第2話 童貞に、力を…
「いっくぜぇぇぇ! オラァッ!!」
阿津鬼の咆哮と共に、突如として空気が弾け、衝撃が俺の体を吹き飛ばす。
「ぐわあああぁぁぁぁぁぁ!!」
凄まじい衝撃受けた俺の体は宙に浮き、気づけば教室の壁へ叩きつけられていた。
「ゲホッ、ゲホッ、……なっ、なんだよ!? いまの……は?」
まるで超能力のような信じられない『何か』の力によって壁へと叩きつけられた俺は、背中を強打したせいで咳き込んでしまう。
「どうだ、理解したか富国? いまのが『童貞力』だ」
咳き込む俺を見てもまるで動じていない幽麒麟先生が、求めてもいない説明を勝手に始める。
「富国、君も聞いたことぐらいはあるだろう。『童貞は三十を過ぎると魔法を使えるようになる』と。あれは童貞を揶揄した言葉のように聞こえるかも知れないが、実はそうではない。事実なのだ」
「そんな、事実……って……いったい、なにを言って……」
「話は最後まで聞きたまえ。童貞のみが持ち得るDT細胞は、三十を境にその細胞が活性化して不可思議な能力を発現していく傾向がある。そしてその力、『童貞力』を目にした者がそれを『魔法』と呼び、恐れたのだ。それに、」
幽麒麟先生は一度そこでいったん言葉を切り、「ふっ」と笑ってから続ける。
「世にある童貞を嘲笑し蔑ろにする傾向は、童貞の力を恐れた非童貞や非処女共が仕組んでいるのだよ。そしてこの貞潔学園は、潜在的に強いDT細胞を持つ少年たちを、そんな非童貞と非処女共から守るために設立されたのだ。したがって富国、当然君にも童貞力は備わっている。だからせいぜい早く目覚めることだな。でなければ……冗談ではなく本当に死ぬぞ?」
幽麒麟先生の言葉にウソはないだろう。それは阿津鬼の攻撃を受けた俺が一番よく理解している。
にわかには信じがたいが、童貞が魔法のような『力』を扱えるのは事実のようだ。
俺と幽麒麟先生との会話がひと段落したのを見て、阿津鬼が一歩踏み出した。
「どーよ、見たか? これがオレの童貞力、〈空気振動摩擦〉(エア・オナニー)よぉッ!」
「え、エア……オナニー……? なんて恥ずかしい名前だ……」
「そうよ! 空気を振動させ衝撃を起し、目の前の敵を吹っ飛ばすっ! さいっこぉぉぉにクールな童貞力だろうがぁっ!!」
「しょ、衝撃……? それが童貞力ってヤツなのか?」
「はっ、言っておくがテメェに〈エア・オナニー〉、略してエアニーは使えねーぜ。これはオレだけの童貞力だからなぁ!」
どういうことだ?
童貞力ってやつには色んな種類があるとでもいうのか?
未知なる力を前に、俺はただ狼狽えることしかできない。
「阿津鬼の言う通りだ富国。童貞力にただのひとつも同一な能力はない。君たち男の股間にぶら下がっているモノが、一人ひとり異なるようにな」
「先生、そのたとえ下品です!」
俺の非難の声に、幽麒麟先生は小さく肩をすくめる。
でも、先生の言うことが事実なら、童貞力は人によってその能力が違うというわけか。だけど……どうやったらその童貞力ってやつを使うことが出来るんだよ。それ以前に、本当に俺にも使えるのかよ。
「あ、阿津鬼……とかいったっけ?」
「あん? なんだよ急に」
「……ひとつ、聞きたいことがある」
「命乞いなら聞かねーぜ。こんだけオレを待たせたくせによぉ、ろくすっぽ童貞力を使えねーんだ。テメェは全裸で土下座の刑に大決定だバカ野郎!」
「いや、そんなことじゃない。……どうやって、どうやってお前はその童貞力ってやつを使えるようになったんだ?」
俺の質問が意外だったのか、阿津鬼は一瞬だけ驚いた顔をしたが、すぐに口の端をつり上げて自虐的な笑みを浮かべた。
「くっくっく……いいぜ、せっかくだから教えてやんよ。オレはなぁ、中学の時によぉ、修学旅行で女風呂を覗こうとしたことがあんだよ。宿泊先だったホテルには露天風呂がついていて、その露天風呂には学年のアイドル美咲ちゃんが入っている。裸の美咲ちゃんだぜぇ? 何度も何度も想像し、その度にオレを絶頂させてくれた美咲ちゃんの裸が……そこにあるんだぁ。これをよぉ、男なら覗かないわけにはいかねーだろぉがっ!」
「いや、それ普通に犯罪だから」
俺の冷静なツッコミは、しかし阿津鬼には届かない。
「見張りについてるセンコー共の目を盗み、露天風呂へと向かうオレの前に文字通り大きな壁が立ちふさがった。高さ五メートルはあるコンクリートの壁。ああ、登ったよ。必死になってな。この壁を登りさえすれば美咲ちゃんの裸が見れるって、無我夢中で登ったよ。でもよぉ……最後の最後で見回りに来たセンコーに見つかっちまったんだよぉ。……クソッ! いま思い出しても腹が立つぜぇ」
「犯罪者にならなくて良かったじゃん」
「見つかった俺はよぉ、逃げようとしたひょうしに壁から落ちちまったんだ。バランスを崩して両手から、な。そしたら……………………『ポキ』だってよ」
「お、折れたのか?」
俺の問いに過去を思い出してしまったのか、阿津鬼は忌々しげに頷いた。
「ああ、両腕粉砕骨折。で、そっこー病院行きの入院コース確定よぉ。テメェにこの悔しさが分かるか? 壁の向こうには美咲ちゃんの裸があったんだぜ。それを……それをオレは一瞬たりとも見ることが出来なかった……」
阿津鬼の目にキラリと光る一滴の涙。
その涙からは、阿津鬼の悔しさが痛いほど伝わってくる。
「しかもなぁ、オレの不幸はそれだけじゃねぇ。入院した病院、これが…………地獄だった」
「……おばさんの看護婦ばっかだったとか?」
「はんっ、逆よぉ。若いねーちゃんばっかだったんだよ」
「はぁ? 天国じゃないか」
「ケッ、……腕が折れてなきゃあな」
「ま、まさか……」
「おおよ。中坊にとっちゃナース服のねーちゃんなんざ、極上の“オカズ”よおぉぉ! なのによぉ……腕が折れてギブスで固められていたオレは、自分の息子に触れることすりゃできやしねぇ」
「き、キツイな、それは……」
お色気満点のお姉さま方がいる病院。
そんな恵まれた環境にいながら、阿津鬼は欲望を吐き出せずにいたのだ。
その辛さは思春期まっただ中の俺だけじゃなく、俺と阿津鬼を遠目に見守っているクラスの連中にも伝わっているようだった。
「毎朝ギンギンになっちまう自分の股間によぉ。オレは少しでも刺激を送ろうと、ろくに動きもしない手であおいだり、口で息を吹いたりして風を送ってたんだよ。毎日毎日……必死こいてよぉ」
「お前バカだろ?」
「そんなある日のことだ。突然、オレの股間に強い刺激が伝わったのよぉ。両手はギブスでガチガチに固定されちまってるはずなのに、オレが手を動かすたんびに股間には強い刺激が――振動”がダイレクトに伝わってくる……」
俺は息を飲む。
このあと阿津鬼がなにを言うのか、俺には予想ができていたからだ。
「それが……オレが自分の童貞力、〈空気振動摩擦波〉に目覚めた瞬間だったわけよおぉぉぉ! 分かるか富国? オレがどれだけ苦労してこの童貞力を、『エア・オナニー』を手に入れたかッ!! テメェに分かるかぁぁぁぁッ!! 分かったならもう逝っちまいなぁぁぁぁぁ! 喰らえぇぇぇぇぇぇ〈空気螺旋状振動衝撃波〉!!」
「ぐわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
らせん状に逆巻く衝撃波によって俺の体は吹き飛ばされ、足元に血だまりができ上がる。
「くっ、せ、制服……が……」
「ケッ、這いつくばって情けねヤツだなぁ、テメェはよぉ。ちっとはオレを楽しませろや」
続けて、阿津鬼の蹴りが俺のみぞおちに突き刺さった。
「ぐはぁっ!」
「チッ、つまんねー。…………ああ、いーこと思いついたぜ富国ぅ。いまからテメェを全裸にひん剥いてやんよぉ。散々このオレを待たせときながら、ろくすっぽ闘えもしねーんだ。せめて全裸で土下座キメてよぉ、オレとクラスの連中に詫びいれろや。オラァ!!」
再び蹴り飛ばされ、俺は教室の床に転がされてしまう。
「ぐっ……や、やめろ。それだけは……やめてくれ……た、頼む、から」
「だーれがやめっか……よぉッ!! オラァッ!!」
阿津鬼の操る衝撃波で俺の体が宙に浮き上がり、無理やり天井へ大の字に貼り付けられてしまった。
俺の願いは聞き入れてもらえない。そもそもがDQNに道徳観念なんてあるわけがなかった。常識知らずの連中なのだ。
抵抗しようにも抗いようのない強い圧力を全身で受けている俺は、指さきひとつ動かすことができないでいる。
「はんっ、いいざまじゃねぇか。だがよぉ……お楽しみはこれからだぜぇぇぇ!! 空気疾振動斬!!」
「ぐわあああうぅぅぅううう!!」
超振動の刃によってズタズタに切られた俺の制服が、ついに衝撃に耐えられなくなり、無残にも千切れ飛んでいく。
そして学ランもズボンも切り裂かれたされた俺は、ついにブリーフ一枚の姿になってしまう。
「ほう。富国はブリーフ派か。先生は嫌いではないぞ」
「黙ってろセンコー! さて富国……覚悟はいいかぁ? 次でよぉ……終わりだぁぁぁッ!!」
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
俺の絶叫と共に、身を守る最後の砦であったブリーフすらも破れ跳んでいき、ついに俺は全裸へとひん剥かれてしまった。
未だ阿津鬼の童貞力によって、天井で大の字になっている俺。
クラス中の視線が、生まれたままの姿で天井に張り付いている俺に――俺の股間に集まっていくのを感じる。
「み、見ないで……くれ……」
「ぷっ……くっくっく……だぁーはっはっ!! こいつぁーおもしれぇ! 富国、テメェ……“ホーケー”だったのかよ!!」
「くぅぅっ」
「そりゃー見られたくねーよぁ? そんな“皮かむり”な情けねぇモノはよぉ!」
阿津鬼の言葉に、クラスの何人かが堪え切れずに噴き出す。
やがて、それを合図にしたかのようにクラス中が爆笑の渦に包まれた。
誰も彼もが俺の股間を見て笑っている。
皮かむりな情けない息子を指さして、笑っている。
中学の時に「火星人(仮性人)」とバカにされていた過去がフラッシュバックしてしまった俺は、顔を真っ赤にして叫ぼうと試みる。
「やめろ、笑うな!」
「やめろ、見るな!」
「やめろ、やめろ!」
しかし俺は、叫ぶことすらできなかった。
阿津鬼の童貞力によって生み出された猛烈な振動によって、口を開くことすらままならなかったからだ。
股間を隠すことはおろか、しゃべることも、許しを請うことすら出来ない。
これほどの屈辱があるだろうか?
俺の思考は羞恥心に支配され、いつしかぐるぐると同じことばかりが巡っていた。
――恥ずかしい恥ずかしい。
――恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。
――恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかし――
顔を真っ赤にして目をつむり、ただただ羞恥心に苛まれる。
そんな時だ。
俺は胸の奥から湧き上がる熱いマグマを、確かに感じたのだった。




