陽だまりのゆき
私の家は、小さなお店をやっている。人がやって来るたびに、ドアについた鈴がチリンと鳴るお店。私はそのお店が大好きだ。よくやって来る近所の人たちからは「看板娘」と呼ばれて、頭をなでられた。私はそれがとてもうれしいから、店先に出て、小さなイスに座ってひなたぼっこをする。そうすると私に気づいた人は頭をなでてくれるの。晴れた日の私の習慣。
私の家族は、私と、お兄さんのシュウと、お母さんとお父さん。みんな仲良しで、しょっちゅうそろって出かけていた。私はお留守番か、近所の人に預けられることが多かったけど、シュウが出かけた先のことを話してくれるからそれだけで満足だ。
シュウと私はとても仲がいい。シュウが学校を休みがちだから、私といっしょにいる時間が多いのだ。お母さんの話だと、シュウは体の弱い子らしい。私が外から汚れて帰ると、お母さんは「部屋が汚れる、シュウに悪いでしょう」と言って、すぐに私をお風呂に入れる。私はお風呂がきらいだから、いくらシュウのためでもこれだけはいやだ。
それは、冬の日なのに、あったかい日だった。
その日は朝からみんないそがしそうで、シュウも学校に行かなかった。シュウといっしょに様子を見ていると、お父さんとお母さんは二人だけで出かけてしまった。それはとても珍しいことで、そういえば真夜中もどこかに出かけたみたい。
お母さんもお父さんもどうしたのかな?
私がそうシュウに聞くと、シュウは困ったみたいに笑った。それから、私の頭を優しくなでる。
「二人ともいそがしいんだよ」
そうなんだ。でも、シュウを残していくのは珍しいよね。
「ユキもそのうちわかるよ」
そう言って、私のとなりを離れたシュウ。今日はもう学校には行かないみたい。いつもは遅れてでも行くから、いっしょにいたい私としてはうれしい。後をついて行くと、シュウは自分の部屋で机のイスに座っていつも読んでいる本を読んでいた。そばに近づくと、ほほえんでひざの上に座らせてくれた。
おもしろい?
見上げる私の目を見て、シュウはまた困ったみたいに笑った。
「ユキには難しいと思うよ」
紙の上に並ぶ文字を見つめる。シュウの言うとおり、私にはその内容がほとんどわからなかった。私はこういう本よりは、絵が多い本のほうが好き。シュウが小さいころに読んでたっていう本は、お母さんが大事に持ってる。
すぐにあきた私は鈴の音を聞いて外に出て、ひなたぼっこを始めた。空気は冷たいけれど、お日さまは私をあったかくしてくれる。
「ユキちゃん、ひなたぼっこ?」
近くに住むおばあちゃんが、その言葉とともに私の頭をなでた。
うん。
私がうなずくと、おばあちゃんはやわらかく笑った。私はお留守番のとき、このおばあちゃんにあずけられることが多い。おばあちゃんはいつも私をかわいがってくれて、シュウも自分の子どもみたいに思ってるって言ってた。私は私を大事にしてくれる人が好きだけど、シュウを大切に思ってくれる人はもっと好きだ。
「お店はお休みだね?お父さんもお母さんも大変だよねぇ。ユキちゃんはさみしくないかい?」
シュウがいるから、さみしくないもん。
「シュウくんはだいじょうぶ?」
シュウは今日元気だよ。
おばあちゃんは、心配だねぇ、とまた私の頭をなでた。シュウの体を心配してくれるのはうれしい。でも私がついてるんだから、そんな不安そうにしなくてもいいじゃない。
おばあちゃんは私の首かざりを見た。
「シュウくんの手作り?器用な子だねえ。ユキちゃん大事にしなくちゃね」
それは、少し前にシュウが私にくれた、とてもかわいい首かざり。前にお母さんからもらったのが古くなったから、シュウが作ってくれたのだ。私の宝物。
おばあちゃんはにっこりと笑うと、じゃあね、と言って行ってしまった。なんとなくさみしくなって、私は家の中に入る。チリン、と鈴が鳴った。
「ユキ、おいで。外は寒かっただろ」
シュウがそう言っておくから私を呼んだ。私はその声の元へ、小走りに向かう。
「こたつがあったかいよ」
シュウの言うとおり、よくあたためられたこたつが私を待っていた。中にすべりこむと、全身がほかほかと温まるのがわかる。シュウはそんな私を見てほほえむと、また自分の部屋に行ってしまった。また本を読むのかな。じゃまをしたくないし、シュウの後について行くのはやめる。
そのうちに寝てしまったらしい私を起こしたのは、ドアの鈴の音だった。
「ユキ、ただいま」
お父さんとお母さんだ。時計を見ると、お昼はとっくにすぎている。私がこたつから出て二人の元に行くと、二人はだまったままためいきをついた。
どうしたの?
私の声が聞こえていないのか、お父さんとお母さんは何も言わないでこたつのある部屋に入っていった。今度はそこに行くけど、こたつに入ることなく座る二人は、何も言ってくれない。いつもなら、ただいまの後に私の頭をなでてくれるのに。
ねぇ、どこに行ってたの?何かあったの?
そうお母さんに聞くと、お母さんは疲れた顔で私をひざの上にのせた。
「ユキちゃん」
どうしたの、と聞く前に、お母さんは私をだきしめた。何かあったみたい。でも、何かわからない。シュウが部屋から出てきて、私を見た。
シュウ。
私が声を上げても、お父さんとお母さんは、シュウを見なかった。シュウも何も言わない。そんなのおかしい。二人とも変なのに、シュウが何も言わないなんて。むしろ、二人がシュウを見ないなんて。
「あれ、いつのこたつ電源入れたんだ」
「ユキちゃんがたまたま入れたんじゃないの」
入れたのはシュウだよ?お父さんもお母さんも、どうしてシュウに「ただいま」って言わないの?
私の声に気がつかないらしく、二人はまただまりこんでしまった。なんでだろう。どうしてだろう。私はお母さんのうでをすり抜けて、シュウの元にかけよった。シュウは、かがんで私の頭をなでる。その顔は、とても悲しそうだった。
シュウ……どうしたの?お父さんもお母さんも、シュウも変だよ。
シュウはただ悲しそうな顔をして、私の頭をなでた。ずっと、だれも何も言わない。静かな部屋には、時計の音がひびいている。こんなのいやだ。私はシュウから離れると、外に出た。チリンと鈴が鳴る。いつのまにかくもっていた空は、うす暗い。
いつもの散歩コースを歩いて、だいたい十分くらい。私は深呼吸をしてからドアをくぐった。チリンという音に、お母さんが反応する。
「ユキちゃん、もう暗いんだから、外に出ちゃだめよ」
力ないほほえみに、私はうつむいた。さっきと変わらない。家の中には重い空気でいっぱいだった。
ぼぅっとテレビを見るお父さん。機械みたいに家事をするお母さん。ただ部屋のすみに立っているシュウ。何もわからない私。
シュウは二人にとって、私より大切な人だ。だから、シュウを無視するなんて信じられない。きっと、私の知らないところでケンカでもしたんだ。それなら、お夕飯のときには仲直りしてるはず。ケンカはめったにないけど、したときはいつもそうだもん。
でも、お夕飯のとき、シュウが「いない人」になっているのが、いやでもよくわかった。
お母さんが用意したのは、お母さんと、お父さんと、私の分だけだった。シュウの席にはご飯も、おかずも、飲み物も何も置かれていなかった。
シュウの分は?
お父さんに私が急いでそう聞くと、お父さんは悲しそうに私の頭をなでて、シュウの席を見た。お母さんも同じような目で、シュウの席を見る。シュウはやっぱり悲しそうな顔をして、 自分の席を見つめてから部屋に戻っていった。
シュウは食べないんでしょ?シュウが食べないなら、私もいらない。
「ユキちゃん?」
私はお夕飯を食べない。シュウが食べないんだもの。シュウは私よりたくさん食べて、元気にならなくちゃいけないんだもの。にげるように私はシュウのところへ走った。
シュウ、ケンカしたの?仲直りしようよ、私いやだよ、みんなといっしょにいたいよ。
ベッドに寝ているシュウは、私を見た。私はベッドのすみに飛び乗って座る。
「どうしたんだ、ユキ。母さんと父さんは、ご飯食べてるだろう。いっしょに食べておいでよ」
優しくほほえむシュウ。シュウはどうしていっしょに食べないの?どうしてシュウの分がないの?
遠くで、チリン、とドアの鈴が鳴った音がした。それから聞こえた声で、大好きなおばあちゃんなのに気づく。そうだ、おばあちゃんならわかるかもしれない。私はシュウに寄りそってから、ドアのほうに走った。
お父さんとお母さんが先におばあちゃんと話してる。待って、私とシュウの話を聞いてほしいの。
「シュウくんは……?」
私がそばに行ったとき、おばあちゃんが二人に聞いた。
「それがしばらく入院しなければならなくなってしまって……」
「本当にご心配を……」
シュウ?入院?これから行くの?うそ、今日元気だったよ。お願い、連れて行かないで!
私がさけぶと、おばあちゃんがやわらかい手で私をゆっくりだきあげた。
「ユキちゃん、さみしかったでしょう、昨日の夜からシュウくん入院しちゃったもんねぇ」
「えぇ。さっきもシュウの部屋に走って行ってしまって。まるでシュウがいるようですよ」
お父さんが言う。
「ユキちゃんとシュウは兄と妹のような関係ですから」
お母さんが言う。
私はおばあちゃんのうでから飛びおりた。走ってシュウの部屋に行く。それから家中をかけ回る。
でも、シュウはいなかった。お父さんとお母さんと、おばあちゃんが言ってたのは本当だった。
くるくると回って進む時間は、あっという間に朝をつれてきた。シュウはいない。今日はお店を開くみたい。何度もドアの鈴が鳴って、人がやってくる。
私は外に出た。今日も晴れていて、ひなたぼっこができるあったかさ。
「あ、ねこさんだー」
きれいな女の人と手をつないだ小さい子が、かわいく笑って私の頭を痛いくらいになでた。 シュウの作った首かざりの鈴が、チリンと鳴った。
「ばいばい」
小さい子が私に手をふった。またね、と言って、私は丸くなる。
「ねぇ、白いねこさんないてたよ」
「ねこさんはなでてもらうのが好きなんだよ」
「ううん、そうじゃなくてね……」
遠ざかる声に、泣いてなんかないよ、と心の中で返した。