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水素爆発  作者: 藤原博一
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 翌日は日曜日だったけれど河原は倉敷エナジー本社で仕事をしていた。銀行に提出する復旧計画書を作成しているのだ。破裂したタンクは取り壊し、再度同じ設計のタンクを建設する予定で、銀行を納得させるために現実的かつ早急な復旧計画に仕上げる必要がある。

 書類作りに行き詰まった河原はパソコンの画面に向けていた視線を外し大きく伸びをする。窓の外に見える工業地帯の灰色の光景は今日もいつものように動き続けている。

「社長、失礼します」

 こちらが返事をする前に研究技術開発部長の谷内が入室してくる。

「破裂したタンク周辺の放射線量を測定しました」

 そう言って手に持っていたデータシートを河原に差し出した。

「三時間で検出した放射線量は約70ナノグレイで、これは自然放射線量よりも少し高めですがほとんど変わらないと思っていいと思います」

 そうか、と言ったきり河原はデータシートを見つめたまま黙り込んでしまった。予想に反して放射線量は低い。昨日藤森と話したストーリーは没になった。

「谷内、ありがとう。それでは引き続きタンクの破裂原因を追求してくれ」

「そのことなんですが、警察の方から水素貯蔵タンクを含めた発電機構の図面をくれないかと言われているんですがよろしいでしょうか」

 放射線量の結果がショックすぎて、河原は正直、警察が図面を求めてくる理由なんてどうでもよくなっていた。

「まあいいんじゃないか」

 河原の予想通り今回の水素タンク爆発の原因解明の件は警察と倉敷エナジーの社員とが共同で行なう段階に入っていた。

「そういえば警察は捜査のことで何か言ってなかったか?瀬戸内電力のこととか」

 期待して聞いた河原だったが「いえ、特には」という谷内の返事に肩を落とした。

「あとこのデータシートの元データを俺にメールで送ってくれないか。よろしく頼む」

 わかりました、と言って谷内は社長室をあとにした。

 放射線の件は後に回して、河原は今日の午後に本社にやってくる客への対応の準備を進めることにした。




 その日の午後三時、倉敷エナジー本社の応接室に通された吉備銀行の岡松は以前もらった倉敷エナジーの財務表を確認していた。

「お待たせしました、岡松さん」

 遅れて応接室に入ってきた河原は手にいくつか資料を抱えている。その後ろには経理部長の長谷川もいる。

「いえいえ、日曜日なのに申し訳ありません。」

 岡松は立ち上がって答えた。昔は相当のワルだったであろう岡松が鋭い目つきで一礼する。

「早速ですが、あの事件以降の進捗状況はどのような感じでしょうか」

 岡松は銀行員らしく、前置きなく本題に入る。

「現在こちらでは警察と協力しましてタンク破裂の原因究明を行なっています。そちらで原因が解明されましたら、タンクの設計や発電システムにフィードバックをかけて復旧作業に入ります。少なくとも一年後には完全復旧を目指します。具体的な計画についてはこちらの書類にまとめています」

 河原が今朝から急いで作った書類を岡松に差し出す。その書類を見ながら岡松がいつくか質問しそれに河原が答える。

「だいたいのことは分かりました。三年前のタンク建設の状況から考えると妥当な計画だと思います」

 河原はほっとしたように岡松の言葉を受け止めた。

「そういうことで岡松さん、この予定で作業を進めますと五億円の赤字です。その五億円を融資していただけませんか」

「それはすぐには返答しかねます」

 表情をぴくりとも変えずに岡松は答える。

「まだ原因が明らかになっていな事故のために五億円もの融資を実行するのは難しい。まずは事故原因の解明をなさってください。それが予想し得なかった事故だったならば、再生の可能性があるでしょう。しかし、これが人的な過失によるものであれば倉敷エナジーさんの信用に関わります」

「岡松さん、今回の事故はうちの社員が起こしたことだとお考えなんですか。」

「どの企業にだって上の者をよく思わない平社員がいるものです。いや、平社員だけじゃない。仲間だと思っていて心の中では何を思っているかわかりませんよ。特におたくのようなベンチャー企業では仕事が激務になりがちだ。会社に不満を持って「こと」を起こす人間がいたって不思議じゃありません」

 一触即発の空気に長谷川が割って入る。

「お二人と落ち着いてくださいよ。岡松さん、ご存知の通りうちは水素発電システムの管理を徹底してます。だれかが何かやらかすようなことがあればそこにいるだれかが止められるようになってますから」

「その止めるべきだれかがグルになっていなければ、ですがね」

 なおも岡松は譲らない。

「とにかく、事故原因を早急に解明してください。その原因によっては融資はできません」

「それはつまり、原因によってはうちに潰れろということですか」

 にわかには信じられない河原はたまらず聞いた。

「あくまで原因によっては、です。私どもも疑うのが仕事ですから。なにか正当な理由であればもちろんご融資させていただきますよ」

 なにが疑うのが仕事だ、という感情を全力で態度で表現した河原に対して岡松は一仕事終えた達成感を感じているように見える。

「それでは原因の究明を急いでください。うちとしても倉敷エナジーさんに潰れてもらっては困りますから」

 失礼しますと言って一礼した岡松は応接室を後にした。

 それを見送った河原は大きくため息をつく。

「原因究明にも金がかかるんだけどな」

 河原は独り言をつぶやく。

「しょうがねえよ。まあとりあえず資金は半年もつから、その間に原因を究明するか他の銀行を当たるしかないな」

「とにかく原因究明だ。それなしでは他の銀行も相手をしてくれない」

 自分が置かれている状況が崖っぷちであることを痛感した河原は応接室のソファに深くもたれかかりしばらく動くことができなかった。




「酒本さん、山田の出張費の内申書出してくれた?」

 後ろから山田の上司が声をかけてきた。

「今朝出しました。確認お願いします。もし不備がありましたら作成し直しますので知らせていただけますか」

 そう酒本が答えると「ありがとう」と言ってその上司は去っていった。せっかく集中して昨日の会議の議事録を作っていたのに、集中力が切れてしまった。

 よし、昼食にしよう。そう思ってボイスレコーダーを一時停止し、席を立った。男ばかりのJAE合金に勤める酒本は隣の部署で事務員をしている尚原美樹を昼食に誘った。同期入社の二人はほぼ毎日一緒に昼食を食べ、食べ終わってからも一時間ほど女子トークを続ける間柄だ。

「美樹ー、ごはん行こうよ」

 酒本の存在に気付いた尚原は待ってましたと言わんばかりに財布とスマホを持ってすぐに立ち上がった。尚原は私立の岡山科学技術大学を出た「リケジョ」だが、大学の勉強に嫌気がさしたため学部を卒業した後にJAE合金に就職して事務職に就いたのだ。

 社員食堂でオムライスにがっつく尚原に対して酒本はラーメンをすする。

「今日は日曜なのに仕事なんて最悪だよねー」

「弥生さぁー、早くイケメン社長紹介してよ」

 人の話を聞かない尚原は意味ありげな笑みを浮かべて別の話題を振る。

「やだよー。彼忙しいから弥生に構ってる暇ないもん」

 そう言い訳した酒本に尚原は「またそれー?」と諦めたように眉をひそめる。

「ところで美樹の部署って最近どんなことしてんの?」

 話題を逸らすようにして探りを入れた。尚原の部署は営業部だ。

「さぁ、よくわかんない」

 この女、使えない。「そっか」と諦めて話題を切り替えようとした時、尚原が「そういえば」と続けた。

「最近瀬戸内電力に出張に行く人多いんだよね。うちも岡山じゃ大手だと思うんだけど瀬戸内電力と取引するって聞くとちょっと身構えるよね。どう考えても瀬戸内電力の方が格上だし」

 ビンゴだ。今ならなんでも答えてくれるんじゃないか。

「あー、なんとかマックスってやつを瀬戸内電力に売ってるんでしょー。すごいよねぇ。あんなの何に使うんだろーねー」

 酒本は自然に聞いた。

「なんかね、これは他言しちゃいけないことになってんだけど」

 尚原は声をひそめた。

「三日ぐらい前に刑事さんがうちの部署に来て、瀬戸内電力に納品したパラマックスの数量がわかる書類を見せてくれって言ってきたのよ」

 尚原は近所の噂話をするおばさんのように口で手を隠す。

「で、同じ部署の同僚に聞いたら、どうも瀬戸内電力も水素発電事業を始めるらしいのよ。その事業にパラマックスを使うんだってー」

 刑事が来たという噂はうちの部署にも流れてきているから知っている。警察はなぜパラマックスについて調べているのか。そういえば倉敷エナジーに納品するはずのパラマックスは来月中に瀬戸内電力に納品することになっている。それの関係するのかな。

「でもやっぱり最大手の企業はすごいよねー。八年前事故ってんのにまた水素事業に手ー出すんだもん」

 八年前の事故。彼の言った通りだった。学生時代に瀬戸内電力への就職も考えていた尚原なら知っていてもおかしくないと思っていた。

「あーあれねー。あの事故は話題になったもんねー」

「そうそう。あの時は火力発電の高効率化の研究開発で事故ったってわざわざ隠蔽してまで水素事業隠してたからねー」

「そうだよねー。瀬戸内電力もやり手だよねー」

 そう知ったかぶった酒本は胸に湧き上がる興奮を抑えて、もう少し情報を引き出す。

「そういえば最近も倉敷エナジーで同じような事故があったもんね」

 酒本が言うと、「えっ」と驚いた表情を見せた後すぐにくすっと笑った。

「倉敷エナジーのやつとは違うよー。あそこは水素爆発でしょー。瀬戸内電力のやつは核融合炉が爆発して偉い人が亡くなったんだよ?倉敷エナジーのはかわいいもんだよー」

 わからない言葉が出てきた。核融合?うーん、ただそれがヤバそうなのはわかる。よし、彼に相談しよう。

「あーそうだったんだね。勘違いしてたー。あ、もう一時間もご飯食べてる。もうそろそろ仕事戻ろっか」

 そうして酒本と尚原は食器を返してそれぞれの職場に戻った。




 河原は頭を悩ませていた。そんなことが可能だろうか。しかし藤森が言うなら間違いないのかもしれない。

 藤森にメールで放射線量の測定データを送ってから三十分後に返信が返ってきた。そこに書かれていた文章は以下のようなものだ。


 河原 様

 放射線量のデータありがとう。

 放射線量が自然放射線量程度なのは想定内だ。核分裂を利用した核爆弾なら放射性廃棄物が爆発とともにばらまかれるから放射線量は基準値を大きく上回る。しかし核爆弾は核分裂を使ったものだけではない。三重水素原子の原子核と通常の水素原子の原子核が融合しヘリウム原子になる時にエネルギーが放出される。これは水素爆弾に利用されるものだ。通常水素爆弾は起爆剤に通常の原子爆弾が使われるが、放射線量がほとんど増加していないことから起爆剤に原子爆弾が使われたとは考えにくい。

 今回はおそらくレーザーを使って核融合を起こしている。関西の旧帝国大学が古くから研究を続けていたが、今から八年前にネイチャーに掲載された論文でレーザーを使って核融合が可能であることを発表した。核融合では核分裂と同様なエネルギーが放出されるため、爆発直後は放射線が発生する。その放射線を受けて放射化したタンクの一部から放射線が出ているから、現在でも自然放射線量よりも若干放射線量が高いのも説明がつく。しかし、核融合では放射性廃棄物は出ない。できるのはヘリウム原子だけだ。

 現場の状況からも水素爆弾の可能性がかなり高いんじゃないかと思うが、証拠が残っていないとなんとも言えない。現場に爆弾の破片か何かが落ちていなかったかどうか警察にそれとなく聞いてみるのがいいかもしれない。

 それでは検討を祈る。

 藤森



 河原は何度このメールを読み返しただろうか。正直、半信半疑だ。非現実的すぎる。

 とりあえず谷内に相談しようかと考えていた時、河原のスマホが鳴った。相手は酒本だ。

「もしもし、どうした」

「航平くん、ちょっと話したいことがあるんだけど、今晩空いてる?」

「告白とかやめてくれよ」

 河原が茶化すと「もう」と言って不機嫌に答える。

「そういうんじゃないよ。瀬戸内電力の件でおもしろい話を聞いたの。きっと航平くんの役に立つと思う」

 河原が茶化したにもかかわらず真剣に話す酒本からは何か緊迫したものを感じる。どうも本当に大事な話みたいだ。瀬戸内電力という言葉も聞き捨てならない。

「わかった。八時にフーフー館に集合だ」




 谷内との打ち合わせが長引いてしまったため、フーフー館に着いたのは八時半ごろだった。

「悪い、待たせたな」

 フーフー館のドアを開けて、カウンターに腰掛けていた小柄な女性に声をかけた。

「遅いよ、航平くん」

 河原は酒本の隣にいる男にも気づいた。

「航平遅いよ」

「亮くんも来てたのか。昨日も二人で飲んでたよな」

 昨日藤森と片山の間で気まずい感じになってしまったが、今日の片山は打って変わっていつものヘラヘラした雰囲気に戻っている。

「航平も来たし、座敷に移ろうか」

 そう言って片山と酒本は酒の入ったグラスを持って席を立ち座敷の方へ歩き出した。河原も「ハイボール一つ」と注文しつつ彼らのあとをついていく。

「で、話って何だよ」

 腕時計を外しながら河原が聞いた。

「それがね、瀬戸内電力のことなんだけど、あそこ八年前に事故を起こして人が一人亡くなってるの」

「それなら知ってるよ。火力発電の高効率化実験でボヤ騒ぎがあったんだろ。」

 まさかそんなことで呼び出したのか、という顔を酒本に向ける。

 ここからが大事なところなんだけど、と酒本は続ける。

「あの事故、実は水素発電事業を始めるための実験で起こったらしいのよ」

「瀬戸内電力はそれを火力発電関連の事故だということにしたわけか」

 興味深そうに河原は答え、腕組みして考え込んだ。

「しかも、その事故はこの前の航平くんのところで起きたやつとは違って、核融合炉ってのが爆発したらしいのよ」

 河原は目を見開いた。ここでも核融合か。

「その情報の信憑性は高いのか」

 この河原の問いかけに酒本は困ったように首をかしげる。

「本当に本当かって言われたらあんまり自信ないけど、」

「たぶんそれは事実だよ」

 横にいる片山がたばこを灰皿に押さえつけながら言った。

「どういうことだ」

「実は昨日弥生ちゃんには話したんだけど、先週の水曜日におれは瀬戸内電力に行ったんだ。運搬する荷物の中に瀬戸内電力宛の段ボールがあったからさ。荷物の検収を終えてそれを宛名にかかれた部署まで運んだ後のことだ。おれは一服しようと思って瀬戸内電力内の喫煙室に入った。そこには先客が二人いた。初めはおれもあまりその二人のことを気にしていなかったが、二人の会話の中に「倉敷エナジーの件」という言葉が出てきたから、俺はその二人の声に耳を傾けた」

 そこまで話した片山はぐっと顔を前に出して小声で続ける。

「そしたら、その二人が、やっぱり八年前の瀬戸内電力の噂は本当なのかもしれない、瀬戸内電力の事件と今回の倉敷エナジーの件は関係している、って言ってたんだ。さらにその後に小声で、署に戻って上森刑事部長に相談しようって、確かにそう言った。こんなセリフ言う人って」

「警察しかいない。何かの捜査で瀬戸内電力内にいた刑事の話を亮くんが聞いていたわけだな。そんなことあるんだ」

 片山の代わりに河原が感心して答える。

「でもその話が、瀬戸内電力が核融合実験をしていたこととどう繋がるんだよ」

 釈然としない河原は片山に先を促す。

「おれもそれを聞いたときは何のことだか分からなかったよ。瀬戸内電力の噂ってなんだよって。それで昨日、最近瀬戸内電力と取引してるJAE合金の弥生ちゃんに相談したんだ。社内で情報を探ってくれるように」

 片山と酒本がアイコンタクトを取る。

「さっきの弥生ちゃんの話だとその噂は核融合実験の実施だと思う。警察は八年前の件を火力発電高効率化実験での事故だということで処理したけど、実は何かを隠していることに気づいていたんだよ。でももみ消された。」

「誰にもみ消されたんだよ」

 たまらず河原が尋ねる。

「そういうのはだいたい警察のお偉いさんと瀬戸内電力のお偉いさんが癒着してるんだよ。小説なんか全部そうじゃん」

 自信満々に答える片山はもはや名探偵気取りだ。

「ごめんな。俺の問題に二人を巻き込んで」

 頭を下げる河原に「構わん構わん」と言ったのは片山だ。

「航平は俺たちの連れの希望の星なんだからさ。俺たちに出できることがあったらなんでも言ってくれよ」

「そうだよ。私たちは航平くんのお供をする猿とキジだからさ」

「なんだよそれ。俺は桃太郎か」

 河原がすかさずツッコむ。

「俺猿かよ。犬のほうがいいよ」

「亮くんはどう見たって猿だよ」

 酒本が片山をからかう。

「ま、いっか。じゃあ犬は藤森だな」

 答えた片山の顔を気まずそうに河原が見つめる。今日会ってからずっと触れずにいた話題だ。

「藤森も航平のこと助けてくれてるんだろ?これでお供が揃ったんだし、みんなで鬼退治しようぜ」

 漫画のようなセリフを口にした片山は照れ臭そうにはにかむ。それを見てホッとした河原は立ち上がった。

「よし、うちの会社をこんな目に遭わせた瀬戸内電力の悪事を暴いて成敗してやる。」



 佐久間は刑事部長の上森のデスクの前へ来ていた。倉敷エナジーの水素タンクが爆発した件について捜査の進捗状況を報告したいということを伝えたところ「ちょうどいい、こちらからも伝えたいことがある」と言われている。

「お前らまだ倉敷エナジーの件調べてんのか。あれは倉敷エナジーの管理の甘さが招いた事故だろう。科捜研の連中も駆り出して捜査しているそうじゃないか。解決を急がないといけない事件も多いんだぞ。事故にいつまで時間をかけるつもりだ」

「我々は事故ではないと思っています」

 佐久間はひるまず上森に言い返した。

「あれは事件です。瀬戸内電力が絡んでおり、捜査結果によっては巨悪を追い詰めることができます」

「その件なんだがな、佐久間」

 言いにくそうに、しかししっかりした口調で上森は続ける。

「この捜査の打ち切りが決まった。上の決定だ。従え」

「ちょっと待ってください。そんな急に。我々のこれまでの努力はどうなるんですか」

「努力が実らない事なんて組織の中ではよくあることだ。ここは耐えてくれ。この件は事故で処理しておくから。それで今後は女子高生誘拐事件の捜査に加わって欲しいんだが、ここに捜査資料があるから・・・」

 佐久間は怒りを抑えるのに必死で、上森が話していることが全然耳に入っていなかった。これで何度目だ。事件がでかければでかいほど小さく収めようとする。人の目を気にして時には黒を白にしてしまう。そのくせ小さな個人相手では冤罪を作ってでも業績を稼ぐ。こんな組織でやっていくのはもううんざりだ。

 なんとかこの真相を明らかにできないか。そう考えた時ある考えが思いついた。




 上森の元を離れた佐久間は後輩の浜田を呼びつけた。

「佐久間さん、部長になんて言われたんですか」

「倉敷エナジーの件から手を引けと言われた。この件は事故として処理されるそうだ」

 目を見開き驚く浜田に佐久間はなおも続ける。

「そこでだ。俺たちが調べ上げた情報を倉敷エナジーに提供しようと思う。この事件の真相を一番知りたがっているのは倉敷エナジーの連中だろう」

「しかしそんなことがバレたら刑事をクビになりますよ」

「全ての責任は俺が持つ。浜田に迷惑はかけない。こんな組織はもううんざりだ」

 佐久間の目はいつになく真剣だ。それを見た浜田はコクリと頷き佐久間とともに歩き出した。




「河原社長、佐久間という刑事が会いたいと言ってきていますが、どういたしましょうか」

 秘書が訪ねてきた。

「ああ、あの刑事か。俺は問題ない。すぐにアポを取ってくれ」

 またあの取調室で取り調べされるのか。それは面倒だが、俺も警察に聞きたいことがあるから我慢するしかない。そう考えていた時、秘書が受話器の口を抑えて再び声をかけてきた。

「社長、今日の午後七時から「よろこんで」という居酒屋で話したいということなんですが、どうしましょうか」

 居酒屋で刑事と会うのか。そこにどういう思惑があるのか思考を巡らせたがすぐには結論が出そうにない。

「構わないと伝えてくれ」

 再び受話器と会話を始めた秘書を見ながら河原は相手の意図を再び予想した。非公式な場で刑事と会って話すこととは何か。こちらとしては聞きたいことが聞けてありがたいが、相手にメリットはあるだろうか。うーん、わからない。こういう時はあいつに頼るしかない。

 その相手は二コール目ですぐに電話に出た。

「おお藤森、今大丈夫か」

「どうした。前送ったメールについて何か質問でもあるのか」


「まああの件との関連だ。前取り調べを担当していた刑事と今日の七時から会うことになった。しかも居酒屋でだ。どう思う?」

「お前の人脈にはいつも驚かされるよ。刑事とも友達になったのか」

「そんなんじゃないよ。そんなんじゃない相手が居酒屋で会うことを提案してくる意図が読めない」

「そこに俺もついていくことってできるか」

「おお、話が早い。それじゃあ六時半に倉敷駅で待ち合わせよう。店に案内するついでに打ち合わせもしたい」

「了解だ」

 藤森の気前の良さに感心しつつ、意外と大学院生って暇なんだなと思いながら藤森との通話を終えた。




 河原と藤森が居酒屋「よろこんで」に着いたのは待ち合わせの十分前だったが、店の前にはすでに佐久間と浜田の姿があった。

「お忙しいところ申し訳ない。立ち話もなんだからとりあえず中に入りましょう」

 浜田に促されるままに河原と藤森は店の中に入った。浜田が予約していたらしく、通された隅の四人掛けの席にはすでにおしぼりと箸が用意されていた。

 飲み物を注文した後、佐久間が藤森を見て「こちらは?」と聞いてきたので、河原は藤森を紹介した。

「肩書きは大学院生ですが、いつも相談に乗ってもらっているのでうちの社員のようなものです」

 そうですか、と答えた佐久間の表情は少し曇っている。

「まあいい。それで今日は話したいことが・・・」

と佐久間がしゃべりだしたところで先ほど注文したビールが来て佐久間は話すのをやめた。定員が離れてから再び佐久間が口を開く。

「今日は話ししたいことが会ってご足労を願った。我々は今まで倉敷エナジーさんの水素タンク破裂事故について調査を続けてきたんだが、昨日この捜査の打ち切りが決まった」

「そうですか。どのように決着するんでしょうか」

 平静を装った河原は入試の合格発表の時のような気持ちで佐久間の返答を待つ。

「今回の件は倉敷エナジーさんの装置管理の甘さが原因で起きた事故だということで処理される。また後日正式に通達が来ると思うが特に罰が課せられるというものではないから安心していい」

 だが、と佐久間は体を乗り出す。

「今回の件は事故じゃない、事件だ。瀬戸内電力がおたくのタンクを爆破させた可能性が高い」

「なぜ瀬戸内電力が出てくるんですか」

 瀬戸内電力が絡んでいることは知っていた河原だが、何も知らないふりをして佐久間に先を促した。

「瀬戸内電力は八年前に事故を起こしている。火力発電高効率化実験で爆発事故が起きた。瀬戸内電力の幹部が一人死に、当時の上井社長はその責任を取って一線を退いた。実はその事故では、ある事実が隠蔽されている」

「火力発電の実験じゃなくて、核融合実験だったってことですね」

 藤森が横から口を挟む。一瞬驚く仕草をした佐久間だったが、すぐに藤森の言葉に頷いて先を続ける。

「君の言う通り、あの時の事故は核融合実験での事故だ。おそらく瀬戸内電力は核融合実験で事故を起こして人が亡くなったとすることで、メディアから叩かれることを恐れたんだ。ちょうどその事故が起きた時、日本中は東日本大震災の影響で原発への反対運動が過熱していた時期だ。瀬戸内電力の事故報道が過熱することがなかったのは、この事故が火力発電実験の事故として処理されたからに他ならない」

 ちょっと聞きたいんですが、と口を挟んだのは河原だ。

「あなたたちはそれを知っていて隠蔽に加担したと、そういうことですね?」

「君の言う通りだ。我々警察は瀬戸内電力の事故の隠蔽に加担した」

「警察が隠蔽に加担するメリットは何ですか。リスクしかないように思いますが」

 なぜか目の前の刑事が内部情報をベラベラしゃべっているのでこのチャンスを逃すまいと河原がたたみかける。

「それは我々にはわからない。これから明らかにしていく予定だ」

「そうですか。ところでなぜあなた方は私たちにこの情報を?上にバレるとまずいんじゃないですか」

「私がここまで情報を掴んだにもかかわらず捜査は強制的に打ち切られた。真相を解明するまで捜査を続ける。それが刑事の仕事のはずなのに現実は全然違っていた。でかい組織相手ほど黒を白にする、そういう組織だったんだ」

 佐久間の顔は真剣そのものだ。

「倉敷エナジーさんも管理が甘かったことにされるのは嫌だろう。私たちが持っている捜査資料を君たちに託す。君たちに捜査を続けて欲しいんだ」

「そんなのおたくがやってくださいよ。うちだって忙しい」

「私たちはもう捜査を続けられない。君たちに捜査で明らかになったことを公表して欲しいんだ」

「俺たちがそんなことしたら、おたくが世間から叩かれることになりますよ。それでいいんですか」

「構わない。それで上層部も懲りるだろう。我々警察は政府や企業と癒着してはならない。それを思い知らせてやるんだ」

「それだけの意思があるのなら何故あなたがやらないんです?」

 黙って佐久間と河原のやりとりを見ていた藤森が議論に加わる。

「それを自分でやらずに倉敷エナジーに押し付けるのはおかしいんじゃないですか?自分は手を汚さず組織体制を改善しようとしているようにしか思えません。そのために私たちを利用するわけですか」

 厳しさを増す藤森の追求に「それは違います」と浜田が答える。

「佐久間さんは本当に真実のみを追求するまっすぐな刑事です。佐久間さんは捜査の打ち切りを知った時、辞表を出すとおっしゃっていました。この組織に失望したと言って。それを私が止めたんです。佐久間さんはこの組織に残って出世すべき人です。この方が出世して組織を正してくれると、私は本気で信じています。だから耐えて欲しいと私がお願いしました」

 浜田が一息に話し、五秒ほどの沈黙が居酒屋の一角を支配する。考え込んでいる川原の隣で口を開いたのは藤森だ。

「あなたたちからいただける情報の使い道は私たちに任せてもらえるのか」

「もちろんだ。どのように使ってもいいが、最終的にはメディアに公表することを約束して欲しい」

 「どうする」という目を向けてきた藤森に河原はうなずく。

「わかりました。我々としてもこの事件を事故として処理されるのは困ります。我々が独自に捜査を進めましょう。しかし我々は警察内部のことを調べることはできません。八年前の事件を警察が隠蔽した理由はそちらで調べてもらえますか」

 わかった、と佐久間はうなずく。そこで初めて佐久間は微笑み右手を河原に差し出す。河原も右手を差し出して佐久間と強く握手する。そしてぬるくなったビールで力強く乾杯した。




 佐久間らと別れた河原と藤森は倉敷駅までの道で今後の作戦を練る。

「刑事がどれほどの情報を提供してくるかわからないんだけど、それで真相が明らかになったとしてそれをどう使おうか。それを週刊誌かどこかに売ったところで俺たちの信用を回復できるだろうか」

 方針が立っていない河原は藤森に意見を求めた。

「もちろん情報は最終的には公表して瀬戸内電力と警察を追い込む。でもその前に瀬戸内電力と取引しよう。相手がどう出るか見てみたい」

 この時の藤森の怒りとも笑みとも取れない表情に河原はわずかに違和感を感じた。




 刑事からメールで送られてきた捜査資料は非常に興味深かった。破裂したタンクの周辺にパラマックスが落ちていたらしい。しかしJAE合金が瀬戸内電力に出荷した粉末のパラマックスの数量と瀬戸内電力が保管しているパラマックスの数量を比較するとその数量は一致していたようだ。だがJAE合金がパラマックスを製品化したのはごく最近のことで、いまだ出荷先は瀬戸内電力だけだという。

「谷内、これらの数量が一致しているってことは現場に落ちていたパラマックスは瀬戸内電力のものではないということだと思うか」

 聞かれた谷内は「どうでしょう」といってはっきりしない。

「それにしても警察は粉末のパラマックスをよく見つけましたね。この前の打ち合わせでお話しした内容が正しいならばパラマックスは粉々に飛び散っていると思うんですが」

 藤森からの長文のメールが来た後に河原はそのメールの内容について谷内と議論したのだ。

「確かにそうだな。飛散したパラマックスを見つけられるぐらい大量のパラマクスを使ったと考えるとJAE合金の出荷量と瀬戸内電力の在庫量がよく一致しているというのは、やはり瀬戸内電力は白だということか」

 そうですねぇ、と谷内。

「あともう一つわからないことがあるんだけど、タンクが破裂した日の朝には不審なものはなかったとうちの社員が証言している。さらにそこからタンクが破裂するまでに不審な人物は現れなかったということが防犯カメラの映像から確認されている。仮に瀬戸内電力の人間が侵入して爆弾を仕掛けたとしたら誰かが目撃するだろうし防犯カメラにも映ると思うんだが」

「そうですね。するとやはり何かしらのシステムエラーがあったという可能性をもう一度検討する必要があるかもしれません」

 言って谷内は肩を落とす。

「だがタンクは右半分が損傷している。水素爆発が内部で起きた場合にあんな損傷の仕方をするだろうか」

 当然の疑問を河原は口にした。

「そういったことから再検討が必要かもしれません。そうでないことを祈るしかありませんが」

「お前は現場監督として心当たりはないのか」

 河原はなんとなく聞いてみた。谷内は「特に変わったことは」と言って首をかしげるだけだ。

「そうか。とりあえずもう一回我々のシステムについても点検してみてくれ。俺はタンク周辺をもう少し調べてみる」

 わかりました、と言って谷内は社長室を後にする。その後ろ姿を河原は目を細めて見送った。




 それからタンク周辺や発電システムの見直しを一ヶ月間続けたが、これといって進展はなかった。年末年始も何人かの社員に手伝ってもらったがタンクの周りは黒く焦げた金属片が散らばっているだけだった。事件の鍵を握っているような証拠が落ちていたとしたら一ヶ月前に警察が持って行ってしまっているだろう。

 二人の刑事と約束したのはいいが、あまりに進展がなく河原は焦っていた。

「おじゃましまーす」

 最近長谷川はノックせずに社長室に入ってくるようになった。

「上森さんに瀬戸内電力について聞いてみたよ」

 吉備銀行は瀬戸内電力のサブバンクなのでその伝手から何か情報が得られないかと思い長谷川に探りを入れるよう指示をしていた。

「どうだった?」

「しょーじき、あんまり大した話は聞けなかったよ。二酸化炭素排出量制限のせいで企業や研究機関が節電したせいで売り上げは下がり続けてるって。だけど火力発電の発電効率が徐々に上がってきていて支出が減ってる分、経営はかなり安定してきてるんだって。一番の収穫としては、最近東大の物質科学研究所と共同研究して新エネルギー事業にも乗り出すらしいってことかな。今回の件と関係あるかわからないけどね」

 上森から聞いたことをまとめたメモを河原に渡す。

「この物質科学研究所と共同研究してるってのは何の研究をしてるんだ」

「太陽光パネルらしい」

 長谷川は即答した。

「俺も疑問に思って上森さんに聞いたらそう教えてくれたよ。すでにいくつか特許も取得してるらしいよ」

 そういうことならおそらく事実なのだろう。念のため藤森にも探ってもらおうか。物質科学はあいつの専門だ。

「よし、大体わかった。この資料は後でじっくり読ませてもらうよ。お疲れさん」

「早くちゃんとした原因を明らかにしてくれよ。うちの管理不足が原因だなんて言ってちゃ資金繰りなんてできねんだから」

 よろしく頼むよ、と言って長谷川は社長室を出て行く。

 東大物質研か。瀬戸内電力のことだ、何を隠しているかわからない。そんなことを考えながら河原は藤森にメールを打った。






 河原からのメールを見ながら藤森は腕組みをして考え込んでいる。明日には学会発表の概要原稿を提出しなければならないのに、河原からのメールで手につかなくなっていた。考えている時に研究室の学生の居室のドアが開き横矢高義教授が藤森に声をかける。

「藤森くん、学会のアブスト書けた?」

 東北なまりを残した口調で横矢が尋ねた。アブストとはアブストラクトの略で「概要」という意味である。

「もう少しでできます。今日中には横矢先生にメールでお送りできると思うんで、申し訳ありませんが明日までに添削してもらえますか?」

 申し訳なさそうな感じを全力で表に出して藤森は答える。四十代で教授職に就けば早い方だという業界で、横矢は三十五歳で瀬戸内大学の教授ポストについた切れ者である。研究室が発足して今年で十年だというのに横矢はまだ四十五歳で未だに業界の最年少教授である。そのようなキャリアを持つ横矢は性格が穏やかで学生に説教したことは今までに一度もない。口癖は「すごいね」と「あとはよろしく」で学生にあまり干渉しないことから、横矢研究室は毎年大人気研究室である。

「何か悩んでるんですか」

 察したように聞いてきた横矢に藤森は言葉を選びながら相談する。

「例えば書類を書いていてなかなか論理がまとまらない時ってあると思うのですが、主張の論理を整理するためにはどうすればいいでしょうか」

 聞いた藤森の言葉に、横矢は笑う。

「それはグッドクエスチョンだな」

 こりゃ参った、というふうに横矢はうつむき考える。

「そうだな…。問題を解決するにはその問題の原因を明らかにして対策を打つというのが基本です。原因が容易には明らかにできない時は、何を調べれば原因解明に近づけるかを考えたらいいんじゃないでしょうか。また解決策としてはできるだけシンプルな方法で取り組むのが重要です。難しく考えたやり方というのはうまくいかないものです」

「なるほど…。ありがとうございます。」

 藤森は横矢の言葉を噛み締めながら礼を言った。

「抽象的なアドバイスで申し訳ない。それじゃあとはよろしく」

 そう言って横矢は学生の部屋を出て行った。

 横矢とのやりとりを見ていた尾上が藤森に向かって笑みを向ける。

「シンプルな方法って何ですかねー。天才の言うことはよくわかりませんわ」

 尾上の言葉に「そうだな」と素っ気なく返した藤森は再び腕組みをして考えるのに集中した。

「シンプルに……か。これは思いのほか長期戦になりそうだな」

 つぶやいた藤森は河原からのメールを閉じて学会の発表概要作成を再開した。




「かんぱーい」

 一ヶ月ぶりに河原は片山と酒本とフーフー館に来ていた。捜査は行き詰まっているし、藤森に送ったメールの返信もまだ来ていない。彼も忙しいのかもしれない。最近は新たな顧客獲得に向けて取り組みつつ、タンクの復旧作業を行っていた。

「それでどうよ、事件の方は」

 聞いたのは片山だ。

「正直行き詰まってるよ。もう最悪このまま明らかにしなくてもいいかなって思うようになってきた」

 河原は正直に答えた。いつまでも捜査を続けるより事業を拡大していかないと資金が底をつく。仮に瀬戸内電力の悪行を暴いたところで倉敷エナジーの業績が劇的に向上するわけでもないだろう。

「でも頑張ろうよ!許せない、瀬戸電。他人のタンクぶっ壊しといて「うちは知りませーん」って態度取ってるのがチョーむかつく」

 最初の乾杯でビールを一気飲みした酒本はすでに酔いが回っているのか、全体的に言葉が汚い。

「なんで弥生が一番怒ってんだよ」

「だってあんな大々的に悪いことして罰を受けないなんて許せないもん!殺してやりたい」

 酒本は完全に暴走している。

「弥生ちゃん、今日絶好調だね。俺と二人で飲むときはそんなんじゃないじゃん」

「だって今日はイケメン社長がいるもん!あんたみたいなトラックの運ちゃんとは違うからね」

「もうイケメン社長なんて言ってるの弥生だけだよ」

 照れて口元を緩めた河原は残っていたハイボールを飲み干し、ハイボールを一つ注文した。

「今日は航平も絶好調だな」

 片山がにやにやしながら河原を見ている。

「もう酒でも飲まないとやってられないよ。これも全部瀬戸内電力のせいだ」

「なんとか瀬戸電がやったってことをしょーめーできないのー?」

 もう酒本のろれつが回っていない。

「どうすればできるんだろう。やっぱり証拠がいるんだよな。それが見つからないことにはこちらも行動を起こせない」

「証拠が見つからない理由はなんだと思う?」

 片山が真剣な目つきで問いかけた。

「水素爆弾だからな。爆発の衝撃で爆弾は跡形もなく吹っ飛んでる。だからそれを見つけるのが不可能だ」

「現場に落ちてるもの以外に何か証拠として突きつけられるものはないのか。例えば……爆弾の発信機とか」

「発信機は瀬戸内電力が持っているはずだ。見せてくれと言ったら見せてくれるようなもんじゃないだろ」

 議論が白熱する河原と片山をよそに酒本は焼きそばを食べるのに必死だ。

「じゃあ防犯カメラとかに不審な人物が映ってたりしないのか。事件当日、タンク周辺の防犯カメラにだ」

「映ってない。俺たちも調べたし刑事だって調べたはずだが、防犯カメラに不審な人物は映っていない」

「不審な人物は、だろ?」

 意味ありげな言い方をした片山を河原が睨む。

「それ、どういう意味だよ」

「破裂したタンクに近づいた人物は絶対いる。でないと爆弾を仕掛けられない。倉敷エナジーの社員なら簡単にタンクの側に近づけるだろ」


「うちの社員がやったと、そう言いたいわけか。誰がなんのために」

 怒りを抑えきれず声を荒げて河原は聞いた。

「知らねえよ。だけどこれだけ調べて何も出てこないんじゃお前のとこの社員がやったと考えたほうが筋が通りそうだと思っただけさ」

 今日の片山は冴えている。俺が思いつかないことを指摘してくる。いや、俺は薄々気づいていたのかもしれない。だけど、目を背けてきた。確かに客観的に考えると身内に瀬戸内電力との共謀者がいると考えるのが自然なのかもしれない。

「そうだな、亮くんの言う通りだ。その線でも捜査してみる」

 そうか、と言って片山はタバコをふかした。

「ところでさぁ、そんな核融合なんて本当にできるのー?」

 話に入ってきたのは顔を赤くした酒本だ。

「まあ確かにあんな頑丈なタンクがあんな壊れ方するなんて普通じゃないと思うけど、水素爆弾だなんてもっと普通じゃないわ」

「それもそうだけど、八年前にも瀬戸内電力は核融合実験で炉を爆発させたんだ。やつらはそれをする技術を持っていると思うよ」

「あんな超大手企業がそんなことするかなぁー?瀬戸電が倉敷エナジーにあんなことを仕掛ける理由がないよ」

 もっともだ。瀬戸内電力がやったとしてその目的が未だに読めていない。

「もうこの話はいいじゃないか。今日はパーっと飲もうよ」

 河原は強引に話題を変えた。

「ところでさ、この中で一番最初に結婚するの誰だろうな。ほら、一ヶ月前に亮くんたくさん人集めて飲んだときも結婚した人たちはこなかっただろう。この中でも誰かが結婚したらもう頻繁には飲めないよな」

「俺と弥生ちゃんが結婚したらお前一人ぼっちだな」

 冗談めかして言った片山を酒本が鋭く睨む。

「亮くんと結婚するぐらいなら一生独身でいい!」

 そう言うと片山のおでこを酒本が軽く叩いた。

「航平くんはどうなの?この中で結婚するならだれ?」

「俺男は無理だから、結婚するとしたら弥生かな」

 やったー、とガッツポーズする酒本は残っていたハイボールを一気に飲み干した。

「でも弥生ももうちょっと女の子らしくしないと男が寄ってこないぞ」

 河原が心配して言うと酒本はあからさまに不機嫌になった。

「そんなの言われなくたってわかってるよー。そういうこと言う人嫌いだわー。おばちゃーん、ハイボール一つー」

「まだ飲むのかよ。連れて帰るの俺なんだからさ、もうちょっとセーブしてくれよ。俺明日仕事だし」

 迷惑がる片山に酒本は頬をなでるようなビンタを食らわす。

「うるさい!お酒が私に飲んで欲しいって言ってるんだからしょうがないじゃない」

「弥生ちゃんがこれ言い出すと三十分後ぐらいには寝ちゃうんだよ」

 他人事のように笑っている河原に片山が説明した。

 案の定、三十分後酒本はテーブルに突っ伏して眠ってしまった。

「弥生もこんな感じになっちゃったし、もうお開きにしようか」

 そうだな、と言って片山もたばこを消してコートを羽織る。

 タクシーが来ると酒本を抱えて後部座席に乗せ、同じ方向に帰る片山がその隣に腰掛ける。

「それじゃあまた。お疲れ様」

 そう言って見送った河原に車内から片山だけが手を振る。河原は帰り道の自動販売機で缶コーヒーを買ってから帰宅した。



 タクシーが酒本の家の前に止まると、いつも通り片山は酒本を起こした。

「もう着いちゃったんだ」

 いつものセリフだ。ドアに手をかけて開けようとした時酒本が「お会計は?」と運転手に聞いた。

「弥生ちゃん大丈夫だよ。俺はここから家までタクシーで行くから、俺が降りる時に会計するよ」

「ううん、今日は亮くんもここで降りるんだよ。いつも送ってもらってるから今日は私が亮くんを送ってあげる」

 まだ酔いが覚めてないのか。説得を試みようとしたが、運転手が値段を言うより先に酒本は財布から二千円を取り出して運転手に渡した。運転手も戸惑っている様子だったが、すぐにお釣りを用意し酒本に渡した。観念した片山はうんざりしながらタクシーを降りる。

 走り去ったタクシーを見送ると、「行こっか」と酒本が歩き出す。

「そういえば今年初詣行ってないよね」

 思い出したように酒本が言う。

「俺は行ったよ。それにもう一月半ばだし今から初詣しても遅いよ。寝言言ってないで早く帰ろう」

 酔っ払いを諭す片山に酒本が目を細める。「いーくーよーね?」とドスをきかせて言うと、片山も諦めて最寄りの神社に向かって歩き出した。

「亮くんはまだまだ結婚できなさそうだよね」

 西園神社に向かって歩き出してからしばらくして酒本がまたその話題を振ってきた。

「俺は結婚できないんじゃなくて結婚しないんだよ」

 片山が真剣な顔で言ったが酒本は「強がっちゃって」と茶化すように言った。

「俺はまだ恩返しが終わってないんだよ。ずっとみんなに世話になってきたし、今日もみんなで飲めて楽しかった」

「恩返しって旅行でもプレゼントしてくれるの?」

 まだほろ酔いの酒本に片山はなおも真面目くさった調子で続ける。どうせ酔っているんだし、今何を言っても明日になったら忘れるだろう。

「そんなんじゃないよ。俺はみんなが困った時に力になりたい。今は航平がピンチだからさ、俺なりに助けてやりたいんだ。航平と弥生ちゃんが幸せにならない限り俺だけが先に幸せになるなんてありえない」

 前を向いて話す片山の言葉に酒本はうつむいたまま歩みを進めた。

 しばらく沈黙したまま二人は五分ほど歩くと、神社の本殿に行くための階段まで来ていた。二人が西園神社の階段を上っているときに酒本がおもむろに口を開いた。

「いやー懐かしいねー。初詣は大きい神社に行くことが多かったからなー」

「おれも高校のときに航平と来て以来だな」

 沈黙の時間がなかったかのような錯覚に陥るほど自然と会話が再開された。

 賽銭箱の前に着いた二人は財布を取り出して五円玉を探す。

「十円玉しかないな」

「じゃあ私が五円玉貸してあげる。今度お返しにスタバのコーヒーおごってね」

「おいおい、いつから金融の人間になったんだ」

 そう言うと片山は酒本から五円玉を受け取って、二人同時に賽銭箱の中へ放り投げた。

 手を合わせて目を瞑る。隣で同じように手を合わせて目を瞑っている酒本の言葉に片山は耳を疑った。

「亮くんさ、私、結婚することになったの」


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