表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/8

 蛹を拾って三日目。

 早くも、事件は起こった。

 それは、私がいつものように朝露の美味しい食堂で仲間たちと挨拶をかわし、妹分ととりとめもない会話をしながら帰宅した後のことだった。

 変化に気づかない間は幸せだったものだ。

 能天気に今日は蜜蜂はいつ頃来るのだろうだなんて思っていられたのだから。

 しかし、気づいてからは地獄だった。


「おはよう、いるかな?」


 家の中の光景があまりにもショックで呆然としてしまった。

 そこへ声がかかってもすぐに返事ができないのは当然だ。


「おおい、いるのー?」


 声の主は蜜蜂だ。

 やけに早い。

 返事をすることもできず、ぼんやりとしていると肩を掴まれた。


「なんだ、いるんじゃない。花たちの食堂に行ってみたんだけど、家に帰ったって聞いたから――」

「……ねえ」


 私は蜜蜂の腕をつかみ、すがりつくように訊ねた。


「ねえ、わたしの蛹、どこ?」

「へ? ――蛹?」


 そう、ないのだ。

 ここ最近では、一番の宝物となっていた不思議な蛹がない。

 他の宝物はしっかりとあるのに、蛹だけが何処にもないのだ。


「まさか、あなた、捨てたんじゃないよね?」


 狼狽のあまり嘆いてみれば、蜜蜂は目をまん丸くして否定した。


「ま、まさか! 誤解だよ! え、でも、蛹が……?」


 蜜蜂はきょろきょろとあたりを見渡す。

 羽化したわけではない。

 残骸一つないのだから。

 まるで蛹に足でも生えたかのように、何もなくなってしまっていたのだ。


「起きたときはあったの?」


 訊ねられ、私は何度もうなずく。


 起きたときはあった。

 蛹を撫でながら、おはようと挨拶をしたから確かなことだ。

 なくなったのは食堂に行っている間だろう。

 誰かが侵入して持ち去ってしまったのだろうか。

 でも、いったい誰が、何のために。


 気づけば私は泣いていた。

 大事にしていたものだったのに、無くなってしまった。

 共に過ごした期間は短いが、語り掛けて撫でてやった感触が忘れられなくなっていたのだ。

 感触が恋しくて仕方がない。


「泣くなよう……。とにかく、探してあげるからさ。あ、そうだ。姉妹にも聞いてみよう。もう朝の巡回にいっているから、目撃したひとがいるかもしれないよ。なに、あんなに大きな蛹だ。抱えて移動すればものすごく目立つだろうさ。君が持ち帰った時だって、数名の姉妹が目撃したって言っていたんだ。それだけ目立つんだよなあ、あの蛹。ま、そうとなれば、善は急げだ。君はここで待っていて」

「私も行く……」

「えぇぇ……?」


 足手まといだとでも言いたげだったが、ここで黙って待っているのは落ち着かない。

 どうせなら、蜜蜂とふたりで探しに行きたかった。

 無理なお願いとは分かっていても、じっとしていられなかったのだ。


「君を姉妹に会わせるのはちょっと――」

「……じゃあ、別行動する。私は私で聞きこんでくる」

「うーん、それもなあ……分かった。一緒に行こう。姉妹とは口をきいちゃダメだよ」


 そっと手を伸ばしてくるその姿は真剣そのもので、私もまた真面目に頷いた。


 他の蜜蜂だなんて、見たことはあっても関わったことはない。

 体を許しているのは隣にいるこのひとだけだったから、蜜目当てだと分かるひとたちの誘いはすべて断り、できるだけ関わらないできたのだ。

 しつこいひとも中にはいたけれど、私がすでに特定の相手を持っていると知るとそれ以上、関わってはこなかった。

 森にはほかにもたくさんの花がいるものだ。

 争ってまで奪うことはない。

 そういうことだろう。


 だからこそ、他の蜜蜂と会うのはめったにない機会だ。

 少しは緊張するだろうか。


 ――いいや、そんなことはなかった。


 家を出て、手を引かれながらひたすら聞き込みを続けることしばらく、私の頭を支配し続けるものは、消えてしまった蛹のことばかりだったのだ。

 いつも一緒のこの頼れる蜜蜂がいなかったら、まともに聞きこむことすらできなかっただろう。

 そのうえ、蜜蜂はとても顔の広いひとだった。

 彼女の姉妹や花たちだけではなく、胡蝶や穏やかな性格の肉食精霊、さらにはあらゆる獣の魔女にまで恐れることなく聞きこんでくれるものだから、贅沢なまでにチャンスが多かった。


 さらに、蜜蜂がにらんだ通り、蛹は目立ちすぎるものだった。

 聞き込みを始めてすぐに、それらしき蛹を抱えた精霊を見たという者はちらほらと現れはじめ、少しずつ疑わしい人物の足取りはつかめていったのだ。


 私の蛹を盗んだ泥棒。

 その種族を知って、不安は一気に高まった。


「ああ、見たね。あれは姫蜂だったよ」


 そう語るのは珍しい糸を紡ぎ続ける蜘蛛の魔女だ。

 気まぐれに蜜蜂を食べることだってあるだろう。

 だからだろうか、蜜蜂は心なしか距離を話した状態で向き合っていた。


 それよりも、姫蜂だ。

 ああ、蛹を見つけたときにいたひとだろうか。

 やっぱり、あの中には蜂の子がいて、取り返してしまったということだろうか。


「蛹は……確かに珍しい色をしていた。月の森の胡蝶の血筋ではないね」

「その姫蜂、どこに行ったか知りませんか?」


 蜜蜂が訊ねると、蜘蛛の魔女は怪しげに笑った。


「教えてやってもいいが、もっと近づいてくれないかね。新しい糸の具合を見てみたくてね」

「それなら私が――」


 言いかける私を、蜜蜂は制した。


「結構。姫蜂が蛹を抱えていたっていう情報だけで十分です。ありがとう、蜘蛛のおばさん」

「そこはお姉さんと言ってほしいところだね。まあいい。とっととお行きなさいな。いつかうっかり私の家に入ってしまったときは、今度こそ、よろしくしてもらうよ」


 その言葉を受けて、蜜蜂はやや乱暴に私の手を引っ張った。

 見送ってくる蜘蛛の魔女の表情はとても優しそうだ。

 しかし、蜜蜂は焦り気味にその場を離れていくものだから、不思議だった。


 やがて、蜘蛛の姿が全く見えない位置まで来ると、蜜蜂は大きくため息をついた。

 呆れていることがよく分かる姿だ。


「いやあ、冷やりとしたよ。君ってば、いつも蜘蛛を怖がらないわけ?」

「蜘蛛が食べるのはあなた達のような虫の精霊でしょう? 花も食べるの?」

「相手は魔女だ。蜜を無理やり搾り取られる可能性だってあるよ」

「搾り取る?」

「うん、蜜吸いと違ってすっごく痛いらしい。泣き叫ぶほどらしいのだけれど、残酷な魔女はそれを楽しむんだって。痛いだけでも嫌なことだけれど、場合によってはそれが原因で枯れてしまうことだってあるから怖いんだ。君が蜘蛛に捕まったら、助けてあげられる自信がない。……というか、私の方が先に食べられちゃうかも」

「そうなんだ……ごめんなさい」


 怖い話だ。

 何よりも、そういう危険を全く自覚していなかったところが怖い。

 どうやら、私は自分が思っている以上に世間知らずのままだったらしい。


 家に閉じこもりではなく、中途半端に外を知っているからこそだろうか。

 よくわからないが、とにかく、安全に聞き込みを続けるには蜜蜂の忠告をよく聞いて、それを守ることが大事なようだと強く感じた。


「いいんだ。関わるなって言ってきたのは私なんだしさ。とにかく、ああいう連中の相手は私に任せて。蛹を盗んだのは姫蜂ってわかったんだしさ。あとは、そいつの居場所につながる情報を待つだけさ」

「見つかるといいけれど……」


 もしも、その姫蜂が蛹に卵を産んでいたらどうしよう。

 争ってまで取り返したいものなのか。


 ああ、本心では取り返したい。

 短い間だとしても、蛹に話しかけながら蜜蜂を待つのは楽しかった。

 あまりにも寂しいときは外に出て花の仲間たちに会いに行けばいいのだけれど、貯まりすぎた蜜が重たいときは、動くのすらつらい。

 そういう状況で大人の胡蝶などに見つかり、誘惑されるのが最も怖いのだ。

 だから、あの綺麗な蛹は辛い気持ちを紛らわせるのにちょうど良かった。

 眠っているだけの胡蝶は無害なだけだ。

 ただそこにあるだけでいい。

 拾ったときは収集物としてだけの価値しかなかった蛹だが、いまや、命あるものとしての愛着までもが生まれていた。


「諦めちゃだめだよ。森は広いけれど、精霊もたくさんいる。目撃者はいっぱいいるはずだから、見つかるに決まっているさ」


 蜜蜂は前向きにそういった。

 その明るさに引っ張られる形で、私もまた不安を振り払った。

 何しろ、探し始めたばかりだ。

 ここで諦めてしまえば、見つかるものも見つからない。

 そう信じて、私は蜜蜂に引っ張られながら、広い広い森をさまよい続けたのだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ