでも、蜜蜂は強い眼差しを変えずに言った。


「何年でも生き延びてやりますよ! 私には自信があります! ……それに、あなたのご協力があれば心強いものですしね」

「は? 協力?」


 何を言っているのだと呆れられるも、蜜蜂は物怖じせずに頷いた。


「ええ、ご協力です。偉大な魔女のあなたは、どうやら月の森の環境をお守りするという我々には到底真似できない大きな役目を担っているご様子。しかし、この〈はなだ〉という種は月の都で大人気なのだとおっしゃいましたね。だとしたら、これから先、もっともっと森に流出してもおかしくはありません。そんな中、見つけては殺し、見つけては殺しを繰り返すだけでは、あなたの負担は増すばかりだ」

「――ええ、そうね。それで?」

「だから、私はあなたに提案します」


 堂々としたその態度がとても頼もしい。

 頼もしいが、同時に冷や冷やした。

 

「この蛹は私たちが管理します。それで、〈縹〉の血筋が本当に病気に弱いのか観察してみましょう。万が一、問題がなければ、処分する必要なんてないと分かるでしょう」

「わたしの見立てが間違っていると、そう言いたいの?」

「いいえ、私はただ、可能性を示唆しただけ。あなただって魔女とはいえ、うら若き少女のように見えます。その膨大な知識は魔力と共に偉大なお母様から譲られたものなのでしょうね。それでも、経験は大事ですよ? これは貴重な実験でもあるのです。どうか、一緒に月の森で育つ〈縹〉というものを観察してみませんか?」


 言葉で誘導しようとする蜜蜂。

 その姿を久しぶりに見た気がする。

 初めて私と出会ったときも、会話によって誘導されてしまったものだった。


 彼女の話術は強力だ。

 それは、蜜の採集係として有能であるとの噂を聞くたびに、淡い嫉妬と共に感じることであった。

 私以外にも数多くの花に心を開かせ、蜜をもらっている。

 花を言葉で誘導することには自信があるのだろう。


 しかし、相手は食虫花だ。

 恐ろしいその名前の通り、蜜蜂だってその気になれば食べてしまう魔女なのだ。

 靫の母親は「胡蝶の墓場」の主人だと言っていただろうか。

 噂によれば、胡蝶のみならずたくさんの精霊たちが彼女の周りで行方不明になっていると聞く。


 魔女の血を引いているらしい靫もまた、石のように冷たい心を持っていてもおかしくはない。

 元来、肉食の精霊というものはある程度の冷たい心がなくては生き延びられないものなのだ。


「なるほど、適当なことを言って、どうしても蛹を返してほしいのね」


 靫は怪しげな眼差しで私たちを見比べ、ふうとため息をついた。


「正直、面白くはないわ。わたしは真面目な魔女だもの」


 怒らせてしまったことは、一目瞭然だった。


「このわたしに流れる血だって、もとはといえば人間に手を加えられたものだと母は言っていたわ。その弊害は未知数。わたしはどうあっても、この森の者にはなれないの。だからこそ、このわたしも出来る限りあなた達の世界を整えなくてはと強く思ってきた。調和のためには犠牲もつきものよ。出来る限り優良な血だけを残すことが、月の森の未来に繋がる。……それなのに、あなた達は邪魔をするつもりなのね。――どうして!」


 泣き叫ぶような靫の言葉に、私も蜜蜂も凍り付いてしまった。

 蜜蜂の説得は私から聞けば、何も間違っていなかったように思う。

 だが、どうやら偉大な魔女の心を深く傷つけてしまったらしい。


 価値観が違えばどんな正論も正論ではなくなるものだと年上の花の精霊が言っていたことを思い出す。

 とくに精霊の世界では最終的に力こそ正しさということで決着となることも多いのだ。

 そうなれば、話し合いなど無意味となる。


 怖気づいている場合ではない。

 私の希望は固まっているのだ。

 恐怖よりも、ここで気付けた感情を優先すべきだろう。


 私は見たい。

 都の人間たちを虜にしてきた〈縹〉という胡蝶がどんな姿をしているのか、私を虜にしてきた美しくたくましい蜜蜂の女性と共に見守りたい。

 その未来を信じて待ちたい。


 もやもやとしたものを心の中で言葉にしてみれば、思いはさらに強まった。


 そんな私の意識も読み取ったのか、靫はますます怒りをあらわにした。


「〈縹〉は渡さない!」


 靫が吠えるように言うと、蔓が激しく動き出した。

 発光虫たちも驚いたように飛び回る。

 青白い光も揺ら揺らと揺らめき、部屋全体が揺れているような錯覚に陥った。


「欲しければ、力尽くで奪い取ればいいわ!」


 結局、こうなってしまった。


 取り返すしかない。

 しかし、どうすればいいだろう。

 相手は魔女。

 食虫花。

 蜜蜂の力ばかりを頼ろうものなら、私は蛹だけではなく本当に大切な存在を奪われてしまうことになるだろう。

 その時は心中でもするか。

 いっそ、殺してもらおうか。

 いや、そんな悲観的な妄想をしている場合ではないのだ。


 力尽くで奪う。

 蜜蜂がどう動こうと、私がするべきことはただ一つだ。

 うねうねと動く蔓と、怒り狂う靫の向こうで、蛹は寝かされている。

 どうにか彼女のわきを通り越して、蛹に到達しなくてはいけない。


 よし、やるべきことは頭の中ではっきりとした。

 想像もついた。

 問題は、実行である。

 恐れを捨てて、飛び込むことはできるだろうか。

 精霊ならば誰だって臆病な心を持っているものだ。

 生きていくうえで大切な武器だからだ。

 けれど、今だけは封印しなくては。

 これは、私自身の本能との向き合いでもあった。


 蜜蜂が様子をうかがっている間に、私は何度も深呼吸をした。


 宝物に振り回されてきたのは、物心ついて以来ずっとだ。

 母に庇護される子供時代は、そんな無駄なモノに執着するなと怒られてしまったものだった。

 同時期に育った兄弟姉妹にだって笑われたものだ。

 それでも、独り立ちさえしてしまえば天下となり、母の忠告も、兄弟姉妹の嘲笑も、次第に薄れていってしまう。

 以来、私はモノに振り回される日常を送ってばかりだった。


 蜜蜂がいなければ、私の生活は本当にそれだけだっただろう。

 行きずりの虫にたまった蜜を捧げてしまえば、それで終わり。

 情愛はすべてモノに捧げられただろう。

 今だって、日ごろ、ともにお茶会なんかをして、雑談にふける相手よりと同等かそれ以上に情を向けてしまっている。


 それほどまでに宝物は大事なのだ。

 あの〈縹〉という蛹は、その中でも一番となったものだ。

 今はその執着の上に、生命に対する愛着が重なっている。

 挑戦して散ってしまうのならば、本望とさえいえるだろう。


 強くそう信じ込めば、情動によって背中は押された。

 走り出す私を、靫はすぐに察知する。

 進行方向を次々に蔓で襲い、邪魔をしてくる。

 これまでの私ならば、あっという間に囚われて大怪我をしていただろう。

 しかし、常に視界に映る蛹に引き寄せられる私は、奇妙なほどに蔓を避けることに成功した。

 あっという間に靫の傍を通り越し、私は蛹へと到達していた。


 久しぶりに抱き着けば、感触が懐かしすぎて涙が出そうだった。

 思っていた以上に軽い蛹を抱きしめると、あとは戻るだけ。

 しかし、この戻るだけという行為が難関だということに、私はようやく気付いた。


「お見事。けれど、そこまでよ」


 靫が指示を送ると、蔓が意思を持っているかのように私と蜜蜂を同時に威嚇し始める。

 その力強さはさっき見たばかりだ。

 人間の手で硬く整えられた地面がはげるほどの力を、まともに食らえばただでは済まないだろう。


 恐ろしいことだが、この蛹を家に飾るまでは諦めるわけにはいかない。


 蔓の動きを見つつ、私は走り出す。

 蛹が軽くてよかった。

 おかげで、動きも鈍らずに済む。

 靫はすぐに気づき、蔓を向けてきたが、私は恐れずに走り続けた。


 だが、思い通りにいかないのが世界というものだ。

 何もかも自分の願い通りになるのなら、脱落者なんていないだろう。

 私が逃げ切るよりも、靫が蔓を向けてくる方が当然ながら素早く、行く手を激しくえぐられ、その弾みで転んでしまうと恐怖で足が竦んでしまったのだ。

 一度生まれた震えは止まらず、蛹が無事でいてくれたという幸運に恵まれても、それを生かせそうにない。


「少し痛い思いをしなければ、分からないようね」


 靫は容赦なく言い放ち、蔓を向けてくる。

 打たれれば痛い思いどころではないかもしれない。


 だが、怯えたのもつかの間、強い力で引っ張られた。

 直後、私が立ち止まっていた場所を蔓が殴りつける。

 舞い上がる埃と激しい音、そして振動に、受けていたかもしれない痛みを想像して恐くなってしまった。


 助けてくれたのは蜜蜂だ。

 今も靫を睨みつけている。


「あら、残念。怯えているようだから侮っていたわ」


 靫が手をあげ、蔓が狙いを定めてくる。

 恐ろしい光景を目の当たりにしながら、蜜蜂が私の手を握り締めて囁いた。


「逃げよう」


 タイミングは彼女に従った。

 引っ張られるままに走り、もつれそうな足に必死に命じ続ける。

 靫は追いかけてこない。

 しかし、蔓だけは激しく襲い掛かってきた。

 扉をぶち破って廊下に逃れるも、蔓の追撃はやみそうになかった。


 まずは逃げ切らねば。

 けれど、ここは魔女の屋敷。

 無事に出ることができるだろうか。

 光の見えない焦りを感じつつも、私は蛹と蜜蜂と共に走り続けた。

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