第17話 童貞自身が確かめて
「……うぬはいま、『想い人の気を惹くために生徒会長になった』と言ったのか? ずいぶんと青臭いことを吐きよる」
「ならこっちも言わせてもらう! 童貞だけの社会を築くだって? 童貞が人類を導いていくだって? そんなこと、誰も望んじゃいない!」
「ワシが望んでおる。天照グループ総帥である、この神羅万将がそう望んでおるのだ。それは即ち、この国の――いや、天の意思に他ならない」
「傲慢ばかり言って! そんな老人、俺が修正してやる!」
「ほう。この学園の理事長にして世界経済を支えるワシに盾つくか、青二才。面白い……ならば直々に手を下してやろう。うぬのような堕落しきった童貞など、すり潰してくれるわ」
「やってみろっ! このっ、老害がぁぁぁぁぁ!!」
俺は理事長――いや、ただの老害へと成り下がった傲慢な童貞、神羅万将に向かって最大級の火球弾を放つ。
その火力は、あのホモしゃぶ郎を絶命させかけた威力とそん色ない。
しかし――
「かっかっか。ぬるいわ」
神羅万将が手を一振りするだけで、俺の炎は消滅してしまった。
「そんな……俺の炎が……消え、た……?」
「ふんっ。……その程度の炎、その程度の童貞力で、うぬはこのワシになにをするつもりだったのだ? よもや、いまのが攻撃だった、とは言うまいな?」
「なッ!?」
「そうか、攻撃のつもりだったのか……。ふう、嘆かわしいことだ。最近の童貞はこの程度の力しか持ってないというのか。まったくもって嘆かわしい」
そう言って首を振る神羅万将。
「ワシが若かったころ。それはそれは……素晴らしい童貞が沢山いたものだ」
炎がまったく通じず呆然とする俺をほっといたまま、神羅万将は昔を懐かしむように虚空を見つめた。
「現在と違って物質的に豊かではなかったが……代わりに、童貞たちの心根は眩いばかりに光輝いていた。まさに童貞の黄金世代と言っても過言ではないほどに」
まさかの昔ばなし。
まずい。……得てして老人の話は長くなることが多いんだ。うっかり聞こうものなら、日が暮れてしまってもおかしくはない。
今晩の夕食はすき焼きだってのに……。クソ、帰宅する頃には肉がなくなっちまうじゃないか!
そう焦る俺の視界に、碗力の姿が映り込む。
見れば、両手を使って『引き伸ばせ』と、ジャスチャーを送ってきている。
いまの内に体勢を立て直し、作戦を考えろってことか。サンキュー、碗力。
俺は碗力に小さく頷いて返し、力を溜めつつ、神羅万将に先を促す。
「す、『素晴らしい童貞』? どんな人たちだったんです?」
「ふっ、みな高潔な者ばかりだった。……いまのうぬらとは違ってな」
「…………」
侮蔑のこもった視線を向けられる。
「第二次世界大戦。あの地獄のような日々はうぬら青臭い童貞には想像も出来ぬだろうよ。現代とは違い、食べ物も物資もなにもなかった。もちろん、自慰行為に欠かせぬ春画やティッシュもだ」
誰かが息を呑む。あまりにも突然な話の内容に、驚いたんだろう。
俺だって同じだ。まさか童貞話から戦時中の話につながるなんて、思いもしなかった。
でも、そんなことはお構いなしに話は続く。
「あの当時、童貞たちはみな想像力を磨くことで性的興奮を昂らせ、その興奮を童貞力へと昇華していった」
「興奮を……童貞力へ……?」
「そうだ。あの時代、童貞力を使う者は猛者ばかりよ。鬼畜米兵が乗る戦闘機を童貞力で撃墜する者。風雨淒淒のような爆撃を童貞力で防く者。みな誇り高く、そして尊い童貞ばかりだった……」
神羅万将が目を閉じ、薄く笑う。
昔を懐かしんでいるのだ。
「それがいまではどうだ? 『いんたーねっつ』を使えば、女人の裸体に男女の秘め事まで覗き見ることができ、『どーじんし』とやらの薄い書物には、口にすることすら憚られるような淫欲が描かれておる。日本の行く末を憂う志士ばかりだった童貞たちが、いまでは自慰行為に耽る愚か者ばかりになってしまった」
神羅万将はそこで一度言葉を区切り、深いため息をついた。
場が重い空気に包まれる。
この場にいる童貞たちのほとんどに、思い当たる節でもあったんだろう。
「……いつからだ? いったいいつからこの国は、この日の元は、このような情けない国になってしまったのだ?」
その問いに、誰も答えることができずにいる。
「間違いは正さねばならぬ。ワシの残りの人生すべてを捧げても、だ。国民全員がかつての清く美しい心を取り戻すためには、その旗印として童貞こそが立たねばならぬ。その急先鋒を努めるべきはずのうぬがっ、言うに事欠いて『男女交際』だと? 笑止! たかが女如きにうつつを抜かすとは、うぬはそれでも童貞かっ! 恥を知れい!」
「くっ、そ、それのなにがいけない!? 俺は童貞だ。だから彼女だって欲しいし、できることならエッチなことだってしてみたい! でもそれは当たり前のことだろう! 童貞なら誰だってそう願うに決まってる!」
「ふんっ。まるで童貞の総意でもあるかのような物言いだな。うぬ如き矮小な存在が大言を吐くな! 馬鹿者めっ!」
「ッ!?」
怒気の込められた視線に射抜かれ、体が委縮する。
神羅万将から放たれる重圧に、無意識のうちに恐れを感じてしまったんだ。
「うぬのような下らぬ童貞など、ワシの学園には要らぬ。生徒会長などもっての外だ! ワシの童貞力で黄泉へと送ってくれよう。見るがいいっ!!」
両手を広げた神羅万将の背後に、巨大な岩石がいくつも創り出されていく。
「い、岩? 神羅万将は大地属性なのかっ!?」
「潰れるがいい。地虫の如くな」
俺の疑問に答えは返ってこなかった。
代わりに、神羅万将の創り出した巨石が向かってくる。
「ちぃっ! 炎よっ、壁となれ!」
「そんなもので防げるとでも思うてかっ!」
目のまえに炎の壁が創り出される。
しかし、巨石は炎の壁をあっさりと通過し俺に迫った。
俺の防御技で巨石の表面が赤く焼けている。あれをぶつけられたら、ただでは済まないだろう。
神羅万将の攻撃を防ぐつもりが、かえって破壊力を増してしまったのだ。完全なる自爆。
「くっそ! 爆炎弾!!」
炎の壁を通過してくる巨石を、ならばとばかりに対象物を破壊する爆炎弾で撃ち落としていく。
碗力に言われて力を溜めていなかったら、こんなに連続で技を放てなかっただろう。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
すべての巨石を撃ち落とし荒い息をつく俺を見て、神羅万将が口角をあげる。
「ほう。なんとか耐えたか。なら次は……“これ”だ」
神羅万将がそう言った直後、体育館の天井に黒い雲が創り出された。
「く、雲? 神羅万将の童貞力は大地属性じゃないのかっ!?」
動揺する俺の頭上で、黒い雲から「ゴロゴロ」と音が鳴りはじめた。
「まずいっす富国君! あれは雷雲っす!!」
「なんだって!?」
碗力の声をあげた直後、稲光が走り雷鳴が響く。
「―――――ッ!!」
瞬間、体に強烈な電流が走り、俺は床へと転がっていた。
「富国君!」
碗力の悲鳴が耳に届くが、全身が痺れているせいで返事を返せない。
「ふんっ。石ころは防げても雷までは防げなんだか。しかし、雷に打たれながらまだ息があるとは大した生命力よ。そこだけは褒めてやろう」
「――ッグ、グ、グガ……」
「痺れて口も回らんか。惨めなものよ。さて……、」
神羅万象は俺を見下ろしていた視線を、周囲の生徒たちに向け、声をあげる。
「誰でもいい。この愚か者に止めを刺せ。そうすれば――」
生徒たちが黙り込み、しんと静まり返った体育館のなか、俺の呻き声だけが響く。
「こいつの代わりに、生徒会長の地位を与えてやろう」
視界の端で、森羅万象がおぞましい笑みを浮かべるのが見えた。
「どうだ、誰かおらぬかっ? 誰でもよいぞ。どうせワシにとってうぬら程度の童貞など有象無象に過ぎぬからな。誰が生徒会長になろうとも、ワシは一向に構わん。この青臭い童貞に止めを刺し、ワシに絶大の忠誠を誓うのであればなぁ! はぁっーはっはっは!」
狂喜に満ちた笑い声をあげる森羅万象を見て、周囲の童貞たちは黙り込む。
いくら地位を約束されるとはいえ、他人の――この俺の命を奪うことに強い抵抗があるからだ。そんなのは現代っ子にとって当然。でもそんな若者の気持ちを汲み取れないのが、老害である森羅万象なのだ。
その時、ひとりの生徒が一歩進みだす気配があった。
「おいジジイ。その話、マジもんかよ?」
この声は……阿津鬼か?
「……む? なんだうぬは?」
「オレは1年の阿津鬼ってもんだ。んなことよりよ、念のため確かめておきてーんだが、そこの――富国を殺ればオレを生徒会長にしてくれんのかよ?」
「ふっ、目上の者に対して口の聞きかたを知らぬ小僧だ。これも世の乱れのひとつか……。まあいい。その通りだ、けったいな髪型をした小僧よ。うぬがそこに転がる青臭い童貞に止めを刺すのであれば、その瞬間からうぬをこの学園の生徒会長として認めてやろうではないか」
「ジジイ、その言葉……忘れんじゃねーぞ」
そう言った阿津鬼が、俺に向かって歩き始める。
……まずい。これはまずいぞ。阿津鬼はDQNだ。身も心も凄いDQNだ。
そんなDQNな阿津鬼のことだ、自分の地位のためなら、平気で友だちである俺に止めを刺すに違いない。
なんとかしないと……。
俺は体を動かそうと身をよじるが、雷に打たれた体は痺れたままだ。
そんな積み状態のなか、そばまでやってきた阿津鬼が、床に転がる俺を静かに見下ろす。
「いよう富国ぅ。情けねーざまだなぁ、オイ」
「あ……あ、あつ……や……め……」
動かない体で阿津鬼を見あげるが、説得しようにも声が出なかった。
「さあ小僧、止めを刺せ。ワシに忠誠を示すがいい!」
「……富国が『青臭い童貞」だから……か」
「そうだ。愛だの恋だのとうつつを抜かす青臭い童貞になど、ワシは用がない。いますぐに消せ! 粛清するのだ!」
「だ、そーだ富国。テメェはあのジジイにとっていらねーヤツなんだとさ」
阿津鬼が俺に手のひらを向け、童貞力を集めはじめる。
「笑っちまうよなぁ。オレたち童貞なのによぉ、あのジジイが言うには、童貞に恋愛なんか必要ないらしい」
向けられた手のひらに童貞力があつまり、極限まで圧縮された空気が「ヴヴヴ」と音を出しはじめた。
能力名は空気振動波。阿津鬼の童貞力だ。あんなに圧縮された空気の塊をぶつけられたら、俺は粉みじんにふき飛んでしまう。
さすがは身も心もDQNな阿津鬼だ。裏切る時はあっさりと裏切りやがる。
「さあ止めを刺すのだ! 青臭い童貞が二度とあらわれぬように! 今後ワシに逆らおうとする愚か者が出ぬように、完膚なきまでに止めをさせいっ! 若き童貞たちが正しき道を歩むためにぃっ、その青臭い童貞を断罪するのだぁぁぁ!!」
「聞いたか富国? 『童貞の正しい道」だってよ。笑っちまうよなぁ……そんな世界――――まっぴらごめんだってのっ!!」
瞬間、突如としてふり返った阿津鬼が神羅万将に向かって振動弾を放つ。
まさかの奇襲に神羅万将は腕を交差して防ぐが、衝撃でその体がわずかに傾ぐ。
「チクショーが。オレの全力受けてもよろめくだけかよッ!」
「…………なんのつもりだ?」
神羅万象が交差していた腕を解き、阿津鬼を睨みつける。
「まさかこのワシに……逆らおうというのか?」
「ハッ、その『まさか』ってヤツだよ! オレァー不良なんだ。テメェみたいな胸糞悪ぃージジイに逆らうのがオレの役目なんだよ!」
力強くそう言った阿津鬼が、俺を背後に庇うように足を広げた。
「憶えとけよジジイ。オレみたいな不良はなぁ……ぜってぇーに仲間を裏切らねぇんだよ!」
神羅万象に向かって、ちょーカッコイイ啖呵を切る阿津鬼。
そんな阿津鬼の言葉を動けない体で聞いた俺は、ただただ胸が痛かった。
さっきは疑ってごめんなさい、と。
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