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 わざわざ蛹を盗ませた。

 その目的の意味が最初は分からず、私はしばらくきょとんとしてしまった。

 しかし、答えが見つかるよりも先に、我に返った。


 ゆぎの背後にあるものに気づいてしまったためだ。

 青白い室内のなかで、同じような色をして寝かされているそれ。

 ずっと蜜蜂の人脈に甘えながら探し求めてきた、愛しい愛しいあの蛹だ。


 視界に入るなり、頭の中が真っ白になった。

 蜜蜂が止める暇もなく、私自身がぐっとこらえる暇もなく、大事な大事な蛹に駆け寄ろうとしていたのだ。

 そんな自分の行動に気づかされたのは、蛹を盗んだ張本人であるゆぎに止められてしまってからである。

 彼女が小さな右手をそっと開いて見せると、周囲で楽しそうに踊っていた蔓たちがいきなり襲い掛かってきたのだ。

 その荒々しさに反射的に足が止まった。

 威嚇とばかりに私の進行方向を強く叩きつけると、何事もなかったかのように素早く戻っていき、また揺ら揺らと踊り始める。

 当たっていたら、死んでしまっていたかもしれない。

 呆然とする私に、靫は言った。


「ダメですよ。勝手に動いちゃ」


 にっこりと笑うその姿は暴力とは無縁にしか思えない。

 たった今聞こえた轟音とどうしても一致しないほどだ。


「まずはわたしの話をお聞きください。さもなくば――」


 靫が指をさすと、再び蔓が揺れる。

 まるで大蛇のように睨みつけている先は、私ではなく蜜蜂だった。


「あなたの大事な人を先にいただきますよ」


 優しそうな声だが、紛れもない脅しだ。

 どう見ても私より強いはずの蜜蜂を人質にするということは、それだけ自信があるということだ。

 蜜蜂の方も、靫を注意深く見つめるばかりである。


 私はぐっと踏みとどまり、黙って靫に頷いた。

 すると、ようやく靫は一見すれば照れ隠しにすら思えるほど可愛らしい笑みを噛みしめ、蔓を再び躍らせた。


「単刀直入に申しましょう」


 靫の冷たい声が響く。


「あの蛹は返せません」

「――どうしてですか?」


 予想通りの言い分だった。

 苛立ちと戸惑い、恐れの入り混じった声で尋ねてみれば、靫もまた予想通りといわんばかりの表情で質問を返してきた。


「その蛹が何なのか、あなたはご存知でしょうか?」

「もちろん知っているわ。胡蝶の蛹です。少し珍しい色をしていますが、軽さでわかります」


 必死に答えてみれば、靫は呆れを全く隠さないため息をついた。

 小馬鹿にするようなその態度は腹立たしいが、いかんせん、私よりも強い魔女であるのは明らかなので黙って耐えるしかない。

 怒らせれば蛹だけではなく、私自身も、そして何よりも蜜蜂までもがただじゃいられないだけに、歯痒いものだった。


「あなたがご存じであることは、最低限のことだけのようですね」


 半ば苛立ちすら窺えるその声に、蜜蜂が私を庇いだす。

 私もまた、蜜蜂の腕にしがみつきつつ、いつでも引っ張って逃げられるように構えた。いざとなれば、優先すべきはここまで頼りになった蜜蜂の安全だ。蛹は見つけたのだ。ここにあるのだ。これ以上、この人を危ない目に合わせるわけにはいかない。

 ――と、そうは思うのだが、やはり足は動かない。蛹が私を呼んでいる気がしたからだ。心を奪ったあの色。あの艶。肌触りが恋しい。中で眠っている胡蝶の子と羽化の未来を思うと、やはり諦める気になれなかった。

 蜜蜂はそんな私の心を見抜いているのだろうか。彼女も彼女で逃げようと全くしなかった。


 私たちを見つめながら、靫は退屈そうに告げる。


「あの蛹は、単なる珍種ではありません」


 神経を逆なでするような声だが、動物たちの血液を思わせるその眼の色に、背筋が凍りつきそうだ。


「あれは〈はなだ〉という種の蛹。中にいるのは確かに胡蝶だけれど、月の森に多数生息するどの種とも違う。都に住む人間の手が加わった胡蝶の改良種よ」

「改良種?」


 聞きなれない言葉に訊ね返してみれば、蜜蜂がそっと教えてくれた。


「人間たちが血統管理をした精霊たちのことだよ。森ではなく、人間の世界で暮らしている。人間たちの娯楽のために生まれ、養われる愛玩種さ。私たちとは違うけれど、同じ祖先をもつ同じ精霊たちでもある」

「ええ、同じ精霊。同じ祖先。それが大きな問題を生んでしまう」


 靫は真剣な眼差しを向けてきた。


「〈縹〉は人間たちの間でとても人気のある胡蝶たちよ。そのため、窃盗被害にも遭いやすいみたい。花泥棒や虫泥棒たちは人間たちの世界で彼らを盗んでしまう。そういった人間のいざこざは人間の世界で終わらせてほしいものだけれど、泥棒達は逃げ場として入り組んだ森を好むものなの。だから、本来は森に来ないはずの血筋がいつの間にか森に隠され、放置され、定着することもしばしば。あの蛹もそうして森に放置されたものなのよ」

「――ってことは、この蛹は人間の世界で生まれた子なの?」


 訊ねてみれば、靫は暗い顔で頷いた。

 そんな彼女に蜜蜂が訊ねる。


「では、あなたはその蛹を人間の世界に返すべきだと、そう言いたいのかな?」


 しかし、靫はその問いに首を振るのだった。


「いいえ。返すことは出来ません。あなた達はもちろん、このわたしであっても、人間の世界に足を踏み入れて無事でいることは困難で、現実的ではないわ。人間の協力があれば可能かもしれない。でも、旅人が迷い込むのは待つのはあまりにも期待が薄い。森に持ち込んでしまった泥棒達も今や何処にいるのだか分からないし、そもそも作法もわからぬものにその子は任せておけないわ」

「じゃあ、どうするつもりなの?」


 恐ろしくなって訊ねてみれば、靫は冷徹なまなざしをこちらに向けた。


「決まっている。蛹のうちに殺してしまうの。痛みも恐怖もない、深い眠りについている今のうちに」

「――どうして!」


 意味が分からず驚く私に、靫は真面目な顔で告げる。


「〈縹〉に流れる血のせいよ。この子は月の大地でも、太陽の大地でもない、遠い遠い場所の異系の血を引いている。その血はとても濃いものでね、残念ながらこの地方でよく流行るあらゆる病気にことごとく弱い。人間の世界で安全な虫かごで暮らすのならばいいでしょう。でも、森で生き延びるのは困難よ。そして、短い間に月の森の胡蝶の野生種と血が混じれば、大人になれない胡蝶がさらに増えてしまう危険性がある。……だから、月の森に代々続いてきた胡蝶たちの血が穢されてしまう前に、見つけ次第処分しなくてはいけない。それが、私の魔女としての結論で、役目なの」

「魔女としての結論? 役目? 血が穢れるなんて、あなた、何を言っているの」


 靫の言っている意味が分からず、私は困惑した。

 何よりも、蛹を殺してしまうつもりだという言葉がショックだった。


 もちろん、私の好いているものは蛹の表面だけだ。

 中身については愛着などないつもりだった。

 羽化すれば逃がすつもりでいたし、それについて寂しさなんて感じないはずだった。

 感じるとすれば、完璧な蛹の形が割れてしまうことに対してのみだろうと思っていた。


 しかし、どうしてだろう。

 殺さねばならない等と、いざ言われてみれば、ここ二、三日ともに過ごした記憶がよみがえり、急に焦りを感じだしたのだ。

 あの綺麗な蛹の中で、人間たちに持て囃されてきた血筋の胡蝶がすくすく育っている。

 大人になるのを待っていると思うと、なんだかとても可哀想になってきたのだ。


「……どうやって殺すつもりなんだ?」


 蜜蜂が恐ろしい質問を向けると、靫は妖しい笑みを浮かべた。


「愛しいわたしの召使が、子供を産みたいと言っているわ。だから、その為に役立ってもらうつもりよ。月の森の胡蝶たちの未来を守り、〈縹〉の命も無駄にならず、次なる命に連鎖する。悪いことではないでしょう?」

「そんなのダメ!」


 思わず、私は叫んでしまった。

 愛しい召使とは、ここまで案内してくれた姫蜂のことだろう。

 恐ろしい計画を知ってしまった今、引き下がることはすなわち、短い期間とはいえ、おはようもお休みも言って撫でてあげたあの蛹の命を見捨てるということになってしまう。

 どんなに無駄のない話だとしても、賢い魔女の正しい選択だとしても、私はやはり納得できなかった。


「お願い、そんなことしないで――!」

「そうね……召使のためならば、他の蛹でもいいでしょう。あの〈縹〉でなくても構わないわ。でも、〈縹〉の中身を殺さねばならないことは譲れない。あの子が羽化して胡蝶たちの大勢と子を残す前に、可能性は絶たなければならないの」

「じゃあ、他の胡蝶たちとは遊ばせません! 羽化しても、私の家に居てもらえばいいでしょう? 子どもを作らせなければいいのでしょう?」


 必死に食い下がる私を、蜜蜂がそっと支える。

 ふらふらしているのは疲れのせいだろうか。

 靫の予定している蛹の未来を聞いた瞬間から、世界がぐらりと揺らぎ始めた。

 そんな私の必死さに、靫は不満そうな顔を見せた。


「そんな残酷な約束、魔女でもないあなたが守れるとは思えない。あなた一人で胡蝶を養えるとでも思って? きっと、いつもその蜜蜂に守られて暮らしているのでしょうね。だから、胡蝶の凶暴さも知らないのだわ」


 言い当てられて、ぐうの音も出ない。

 悔しいことだが、常識として知っていても、胡蝶の底なしの食欲というものを体験したことはない。


 このまま言い包められて、すごすご帰るしかないのだろうか。

 私にはあの蛹を救えないのだろうか。


 絶望に打ちひしがれる中、隣にいた蜜蜂が一歩踏み出した。

 彼女の強い眼差しが、靫へと向けられる。

 それは、大人しく言い負かされるつもりのない顔だった。

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