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その蛹は不思議な色をしていた。
静けさ漂う早朝の空のような色をしている。
いつも目にする蛹は真っ白なものばかりだから、とても珍しかった。
精霊の蛹であることは大きさで分かる。
ヒトの成体がうずくまったくらいの大きさだ。
しかし、持ち上げてみれば綿のように軽い。
中にいるのはやはり、胡蝶という精霊だろう。
しかし、不思議だ。
胡蝶の蛹は真っ白のはずだ。
もちろん、全ての種を知っているほど博識ではないが、これまで白以外の胡蝶の蛹なんて見たことがなかった。
それは、大人になって以来、枯らされずに生き延び続けて数年にもなる私のプライドが少し傷つくほどのことだった。
「姉さん、それなんでしょうか」
最近、大人になったばかりの花の精霊に訊ねられる。
真っ白な髪に薄紅色の目は、私と共通の祖先をもつことを意味する。
生まれた場所も近いため、血縁関係である可能性も高い。
湖に映る私の顔と、いつでも確認できる彼女の顔も、なんとなく似ている気がした。
そのためだろう。
彼女は、かなり親近感のある妹分だ。
「たぶん、胡蝶の蛹ね」
「胡蝶の蛹? こんなところに?」
こんなところ、と彼女が言う通り、辺りは森の人間によって木々が伐採されており、日光も遮られない不安の多い場所だ。
胡蝶が蛹となるには少し相応しくない場所だろう。
しかし、胡蝶の蛹化は突然起こることがあるらしい。
多くの場合、胡蝶の子どもたちは身体の異変を感じて胡蝶の聖地と呼ばれる安全な場所を目指しはじめるものだ。
そこにいけば、強い霊力を持った虫や獣の魔法使いたちが番人となり、蛹となった彼女たちをしっかりと守ってくれるそうだ。
番人たちによれば、胡蝶の大人の数こそが我々の世界にとってとても重要となり、蛹が無事に羽化するように守るものがいなくてはならないらしい。
けれど、胡蝶の聖地には子どもたちが健康的に成長するだけの食べ物がない。
だからこそ、大人の胡蝶たちは聖地以外の場所で卵を産み、孵った子どもたちも蛹化までの長い期間を聖地以外の所でひっそりと過ごすのだ。
そして、身体が成長し、時が来れば子どもたちは聖地を目指して旅を始める。
ところが、身体の異変に気付かない者もいる。
また、蛹化までの時間が極端に少ないため、聖地まで持たない者もいるのだ。
そういった者たちが出てしまう事もまた、森の厳しい掟なのだと聞いていた。
生まれ落ちた生命の全てが寿命の限り生き抜けるわけではない。
こうした、脱落者が出ることで助かる種族もいるのだから、仕方がない。
「それ、どうするんですか?」
妹分に問われ、私はそっと周囲を見渡した。
精霊の気配は常にあるものだ。
通りすがりの時もあれば、我々のような花の精霊に害をなそうとしている虫の精霊に見張られていることもある。
今も、私たちをじっと見つめている虫の精霊が一人。
だが、彼女を見て、私は気づいた。
細身の体格が美しい精霊。
あれは、姫蜂だ。
胡蝶の幼虫や蛹に卵を産み付け、繁栄する種族であると聞いている。
きっと私の抱える蛹が欲しくて仕方ないのだろう。
それとも、すでに卵を産んだあとなのか……。
「家に持って帰ろうかな」
「持って帰るんですか? すごく邪魔だと思うんですが――」
「だって綺麗じゃない。こんな色の蛹、あなた、見たことある?」
「そりゃあ、ないですけれど……」
妹分の許可などいらない。
私の家のことは私が決めるだけだ。
しかし、様々な精霊仲間にこのような反応をされるのも珍しくはない。
精霊というものたちは、誰もかれも無駄なことを嫌うのだ。
いつ死ぬか分からないような世の中だからだろう、生きることに無駄だと思われることには執着しないというものも多い。
だいたい、家というものもいつ壊れるか、壊されるか分かったものではない。
森に棲む精霊ならば、安全に眠り、休める場所が手に入ればそれでいいという者が圧倒的多数だ。
けれど、私は気になったものを家に飾ってしまう癖があった。
日に当てると美しく輝く石や、鳥たちが残していった羽根、蜘蛛の精霊が気まぐれに作った糸くず、別の花の精霊が脱ぎ捨てた衣装の一部、そして人間たちが忘れていった珍しい品物も多かった。
宝物に囲まれて眠る瞬間はとても幸せで、変な笑いが出てしまうほどだ。
そんな私を花の仲間たちは変わり者だと言う。
でも、全く気にならなかった。
他人に変な目で見られるよりも、至福の時がなくなってしまう方が辛いからだ。
生命の宿る蛹というものを置いたことはないが、なんとか住まいに持ち込めるはずだ。
無事に羽化するまでの間だから、恐らく数年間の楽しみだ。
それでも、我々のような精霊にとっての数年は十分すぎるほどの長さだ。
持ち帰る価値は大いにある。
あとは、羽化したらどうするのか。
それは羽化してから考えよう。
「ま、とにかく持って帰る。今日のお茶会はお休みするから、悪いけれど伝言よろしく」
「えっ? あっ、はい!」
返事を待つのも惜しいくらいだ。
駆け足ぎみに私は帰った。
お茶会を欠席するのは心苦しいが、どうせそちらは暇を持て余した精霊たちの退屈しのぎの集まりでしかない。
欠席者も多いし、行っても行かなくても生活には支障がない。
森の噂話を聞くのはたしかに楽しいが、こんなに魅力的な蛹を無視してまで聞きに行くほどの価値はない。
それよりも、珍しいものを手に入れてしまった。
るんるん気分で家に帰り、さっそく蛹の置き場所を考えてみた。
私の家は大木の根と雑草や岩にはさまれて出来た空間だ。
独り立ちしてすぐに見つけた場所で、花の仲間や、信用している蜜蜂の精霊が遊びに来る。
広すぎるということはないが、狭すぎるわけでもない。
心配してはいたが、思っていた通り、蛹を置いても、生活するスペースは確保できた。
これなら大丈夫。
お客さんが来ても邪魔にはならない。
落ち着いたところで再び、不思議な蛹を観察する。
「はあ、なんて綺麗なんだろう」
綺麗という感覚はひとそれぞれのものらしい。
たしかに、同じ花であっても私の宝物にうっとりしてくれる人はあまりいない。
私の蜜を吸いに来てくれる蜜蜂もそうだ。
あまり感心してくれない。
どんなに相性がよくても、何から何まで重なり合うことなんてないのだろう。
でも、いいんだ。
邪魔をされなければそれでいい。
私が私らしくのびのびと生きることができる空間が守られている。
それだけで十分だった。
新しい宝物の追加に嬉しくなって寝ころんだ。
綺麗なものに囲まれるのはなんて楽しいのだろう。
人間の落とし物なんかは使い方の分からないものも多かったけれど、構わない。
そこにあるだけで、私にとっては十分なほど価値があるのだから。
この感覚、本当に仲間たちにはないものなのだろうか。
いや、世界は広いのだ。
きっと何処かにいるだろう。
性別、種族、年齢は関係ない。
大好きなものに囲まれるということに幸せを感じる人たちも、きっとどこかにいるはずだ。
「ねえ、胡蝶さん?」
頑丈な殻で覆われた木の実のように固い蛹を撫でながら、その中でゆっくりと体を作っている最中であるはずの胡蝶を思い描いてみた。
胡蝶も綺麗な存在には違いない。
だが、私の宝物にするには尊厳というものが邪魔をする。
凶暴な胡蝶と力の弱い花は共存できないものだと蜜蜂が教えてくれたから、羽化してしまったら逃がすしかないだろう。
残念だが、それは仕方のないことだ。
「あなたはどんな姿をしているのかしらね」
語り掛けながら、ふと思い出したのは姫蜂の姿だ。
そう、もう一つの未来の可能性も無視できない。
蛹を破って出てくるものが、胡蝶ではなく姫蜂であるという可能性だ。
それはそれで、やはり逃がすしかないだろう。
姫蜂というものがどういう存在なのかは知らないが、そこは蜜蜂に聞けば何か分かるだろうか。
いろいろと想像しながら、うとうととした眠気を感じた。
新しい宝物を手に入れた興奮のせいだろうか。
ほどよい疲れと眠気とともに、私はどっぷりと沈むように夢の中へと引きずり込まれていたのだった。